第五章 召集
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「大将、今日は何を作ってくれるん。」
大根の漬物をペロリと平らげ、ウキウキ顔で茶を飲みつつ治は厨房の大将に話しかけた。
「今日は鶏をどうにかしようと思いましてね。」
そう言いながら肉の塊を一口大に切っていく。とは言っても、治に合わせての一口なので、一回りくらい大きめだ。トプトプと重たい油を鍋に注ぎ、火をくべる。油が適度な頃合いになるまでの間に、小麦粉と片栗粉を混ぜ合わせて準備した。
「鶏かあ。最近は口にしてへんなあ。」
「あら、治様の故郷では珍しくって。」
「ちゃうねん。……そうやないけど、ここ最近妙に忙しゅうなって、ろくに飯もくえへんかったから。」
綾鷹は他の客へ料理を運びながら、治の話に聞き耳を立てていた。妙に忙しい、という彼の物言いに、ふと北の顔が浮かんだからだ。やはり、仕事が立て込んでいるのか。
「へえ、治様がご飯を我慢なさるほどとは。そりゃあ、大変だあ。」
大将が素直に驚く。なんせ、ここにいる全員が、治の食への強いこだわりを知っているからだ。いや、どちらかと言うと、執着、と表現するのが正しい気がする。
「そやねん。俺も詳しいことはよお知らんけど、何でも、探し物が見つからんゆうて。」
「探し物……ですか。」
探し物ーー。いいや、探し者。グルグルと頭が勝手に中途半端な推理を始める。
「もうほんま勘弁してほしいわあ。こないな生活続いたら、俺が干からびてまう。」
心底嫌そうな顔をして、治はぶっと唇を前へ突き出した。その姿があまりにも歳相当で、ついつい彼が将校様であることを忘れてしまう。本来なら、北様も治様もこんな所へノコノコと現れるお人ではないのだ。最近はそう言った感覚もすっかり麻痺してしまっているが。第一、北様に関しては最早、家族同然である。
しゃわああああっ、パチパチパチパチっと甲高い破裂音と共に、こんがり狐色をした肉の塊が油の中で踊り出す。菜箸でくるくると転がし満遍なく表面を揚げ、さっと一度取り出した。そしてまた、間を置かずして再び油の中へと投げ入れる。いわゆる、二度揚げだ。
「ほおおおおお。唐揚げやっ。」
店内に、香ばしい匂いが満ちる。すかさず治は身を乗り出して、大将の手元を覗いた。
「あかん。よだれが……。」
慌てて、ジュルリと垂れる涎を手の甲で拭う。比較的お腹を空かせてやってきた男の腹は、もうとっくの昔に空っぽだった。途中でつまんだ大根の漬物なんて、数にも入っていない。
「ええ。ペコペコに腹が減った時に食べる唐揚げは、最高ですからねえ。万国共通です。」
そう言いながら、白く歯並びの良い口元を大将はニヒルに歪めた。思わず、惚れてまうやろ。と治はキラキラと蕩けるような表情で呟く。見間違えではない。この瞬間、大将と治様の間では、着実に男同士の友好が築かれ始めていた。その様子を、少し離れたところから見ていた女将が、不貞腐れたような顔をしたのは、きっと気のせいではない。
ホクホクと湯気が立ち上がる炊き立ての白米に、これまた山のように盛られた唐揚げ。そして、女将特製の合わせ味噌が効いた茄子の味噌煮と醤油が香るすまし汁。治の前へ満を辞して現れたのは、その名も、唐揚げ定食である。
「ほわあああああああっ。うまそうやっ。大将っ。めっちゃ旨そうやでっ。」
奇声を発するほど喜んでいただけたようで、大将の顔も自ずとやり切った感が滲み出ていた。いやはや、こうして見ると、唐揚げの量たるや。周りの客も、定食の量感に一瞬ざわめいたほどだ。
「ほな、早速っ。」
