第七章 仮初
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「ハァッハぁっハァッ……。」
空気を求めて肩が大きく上下する。口は開放されたが、彼は未だ綾鷹から離れない。その行き先は頬へ、米神へ、もみあげへ、耳裏へ。柔らかな唇が首筋へと辿り着くと、何度もその場に口づけを落とした。気づけば襟下がめくれ、膝が外気に触れる。心なしか密着面積も増え、二人の間にはほとんど空間などない。ぼんやりとする頭で必死に現状を把握する。己の勘違いでなければ、内腿に触れる硬い感触が何であるか。そのくらいは何とか理解ができた。
「綾鷹っ。」
切羽詰まったような、そんな声が女を愛しげに呼ぶ。思わず応えそうになり、キュッと口元を強く結んだ。だめだ。いけない。最後の理性で何とか押しとどめる。内なる葛藤と戦っている間も、北はどんどん進んでいった。
ゴソゴソと後ろ帯の下に手を差し込む。ふわっと腹の拘束が緩んだことで、綾鷹は覚醒した。
「だ、だめっ。」
再びジタバタと暴れだす。残念ながら、男を知らない体じゃない。だからこそ、この先に待ち受ける事象に確信があった。ここで遮らなければ最後。喰われてしまう。
「ンンンンんっ」
再び熱い接吻が綾鷹を襲う。それは拘束にも等しかった。腰に回る両腕を震える手で押し退けようとする。しかしびくともしない。それどころか、大きな手がじりじりと、器用に狭い隙間を縫いながら内側へ侵入する。段々と近づく肌の感触に、とうとう膝が震え出した。重なり合った口の端から、ぬるい唾液が零れ落ちる。顎を伝い、首元へ線をつける頃には、冷たくなってしまった。しかし、そんなものは気にしている余裕などない。激しさに呼応して、背中を預けた壁がガタガタと音を立てる。既に着物は肩まで落ちて、肘の辺りで溜まっていた。露わになった白い襦袢も直ぐに剥ぎ取られてしまいそうだ。腕も足も、思うように力が入らない。役立たずになってしまった。もう、後が無い。
どうすれば……。どうすれば……。
柄にもなく奇跡を願うように、頭の中でその言葉を繰り返す。
力のぬけた腕がだらりと垂れ下がった時、指先が触れた無機質に気がついた。微かなそれはツルリとした触り心地で、光沢があり、周囲とは一段窪んだ形をしている。息つく暇もない北の攻めに意識を持っていかれつつも、ゆっくりとソノ形を確かめた。丸くて、花弁のような。大きさも指を引っ掛けるのに丁度よく、まるで襖の引手のような……。そこまで考えて、ハッと息を飲む。カタカタと軽い音を立てる背後の壁。いつの間にか綾鷹が北を引き留めた場所から移動していたらしく、気がつけば背後は薄い襖一枚。その奥には奥座敷が広がっているはず。それから先はほとんど考えてはいなかった。とりあえず、今を打開すべく、綾鷹は残る力を振り絞り、背後の引き戸を勢いよく開ける。
「ッツ。」
「ああッ。」
支えを失った体は、重力に逆らうことなく背後へと倒れる。目の前の獲物を貪るのに必死だった北は、突然訪れた開放感に戸惑った。それだけでなく、己の体も勢いよく前へと倒れる。
どたんッ。
習慣とはいよいよ恐ろしい。各々、体に染み付いたモノがここで活きる。綾鷹は落ちる寸前、なんとか体をひねり、最低限の衝撃を免れた。対する北も畳の上に倒れ込む。しかし、間一髪のところで下にいる綾鷹を押し潰さないよう、両肘を立てた。なんとか体を浮かせ、彼女の為に空間を確保する。一瞬の出来事に、双方、時が止まったかのように動かない。
はあ、はあ、はあ……。
両肩で息をする。久しぶりに離れた体は、不覚にも冷静さを取り戻しつつあった。改めて愛しい女を視界に入れる。
「……綾鷹。」
乱れた襟元をギュッと握り、キッと睨み付ける両目は涙ぐんでいた。ここに来て、己の所業を思い出す。
なんてことを。俺はなんてこをしたんや。
我に返る。そして、猛烈な速さで後悔が押し寄せた。しかし時既に遅し。
「綾鷹ッ、これはっ。」
「触らないでくださいましッ。」
いつにも増して静かな屋敷に、乾いた音が響く。自然と伸びた手を、綾鷹が叩き落とした音だ。
「あんまりでございますっ。こんな、こんなこと……。」
「綾鷹。すまんっ、こんなはずはーー。」
「近づかないでっ。」
青々としたイ草の目に逆らうよう、綾鷹は北から距離をとった。勿論、北もその後を追う。だが、彼女の拒絶を耳にして、ピタリと動きを止めた。いや、止めざるをえなかった。ビシビシと皮膚を通り抜ける殺気に我が目を疑う。
「綾鷹。」
この感じは久しい。暫く平和な日常が続いていたせいか、場違いにもそう思ってしまった。廃れを知らない。下手をすれば、ウチの若い坊主共一人や二人、震え上がらせることが出来るかもしれない。目に見えずとも、鋭く容赦のない光線に、言葉の一つも出ない。
「……北様……。」
グシャリと皺を寄せて震える表情に、北は己の唇をこれでもかと噛んだ。彼女を求めて伸びた腕が、居場所を探して地面に落ちる。己の信頼が音を立てて崩れた瞬間だった。