第六章 始動
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こんな時、雨の一つや二つまた降ってはくれないか。と願ってしまうのは私だけだろうか。二人きりで再び夜道を歩くことになろうとは考えもしなかった。不思議なもので、北様とは取立てた理由など無くとも、自然と連れ立って帰るというのに。この男とはどうやら具合が違うらしい。いや、北様”以外の男”では具合が違う、の間違いだ。
「もしかして、緊張しとるん。」
分かりきったことを聞いてくるあたり、やはり面倒臭い男なのだと改めて認識する。
「ええ、人並みには。」
「理由を聞いても。」
「まあ。ソレを聞いて、治様のタメになることなどございませんでしょうに。」
出だしは肝心である。そんなことを聞かれるだなんて、思いもよりませんでした。と、あたかも可愛らしく反応を見せた後、やんわりと断りを入れた。
「自分、意地らしいなあ。」
「ありがとうございます。」
「いや。全然褒めてへんのやけど……。」
ため息混じりで返されて、少し胸の内がスッとする。どうせ普通の女とは思われていないのだ。この際、ちょっとした抵抗を見せても罰は当たらないはず。知らず知らずのうち、店でのやり取りをちょっぴり根に持っている自分に、クスリと笑いそうになった。慌ててお得意の無表情を保つ。そんな事を綾鷹に思われていると知らない治は、迷いなく足を進める。そんな彼の後頭部をチラリと盗み見た。
北と一緒に帰るときは、彼きっての願いで、隣に並んで歩くようにしている。しかし、治からはそんなお願いはされていない。ごく当たり前のように二歩ほど間隔を空けて歩いていた。
「なあ、北さんとはいつも何の話しながら帰っとるん。」
そう問われて考える。北も綾鷹も口数の多い方ではない。しかし、話題に詰まったことなどここ最近はなく、気まずい思いも随分と味わっていなかった。はて、何を話していたか。
「……取り立てて派手な話題は……。」
「ふうん。例えば。」
例えば……。例えば……。最後に北と会ったのは五日も前。その日は、例の匂袋を拾って綾鷹自身、大きく動揺していた。正直、北と交わした会話も、殆ど頭には残っていない。改めて、その日のやり取りを思い返してみる。
「……確か、家を探そうと思うと。そう仰っておりました。」
「家。またなして家なんか。」
「さあ。今は、隊舎近くの宿舎に住んでいらっしゃる事を、私も存じておりますが……。」
そこまで話て、治の歩みが止まったことに気がついた。不自然なところで立ち止まったものだから、流石に不審な顔になる。
「治様。如何されましたか。」
立ち止まった場所から動かず、治は後ろに控える女へ体ごと顔を向ける。そして、じっと綾鷹の目を見た。まるで、その瞳の中から答えを見つけようとするような、そんな強い視線である。
「……なあ、変な事聞くかもしれへんけど……。梶さんもしかして、何か知っとるん。」
「……何か、とは。」
「例えば、”今夏の予定”……とか。」
ヒュッと、息を飲みそうになる。その「何か」が何であるかを瞬時に悟ったからだ。そして同時に、この男も件の一員であるのを悟り、さらに、北が華夜叉の存在を未だ明かしていない事実を芋蔓式に知った。花見の宿で言った、時間をくれ、と言う台詞はそういう意味か。
米国大使の来日は、確か夏の予定。生憎、未だ、北様からお誘いのお声は頂いていない。
「特には。……いくらなんでも、避暑地までご一緒しようなど厚かましい真似は致しませんよ。」
ご心配なさらず。ほほほ、と冗談交えて控えめに笑う。北様が我々の存在を彼らへ告げていないのなら、私から勝手に打ち明けるわけにはいかない。まあ、そんなヘマは流石にしないが、一刻も早くこの話題から離れた方が良さそうだ。目の前の男の気を紛らわせるために、吐き気のする微笑みを顔に貼り付ける。
「……そか。」
どこか腑に落ちない声色で短く答え、そして、くるりと進行方向へ向き直った。
止めていた足を再び動かしたのは、それからしばらくした後だった。変わらず二歩の距離は保ったまま。
「最近な、北さんホンマに忙しそうやねん。」
「お店でも、そう仰っておりましたね。」
「おん。……でも、全然辛そうやないって言うか、なんと言うか。」
どこか適当な言葉が見つからないような、そんな曖昧な言い方に少し疑問を覚える。
「いや、なんて言ったらええか良お分からんのやけど……その、めっちゃ頻繁に外出てはる割には、なんか、楽しそうって言うか……。」
おや。どう言う事だ。仕事で忙しいのに、楽しそう。
「……それはそれは。」
「俺が北さんの仕事に首を突っ込まれへんのは分かっとるけど、なんか、いつもと様子がおかしいねん。普通、こんな忙しくあっちこっち飛び回っとると、皆死んだ魚みたいな目になるのに。北さんはその反対で、こう、生き生きっちゅうか……。せやから、いつも通り仕事終わりに梶さんと会うてるから、こない元気でいられるんかなあって。」
