第一章 再会
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「北、最近えらい機嫌がええなあ。何かええ事でもあったんか。」
長い付き合いの同い年の部下がそう尋ねてきたのは、いつものように午後の仕事を片付け始めた時だった。確かに、ここ一月近く気分がいい。言わずもながら、十中八九あの店へ通い始めてからだと自分でもわかっている。常に、反復・継続・丁寧がモットーの己にとって、日常に彼女が入り込んできたくらいで調子を崩すヘマはしない。だが、仕事終わりのあの時間が楽しみで仕方ないのだ。
「まさか……お前、ええお人でもできたんか。」
驚愕の表情で見てきたこの部下にすかさず、ちゃうねん、と返す。そんな顔をされるとは心外だ。そのやりとりで自分が外からそう見られていることを思い出す。今に始まった事ではないが、それなりに傷つくというもの。
「ええ店を見つけたんや。酒も美味いし、飯も文句ない。」
それに、あの小ぢんまりとした空間に、彼女がいる。その雰囲気が一番に気に入っていた。
「今度、連れてったる。侑と治も誘ってな。お前も来るやろ、アラン。」
珍しいこともあるもんだとアランは思った。そしてピンとくる。
「北、もしかしてやけど、お前の言うええ店っちゅんは、あの時の店か。」
先月の末、侑の我が儘で飲みに行った。士官学校を卒業して直ぐ、初めての大がかりな務を成功させた口実に。そうでもしないと上官の北となんか飲めに行けないからだ。まあ、北も北で何かしてやらんとな、と言っていたため、いい機会だったのだろう。途中までは楽しく飲んでいた。そろそろお開きにしようとした時、突然、体格のいい男が息を切らしながら飛び込んできたのだ。「呑んだくれ」の大将だ。ただならぬ雰囲気に何事だと問うと、喧嘩だと、それも女性の給士が襲われている、と。それを聞いた北が何も言わずに立ち上がった。その後を自然な流れで他の3人もついて行く。結論から言うと、何事もなかった。むしろ、それ以上の光景が広がっていたわけだが。多少なりとも緊張しながら、少々殴り合う可能性も考えて駆けつけた先にあったのは、大の男を気持ちがいいほどキレイに背負い投げた女が一人。それに対峙するかのように立つ数人の男。さらに、それを取り囲む野次馬が少々。どう見ても分が悪いのは男たちの方だった。突然現れた軍服姿の軍人を見て、男らは逃げていったが、呆気に取られないわけがない。しばしの沈黙を破ったのは侑だった。見る人が見れば機嫌が悪い。まあ、それもそうだろう。色々と察することはできたが、とりあえず、女に食ってかかる侑を治と二人で抑えて、宥めようとした。北も遠回しに彼らを擁護した。それにも納得ができない侑が抗議する。いつもなら「ええ加減にせえ」と返ってくる筈が今回ばかりは違った。
「俺がよう知っとる女や。」
衝撃的すぎて皆、そのあとのことはよく覚えていない。熱くなっていた侑でさえも口をパクパクさせて、結局は何も言えなかった。何よりも、北の懐かしいものを愛でるような、そんな顔に一瞬意識が飛びかけた。
「嫌か。」
北の声にハッと現実へ戻る。
「そない訳ないやろ。」
滅多にない機会だ。昔からこの友人は、こういった事にめっぽう興味がなかった。嫌ではない。決して嫌ではないのだが、なんだか己の中の北信介像が塗り替えられていくような気がした。こりゃ侑の奴、えらいことになりそうやな。と当日の事を想像しながら、今からキリキリ痛んでくる胃を上から優しく撫でた。
「それはそうと、あの店の女給とどんな関係なん。」
ずっと知りたかった事をようやく尋ねた。彼に親族以外の女性の知人がいること自体、大変驚きだが、加えてあの見目だ。店の場所といい、彼女の持つ雰囲気といい、夜がよく似合う女だと思った。元々はそういった関係の者か。確信は無いが、長年の感がそう告げる。にしても、男を軽々と投げてしまうあの身のこなし。頭の中で分析をすればするほど疑問だった。
「……まだ俺が少尉だった頃、仕事で一緒になったんや。」
少尉の頃。それだと4・5年ほど前の話になる。自分らが士官学校を卒業してすぐだ。
「汚職の事件があったやろ。覚えとるか。」
記憶を遡ってみる。そう言えば、上層部で金の横領が見つかった出来事があった。あれは確か、軍の金で武器を密輸入しようとしたのではなかったか。一歩間違えればクーデターだ。事は未遂であったが、表沙汰になれば、我々への風当たりが厳しくなるのは目に見えていた。元々、嫌われ者である存在だ。その上、先の戦争で多くの兵が亡くなった。遺族達の反発は免れない。そのため、使える手段はどんな手でも使って、事を内密に納めたのだった。まさか、それに彼女のような人間が関わっていたとは。それよりも、北のいた師団が事件を担当したのか。
「詳しいことは言えん。けどな、俺はそれなりにあいつを評価しとる。」
それは、かつて任務を共にした同僚としてか。それとも、それ以外のことか。例えば、一人の女性としてーー。ええい、分からん。放棄することにした。だが、昔っから苦労ばかりしている、この真面目な友人に、いつか大切な人ができた時は、誰よりもこの男の幸せを願おうと、そう誓った。