第二章 歩寄
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綾鷹は考えていた。なぜこうなってしまったのかを。
遡ること数時間前。北のどこで寝るか問題は、彼の型破りな一言で終着する。未婚の男女が一つ屋根の下、一つの寝台の上で仲良く横になっている状況を見れは、彼らがどういう結論に至ったのか、わざわざ説明する必要も無いだろう。すっかり参ってしまった綾鷹は、隣で寝る北にばれないよう溜息をつく。確かにこれなら何が起ころうとも、きっと北が助けてくる。しかし、眠れない。素晴らしいほどに目が冴えてしまった。これでは、休まるものも休まらないというのに。彼と同じ布団に入った時から、何度となく考えたが、現状を打開するいい答えは出なかった。一方で、考えすぎて眠気が一向にやって来ない綾鷹とは裏腹に、北は穏やかな寝息を立てている。この男の神経が太すぎるのか、はたまた、彼女の方が異常に意識しているのか。
んん、と北が寝返りを打った。今まで背中合わせだったのが、自ずと同じ方向を向く。大きな手がさり気なく下腹部を抱き込むのを、綾鷹は黙って受け入れるしかなかった。
「……なんや。眠れへんのか。」
首元に息がかかる。ぞぞぞっと悪寒とは違う鳥肌が立った。眠たそうな声色がかえって色っぽい。そんなことは知る由もない北が、続けて声を発する。
「梶……こっち向きいや。そない端っこにおったら、落ちてまうやろ。」
欠伸を噛みしめながらそう言うと、体が北へと引っ張られる。抵抗する間も無く、背中がすっぽりと北の中へと収まった。トクトクと鼓動する彼の心臓を後ろで感じながら、綾鷹はますます眠れなくなる。
「……何考えとるん。」
「え……。」
「眠れへんのやろ。さっきから。」
「気づいて……。」
「おん。……俺を意識しとるんか。」
どきりとする。そんな反応を見せた綾鷹に、北は素直に嬉しく思った。
「嬉しいなあ。」
「ど、どうしてです。」
「ん、どうしてって、そりゃあ……俺はちゃんと、男として見られとるん証拠やんか。」
だから嬉しいんや。と軽く頬ずりをして答えた。不覚にもキュンとしてしまう。
北信介の愛情表現は至って飾り気の無い物だった。それは同時に、大変直接的で、大胆で、時に攻撃的。恋だの愛だのに免疫の無い綾鷹にとっては劇薬に近かった。それ故に、いつも争わずにはいられない。体が守りの体制に入ってしまうのも仕方がないのだ。
「べ、別に。……ただ、眠るのが苦手なだけです。」
「そうやったなあ。前に話とったもんなあ。」
普段に比べて語尾の緩い北に、綾鷹の調子も狂い始める。
「北様は……よく眠れますね。こんな状況で……。」
半分以上は嫌味であった。なんだか、負けた気になる。
「ああ。今、めっちゃ……幸せやからなあ。」
「……。」
なんだろうか。この気持ち。会話が成り立っている様で、どこか微妙にズレている感じ。むずむずする。可愛い。悶て死んでしまいそうになった。
内なる嵐を治めるべく、しばらくじっとしていると、とんとんと腰に乗っていた手が拍子を刻み始める。まるで幼子をあやしているようだ。
「北様。」
「ん、これで眠れるやろ。……目え閉じて、全部俺に任せればええ。」
そしたら、眠れる。ぼそりと呟いて、再び静かになった。これも北のお祖母様からの知恵だろうか。そう思うと同時に、大好きな姐さんと存在が重なる。不思議と体が沈んでいくような感覚になった。ああ、眠りに入るのだと。もういい。このまま眠ってしまおう。これ以上考えても仕方がない。ほとんど投げやりな気持ちで、北の言う通り目を閉じた。
なんだか今日は、久しぶりに悪夢から解放されそうだ。
あれからどのくら時間が経っただろうか。久しぶりの充実した眠りから突然、ぐいっと引き上げられるように意識が戻った。近くで何かがうごめいている気配がする。まだ薄暗い室内を、綾鷹は目を細めて見た。
「……北様。」
隣で寝ていたはずの男がいない。その代わりに、うごめく正体がその人、本人であった。眠気まなこで名前を呼ぶ。
「起こしてしもうたか。堪忍な。」
どうやら、仕事へ向かうべく着替えていたらしい。シャツのボタンを掛けていたのだが、途中で手を止めて、綾鷹の側へ寄った。
「……お仕事ですか。……もう、お出になるの。」
切なそうな声だ。おそらく寝ぼけているのであろう。あどけない口調が彼女を幾分か幼く見せる。普段、幾重にもなるベールに隠され、その本質を見極めるのに苦労する彼女の心が、今は剥き出しになっていた。北は人知れず舞い上がる。それはまるで、本心から行かないでくれ、と言われている気分になったからだ。
「おん。もう時間や。……なんや、寂しいんか。」
試して見る価値はある。そう判断して、踏み切ったことを聞いてみた。しかし、綾鷹は、んんん……と小さく唸り、また眠りへと落ちていく。そう簡単にはいかないか、と息だけで笑い、穏やかな寝顔を数回撫でた。顔色も大分良くなって、いつも通りの綾鷹に戻っている。おそらく、明日にはまた、あの店で会えるだろう。ここへも、もう来なくて良さそうだ。
「ずるい女やな。」
こんなに自分を翻弄する。可愛くて、愛しくて、たまらない人。短い人生の中で、2度と出会うことのない人。己を魅了して止まない綾鷹のことを北は益々、諦めるわけにはいかなかった。
再び眠りについた綾鷹を確認して、身支度の続きをする。彼女の家から隊舎までおおよそ20分弱はかかると見ていた。道のりを頭の中で思い浮かべながら、戸に手をかける。最後に彼女を振り返った。どうせまた直ぐ顔を合わせるのだが、しばらく会えない人との別れのように感じてしまったのは、少しでも彼女との未来に希望が見えてしまったから。
「ははは……こない仕事に行きたないんは、初めてや。」
規則正しい寝息をかく彼女を目に焼き付けるようにして、北は家を出た。