第八章 一対
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さて、神の助けが降ってきたのは意外にもその日の夕方。思ったより早い好機に一番喜んだのは、他でもないアランであった。
「よお、久しぶりやな。」
目の前の男とは陸軍士官学校在学中からの仲である。かれこれこの面子が集うのは数年ぶりだ。
「大耳っ。元気しとったか。」
「なんやアラン。えらい嬉しそうやないか。」
大耳の指摘どうり、アランは心の底から喜んだ。なぜなら、綾鷹の存在を知る数少ない人物の一人であり、少なくとも男女のあれこれを”大人の目線”で語れる貴重な男であるからだ。恋の駆け引きという点で、ここには宮侑という逸材もいるのだが、ヤツは論外である。年若く、遊び盛りの小僧にこういった類の話は理解できまい。女を侍らせる事に満足を感じている程度では、まだまだだ。
仕事もひと段落し、さて帰宅しようか、という時に彼は現れた。大耳の突然の来訪は北も初耳らしく、今日一番の驚いた顔をしている。
「なんや二人とも。死人でも化けて出たみたいな顔しよって。」
「当たり前や。お前が来るなんて聞いとらん。」
ははっ、そりゃそうか。と大耳は普段から細い目を、さらに細めて笑う。
「なに、珍しく帝都に用があってん。ついでやから、昔の職場に顔でも出したろう思うただけや。」
話を聞くに、今度行われる師団合同訓練の打ち合わせで、遥々横須賀からやってきたのだという。
「その話も一段落してん。この時間や、俺が知っとる幹部連中はまだ残っとる思うてな。」
「なるほどな。お前らしいわ。」
「昔から、感だけはよかったからな。ほら、今回も大当たりや。」
学生時代からなんら変わりない彼の笑い顔に、自然と北とアランも笑顔になる。
「そんなら早よ帰らな。家で奥さん待ってはるんやろ。」
ふと窓の外を見る。どこかから、我が子を呼ぶ母親の声が聞こえてきそうな。そんな夕焼け模様が広がっていた。己もそろそろあの家へ帰らねばならない。つい先日までは、この時間がどれだけ待ち遠しかっただろうか。
「いや、今晩はこっちに泊まりや。この時間やし、家につく頃には日もどっぷり暮れとる。アイツもさすがに迷惑やろ。」
それに、たまには一人の時間も大切にしてやらねば。そう続けると、期待のこもった目で二人を見た。数年ぶりに会った仲だが、苦楽を共にした時間を覚えていないわけではない。すぐに彼の気持ちを理解した二人は、笑いを堪えることができなかった。
「そう言うんやから、どこか良い店知っとるんやろな。」
「勿論や。この日のために、帝都出身の部下にどれだけ聴き込みしたと思うとるん。」
「おいおい、仕事しろやっ。」
鋭い突っ込みも、今は心地良い。懐かしいやりとりに、北もこの日ばかりは快く酒の誘いに乗ったのである。
三人仲良く並んで一列。周りよりも頭一つ飛び出ている様は、決まって人とすれ違う度に振り向かれる。さながら戦地に赴くような勇み足だ。しかし、当人たちの表情は嬉々としていた。それもそのはず。これから向かう先は、なにも敵陣などではない。美味しい酒とツマミをお供に、離れていた時間を埋めに行くのだから。まるで行き別れた親子、兄弟のように。まるで、不幸にも離れ離れになっていた恋人たちのように。
