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月が綺麗ですね

 



 モストロ・ラウンジでのバイト終了後、今夜もわたしはアズール先輩に寮まで送ってもらっていた。
送ってもらうというのは最初の雇用契約の時から決まっていた話で『夜遅くに仕事が終わるのに男だらけの学園を夜に女性一人で歩かせるわけにはいかない。支配人の僕がこれから夜は送ります』というアズール先輩からの申し出に、わたしがお言葉に甘えた結果、今現在進行形で送ってもらっている。

「ところで聞いてください! なんと! なんと! ジェイド先輩から今週末、街に出かけようって誘われたんです……!」

浮かれた調子でわたしは、今日ジェイド先輩からデートに誘われた話をすると、アズール先輩は少し俯いて視線を落とした。
 俯いているせいでその表情は読み取れなかったが、きっと、ずっとわたしとジェイド先輩の恋を見守ってくれていた先輩なら喜んでくれているに違いない。

「よかったですね。せいぜい粧し込んで挑んできてください」

 しばらくの沈黙の後、小さな声でアズール先輩はそう呟いた。
 少し冷たくあしらわれてしまったが、今浮かれまくり脳内ハッピーお花畑のわたしは何をされても許せる。

「久々にお化粧して、この間通販で頼んだかわいいワンピースを着ようと思います!」

ジェイド先輩は可愛い系と綺麗系どっちが好きなのかな、とか他愛も無い話を一方的に今日もしていた。心なしかアズール先輩が普段よりも冷たい気がする……というか最早なんだか、どこか上の空の様だ。
 そろりと彼の方へ視線を向けるとアズール先輩の興味はいつの間にやら、ずっと真上へと向いていた。

監督生さん、今夜は月がとても綺麗ですね。見てください」

 そういって空を指すアズール先輩の指先を視線でなぞると、夜の海のように深く、暗い夜空には、満ち満ちた丸々と太った大きな月がぷっかりと浮かんでいた。

「わあ……!大きくてまん丸ですね!なんだか月ってじっと見てると飲み込まれてしまいそうな感じしません? だからわたし、月ってちょっと怖いんですよね」
「ふふ、不思議ですね。僕は温かく包んで見守ってもらっている様な気持ちになると、幼い頃水面から顔を出して、月を眺めている時に感じていました」
「先輩は小さい頃も可愛い考え方してるんですね」
「なっ、僕は決して! 断じて! 可愛くなんてありませんよ!?」

 アズール先輩はムキになって、プリプリ怒り始め、捲し立てる様に言葉をマシンガン銃で撃ちまくってくるが、一つ一つを受け止めるのは些か面倒なので、適当に右から左へ受け流しておく。
 今日も先輩は可愛い。さっきまでのアンニュイだった先輩の表情が少しだけ明るくなったのを見て安心した。それにしても未だに先輩がああでもないこうでも無いと隣で喚いているので、ちょっと揶揄ってみよう、ほんの出来心でそう思った。

「ところでアズール先輩」
「なんですか」

 アズール先輩不機嫌そうな声で律儀に返事をしてくれた。冷たい夜風が頬を撫でる。今は葉の海で隠れてしまっているが、木々の間から溢れ落ちる月の光は眩しいくらいに彼を照らしていた。

「わたしの世界では愛してるを『月が綺麗ですね』と訳した人がいるんですよ?」

 にんまりと先輩を揶揄う為に不敵に微笑んで見せた。
 ちょっと揶揄ってやろう、そう思っただけなのだ。ほんの出来心だったはずなのに。先輩の顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。耳まで真っ赤になったのを見ると、
ちょっと揶揄いすぎてしまったかもしれないと反省した。    

 そうだよね、多分女子に対する免疫なんて全然無いもんね。まあ実際全然反省してない。ごめん。取り合えず全身真っ赤になった先輩茹で蛸みたいで可愛かった。

 一方彼は『どう訳したらそうなるんだ』とか『別に僕はあなたのことなんて』とか、ブツブツぼやいてる間に、私たちはオンボロ寮についてしまっていた。
 森を抜けた後から月はすっかり雲に隠れてしまっていたようで、外灯の少ないこの辺りはすっかり漆黒に染め上げられていた。

「じゃあ先輩また明日!」

 逃げるように立ち去ろうとした私の腕を彼は憎々しげに引っぱり、思わず振り返ると、先輩の美しく整った唇から恐ろしい言葉が飛び出してくる。

「僕を揶揄ったらどうなるかなんてわかっていた上でやるだなんてなんて勇敢な人間ですね」

 にこやかに微笑む先輩。まるでなんの予告もなしに、服の中に氷をぶちこまれたかのような、冷たいものがぞくりと背筋を走った。
 そして未だに邪気をたっぷり含んだ微笑みを浮かべている先輩。アッ、私とんでも無く面倒な奴を敵に回してしまったな、って一瞬で悟ってしまった。先輩、いつもの敬語どこに置いてきたんですか?
 アズール先輩は根に持つタイプだし粘着質だからきっといつかひどい目に合わされる。そんな悪寒が全身を走った。




    
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