第五章 召集
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そろそろ帰ろうか、とヒヨリが腰をあげる。それに合わせて、綾鷹も立ち上がった。小さい部屋の中。久しぶりに昔を語り合うこの時間も、もう終わりを告げる。
「帰りは大丈夫なのか。一人で……。」
柄にもなく彼女の身を案じてしまう。今まで一度たりとも掛けたことの無い台詞に、苦笑してしまったのはここだけのこと。ヒヨリは笑って、大丈夫よ、と答えただけだった。
「そういえば、紅緒(べにお)が帝都に帰ってきてるって話、聞いたかしら。」
「は……。」
「春日(かすが)に続いて、皆ここ最近ゾロゾロとまた集まってきてるみたいなのよねえ。」
「え……。」
「やっぱり、腐っても故郷なのかしら。」
二の句が告げない。冗談めいたように軽く言ってのける。今一番に知りたかった情報を、さも当然かの様に口にしたのだ。思わず引き戸の窪みに手をかけていた彼女を引き留めた。やる事はただ一つ。
「どうしたの、綾鷹。」
「ヒヨリ……、まだまだ夜は明けない。もうちょっとゆっくりして行かないか。」
「……えええ……。」
後日、その時の話をすると、ヒヨリは決まって同じ事を言う。
鬼がいた、と。
ただならぬ綾鷹の形相に、ヒヨリはジンワリと手に汗浮かべる。何か綾鷹の機嫌を損ねる様な事を言っただろうか。彼女は、単に昔話に花が咲いた延長線で、昨今の動きを話題にしたまで。過去を未だに引きずり、苦しんでいる同志を励ます材料に、かつての仲間達の今を伝えようと思ったのだ。皆、異なる土地、姿、立場で今も雑草の如く生きている、と。だから、あなたもとっとと忘れてしまいなさい。そう言葉が続くはずであったのだが。どうしたことか。
「どこまで知ってる。」
「どこまでって……二人の消息のことかしら。」
黙って頷いた。うううん、と明後日の方向を見てヒヨリが再び口をひらく。
「細かく知ってるわけじゃあないんだけど……。とりあえず、紅緒は暫く各地で商いをしてたらしくてね。その仕事の関係で、今こちらへ戻ってるみたいなの。そこまで滞在期間は長くないって言ってたわ。」
「どのくらいか分かるか。」
「そうねえ、長くて一年ってところかしら。」
その雰囲気からして、少なくとも半年は帝都に留まるだろう。はっきり言って条件は悪くない。すかさず、もう一人の事も尋ねる。
「春日に関しては、もっと詳しく知ってるわ。なんせ、うちのお得意様だもの。月に一度は必ず顔を合わせてる。」
本日、何度目か分からない衝撃が走る。なんなんだ。なぜ、この女はこうも仲間の行先を知っているんだ。
「うちの旦那はね、薬師なの。ほら、春日は昔っから月のものが酷かったでしょう。気休め程度にしかならないけど、痛み止めを毎月もらってくのよ。今月なんてつい先週会ったばかりよ。」
その他以外にも、やれ、槐組にいたあの子は養子に貰われただの。やれ、万年青の五葉は病で亡くなっただの。次から次へと出てくる出てくる。もはや何も言えなかった。ここまでくると、自分だけが除け者にされたのだろうか、と錯覚すら覚えてしまう。
「……一体、どこでそんな情報を掴んで来るんだ。」
頭を抱えて、そう一言ボヤいた。ヒヨリは困った様に乾いた声で笑う。
「ねえ、どうしてそんなこと急に聞くの。」
一通り話し終えたところで不思議そうに尋ねた。彼女を引き止めて直ぐに継ぎ足した茶は、あまり減っていない。綾鷹は伏し目がちに、鶯色の水面を見つめる。
元来、梶綾鷹というお人は淡泊な人間であった。というのも、彼女にとって、この世は二種類の事象に分類される。興味が有るか、無いか。極端すぎな物の捉え方である。勿論、仕事となれば話は別だが、この性分は小さい頃から変わらない。ふとした瞬間に垣間見る、その強烈な線引きは、時に人を不愉快にさせた。はっきり申し上げて、万人に受けるという質ではない。そんな彼女が物事に興味を示す場面は、綾鷹を少女と呼ばれる年頃から知るヒヨリでさえも、片手で数えられる程度にいしか見た事がなかった。そんな女が、今、何かに駆り立てられる様に座っている。
「勝ち負けにしか至って関心を抱かなかったあなたが、一体どう言った風の吹き回しなの。」