「生き生き……。」
治の言葉から生き生きとした北を想像する。……それは確かにおかしいかもしれない。と言う結論に至ったのはごく自然な流れであった。
「……そのお姿は、なかなかお目にかかれないでしょうね。」
「そやねん。……あれ、なんか梶さんの言い方、ちょっと酷ない。」
滅相もございません。即答する。
「では、今日も北様はお仕事で帝都にいらっしゃらないのですね。だから、今晩も店には来ない、と。」
「おん。……多分。」
「へっ。」
思わず、間抜けな声が出てしまった、と後悔する。しかし、弁解の余地も十分あるだろう。
「……多分って……。」
綾鷹の前を歩く男は、若干、気まずそうにポリポリと頬をかく仕草を見せた。
「もしかして治様……。治様もロクに理由を知らないのですか。」
「いやあ……その、なんちゅうか……。まあ……、はい。」
こ……、この男おおおおおおおお。なんて野郎だ。店ではあんなにカッコよく、いや、チョイ悪な雰囲気出していやがったのに。何なら、俺は全部を知ってるぜ、くらいの勢いがあったはずなのに。蓋を開ければ、よく知らないだとぬかしやがった。ついさっきまで警戒していた自分が、これほどまで哀れに思えるのは初めてだ。
「では何故、わざわざ送迎を申し出たりなどしたのですか。それも、変な空気を匂わせるような態度で。」
「いや、北さんが来おへん言うことは、今夜も梶さん独りで帰らなあかんのかなあ、って。女の人一人は流石に危険やないか……。それにーー。」
「それに。」
「……それに、俺、ちょっと梶さんのこと知りたい思うて……。」
ん。つまりなんだ。結局は自分の好奇心を抑えきれなかった、と言うことか。それも、男としての矜恃を言い訳に。
「あんたのこと、良く知らんし。てか、北さんも梶さんの事、あんまり教えたがらないし。」
梶さんは謎の女なんよ。
……いやいやいや、私もお前のことが一番よく分からんわ。ポカン、と開いた口が塞がらない。最近の若い奴は皆こうなのか。もしくは、軍人が皆こうなのか。北とはまた違ったクセがあると言うか。やり方は違ど、二人とも強引である。詰まるところ、この男は、上司が教えてくれないなら自分の目で確かめよう、という魂胆で現在私の目の前にいるのだ。無茶苦茶である。言い換えれば、能無しだ。
「……呆れた……。」
「む。そない事言わんとってや。知りたいもんは知りたいねん。言っとくけど、これが侑やのうて俺だっただけ、あんたは幸せやで。」
「侑様。……何故、治様なら幸せなんです。」
「梶さんは分からん思うけど、侑はえらい執着心の鬼や。ハマったら簡単には離してくれへん。あいつは外見こそチャランポランしとるけど、一度やる決めたら、満足いく結果が出るまで諦めへん気持ち悪い男や。」
気持ち悪いって……、と言うか自分と瓜二つの双子の片割れを、チャランポランと言いやがった。気持ち良いくらい己を棚に上げて。
「そんなやつに捕まってもうたら大変や。」
「確かに。」
「せやろ。」
沈黙が横たわる。これは緊張感の全くない沈黙だ。開いた口が塞がらないを通り越して、何も言う気にならなかった。
「では、治様は北様がいらっしゃらない理由を、”本当は”良くはご存知無いのですね。」
「おんっ。」
「そんな元気にお返事しなくてよろしい。」
「……おん……。」
「……しおらしくしなくてもよろしい。」
なんなんだ、この茶番劇は。そして、私が知りたかった事は何一つ解決していないではないか。
「良くは知らんけど、多分それやろうなあって検討はついとる。」
「検討、でございますか。」
こくん、と顎に手を当てて頷いた。これまでのやりとりがあった故、その回答にも期待はできないが、聞いてやろうではないか。もしかして、があるかもしれないじゃないか。
「……家探し。」
「……本気ですの。」
「勿論。」
前言撤回。聞く価値もなかった。きゅっと口を意味深か気に結んで、綾鷹は治をスタスタと通り越す。こうなると、どっちがどっちを送っているのか分からない。
「待て待て待て待てっ。待ってやっ。話はまだ終わっとらんって。だって考えてみてやっ。あの北さんやで。大事な梶さんに黙って、こない長い間会いにこうへんのはおかしいやんか。」
「……そ、それはそうですが。」
「なんの理由で北さんが家探ししとるんかは理解不能やけど、最後に交わした会話がそれやったら、まずはそこを疑ってもええんちゃうか。」
北の性格を思い返してみる。己の自惚れであるかもしれないが、あれほどまで足繁く通っていた彼が何の音沙汰もなく綾鷹の前から消えるなんて。そもそもが不自然ではないだろうか。それに、もし、彼が意図的に、あえてこの話題を出したのだとしたら。例の件と繋がる可能性だって捨てきれない。治の意見も強ち的外れとは言えない。
新たな路線の出現に、置いてきた治をふり返った。