第五章 召集
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飲み屋「呑んだくれ」の近くまで来たところで、2人は少々驚いていた。
「……いつもじゃあ考えきれんくらいの混みようやな。」
行列ができるているわけではないが、外から見ても活気のある様子が簡単に伺えた。もしかしたら、座れる席は無いかもしれない。
「今夜は特に繁盛しているみたいです。」
綾鷹も予想外の混みように素直に驚きを見せる。何か新しい料理でも今日から提供し始めたのだろうか、と考えたほどだ。とりあえず、中へ入ってみよう。顔を見合わせ、北が店の引き戸を引いた。
「いらっしゃいっ。おっと、北様と……綾鷹ちゃんじゃねえかい。」
「大将、邪魔するで。」
威勢の良い声で出迎えてくれたのは、厨房で手を動かしていた大将だった。店内がいくら賑やかになっても、その素敵な笑顔は忙しさに負けることはない。見た者を温かい気持ちに一瞬でさせてくれる。いつものように出迎えてくれたことで、綾鷹は安心した。どうやら、厄介払いされることは無いようだ。
「あらっ、北様。それに、綾鷹ちゃんもっ。いらっしゃい。」
続いて2人の姿に気がついた女将が嬉しそうに駆け寄る。そしてすぐに、花が溢れるような満面の笑みを浮かべた。
「あらあらあらっ。そのお着物。」
「はい。女将さんから頂いたモノです。」
途端に、きゃああああ、と両頬を覆いながら黄色い歓声をあげる。
「とってもよく似合ってるわあ。やっぱり私の目に狂いはなかったわね。」
ねえ、北様。と北に向かって相槌を誘うと、もう一度、綾鷹へと視線を戻した。
「今日の花見はどうだった。途中からお天気が崩れちゃったみたいだけど、楽しめたかしら。」
ほら、きた。早速女将から花見の様子を尋ねられ、良い意味で期待を裏切らない展開に内心笑みを浮かべる。綾鷹が口を開く前に北が答えた。
「おかげさまで、ええ一日やった。ホンマにおおきに。」
「そうそうそうっ。それは良かったわ。」
コクコクコク、と満足そうに小刻みに頷き、自分のことのように喜ぶ。本当は花見どころではなかった。けれど、そんなことを口にするのは野暮というモノ。打ち合わせも何もしていないが、暗黙の了解で2人して黙っておく。そんな真実は知らない女将はというと、早速2人が隣して座れる席を探してくれた。少し待っててちょだいね、と言い残し再び店内を忙しく動き回る。
「……口が裂けても言えませんね。」
「……そやな。ここは黙っておくんが大人や。」
多少なりとも罪悪感はある。以心伝心。お互い顔を見合わせたところで丁度、こっちよっ、と女将に手招きされた。
「いらっしゃい、お二人さん。今日は楽しめたかい。」
2人が腰掛けたのは厨房間近の席だ。作業をする大将の手元がよく見える。普段見慣れない角度に、綾鷹はなんだか変な感じがして落ち着かない。
「おかげさまで、おおきに。さっきも女将に同じこと聞かれたわ。」
「そりゃあ失礼しました。何せ、あいつは今朝から落ち着きがなくって。お二人のことを心配してましたから。」
許してやってください。そう申し訳なさそうにしながら頭を掻く。
「ええんよ。お陰様で忘れられん一日になった。女将にもそう伝えとってもらえるか。」
勿論ですとも。ニコニコの笑顔で即答する。それと同時に、コトリと目の前にお通しが出てきた。
「……小さい……何の卵でしょうか。」
目の前の小鉢に3つずつ。大きさにしてビー玉よりも一回りくらい大きな卵が入っている。パクリと齧って断面を見ると、表面から黄身に向かって茶色が徐々に薄くなっていた。もともとは白色をしていたようで、醤油と仄かなみりんの甘味が口いっぱいに広がる。
「うずらの卵だよ。」
ぽそっと思わず出た疑問に、大将が微笑んで答えた。
「うずらっちゅうと、あの鶉のことか。」
よく藪下を覗くと、茶色い斑点模様の丸い体で雛を温める可愛らしい姿を見かける。コロコロとこれまた可愛らしい大きさの卵は、成鳥の大きさからも納得がいった。
「美味しい。よくお醤油の味が染みてます。」
「ホンマやなあ。しっかり味がついとるわりに、嫌にしょっぱくない所がまた良え。」
2人してウズラの卵を堪能する。ベタ褒めされた大将は再び恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ありがとうございました。またご贔屓に。」
北と綾鷹を残して最後の客が帰った。背後から女将の見送りの声が聞こえたところで、大将が、ふうっ、と一息つく。