珍しさ故か、はたまた悪い予感か。滅多にお目にかかれない様子に、ヒヨリは足を突っ込まずにはいられなかった。
「……ヒヨリ。今から話す事、他言無用にできる。」
「……内容によるわ。」
しばらく見つめあった。言葉無しにして、お互いの腹の内を探り合う。何やらただ事ではないのだとここに来て悟ると、ピンと背筋を伸ばした。
「単刀直入に言うと、協力者が欲しい。それも、戦える。」
自然と片眉を上げ、不安そうに目の前の女を見る。
「……一体、何の。」
「もう少しすると、英国の大使が大事な取決めをするためにこの国へやってくるのだけれど……どうも、その大使を暗殺しようと企てている輩がいるらしい。」
久方ぶりに聞く物騒な単語に、思わず息を飲んだ。ここで一度、綾鷹は息継ぎをするべく口を噤む。女性にしては低めの声が止むと、外界からの音が一気に耳へ雪崩れ込んできた。トプン、トプン、とどこかで滴が滴る音がする。軽やかな無数の雨粒がサーッと屋根に落ちる音とは別に、大きな水の粒が水瓶か何かにたまった水面を叩く。途切れる事なく続く一定の拍子に、不気味な不安は加速した。
「それが何だって言うの。……私たちとは関係ないじゃない。」
ヒヨリは鳴り止まない動悸を治めるべく、嫌にハッキリと溜息を吐いた。過去の話ならいざ知らず、どうして別世界の住人の心配をするのだろうか。
「暗殺を阻止したい。」
「なぜ。」
「……ある方と約束をしたから。」
「ある方って、誰のことよ。」
ここで、ふと女の勘が答えを導き出す。
「……その人なのね。……あなたが想っている人は。」
応えてはくれない。しかし、揺るぎない深い色をした両眼が全てを物語っていた。天を仰がずにはいられない。何と言う事だろうか。下手をすれば、遊女の足抜けよりも残酷である。
「どうして引き受けるだなんて言ったの。……これじゃああの頃と何一つ変わらないわ。ただ、あなたが苦しいだけじゃない。それとも、何。惚れた弱みでつい頷いてしまったっていーー。」
「違うっ。」
一際大きい声だった。匂袋を握りしめていた拳が知らないうちに震える。肩で息をしながら、鋭い眼光が飛んできた。
「違うんだ。そうではない。……ちゃんと考えて出した答えだ。」
途端に弱々しくなる。
「罠かもしれないじゃない。」
「あり得ない。」
「どうしてそう言い切れるの。」
「信じているから。」
「何を根拠に。」
「あの人は、そんな人じゃない。……北様はそんなお人ではないよ。」
そう。あの方は決してそんな事をなさらない。信じられないほど、愛おしそうに呟いた。一体、どう言う心境の変化だろうか。過去の自分なら、くだらない、と瞬時に切り捨てていただろうに。ああ、この溢れ出た気持ちを人は何と言うのだろうか。きゅうううっと胸の奥が痛み出した。
「これは、転機なんだと思う。」
ふと、天井を見上げて一言。
「この山を乗り越えなきゃ、私は変われない。」
「そんなの気のせいよ。方法なら、他にも沢山ある。」
無言で首を左右に振った。
「この3年間、逃げていただけだった。けど、逃げきれないと分かった。だから、立ち向かうと決めたんだ。……ヒヨリ、私は感謝してるんだよ。」
そう、私は紛れもなく感謝している。どうすれば良いのか気づかせてくれた。あの日、古びた宿屋の二階で苦しげに話す北の姿を思い浮かべて綾鷹は笑う。本音を言えば、たとえ罠であっても構わない。あの時目にしたモノ全てが偽物であったとしても、北が迫真の演技を持って己を騙していたとしても。もう決めてしまったのだ。引き返せる道は敢えて選ばなかった。所詮、惚れた弱みである。
「危ない橋を渡ってこそ、その分得るものも大きい。」
「そりゃあそうだけれど、大きく出過ぎよ。もしかしたら死んでしまうかもしれないのよ。それじゃあ本末転倒。いくら何でも、危険すぎるわ。」
一向に納得いかない顔のヒヨリとは対照的に、綾鷹はますます笑みを深くした。
「その通りだよ。」
「え……。」
言葉の通り、死んでしまっては元も子もない。そんな事は端から心得ていた。だから、話の冒頭に戻るのである。未だに理解に苦しむ客人を、一先ず安心させてやらなければ。
「安心しろ。死ぬつもりは毛頭無い。」
パシパシ、と数回可愛らしく瞬きをする。
「だから協力者が欲しいんだ。……分かるね、ヒヨリ。」