第一章 再会
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彼らは呆気なく帰って行った。女将と二人きりで部屋に残る。前代未聞の出来事に、これからこの街はどう対処していくのか。その方針を話し合わなければならない。これまで、私達は政府や外部圧力との接触を限りなく避けてきた。一度介入を許せば、付け込まれ、自治が崩壊してしまうことを恐れてだ。実際に、何度その権利を奪おうとされた事か。それ故、女将は彼らに腹を立てたのだ。政治的理由でこの場が利用されてはならない。遥か昔から、この街を統べる上で覆してはならない事だった。数刻前の北という男の顔を思い出す。二日後、私はまたあの男に会わなければならない。その時は華夜叉として対峙することになるだろう。
そもそも、華夜叉はこの街でも公にされていない。いわゆる極秘部隊というやつだ。組織に与する彼女達は、何等かの理由で、この街からも消されてしまった存在であることから、表立って動くことなど普通はありえない。ただし、今回に限っては別問題といえた。最終的な判断は、この後開かれる大取り達の会合次第、そして華夜叉を統べる御隠れの考え次第とでも言っておこう。何にせよ、私は彼らの意向に沿って動くのみだ。
「……皆を急いで集めなんし。」
どこまでも深いため息を吐いた女将が、そう言った。
店を出て直ぐ、つけられている事に気がついた。しばらく歩きながら考えて、人通りの少ない小路へ誘い込む。
「帰ったのではなかったのですか。北少尉殿。」
小路の中ほどで振り返り、相手を問い質す様に語気を込めた。
「やはり、気づいとったか。優秀やんなあ。」
黒須大佐の言う通りや。そう溢した男はご丁寧にも軍服を脱ぎ、他の客達と馴染む様な格好に変装していた。帰り際があまりにもあっさりしていたのは、最初からこうするつもりだったのだろう。服装が違うだけで、印象がだいぶ変わってしまう特徴の人だった。年相応というか、好青年という言葉がぴったりだ。姐さん達が可愛がりそうな部類である。
「たまたまです。あんなにあっさりと帰ってしまうと、逆に不自然というもの……。」
そりゃそうだ。うっかりしとった。意外にもノリの良いお方なのかもしれない。先ほどは上官に配慮して静かにしていたのか。関西特有の軽やかな言葉がポンポンと飛び出す様子を見て、人は見かけによらないと言う先人の教えに、心の中で深く頷いた。
「ところで、どうして私を追いかけていらっしゃったのか。」
ああ、そうやった。わざとらしくうなずく。その仕草が微妙に癪に障る。
「二日後、また会うやろ。どこで、どうお前に接触したらええか話し合わなあかんと思うてな。」
いやいや、そんな理由で変装までするか。と突っ込まずにはいられたなかった。早速彼に感化されてしまったのだろうか。
「別に隠れてお会いする必要も無いでしょうに。またあの店へおいで下さいましたらよろしいのでは。」
「冗談言うてくれるな。そない事したら、奴さんらに逃げられてまうやろ。」
正論だ。仮にもこれから極秘で動かなければならないのに、堂々と姿を晒してどうする。今回の彼らの登場も、本来なら避けるべきだった。まあ、先ほどは誠意や緊急性を訴えかける方に重きを置いた結果なわけだが。
「それに、うまくいけば俺とお前はこれから一緒に動く事になる。相方の実力くらい試してみてもええやろ。」
カチンときた。己の相方に相応しい女かどうか試されたというのか。この男、随分な事を真顔で言ってくれる。腹の底から込み上げるものがあった。
「……ただでさえ目障りな存在だというのに、態度まで癪に障る。助けを求めているのはどちらの方でしょうか。」
普通なら黙って流せた。けれど、何故だかコイツには負けたくないと思ってしまったのだ。
「……なんや、花街の女ゆうは皆鼻高くすましとるやつばかりやと思うとったけど……お前みたいに言うことは言う奴もおるんやな。」
クスクスと肩を震わせながら笑う男を不審な目で見る。何がおかしい。間違ったことは一言も言っていないはずだ。
「はあ、久しぶりに笑うたわ。」
笑いが治るまでだいぶ時間がかかった。いや、まだ粗い息を吐いているが。
「立場を弁えんといけんは俺らの方や。堪忍や。」
あっさりと謝罪の台詞を聞いて、少々気が抜ける。軍人とは無駄に自尊心が高い奴らだと思っていたが、見方が変わりそうだ。目の前から大きく息を吐く音が聞こえて、視線を再び男に戻す。