帝都の玄関口とも言える、帝都駅。赤レンガの建物へと吸い込まれるように、正面入り口前には美しく舗装された通路があった。そこから少し道を外れると、季節など関係なく露天が軒を連ねている。それらの多くが茅葺で屋根を作った簡易的な出立で、申し訳程度に用意された長椅子に大の男が二、三人肩を並べて座ればもう満席と言った具合であった。冬場は寒くて客足も乏しくなるが、暑い夏の季節は屋内よりも快適に過ごすことができる。何より安い。今でこそ、そこそこ良い年俸をもらっているが、貧乏新米将校の時代には相当お世話になっていた。思い出深い場所だ。高位将校三人が集ば、それなりの料亭なり、まあ、息抜きの類ができる店にでも行けるのだが。お察しの通り、その三人とは北信介と言う男と仲良くできる”強者”どものことである。さらに付け加えるのであれば、三人のうち二人は(一応)世帯持ち。残る一人は未だそういった話は無いが、今回の酒宴の席に、大切な上官の幸せな未来を賭けていた。この機会を絶対に逃して堪るか、と。ある意味、戦へ参る兵(ツワモノ)のような心境である。気が散るような店は勘弁願いたい。
「てっきり、もっとご立派な所へ連れて行かれるかと思うとったけど……。」
「まあな。部下に話を聞いた時も、えらい上等な店を勧める奴もおったけど。結局は皆、ここで世話になっとったちゅうわけや。」
適当に空いた席を見つけると、七輪で肉を焼いてる初老の男に一声かけ、ドカリと気持ちよく腰掛けた。
「とりあえず(酒を)三つ。」
この小屋とも言える建造物を店と認めるのなら、七輪の前でしゃがんでいる男を店主とでも呼ぼう。店主の男はチラリと三人に目をやると、へい、と短く返事をして酒を用意してくれた。
「よしゃっ。乾杯しようや。」
紺色の上着を脱ぎ、襟元を緩めると、大耳が我慢ならないと言うふうに声を上げた。勿論、それに異議を唱える奴はいない。残る二人も彼に続いて徳利を持ち上げると、器がチンと軽く音をたてた。グイッと酒を喉の奥へと流し込む。
「ーーっくううう。そうそう、この味や。」
「はは。ほんまに久しぶりやな。なあっ北。」
「ああ、懐かしいなあ。」
正直に白状すると、水にも等しい酒である。値段相応で、美味いなんて冗談でも言えた代物では無かった。しかし、美味いのだ。三人で苦労した過去を思い出しながら飲む。だから美味い。
「して、俺が移動になってから元気しとったか。」
「見て分からんかい。ピンピンや。」
「お陰様でな。」
大耳の問いに、北とアランは決まったように答えた。
「そう言えば、大耳。ガキが生まれたんやって。」
「お。やっぱり知っとったんか。なんや、俺から言うて二人を驚かしたろなと思っとったのに。」
心底残念そうな顔を演じる。北に先を越されて、当初の計画から少々ずれてしまった。
「そりゃ、おめでとさん。男か。それとも女か。」
「ふふふ。どっちやと思う。」
再び意地悪そうな表情を浮かべ、男か女かと聞いたアランへ尋ね返した。大耳の第一子誕生の報告をこの場で知ったアランは、うーんと悩み、「男やッ」と答える。
「ブッブー。残念、ハズレや。」
「じゃあ、女か。」
「ふふふ、いやそれもハズレや。」
「なんやねんそれっ。」
彼の支離滅裂な回答に、アランは不服そうに抗議した。すると、二人の会話を静かに聞いていた北がそばから口を出す。
「なら双子か。」
「おっ、さすが北。正解や。」
男”だけ”でも女”だけ”でもない。なら両方だ。と言う具合に、大耳の子供は双子だと判明する。
「双子かあ。えらい賑やかになりそうやな……。」
双子と聞いて、彼らは真っ先に宮兄弟を想像してしまう。続いて、アランの賑やかそうだと言うセリフに、北と大耳は黙った。なぜなら、噂の宮兄弟に一番振り回されているのは、隣に腰掛ける男である。あの兄弟の世話を一挙に引き受ける彼の心労は、きっと計り知れない。彼らの上官である北は、少なくとも、アランの存在に感謝し、そして同時に申し訳ないとも思っていた。大耳も宮侑・宮治兄弟の噂は耳にしている。大変優秀であると言う噂と同時に、大変な問題児でもあるとのこと。加えてアランを見る北の目を見て、おおよその関係性を理解した。
「い、いや、でも。男と女やっ。きっとイイようになるで。……頼むから、あの二人みたいには育ててんでくれ。」
最後にボソリと呟いた言葉が、紛れもないアランの本音である。そして、ここに集う全員の望む未来でもあった。