第四章 再び
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「それから数日後、俺らは再び召集を受けた。……北から聞かされたんは、英国大使の護衛と攘夷志士の存在。」
そこで北は華夜叉のことを話はしなかった。憶測だが彼はまだ迷っている。彼女達の存在を明かすかどうか。触れれば利用しなければならない。時間が許すギリギリまで、別の方法を考えたかったのだろう。そして、まだその手段は見つからない。
「……北は、何も言うてなかったんか。その……。」
「極秘任務のことを。」
「そや。……まだ迷うてるんか。」
アランの話を聞き終えたところで、ここ一ヶ月の彼の様子を思い出す。ふと頭に思い浮かんだのはあの日だった。北が珍しく店仕舞い間際に飲み屋へ姿を現した日。ただただ落ち込んでいる様に見えなかったが、あれは別の策を探していた表情だったのかと今納得する。あの時感じた違和感の正体はきっとそれだ。
「……なあ。ここまで話しといてあれやけど……そのお。」
「何です。はっきりと仰ってください。」
存外、ピシャリと背筋を伸ばし澄んだ瞳で己を見つめる彼女の姿に、アランは内心舌を巻いた。何度も言うが、彼女の歩んできた道は少々、いや、結構強烈である。本人でさえも掘り返されることを固く拒んでいたくらいだ。衝撃と動揺でどうにかなってしまうのではと思っていた。しかし、ここで思い知らされる。女は強い。
「お前、心臓にでも毛え生えとるんちゃうか。」
「余計なお世話です。……それに、女は根性と巷ではよくいうではありませんか。」
いやいや、これは根性とかで片付けてはいけないと思うのだが、というセリフはまたの機会に。今は大人しく頷いておくことにしよう。
「……もう、あの街は消えてしもうた。綺麗さっぱり。……その後のアンタらはどうなったんや。」
これまでの話だと、華夜叉は非公認の組織であったはず。その後の行方を知る者は果たして、当人たちを除いているのだろうか。彼女の顔色をチラリと窺い、色良い返事が返ってくる確率は低いなと判断した。
「それが……私も存じ上げませんの。元々はっきりとした形になるのを避けていましたから。あの街が消えて以来、お互い連絡を取り合うこともありませんでした。」
唯一の繋がりが途絶えた今、彼女達がどこで何をしているのか。それ以前に、生きているのか、死んでいるのか。それさえも分からないという。これははっきり言っていただけない状況だ。仮に、華夜叉五葉を再び召集し任務に当たらせるとしても、数を集める段階で挫折しそうである。新たな問題の浮上に、アランは再び腕を組まざるを得なかった。
部屋には沈黙が訪れていた。空にはもう黒黒しい雲はない。完全にご機嫌を取り戻した天気と反する様に、北は感情の読めない顔で黙り込む。
「……とまあ、ここまでがアラン様とお話をした内容になります。」
ズズズ、と掌に収まっている湯飲みをすすり、綾鷹は話を終える。目の前の男の反応を待った。そうか、と短く呟き、北は深く息を吐く。喫茶店を出る間際、絶対にバレたらあかんっ、と必死の形相で約束を取り付けてきたアランの顔を思い出したが、もはや意味ない。しかし、結果これで良かったのかもしれない。この男は良い意味でも悪い意味でも頑固なところがある。こんな機会がなければ、おそらく、本人と面と向かって話をする事は無かった。仕方がない。アランには心の中で謝っておこう。しかしながら、それはそうとーー。
「……何か、仰ってはいかがですか。」
依然として口を閉ざす男に、綾鷹は話しかけてみることにした。先ほどから両目を閉じ、腕を組みながら座る姿を観察していたのだが、いよいよ飽きが来たらしい。そろそろ何か反応を見せても良いではないか。
「……他に、アランからは。」
「いいえ。……それ以外は何も。」
再び、そうか、と呟いた。先ほどとの違いと言えば、目を明後日の方に向けはっきりと分かる様にため息を吐きながら困った顔になったことだろう。彼の思うところが分からないわけじゃない。相談もなしにアランが行動を起こしたこともそうだが、それ以前に、これは超がつくほどの極秘情報である。頭を抱えそうになるところを、彼自慢の理性で抑えていることだろう。
「……何から話したらええんか、正直分からん。……だが、まずはーー。」
長い沈黙を経てそう言うと、男は深々と頭を下げた。滅多なことで動じない綾鷹も、これには驚きを隠せない。慌てて北の名前を呼ぶ。
「北様っ。突然何をなさって。」
今までの沈黙の間、北の中で何があったのかは分からない。だが、これはいけない。
「謝らせてくれや。お前にそこまでさせてしもうたんは、俺や。……ほんまに堪忍。」
言葉が出なかった。罵倒される事はなくとも、多少問い詰められる覚悟をしていたからだ。だが、実際、目の前に広がる光景は彼女の想像とは大きく違うもの。頭を下げられるなど、誰が予想したか。