「改めて、俺は北信介言うもんや。さっきはほんまに悪かった。……お前は、何て言うん。」
「梶、綾鷹。」
梶か……。何度か口の中で繰り返し、微笑む。
「そんなら梶、次会う時どうしたらええか決めようや。」
それからしばらくして、二人バラバラに小路を出た。
店へ帰ると姐さん達から酷く問い詰められた。何を話していたのだとか、あの人達は誰なのかとか。正直、話せることは何もない。よく分からなかったと適当に返事をして、二階の自室へ戻る。襖に手をかけると、溜息が溢れた。
「来るなら一声寄越せと前にも言ったはずだけど……ヒヨリ。」
窓辺に腰掛け、下界を見下ろす女に文句を言う。
「そんなこと言わないでよ。それで、ここの姐さん達がアンタが男に会ってるって色めきたっていたけど、どうだったの。」
もう広がっているのか。女社会とは恐ろしい。
「相変わらず早いね。別に特別なことなんて何も無いんだけれど。」
楽しみが少ないこの街では、噂は最大の娯楽だ。ちょっとした事でも、尾鰭以上のものがついて広がってしまうこともある。
「私も詳しいことは知らないわ。だから真実を確かめにきたんじゃない。」
心なしかコイツも楽しそうだ。いや、実際楽しんでいるのだろう。じゃなきゃ、こんな時刻にわざわざ会いに来るはずがない。
「噂では顔も体も良い男ばかりだったって言うし、ねえ、どうだったの。」
答える気はない。しかし、この女は答えねば帰らない。嘘を言うのも一つの手だが、それはそれで憚れると言うもの。
「私達のことを知っていた。」
一瞬で部屋が凍りつく。ヒヨリの顔からふざけた様子が消えた。
「なぜ……どこでバレたの。」
「それは知らない。けど、悪い方には進まないと思う。あいつら、今日は私たちに用があったらしいから。」
華夜叉は非公式の掃除屋だ。この街を裏から守ると言えば聞こえはいいが、やっていることは暗殺に近い。この女もまた、組織の一員である。組織に与する女達の生い立ちは様々だ。その多くが、なんらかの理由で売りに出せなくなった者達なのだが。
「全ては大取り達と御隠れが決める。私達はいつもの様に指示を待つだけ。」
それまでは、至って普通に何事もなく過ごさなければならない。感づかせてはいけない。
「……大事にならなければいいけど。」
「それは誰もが望むこと。死人が出るなんて以ての外だよ。」
猶予は二日。慎重な判断を下すには短すぎる。結果を急ぐ真似だけはしないでくれ、と祈るほか無かった。
「今日の見回りは何処の組だっけ。」
重たい空気を払う様にヒヨリが話題を変えた。確か南天ではなかったか。
華夜叉には五つの組がある。蘭(らん)、万年青(おもと)、橙(だいだい)、槐(えんじゅ)、南天(なんてん)。それぞれに組員が10人ずつ振り分けられ、役割を持って活動している。例えば、第二組である万年青は医療組として、第四組である槐は処理組として。今日の見回りを担当する南天は隠密行動を得意とする組だ。また、それぞれの組員を組内で実力順に並べ、その上位3人までに席次が与えられる。その主席が組長を務め、各組長を5人合わせて五葉と呼ぶ。その五葉をまとめるのが組織の長である御隠れ(おかくれ)だ。御隠れもまた、この街では存在しない事となっているのだが、唯一、大取り達の会合へ進言出来る。
「つい最近、五葉に昇格したばっかりなのに、もう面倒ごとに巻き込まれちゃうのね。綾鷹、あなた何か憑いてるんじゃない。」
それなら、もうとっくに死んでいる。私たちに恨みを持っている奴らは満ちるほどいるはずだからだ。
「生きている方が不思議なくらいだからね。」
自傷気味に笑うと、張り詰めていた空気が落ち着く様に思えた。
「そう言えば、またあの人達に会うのでしょ。どうするの。」
白昼堂々会えれば何も困りはしない。けれども、それじゃあ意味がないのだ。今日の様な手はもう使えない。ではどうするか。
「面と向かって会うことはできないが、意思を伝える方法はある。」
どうやって。と表情だけで訴える。この女は気持ちが顔に出やすい。
「二日後、戌の刻。大門から真直ぐ、突き当たりの神社まで迷い無く歩けと言ってある。」
そこまで話して、どうやらピンと来たようだ。あの男より感は良いらしい。
「赤なら、否。若葉色なら、是。」
「そう……。上手くいけば良いわね。何もかも。」
そう言うと、また窓の外を見る。下界はもう夜の街と化していた。明るく照らされた軒先で、姐さん達が今日も客引きをする。その光景を背にして、迫りくるその日に再び思いを馳せた。