第三章 転機
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この古物商、建物の作りが思ったよりも縦長をしている。店先からは想像できないくらい、奥行きがあるようだ。相変わらず道は一本で細い。綾鷹は北に手を引かれながら歩いていた。しばらくはずるずると鼻をすすっていたが、魅力的な品々にだんだんと落ち着きを取り戻してきたようで、お目当てのものを見つける頃には、だいぶマシな顔つきになっていた。
「あったで。やっと一つ目やな。」
北が示した方に目を向けると、小ぶりなりにもしっかりとした造りの台が一つ。元々は食台ではなく、ちょっとした荷物を置くような目的で使われていたのだろう。その証拠に、脚先に土で汚れた跡が残っていた。売り物として出す際に、店主が拭ってくれたようで、今はそのまま室内で使用しても問題なさそうだ。しかし、単なる物置にしては結構な意匠が凝らされている。いったいどんな所からやって来たのか。
「大きさもええくらいやと思うんやけど。」
北が綾鷹の意見を聞く。
「ええ、大変素敵ですね。……ですが、少々派手では。」
色こそ深みのある茶色をしているが、何せ貫禄がありすぎる。あんなチンケな家に、こんな立派な食台は不律合いだ。落ち着いて食事できる気がしない。
「さよか。……それじゃあ、もう少し探そか。」
その後も、それなりの大きさの机やら、台やら見つけて検討してみたものの、なかなか御眼鏡にかなうものはなかった。二人は面白い造りの古物商を出る。
「えらい、細長い家やったな。びっくりしたわ。」
「本当ですね。いったいどんな造りをしてるんでしょうか。」
二人とも気になるところは同じだったらしい。ちょっとした冒険をした気分だった。
二軒目に訪れた家具屋は先ほどの古物商と比べ、さすが品揃えが豊富だ。ここだけの話、家に家具と呼ばれる家財道具を置くようになったのは、西洋の文化が入って来てからだ。それまで、家具と呼ばれる物たちは全て、建物の一部として元々そこに用意されていた。まあ、全てと言っても火鉢や箪笥などは外付けされる場合も多かったので、その表現には多少誤りがあるのだが。とにかく、新しい文化には違いない。
「さっきの店と違って、なんだか華やかですね……。」
場違い感が否めない。少々緊張した面持ちで店に入った。すると直ぐに、若い男が二人を出迎える。
「いらっしゃいませ。今日は何をお求めでしょうか。」
絵に書いたような胡麻すりだ。男は真っ先に綾鷹を上から下まで舐めるように見る。品定めでもしているのか。この客は上客か、はたまたそうではないのか。その空気を感じ取って、北は彼女を隠すように前へ出た。
「食台を探しとる。ええのはあるか。」
突然前へ出て来た北に顔をしかめたが、瞬時に笑顔になった。
「これはこれは軍人様。ようこそいらっしゃいました。ええ、ええ良いのを揃えております。」
商売上手とはこう言う奴のことを言うらしい。北の軍服姿、とりわけチラリと見えた左肩にある肩章を確認した途端、態度が一変した。
この店では横並びに歩いても問題なさそうだ。そう思った綾鷹は北と同じ歩幅で歩く。その様子を見て、店の男が再び臭い微笑みを浮かべ、北へ小声で尋ねてきた。
「随分と仲が宜しいんですね。」
この時代、女は三歩下がってが基本である。そんな中、己と並んで歩くことを許すとはそれなりの意味があった。この男は、仲が大変良いと受け取ったのである。
「大変お美しい方をお連れじゃないですか。……特別な関係で。」
「……別に、そう言うわけやない。」
北の返しには若干の気まずさがあった。ニタニタとお節介な笑みを浮かべる男から目を逸らす。古物商とはまた違う雰囲気に完全に飲まれてしまった綾鷹は、キョロキョロと視線を彷徨わせていた。そんな彼女に彼らの会話は聞こえていない。チラリと北は隣の様子を確認して、店の男に言う。
「……そないことより、食台を見せてくれや。」
ため息まじりに話をすり替えた北に、この男は何を思ったのか再び笑顔になった。嫌な予感がしてならない。
しばらく男の後についていくと、大小様々な机が並べられている場所に案内された。どれもピカピカに表面が磨かれ、大変美しい。古物商でみた品よりももっと素朴で、自分の部屋に置いても問題ないと直ぐに思った。この中から自分好みの一品を見つける。そんな楽しみも綾鷹にとっては初めての経験だ。顔には一切出さないが、そんなワクワクとした様子を、見守っている面子は肌で感じ取っていた。男二人、自然と微笑みが浮かぶ。
「どうや、ええのは見つかりそうか。」
「はい。先ほどの店で拝見した物も大変素敵でしたが、こちらの方が私好みです。」
