第九章 対面
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久しく見ない顔が並ぶ。行灯の火がゆらゆらと揺れると、その影はおどろおどろしく、今にも飛び出してきそうであった。各々の面持ちは重く、その口元は堅く閉ざされている。皆、一様にしてある男の登場を待った。
「すまん。待たせた。」
屋敷の主は一言詫びて、部下が待つ部屋へと入る。
「いや、そない待ってへん。」
上座へ腰を下ろした北へ、アランが皆を代表するように応えた。
北に続いて入室した綾鷹は、彼の少し後ろへ控えるように座ると、ぐるりと下座を見渡す。
アラン、侑、治、角名。この面々は以前からの顔見知りだ。しかし、そのさらに奥へ控える男2人。綾鷹は初対面の彼らをジッと見た。
「……そういえば、初めてやないか。」
彼女の視線に最初に気がついたのは、意外にも治であった。彼の言葉に、他の面子も「言われてみれば……」と肩越しに奥を振り返る。
「俺らと同じ師団で上官の赤木路成中尉と、こっちは同期の銀島結少尉や。」
治に名前を呼ばれ、2人はすっと前へ出ると軽く会釈をした。
「中尉の赤木や。どうぞよろしゅう。」
「少尉の銀島です。」
コテコテの関西弁。きっと彼らも北と同郷の仲なのだろう。
「ご丁寧に。梶 綾鷹と申します。こちらこそよしなに。」
女の言葉に、アランと侑はわずかに肩を揺らす。綾鷹はあえて、この場で”北”の名を名乗らなかった。疑わずとも、ここにいる者達は私と北様の関係を知っている。故に、わざわざ仮初の夫婦を演じる必要は無い、と判断したからであった。それに、梶の名を名乗った理由は他にも……。
「それで、北。俺らはこれからどう動けばええんや。」
アランは後方へ向けていた視線を、再び上座へと戻す。ピンと張った緊張がさらに増した。まだ始まったばかりだというのに、皆、その先を急ぐような姿勢で北の言葉を待っている。
「ああ、今日は勿論そのことについて話すつもりや。……だがその前にもう一つ。……お前らに会わせたい奴らがおるねん。」
そう言うと、チラリと隣を見る。男の目配せに小さく頷くと、綾鷹はアラン達の後ろへ声をかけた。
「……入れ。」
数人分の足音が近づく。ようやくその姿が素朴な灯りで見えた時、彼らは困惑を禁じ得なかった。
「お、女や……。」
誰の台詞かは定かでない。しかし、北と綾鷹を除く全員が、同じ様に思ったであろう。
「あら、最近のお役人様は”女”を見たことがないのでございましょうか。」
「こら、紅緒。おやめなさい。」
女が3人。三者三様の装いだが、その仕草にはハッキリと武人のそれが混じっていた。
「北さん……これは、一体……。」
あらゆる意味で唾を飲む。この問に答えたのは、北ではなかった。
「突然で、たいそう驚きになられたことでしょう。彼女達は、私の知人達……正しくは、元同僚でございます。」
彼女の言葉に。ますます混乱の表情を浮かべる。しかし、アランだけは綾鷹の言葉にいち早く反応を見せた。
「同僚……例の組織のことか。」
「ええ。その通りでございます、アラン様。」
あの日、散々な思いをした喫茶店での出来事を、アランは明瞭に覚えていた。どのような方法で彼女が仲間と再会を果たし、協力を仰ぐことが出来たのか。とても気になったが、今はグッと抑える。だが、心のどこかで、ホッと胸を撫で下ろした。
「あの後、無事に見つかったんやな。」
この言葉に嘘はない。不思議なもので、緊迫に包まれた今「よかった」という安堵と、少しの喜びを感じる。大して彼女に助力をしたわけでもないのに、自ずと湧いてくる達成感。険しい表情がいくらかまぎれた。
「き、北さん。これはどういうことなんやろか。」
とは言っても、この状況は変わらない。置いていかれまい、と侑は言葉強く北へと説明を求めた。
「侑、ちゃんと説明する。少し落ち着きい。」
今にも飛び出してしまいそうな男に釘を刺す。そして、体ごと彼女達へ向けると、至極丁寧に着席を進めた。
「あなた方とは初めてお目にかかる。……帝国陸軍、十一聯隊少佐、北信介や。よろしく頼む。」
腰を落ち着けた3人に向かい、北はいつものように頭を下げた。
「夜分にも関わらず、よく足を運んでくれた。心から礼をいう。……ほんまにおおきに。」
丁重に感謝を述べる上司に、侑たちは思わず息も忘れてその光景を見る。
「まあまあ、御丁寧に。こんなに快く迎え入れてくださるとは、思ってもおりませんでした。」
柔らかい声。暖かい仕草。花が綻ぶような表情でヒヨリが言葉を返す。しかし、その双眼は鋭く、目の前の男たちを存分に値踏みしている。凡人なら、その顔に容易く騙されよう。
その瞳の真意に気づき、綾鷹はため息を静かに抑えた。
ちょうど中央に一本走る畳の境目。新たな役者の登場に、彼らはそれを中心に、向かい合うよう移動した。
アランの目の前にヒヨリが。
赤木と侑の間に春日が。
侑と治の間に紅緒が。
という順で再び腰を下ろす。
皆が落ち着いたのを確認して、北は再び口を開いた。
「お前たちには黙っていて悪かった。この場を借りて説明させてくれ。」
返事はない。しかし、皆頷くようにして居住まいを正す。
「彼女たちは、華夜叉……元、遊郭の治安を守る、独立組織の構成員や。」
本日、何度目か分からない驚きが走る。
「遊郭って言うたら……。」
「あ、あの数年前に火事で焼けた遊郭のことやろか。」
自ずと向けられる視線に、綾鷹はいたく冷静に黙って頷く。それを見て、角名は改めて3人の女へ目を向けた。
背筋を伸ばして凛と佇む。遊郭の出だけあって、10人いれば10人とも彼女達を「美人だ」と言うだろう。この中で、年長者であるヒヨリは愛嬌のある美人。その隣へ座る春日は、氷の様に透き通るような透明美人。己から見て、最も近い場所に座る紅緒は、健康的で溌溂とした美人であった。ここが上司の屋敷でなく、更に、こんな空気でなければ、どんなに嬉しいか。角名は密かに残念がったのである。
「……にしてもや、華夜叉っちゅう名前は聞いたことがあれへん。」
「赤木さんと同じです。俺も、そう言うた話は全く……。」
ざわざわと騒ぎ始めた男達に向かって、北は軽く手をあげて遮った。
「そりゃせやろう。なんせ、”極秘”組織やからなあ。」
各々の顔がより険しくなる。それと同時に、角名は北の影にいる綾鷹をジッと見た。
表情ひとつ。息ひとつ。乱れはない。まるで、この屋敷ができるずいぶん前から、そこに、そうしてあったかのような。触れればひやりと冷たい石のようである。
その場をじっと動かず、逸らしもしない温度の無い双眼が、チクリと一瞬、角名の視線と交わった。そして、認識する。
どうやら、己が今日まで遣いをしていた相手。彼女は角名が考える以上に、得体の知れない存在であった。と、今になって恐ろしさが襲ってきたのである。
この仕事を始めて、まだ短い。しかし、己の生業がいかに特殊であるか、角名は理解しているつもりであった。だが、今夜のこれはまるで違う。手の込んだ御伽草子のような現実味のない感覚は、はてさて、自分は夢でも見ているのだろうか。と珍しく、疑い始めてすらいた。
服の下で鳥肌を立てる腕を、気づかれないように摩ったのである。