「今日はだいぶ賑やかやったなあ。」
「ええ、おかげさまで。繁盛繁盛。」
ここに来て少し疲労が顔に現れていた。けれど、それと同時にやり切った感もある。その様子を見て、綾鷹がおずおずと声を発した。
「申し訳ありません。私が……お休みをいただいてしまったばかりに。」
「何を言うんだいっ。綾鷹ちゃんは気にしなくても良いんだよっ。」
女将がすかさず戻ってきて、綾鷹の言葉を否定する。それでもまだ、体を縮こませている彼女に、大将と女将はお互いの顔を見合わせた。
「そんなに気に病まないでおくれよ。綾鷹ちゃんは、いつも頑張ってくれてるじゃないか。これは俺たちからの、ちょっとしたご褒美なんだよ。」
「ご褒美……。」
「そうよ。まだまだ若いのに、こんなに働き詰めで。……たまには仕事以外にも外に出て、見聞を広げて欲しいんだよ。」
これは初耳である。思いも寄らない彼らの気持ちに、綾鷹は数分の間、今し方のセリフを頭の中で繰り返していた。そして、段々と頬が赤く色付く。
「そ、そんな……私なんかに、そんなこと……。」
「必要ない、なんて言わないでおくれ。あなたは、もう私たちの家族同然なのよ。」
またふわりと頬が高揚する。何だか、少し前にも同じ様に温かい気持ちになったことを思い出した。柄にもなく、モジモジと居ずまいを正す。そんな彼女を隣に座る北をはじめ、3人は微笑ましく眺めていた。
「たまには母様(かかさま)に甘えてほしいわあ。」
「お、女将さんっ……。」
とうとう目線を逸らしてしまった綾鷹に追い討ちをかけるよう揶揄う。わっと場の空気が一瞬にして沸いた。
「それじゃあ大将、女将。そろそろ帰らせてもらうわ。」
和やかな雰囲気を崩すことなく、しばらく話に花を咲かせていたところで、ふと北がポッケから懐中時計を出す。支給品のそれは手のひらに収まってしまうほどの大きさだ。小さいにもかかわらず、装飾の見事なその蓋をパカリと開き、時刻を確認した。もうすでに店仕舞いは済んでいて、あとは北と綾鷹を送り出すだけだ。
「おや……もう、そんな時間ですか。」
北の一声で厨房内を軽く片付けていた大将が小さく驚く。バタバタと忙しかった数時間前。そのせいか、いつもより時間が早く進んでいる様に錯覚する。
「あっという間ですこと……。」
同じ様な反応を女将もする。夫婦は似る、とよく言うがまさにその言葉がぴったりであった。大将の隣で食器を拭いていた手を止め、最後の確認程度に店内を回り始める。いつもは綾鷹がやる仕事だ。
「私もお手伝いします。」
堪らず、綾鷹がいつもの癖で立ち上がった。
「あらっ。良いのよ。今日はお客様としていらっしゃってるんだから。」
「でも……。」
すかさず席に連れ戻されそうになる。しょんぼりとした顔を見て、北は苦笑を隠さなかった。
「梶、今日くらいは甘えとき。どうせ明日はお前がやるんやろ。」
「そうですが……でも……。」
女将に掴まれていた腕が、至って自然な流れで北へと渡される。2人に言われても尚、納得がいかない様子の彼女に、全員がとうとう呆れてしまった。女将と北は2人して顔を見合わせる。さて、この頑固娘をどう納得させるか。ある意味、腕の見せ所だ。
「梶。お前のことや、申し訳ない思っとる気持ちは良お分かる。けどな、好意に素直に甘えるんも、一つの愛情表現なんやで。」
まるで幼い妹にでも教えるかの様に、北は優しく言い聞かせ始めた。こうでもしないと、綾鷹という女は納得しない。いや、出来ない事を知っていたからだ。綾鷹の生い立ちを思い返してみると、甘える、と言う行為から極端に離れた環境にいた。もっと正確に言うと、そこら辺の子供が親や周りの大人から与られる当たり前のモノが、彼女には所々欠落しているのだ。とまあ、こんな調子で時間を共にするうちに、一般的な常識が通じない事が多々あった。
「甘える言うことが、同時に感謝の現れになる事もある。」
感謝の現れ。眼から鱗であっただろう。小さく口に出した言葉を噛み締める。
「せや。……今日はその想いに応えてやりい。」
北が視線で促すと、素直に綾鷹はその先を見た。その目にテキパキと動く女将が映る。しばらく考える様な素振りを見せて、最終的に再び隣へと腰掛ける。無事、北は綾鷹を説得できたのである。
「ふふ……良え子や。」
席へ腰を落ち着かせてなお、繋いだ手は離さなかった。ようやく腑に落ちた表情の愛しい女の手を、褒めながら撫でる。自然と向き合う形で居る2人の姿を、女将はこれまたトロける様な顔で見ていた。それを知っているのは、対角で作業をしていた大将だけであったとか、なかったとか。