もう待ちきれない。とばかりに箸を取り、パクリと迷いなく口へ料理を運ぶ。味わうように数回咀嚼を繰り返したのち、ごくんと大きく飲み込んだ。
「……。」
「……お、治様。急にお黙りになって、いかがしましたか。」
待望の一口目を食べ終えた後、治は急に黙ってしまった。と言うよりも、何かに耐えるように下を向いている。てっきり、美味い。と言う一言が返ってくると確信していた面々は、途端に言いようもない不安に陥った。
「お、治さーー、お、治様っ。」
女将が青い顔をして治の肩へ手を置こうとした時、ガバリと勢いよく頭が上がる。
「……あかあん。……これは、あかんて大将はん。」
大号泣である。
「治様。一体どうしたんですっ。」
普段、滅多なことで動揺しない大将が、珍しく慌てている。周りがワタワタとしている中、治は相変わらずワンワンと子供のように泣き続けた。挙げ句の果てには、鼻水まで滴り出す始末である。彼の両脇に女将と大将が中腰になり、訳もわからず涙を流す大の大人背中を撫で続ける光景がしばらく続いた。
「はああ。ほんまに堪忍なあ。旨すぎて生きた心地がせえへんかってん。」
そう言いながら鼻を啜る。目元にはまだうるうると泣いた名残が。突然号泣した理由は、先ほど治が口にした通り、旨すぎて、だ。何か粗相をしたのでは、と不安がっていたのがバカらしい。けれども、全員がほっとした表情で胸を撫で下ろした。
「そこまで喜んでいただけるとは、光栄ですよ。」
料理人冥利につきます。なんて優しい大将は言っているが、こちらとしては肝が冷えた。ひとまず、大事にならなかっただけ良かった、と現状に満足しておこう。
泣くのにひと段落したところで、いつもの治に戻る。物凄い勢いで山盛りの料理が姿を消した。最後にペロリと舌舐めずりをして完食である。ご馳走さん、と行儀よく両手を合わせ、腹を撫でた。
「ふう。食った食った。やっぱり大将の飯は日ノ本一、いや世界一やで。」
「ご満足いただけたようで、本当に良かった。」
「あら、もう空っぽ。」
「おん。もう旨すぎて手が止まらんかった。」
驚きつつも、これまた嬉しそうに女将が微笑む。
「……ああ、なんか分かったかもしれん。」
数秒、瞬きを繰り返した後で、ボソリと呟いた。それを丁度、治の後ろで机を片していた綾鷹が拾う。
「何がです。」
「うん。……なして北さんが、ここをあない好きなんか。」
今度は綾鷹が数回瞬きをした。
「ずっと不思議だったんよ。確かに大将の料理は絶品で、非の打ちどころなんか一個もあらへん。けど、わざわざ、こない治安の悪いとこにある、小さい店じゃなくてもええやんか。」
その通りである。治が考えたことを、過去に綾鷹も何度も思った。まあ、腹を満たす以外の目的が存在すると分かった時点で、考えることを止めたのだが。
「いくらアンタのことが好きや言うても、限度っちゅうモンがあるやろ。毎日のように通わんくてもええやん。」
「……そうですね。」
「せやろ。……初めて北さんにここへ連れて来てもろうた時は、そこまでこだわる理由が良お分からんかった。」
けど、今はちゃうねん。均衡が保たれた体を、背もたれに惜しげもなく預け、これまた長い両腕をダラリと側から垂らす。行儀が悪い、と注意するべきなのだろうが、如何せん、その姿さえも様になっていた。
「ここ、えらい居心地がええ。……俺も好きになってしもたわ。」
頭を少し退け反らせ、ふにゃふにゃっと笑った顔を綾鷹へと見せた。
「……それは、ようございました。」
治の雰囲気に流されて緩みそうになった口元をキュッと締める。けれども、その声色まで隠すことはできなかった。