「心配かけまいとした事が、裏目に出てしもうた。……隠すつもりはこれっぽちも無いねん。あん時も、もちろん今も。せやけど、どう言うたらええんか、お前にどう伝えるんが正解か……整理がつかへんかったのも事実や。」
その結果、ここまで話を長引かせてしまった。優しい優しい北らしい理由。
「とりあえず、頭をあげてくださいまし。」
聞きたい事は山ほどある。だが、その前に顔を上げてもらわねば話が進まない。綾鷹の中で、先ほど受けた衝撃は今もまだ鳴りを潜めてはいないが、表面だけでも落ち着いた風を装う。
「……堪忍。」
「もう、その言葉は結構です。」
謝罪の言葉を口にしながら軽く上体を起こす。顔が少し見える位置まで上がってきたが、まだ旋毛が見えていた。ううん、確かに頭は上げてくれたのだが、彼女の考える姿とはちょっと違う。
「北様。もう大丈夫ですので。お願いですから顔を見せてくださいまし。」
「だが、俺はお前にまだ謝り足りんねん。」
「もうっ。北様のお気持ちは十分わかりましたっ。私はこれからの事をお話ししたいんですっ。」
痺れを切らした様に訴える彼女に圧倒された。その勢いに押され、俯きかけだった体勢を急いで正す。ふーっ、ふーっと息を切らす綾鷹を見て、再び居た堪れなくなったのはここだけの話。今日は彼女の機嫌を損ねてばかりだと密かに落ち込む。
「……これで良いのです。北様は私を蔑ろにしたわけではないのでしょう。」
確信を持ってそう尋ねる。十中八九間違いではないのだが、北の表情は未だ申し訳なさそうだ。綾鷹の圧に負けて体勢を戻したは良いものの、納得は言っていない。そう言いたげでもあった。いろんな意味で揺るがない男に、呆れのため息がついつい漏れてしまう。
「……せやな。」
無理やり納得させたな、この男。ボソリと呟いたセリフに敢えて突っ込む様な真似はしなかった。野暮である。
「それで良いのです。……さて、北様。これからどうなさるおつもりですの。」
そう、これからのこと。英国大使の御一行は必ずこの国にいらっしゃる。それは変えようがない。そして、その御人が狙われているのも変わりようのない事実。黒須は影の護衛に今は姿を消してしまった彼女達を抜擢した。嬉しくも、そして悲しくも華夜叉の実力を買って。
「……閣下の言うことに間違いはない。俺も、お前ら以上の適任者はおらん思うとる。」
だが、それは同時にお前の心をまた傷つけることになる。これまでの努力を踏みにじることになる。それがよく分かっているからこそ、行動に移せないでいた。
「お前には幸せになってほしいねん。」
心からの声。ただただその日を彼も望んでいた。あわよくば、その幸せを与えるのが自分であれば、どれだけ嬉しいか。
「北様は、どうされたいの。」
「俺は……嫌や。」
拒絶の言葉ははっきりと綾鷹の耳に届いた。
「ですが、北様は軍人様。お上の判断には従わなければなりませんでしょう。」
再び押し黙る。その表情は己の心に深く深く問いかけている様であった。どうしたいのか。どうするのが正しいのか。どうすれば彼女の思いは報われるのか。
「俺は……男の前に軍人や。」
その言葉を静かに聞く。
「せやけど……せやけどな……。軍人の前に、俺は……
人でありたいねん。
ああ、この人は見つけたのか。そう静かに瞳を閉じる。北の言葉がじんわりと彼女の体へと染み込んでいった。
「そうや。俺は人でありたい。心を忘れたない。……はは、そうや。俺はそうしたいんや。」
自傷気味にそう語り出す。乾いた笑みは、全くいやらしくなどなかった。むしろ清々しさと、重たい何かから解き放たれた様な、そんな解放感さえ漂う。彼女の中で覚悟が決まった。
「人の幸せを願うんは、男も女も関係ない。大事な人の気持ちを見て見ぬ振りしてまで、完璧になろうとは思わん。」
魂が宿った瞳。色素の薄い北の双眼が今は綾鷹へと向いている。その力強さに、綾鷹は知らずのうちに捕らえられていた。捕らえて放さない。今思えば、この人の熱さに随分前から、私は虜であった。
「……北様らしいこと。」
「はは、そうか。」
柔らかく三日月に形を変える目元を見て、2人はこの部屋にきて初めて肩の力を抜く。ここでふと、北が窓の外を見やった。
「雨、すっかり止んだなあ。ずいぶんとご機嫌や。ほら、虹まで出とる。」
その言葉につられて、綾鷹もそとへと目を向けた。彼の言う通り、薄らと七色の光が見える。その後ろには茜色の空も見え始めていた。気づけはだいぶ時間が経っていた様で、2人の衣服も程よく乾き、今直ぐにでもこの宿を後に出来そうだ。
再び綾鷹は北へと顔を向ける。
「……北様。」
「ん、なんや。」
もうギクシャクとした気まづい雰囲気は無い。その代わり、いつも以上に優しい声色でその先を促した。
「そのお仕事、ぜひ任せてはいただけませんでしょうか。」
「……は。」
北の驚いた顔はこれまで幾度と見てきたつもりだったが、今日のは飛び切り、過去一番の驚き様だったと彼女はのちに語る。