彼女は意外にも思った事をすんなり口にできる性分である。普段は色々遠慮しているせいで、なかなか気づかない。4年前から何気に交流のあった北は、彼女の本質をそう捉えていた。今回もまた、はっきりと意思表示をしてきたのがその証拠だ。
「よろしければ、もっと近づいて見てください。気になるものがあれば触っても構いませんよ。」
初々しい二人の関係に、男が気を利かせてそう言う。これにまた素直に頷き近寄った。ツルツルの表面を軽く指先でなぞる。見た目通りの触り心地に、思わず顔がにやけてしまった。
「……これが好きなんか。」
「えっ。いえ、まだそこまでは。ただ、さわり心地が良さそうだなあ、と。」
彼女に習って北も机に触れる。確かにこれは気持ちがいい。大きさも丁度良いと見える。二人分の食器くらいは置けるだろうか。全体のシルエットもすっきりとしていて、物の少ない彼女の部屋でも悪目立ちしない。彼女と向き合って腰掛け、食事をしている風景を勝手に想像し、北は幸せな気分になった。これはクセになる。しかし、数回優しく撫でているうちに、なんだか面白くない気分になってきた。恥ずかしい事に、彼女の指先が優しく触れるこの机が自分だったらいいのに、と訳のわからない嫉妬を抱く。こんな風に自分は一度も触れられたことなんかない。それを、机なんかに先を越されるとは。男の嫉妬はなんと格好悪いことか。
「北様。どうかされましたか。」
彼女の声で現実に戻る。なんでもない風を装う以外今のところ彼に選択肢はない。
「ん。梶の言う通り、ええさわり心地やと思うてな。」
「北様もそう思いますか。」
他者の共感が得られた事に、素直に喜びだす彼女の姿は北の機嫌を知らずのうちに回復させた。そんな彼らのやりとりを耳にしていた店の男が、再び二人の間に割って入る。
「さすがっ。お目が高い。こちらは当店が独自に作成している品なんですよ。檜でできているので、香りもいい。奥様のお部屋にもぴったりかと。」
「おっ、奥様……。」
今、奥様って言った。とっさに北を見る。気持ちよく自社製品を勧める男から聞き捨てならない言葉が聞こえたからだ。振り向いた先、同じように驚いた顔を北もしていた。
「わ、私たちは別に、そういった関係では……。」
「おや、新しいお住まいに置かれる家具をお探しにいらっしゃったのではありませんか。」
異常に慌て出す新妻改め、綾鷹を男はとても不思議そうな目で見た。北も綾鷹も今年で良い年になる。早ければ十代で嫁ぐこともあるご時世で、この年齢で一緒に歩いていれば普通、夫婦と思われても決しておかしくはなかった。まあ、北の社会的地位を考えると、妾の可能性も捨てきれないが。店の男も悪気があって言ったわけじゃない。むしろ、一般常識に則っての発言である。
「いえ、そうじゃなくてっ。」
「では、お二人はどう言った間柄でーー。」
「せや。俺たちは夫婦やない。
……まだな。」
ピシャーンと雷が綾鷹の背後に落ちた。信じられない目で北を見る。それはもう鬼気迫る表情で。なんて事を言ってくれるんだ、と副音声を入れたくなるような。一方で北は、なんでもないような顔をして立っていた。
「決まったばかりや。まだ誰にも言うてへん。」
その言葉と一緒に、肩に手を回され北の方へ引き寄せられる。綾鷹は目を白黒させ、自分が置かれている状況を今一度確かめようと試みた。その間も、男と北の話はどんどん進んでいく。
「そうでしたか。これは大変失礼いたしました。私の気が早いばかりに。」
どこかほっとしたように再び嘘くさい笑顔を目の前の男は浮かべた。
「気にすな。……それより、他には置いてへんのか。」
「残念ながら、今はこれだけです。お眼鏡にかなった物はございましたでしょうか。」
「そうやな。だったら、これくれや。」
「はっ。き、北様っ。私、まだこれにするとは言ってーー。」
綾鷹の思考は未だ働かないままだった。しかし、そんな中でも北のその言葉はいただけない。慌てて止めさせようと腕の中で声を発する。
「ありがとうございます。直ぐ、ご用意させますので。」
しかし、店の男に遮られ、挙げ句の果てには北が先ほどよりも強い力で再び引き寄せたものだから、黙る以外に方法がなかった。
着々と目の前で机が解体されていく。最後には細長い箱に全て収納され、北の手へ渡った。実は後日、家具屋が夫婦の自宅まで届けてくれると申し出たのだが、如何せん、二人は夫婦でも、ましてや恋人でもない。一応、婚約していると言ってしまった手前、綾鷹の自宅へ届けさせるわけにはいかなかった。そこで北が機転を効かし、直ぐに使いたいからと伝える。すると快く運びやすいようにしてくれたというわけだ。その間、綾鷹は一言も話さなかった。
