第五章 召集
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今日一日の感想を述べるのであれば、この一言に尽きる。
「お花見、全然出来ませんでしたね。」
2人並んで歩きながら、少し湿った地面を踏む。雨上がり特有の、大地の匂いを感じながら宿を後にした。結論から言えば、花見以上の収穫があったのだが。
「……にしても、嬉しいわ。」
「……何がです。」
北は突然言い出す。不思議そうな顔をしながら綾鷹は前後の話の内容との関係性を問うた。
「俺はてっきり、もう希望はない思うとった。」
ますます話の筋が見えない。宿を出立してから、北と言葉を交わした回数は片手で収まってしまうほど。そのどれとも繋がらない。
「……北様、一体何の話をーー。」
「梶から、大切な人、言うてもらえる日が来るとはなあ。」
2人の間に奇妙な沈黙が流れる。瞬く間に綾鷹は1人、ここ数時間の記憶を辿った。
「……大切な……人。」
「おん。俺のこと、大切な人なんやろ。探しても探してもよお見つからんくらい。」
心なしか北の表情が何かを期待しているような、そんな気がしてならない。そこまで言われて、ハッと思い出した。
「あっ、アレはそう言う意味じゃあ。」
「衝動的な、安易な考えやないんやろ。」
「そっ、それとこれとはっ。」
「何や、恥ずかしそうにしとったのは演技か。」
「ち、違いますっ。演技なんかじゃあ。」
これだから女っちゅう生き物は怖いわあ、とカラカラ笑い出す。揶揄われていると分かっていても、北の雰囲気に流されてしまっていた。なかなか挽回できない。これは何度も味わったことのある空気だ。
「けど、ええねん。演技でも。嘘でも。」
「え……。」
どう流れを断ち切ろうか、と悩んでいるところで北がボソリと呟く。
「嘘でもええねん。嬉しいことに違いない。」
「……良くはありませんでしょう。」
「ははは……まあな。……けど、これくら張り合いがある方が燃えるやろ。」
うう、と言葉に詰まった。この男は見かけによらず好戦的である。そしてそこには、諦めの悪さも丁度良く融合されていた。諦めるつもりはない。いつだったろうか。そう言われた時の記憶が鮮明に蘇る。
「……絶対に振り向かしたる。そん時は覚悟しときい。」
お互いの視線は交わらなかった。前を向いたまま口にする台詞は、何か強い決意と覚悟が感じられる。思わずその力強さにうなずいてしまいそうになったが、ぐっと堪えるように綾鷹は口を閉ざした。いくら北が努力をしたって、彼女は自分の意志を変えるつもりは無い。期待に応えてあげることができない罪悪感が、綾鷹の体を支配した。
「そう言えば、アレから何にも口にしてへんなあ。」
何となく肩を並べて帰り道を歩き続けている時に、ふと北が思い出したように言い出す。言われてみれば、宿で口にした白湯以外、ほとんど体にいれていなかった。その事を思い出した瞬間から空腹が2人を襲う。キュルキュルキュルと小さく胃が萎縮する音が腹部から聞こえてきた。
「それどころじゃあありませんでしたものね。」
当初計画していた一日とは全く違う形で今日が終わる。帰ったら遅めの夕食作りに取り掛かるとしよう。そう考えていた矢先であった。
「せっかくやらか何か食うて行くか。」
え……。思わぬ誘いに久しぶりに隣の顔を仰ぎ見る。その不自然な速さに北も不思議そうな顔を向けた。
「……どないした。えらい驚いた顔して。」
「いえ、このまま解散するのかと思っておりましたので。」
ノロノロと進んでいた歩みが、ここでピタリと止まる。もはや帰宅することしか頭になかったのかと知った北は、少し残念な気分になった。彼女とまだ一緒にいたいと思っていたのは、もしや自分だけだったのか。自分といるのが嫌になってしまったのか。まあ、それもそうか。あんな重い話をした後だ。今日は早く家に帰って休みたいと思っても仕方がない。ここは彼女を引き止めるべきではないのだ。多くの意味で、普通の女との逢引ではなかった事を、今ここで思い出す。
少々考えて、今夜は彼女の意思を優先するべきだと結論に至った。不本意ではあるが、サヨナラを言うべく再び口を開こうとしたその時である。
「どこに連れて行ってくださるの。」
