第八章 一対
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「あはははははははははッ。ご、ごほっ、ゴホゴホっーー。」
当事者の前で大爆笑をかますこの女は、ついこの間再会したばかりの元同僚だ。
「……そんなに笑わなくとも良いではないか。」
「だ、だってっ。”お話し大会”だなんて発想ッ。乙女かッ。と言うかあなた、今いくつなのよ。」
「……二七だ。」
「あっはははははッ。二十七で”お話し大会”なんてっ。純粋ねぇ。」
ヒヨリの正論に反論できるはずもなく、綾鷹は悔しそうに押し黙る。因みに彼女たちが居る場所は、旧誰某(たれがし)の屋敷。現北陸軍少佐邸の裏庭であった。
隔離されている身とはいえ、しばらくこの家で生活をしていると、なんとなくの立地や周囲の状況などが見えてくる。どうやらこの辺に家という家は無いようで、裏庭の塀を境にその先はちょっとした丘になっていた。木々が生い茂り、人が手入れしている様子もない。自然の要塞、とまではいかないものの、閉鎖された空間と言える。まさに人一人匿うには持っていこいだ。
「それにしても、ビックリしたわ。」
「何が。」
「だって、突然いなくなってしまうんですもの。」
彼女の言い方にウッと言葉が詰まる。そのセリフが何を指しているのか、嫌でも分かってしまったからだ。
「私だって驚いた。なんの音沙汰もなく、あれよあれよという間にここへ連れてこられたんだ。」
だから、私に文句を言わないでくれ。と最後は目で訴える。それを見て、ヒヨリはふうっと肩で息を吐くと、体制を整えた。彼女達は今、塀を跨ぐようにして生えている立派な松の木に登り、お互いに身を乗り出すように顔を合わせている。そこそこ地面からの高さがある故に、周囲の木々の葉が綾鷹達を上手い具合に隠してくれていた。ちょっとやそっとじゃあ見つからない。かなりアグレッシブな井戸端会議である。
「……だけれど無事で何よりだわ。まだ例の件について動き始めていないけれど、早速、何か問題があったんじゃないかって心配したのよ。」
八の字に眉を下げる腐れ縁の女に、ちょっとだけ罪悪感がよぎった。まあ、いつまでもここに大人しく留まっているつもりは無い。遅かれ早かれ、頃合いを見て抜け出す計画を立てていた。
そんな矢先である。今日も、”謎”に大量の縫い物を繕わなければならないのか、と誰も見ていないのを良い事に、盛大に溜め息を吐いた時であった。爽やかな初夏の風に、水琴鈴の音が混じる。素人には聴き分けられない。あくまでも風景の一部に溶け込むような、そんな音。しかし、分かる人には分かる。コレは己を呼んでいるのだと、静かに立ち上がった。
水面を揺らすような微かな音源を辿ると、塀の一画を食い、向こう側へと大胆に伸びる大木が現れる。音はその向こう側、塀を超えたその先から鳴っていた。ちらり、と周囲を一度見回し、まごつく事なく飛び上がる。そして、ストンと枝に着地をすると、久しく見る顔が笑顔で待っていたのだ。
「それで。その”お話し大会”なるものの成果はどうなのよ。」
こいつ、まるで娯楽を楽しむかの如く、にたり顔で聞いてくる。先程感じた罪悪感など、跡形もなく消え去ってしまった。代わりにやってきたのは、なんとも言えないモヤモヤっとした腹立たしさだ。いつか覚えていろよ、と心の中で呟く。
「……順調だ。」
「順調って……
くッ……あはははははははははッ。も、もうダメっ。我慢できないッ。さいっこうッ。あんた達、最高にかわいいわッ。ヒィイッ、あははははははははははははっ。」
先ほどよりも度を超えて笑い転げる。いっそのこと、首の付け根でも殴ってやろうか、と腕を持ち上げそうになった。が、耐えた。えらいぞ、私。
「それで。私をわざわざ探してまで呼びつけたのだ。何か用があったのであろう。」
彼女の呼吸が落ち着くまで、約十五分ほど。長かった、などと言う気力もその間で紛失してしまった。若干、無気力気味に彼女の訪問理由を問う。
「勿論よ。本当はもう少し早く知らせてあげたかったんだけれどね。」
何やら申し訳なさそうにする。焦っている様子が無いので、急用というわけではなさそうだが。
「あのね、ちょっと残念なお知らせなの。」
「残念。」
「そう、残念。……あのね、そのぉ……バレちゃったの。」
「バレた。何が。」
「あのね、うんとね……衛輔さんに、任務のことバレちゃった。」
青天の霹靂。いや、これはもう、紛うことなき大事件である。
「衛輔さんって、確かあんたの。」
「そう。旦那様。」
「……はあああああああッ。」
おっと。あまりにも衝撃的すぎて、心の声が漏れてしまったようだ。いやはや、失敬失敬。普段ならきちんと隠せるのだが。今回ばかりは出来なかったようである。信じられないようなモノを見る目で、綾鷹はヒヨリを見た。
「お前、事の大きさが分かっているのか。この件は軍部内でも極秘として扱われているんだぞ。それを、全く関係のない一般人にバレるなんて。……あってはいけないだろう。」
「も、申し訳ないわぁ。自分でもすっごく反省してる。」
全くどうしたら良いものか。彼女の夫である夜久衛輔殿とは、飲み屋「呑んだくれ」で一度会っている。彼が正義感の強い立派な人物であるのは、雰囲気だけではなく。実際に言葉を交わした事で確信に変わった。彼がヒヨリの旦那であると知った時、この人なら心配いらない、と心のどこかで安心したのを覚えている。……が、真に心配すべき人物は夫ではなく、妻の方であったとは。なんたる失態。
「人のことを笑っている場合では無いだろう。」
「仰る通りです。」
はあ、と溜め息を吐きながら天を仰ぐ。
「それで、衛輔殿は何と。」
「そ、それが……とっても言いにくいんだけどね……。」
モジモジと指同士を突き合わせる。なかなか言い出さない様子に、綾鷹山は本日二回目の噴火を迎えた。
「ええいっ、焦ったいッ。はっきりと言わんかッ。」
「は、はいッ。申し訳ありませんッ。……それがね、めちゃくちゃ乗り気なのよぉ……うちの旦那は。」
ん。乗り気とは、どういう意味だろうか。
「それは、一体。何に乗り気なんだ。」
「だ、だからあ。その極秘任務にぜひ自分も協力させてくれって息巻いちゃって……。」
ああ、もうだめだ。頭が追いつかない。
天すらも仰ぐことができず、綾鷹は両の手で己の顔を隠した。