「ありがとうございました。ぜひ次回もうちをご贔屓に。」
深々と頭を下げた男を大変複雑な表情で見ながら店を後にした。ここだけの話、色々と建て込んでしまったので忘れていたが、机は北が買ってくれた。ので、綾鷹は今日、1銭も出していない。それゆえ勿論、この机がいくらするのかもはっきりと知らない。しかし、良い物だと言うことだけは分かる。こう見えても、花街暮らしが長かった。金持ちの客が、お気に入りの女へ贈り物をする場面を何度も見ていると、自然と彼女の目も肥えてくると言うもの。大体の金額くらいは想像できる。そして、到底綾鷹の給料では買えない額だった。
片手で机を、もう片方の手で綾鷹の手を握って北はスタスタと歩く。半分引きずられるようについてくる彼女が複雑な顔をしている事に勿論気がついていた。しばし、無言が続く。
「言いたいことがあるんやったら、今言えや。」
家具屋からだいぶ離れたところまできた。歩みは止めない。この方向は彼女の自宅がある。手は放さぬまま、隣を見ることなく北は言った。
「……あんまりでございます。あんな嘘をおつきになるなんて。」
「仕方あらへんやろ。ああでも言わんとあの男は黙らへん。」
「ですが、他に言いようがありましたでしょう。」
「例えばなんや。」
た、例えば……。と吃る。彼女の答えを待ちながら北は考えていた。正直に話そう。夫婦と間違えられて悪い気はしなかった。あの一言で、余計に購入意欲を掻き立てられたと言うか、そう言う未来を想像する事が許された気分になったと言うか。とりあえず、手に入れるつもりの女とそうゆう風に見られた事に、腹を立てる男はいないだろう。多少早まった感はあるが。
「た、例えば……。そうっ。例えばと、友達とかっ。」
「友達と会うくらいで、そない綺麗に粧しこむ必要はないやろ。」
「で、では。幼なじみとか……。」
「イマイチ説得力に欠けるなあ。」
「ええ……。では、では……従兄とか。」
ははっと北は笑い出してしまった。
「親戚にしては似てへんやろ。」
全て北の正論を前に綾鷹はとうとう歯が立たなかった。結論、夫婦が一番自然だとうところに落ち着く。それにしても、必死に北との関係を考える彼女の姿が、なんと可愛いことよ。最初は何が不満なんだと焦ったく思っていたが、だんだん馬鹿馬鹿しく思えて。いや、それよりも真剣に悩む彼女が可愛らしくて。そんなことはどうでもよくなってしまった。最後には笑いを堪える事ができなくて、吹き出してしまうほどに。
「もう過ぎてしもたことや。ええ加減忘れたらどや。」
「ですが、北様は良いかもしれませんが、私が……。」
だんだん尻すぼみになっていく。
「それに、机も結局北様がご購入されてしまいましたし。」
「ん。これくらい気にせんでもええ。こないなもん、女に買わせるわけがないやろ。」
出た。北様の男前発言。得意のこれが登場してしまうと、もう勝ち目はない。黙るが唯一の策であった。
とうとう不服を通り越して、しょんぼりとしてしまったそんな彼女を、さすがに気の毒に思ったのか、北が足を止める。
「なら、こう言うのはどうや。」
店を出て初めて向き合う。彼の次の言葉をじっと待った。
「また、俺と出かけてくれや。」
「……今度は何をご購入されるんですか。もう、私の家に必要なものなどありませんよ。」
そうきたか。と北は心の中で頭を抱えた。思った事を口にできる性分は、彼女の大変魅力的なところだが、別の面ではこう言う弊害も生んでしまう。天然というか、一方方向にしか考えが及ばないというか。
「悪かった。俺の言い方が曖昧やったな。……今度、桜を見に行こう。それで食台の件はチャラや。」
「ええ……。そ、そんな事でよろしいんですか。」
「なんや。もっとええ事してくれるんか。」
何を想像したのだろうか。途端に彼女の顔が青ざめる様子を見て、笑って助けた。
「冗談や。何を本気にしとる。丁度桜の季節も間近やろ。せっかくまた巡り会えた縁や。俺と見に行ってくれへんやろか。」
その聞き方はずるい。どうして、こう女心をくすぐる術をご存知なのか。勝手に赤くなる頬を隠すように、綾鷹は顔を少し斜めへ逸らした。北は辛抱強く彼女の返事を待つ。
「き、北様がよろしいのなら……。」
これは良い返事なのか。
「それは、一緒に行ってくれるゆう事か。」
確信が欲しくて、ちょっと意地悪したい気持ちも混じって、敢えてもう一度聴き直す事にした。その際に彼女の顔を下から覗き込むことも忘れない。まるで好きな子は虐めてしまう、そんな餓鬼のような心情に思わず呆れてしまった。
「……はい。」
やっとのことで聞けた「良い返事」。止まっていた足を二人は再び動かす。桜が満開になる季節はもう少し先のことだが、今から心が踊るような気分だった。