小首を傾げながら綾鷹が尋ねる。頭一つ分下にある彼女を見ながら数回瞬きをした。今、「どこへ連れて行くのか」と尋ねたのか。それはつまり、これからの予定を己に聞いているのか。よって、まだ彼女と一緒にいられると言う事だろうか。固まっている間、北は永遠と自問自答を繰り返していた。その回数を重ねるごとに、だんだんと現実味を帯びてくると、先ほど沈んでいた気持ちはいつの間にか何処かへと消えてしまっていた。我ながら単純である。
「北様。……黙り込んでしまってどうかなさいましたか。」
再び綾鷹の声を聞いて、現実世界へ戻ってくる。何か言葉を発しなければ、と慌てて口を開いた。
「いや、なんでもあらへんよ。それより、帰りはええんか。」
「ええ……たまにはこの時間に外へ出るのも悪くないかと思いまして。」
その一言で彼女の一日を考える。この時間帯はおそらく、店でまだ仕事をしているだろう。飲み屋が休みの日はほとんど家から出ないと言っていた。それに、女独り身だと色々と厄介事に巻き込まれてしまう可能性もある。自然と外出は控えめになってしまうだろうと容易に想像できた。
「それに、今日は北様もご一緒ですから安心です。」
惚れた女にそう言われて喜ばない男はいない。無意識に嬉しさが表に現れる。その声色も自ずと穏やかになった。
「そうか。俺もずいぶんと頼りにされるようになったんやなあ。」
軽く片方の口角を上げながら、揶揄うように綾鷹へと目を向けた。
「あら。お気づきでなかったの。そんなの最初からですわ。」
わざとらしく弱々しく振る舞う。美人の流し目は時に人も殺せる、とこの時確信した。どきりとするほど、その表情は美しく、何だか返り討ちにあったような気がしてならない。再会した当初に比べれば、軽く冗談が飛ばせるほどに、2人の距離は縮まっていた。その差は明らかであろう。果たして、同じ事を彼女も思ったのかは知らないが、お互い顔を背けながらクスクスと笑い合った。
さて、この先しばらく彼女と共にいられる事が分かった。それだけでもかなり嬉しい。しかし、改めてこれから何処へ向かおうか悩むところ。
「春先とは言え、外におるとそれなりに冷えてまうなあ。」
口から出た息が白くなるほどではないものの、指先は悴む。そうですねえ、と綾鷹も無意識のうちに両の手を口元近くで擦り合わせていた。どこか壁と屋根のある場所がいい。隣を歩いてくれる彼女の様子を見て漠然とそう思う。ならば屋台はなしだ。この時期にしか味わえないモノだが、寒さを強いてまで楽しむ必要はない。そうすると、飲み屋か飯屋のどちらかになってしまう。時間を考えると飲み屋の方が選択肢は広い。だが、気分的に飲み屋は避けたかった。何故ならーー。
「よっ。そこの別嬪さん。ちょいと俺と呑もうやっ。」
すれ違い様、先ほどからイイ具合に出来上がった野郎共からチラチラと視線が向けられている。梶綾鷹は自他ともに認めるイイ女。見目ももちろんだが、その中身も自慢できる。とりわけ今日は外出仕様に粧している事もあり、酒で頭の中が花畑の奴らには隣にいる北が目に入らない。己の容姿が至って普通であることは承知しているが、こんな場合は侑のような男であったなら、と思わない事もなかった。まあ、端的に言えば嫉妬だ。感情を表に出すほど子供ではないが、なるべく心が荒む場所には行きたくない。
「……おめでたいこと。春ですねえ。」
クスクスとその視線さえも面白そうにする。戸惑う事もなく、慣れた様子を見せる女に、じわじわと独占欲が胸の内を満たしていった。己の気持ちに気づいた頃、体の横でぶら下がっていた腕が緩やかに持ちあがる。
「き、北さまっ。」
「これくらいはええやろ……。」
余裕のある表情で周りを見回しながら歩いている綾鷹の腰元を、ヨロつかない程度に引き寄せる。まるで、これは自分のモノだと見せ付けるような振る舞いだ。思わぬ行動に出た北の顔を、至って近くから見上げた。この男は何食わぬ様子でえらく大胆な事をしてくれる。ぶわりっと熱が頸から迫り上がってくるのに対して、北はそんな事お首にも出ない様子だった。赤くなった頬を隠すように下を向いて歩く。ドキドキとけたたましく鳴る心臓。だが、恥ずかしいわりに、不思議なほど心地は良かった。