第五章 召集
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激しく暴れ回ったことで床がひどいことになっていた。ため息を隠す素振りも見せず、綾鷹は掃く物を部屋の隅から出す。少なくとも客人である女は、ニコニコと笑みを絶やさずその様子を見ていた。
「そもそも、こうなった原因はお前なんだ。少しは手伝ったらどうだ。」
「はいはい。そうねえ。」
先ほどまで殺す勢いだったとは誰が信じようか。ヒヨリはキョロキョロと周囲を見回し、集めた砂を掬える道具を探す。ちょうど目に入った大きめの紙を半分に折り、折り目をつけた。そして地面に下ろす。その上へかき集めた砂やらチリやらを綾鷹は慎重に乗せる。外は未だに雨だ。軽く入り口の引き戸を開け、パッパッと紙を上下に振りながら要らないものを外へと追い出した。
改めてお互い向き合う。掃き掃除を始める前、我が家に唯一あるオイルランプに明かりを灯した。微光ながらも真っ暗よりはまだマシだ。
「……三年ぶりだっけ。会うのは。」
「……いや、あの街が消えるよりも前から、お互いそれなりに忙しくしていたんだ。4年くらいは顔を見ていない。」
そっかあ。なんて呑気に返しながら、ヒヨリは寝台に腰掛ける。幾分かお互いに歳をとっているのだが、概ね変わりはない。彼女の外見も、綾鷹の記憶とほとんど違わなかった。いや、少々肉付きがよくなったか。
「……悪かったわね。急にお邪魔したりなんかして。」
「……全くだ。……まあ、だいたいの用件は心得ている。」
胸元の合わせ目の間から例のものを取り出した。言わずもながら、匂袋である。ひょいっと軽くヒヨリ目掛けて投げた。
「探してたのよ。……見つかってよかったわ。」
「だろうと思った。……形見みたいなものだろうに。なぜ落とした。」
「さあ、どうしてでしょうねえ。もしかしたら、あなたと引き合わせる為だったりして。」
微笑みながら、大事そうに握りしめる。冗談じゃないと思った。こんな小さな存在に、どれほど私が苦しめられたか。拾ってたかだか二日程度。しかし、色々と頭を悩ませた。文句の一つでも言いたくなる。
「……で、どうしてあの店へ行ったの。」
綾鷹も近くにある丸椅子を引いてきて腰を下ろした。行儀悪くも足を組み、そこへ肘を立てて頬を乗せる。返答によっては、今一度睨み合う可能性だってあった。
「どうしてって。旦那について行ったのよ。」
「旦那。」
「そう。旦那。」
「どこかの大問屋にでも奉公してるの。」
「まさか。……結婚したのよ。」
素直に驚いた。これはこれは、想像した向きとは違う形で期待を裏切られる。あの店へ訪れたのは、本当の本当に偶然であった。狙われていたのではなかった、と分かると途端に気が抜ける。
「いつ。」
「ええっと、昨年の夏頃かしら。……子供が出来たのよ。」
これまた仰天だ。顔にこそ出さないが、自然と身を乗り出して彼女の話を聞いていた。
「そうだったの。」
「ええ。……ふふふ、びっくりしてる。相変わらず顔色はちっとも変わってないけど。」
「いや、うん、そこそこ驚いているよ。」
してやったり、と言ったところか。目の前に腰掛ける昔の同僚がニヤリと笑った。なるほど、少々膨よかに感じたのは、子供を産んだからか。それなら体つきも変わって当たり前である。
「どうやってここが分かった。」
「匂いかしら。」
「お前は犬か何かか。」
「あら、昔からそうだったじゃない。顔と鼻が良いことが私の取り柄よ。」
はん、と鼻で笑ってやった。
小二時間程度。お互いの近況を報告し合う。お茶も何も用意していなかったことに気づいたのは、話題が一時的に途切れた頃だった。
「すまない。茶も一つ出さずに。」
「大丈夫よ。気にしないで。」
薬缶に水を溜め、火鉢にかける。長らく話し込んでいる自覚があった。そう言えば、夜も更けている。彼女の子供は一体どうしているのか。
「子供はどうしている。こんな時間だ。家にいなくてもいいのか。」
「心配ご無用。私を誰だと思ってるの。元華夜叉・蘭組次席のヒヨリ様よ。」
つまりは抜け出してきたわけか。聞けば、今回が初めてではないらしい。猛烈に酒が飲みたくなる時が偶にあるらしく、その度に夜な夜な脱走しているのだとか。あの時に培った技術が、こんなところで役に立っているとは誰が考えよう。いささか複雑な気分だ。まあ、先ほどの交戦の様子から、腕は鈍っていないみたいである。そこには素直に感心しよう。
「ねえ、綾鷹は今、どうしてるの。」
「……あの店で働かせてもらってるよ。」
「結婚は。」
「するわけない。」
「……ねえ。良い人はいないの。」
ピタリと手が止まる。
「……いるのね。……どんな人。」
ふう、と一呼吸。ため息とも深呼吸とも取れない。黙って二人分の茶を用意した。コトリ、と北がくれた食台へ湯飲みを置く。その動きの一切をヒヨリも黙って眺めていた。
「私が知ってる人かしら。」
「……さあ。……いや、知っていると思う。」
「じゃあ、あの頃に出会った人なのね。」
彼女達がかつて華夜叉と呼ばれていた頃。ヒヨリは覚えている限り、あの街で見た男共の顔を思い出す。
「ねえ、どんな人。歳は。背丈は。お仕事は。」
続け様に問いかけた。素直に答えるかどうか悩むところである。
「歳は……同じぐらいか。背丈はそれなりにある。体格も良いほうだ。……仕事は、まあ、役人かな。」
ふうん、と顎に手を当てて考え始めた。少々、情報を与えすぎたか。
「体格のイイお役人様ねえ。……首都警察の人間か、はたまた軍人ってところかしら。」
黙りを決め込む。勿論、それが肯定を意味する事はとうの昔から知っていた。しかし、これ以外にできることがない。今の気持ちを正直に白状するならば、焦っていた。
「ふふふ。そんなに焦らないで。どうせ、思い出せやしないわ。どれだけの男達をあの街で見てきたと思っているの。……たったそれだけの情報じゃあ特定できないわよ。」
弄ばれていると気がついた。なんだか今日は色々と振り回されている。らしくない。
「けど、きっとイイ人なのね。あなたがこんなにも悩むなんて。」
「悩んでいるなどとは言っていない。」
「けど、焦るほどには秘密にしたいんでしょう。」
ううう、と思わず唸ってしまった。それを聞いて、ほら見なさい、と呆れ顔になる。
「で、どんな関係なのよ。どこまで行ったの。」
こうなるとヒヨリは止まらない。昔っから色恋沙汰にはいの一番に耳を大きくして聞いていた。花街で生活する人間にしては珍しく純愛を好んでいたなあ、となんとなく思い出したのはどうでも良い話だ。
「誰から始まったの。」
「……向こうから。」
「きっかけは。」
「……ひ、一目惚れだと……い、言われた。」
きゃあああああああっと声にならない声で目の前の女が顔を隠す。勢い余って後ろの寝台へ倒れ込んだ。できる事なら、私だって暴れ出したい。息も絶え絶えになりながら悶絶しそうになっているヒヨリをこれでもかと睨んだ。
「でっ、でっ、でっ、でっ。あんたは返事したのっ。なんて返事したのっ。」
「……お断りした。」
「えっ……。」
一瞬にして空気が冷めていく。
「けど、好きなんでしょ。」
「……どう考えても、釣り合わない。」
途端に、彼女の表情が暗くなる。なんとも忙しい女だ。喜んだり悲しんだりと。
「……そう。まだ引きずってるのね。」
頷く代わりに、自分で用意した茶を一口啜る。
北への想いを自覚したのはここ最近だ。いや、元々惹かれてはいたのだろう。気づいていなかっただけか。はたまた、自ずと遠ざけていただけか。両思いだと知っているのは今のところ綾鷹だけである。願わくば、一生このままで。この事実は墓場まで持っていく。己には北を幸せに出来ないと分かっていた。無責任な事はしたくない。人一倍、責任感のある綾鷹だからこそ、彼の一途な気持ちを受け入れるなんぞできっこないのだ。無論、アランや治の願いも綾鷹が叶えられる日は来ない。
「……認める日は一生やってこない。もう決めた事だ。」
パチパチ、と食台の側へ寄せた火鉢が音を立てる。橙色に染まる女の横顔は、悲しみにくれる恋する乙女そのものであった。