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僕だけのユウさんなのに

   


「モストロ・ラウンジでチェキの販売を始めます」

 そう唐突に支配人兼恋人であるアズールが言い放った言葉に理解が追いつかず、ユウは宇宙に放り出された猫と同じ表情を浮かべ虚空を見上げていた。

「なんで突然そんなこと始めんの?」

 フロイドが心底疑問そうにそう質問を投げ掛ければ、アズールの隣に腰掛けていたジェイドが、持っていたタブレットの画面をユウたちに向け見せる。

「先月一ヶ月かけてお客様アンケートを実施していたのは記憶に新しい筈です。そのアンケートの結果をご覧下さい。」

 どうやらそれは、ジェイドがまとめたアンケートの結果らしく、わかりやすく円グラフにされてまとめられていた。
 その円の中でも大きな割合を締めているのが『スタッフと交流を深めたい』といった意見が半数だった。

 確かにモストロ・ラウンジのスタッフは化け物級の美人揃いである。アズールを筆頭に、ジェイドやフロイド達三人は飛び抜けており、お客から人気があるように思える。   
 一般開放日には女性客からツーショット写真を撮りたいと頼まれている場面をよく見ることがあるし、ユウはシャッターを切る係を頼まれることが度々あった。

「確かに先輩方なんて一際顔が良いから人気ありますもんねぇ。、需要が高いってやつですね」
「そうです、需要があるのに供給をしないなんて、経営者として名が廃ります」
「さすが銭ゲバアズール」
「守銭奴の血が騒ぐ、ということですね」
「騒々しいですねお前たち。黙って話をききなさい。ですので明日からは、ドリンク二千マドル分のオーダーで、希望者にチェキ撮影一枚サービス、という新サービスを実施します。お好みのスタッフを指名していただく形になります」

 報告は終わり、ユウたちはラウンジの仕事へ戻り、それぞれの立ち位置に戻った。

 きっと自分の恋人のアズールは、たくさんの女性から人気が出て、たくさん撮影をお願いされるんだろうなあ。
 そう思えば今から、心がずっしりと重たくなる。腹の奥底に黒い靄を抱えたまま、ユウはお客のオーダーを受けに伝票を片手にテーブルへと向かっていった。


***


 どうしてこんなことになっているんだろう。
 アズールは予想もしていなかった事態に頭を抱え、そのまま床を転げ回りたい気分になりそうな程、メンタルにヒビを入れられていた。

 一般開放日問わず、日常的に男性客から群がられる己の恋人、ユウの姿。
 チェキ撮影の度、彼女に合法的に触れる男たちの、欲を孕んだその目を見る度に、吐き気すら込み上げてくる。
 先日から始まったドリンク二千マドルごとにチェキ撮影、という週末の一般開放日限定イベント。
 非常に盛り上がり、売り上げは飛び跳ねるように伸び上がった。
 きっと飛び抜けて人気が出るのは、あのウツボ兄弟たちだろう。アズールはそうたかを括っていたが、ユウの指名は日に日に伸びていき、今やウツボを差し置いてトップにまで上り詰める程一番人気を博していた。

「監督生〜〜チェキ指名だよ〜〜」
「監督生、チェキ指名追加で三名きたよ!」
「は、はい!」
「さらに追加で五名!」
「うわあ! はいはい! はーい!」

 そして今もなお、ユウの前にはチェキ撮影の行列が形成されていた。当のユウは眉を下げて困惑しつつもどこか嬉しそうにお客の対応をしていた。
 つまらない、なんだこれつまらない。アズールのテンションは、今にも頭を抱えて項垂れそうな勢いで急下降している。

(待て待てなんで僕の彼女の肩に手を置いているんだ。ああもう距離が近い!近過ぎる!僕の番なのに僕の番なのに)
  
 アズールの心の叫びはユウへと届くわけもなく、彼女は彼の視線にすら気付かず、丁寧なファンサに注力していた。


***

「うげえ!小エビちゃん指名人数エグくねオレとジェイドの指名数の二倍はいるんじゃない?今月ナンバーワンじゃん」
「ふふふっまさか監督生さんにアイドルの才能があったとはとても意外です。ファンサービスが丁寧で良いとアンケートに沢山書かれていましたよ」
「いやあ……私全然美人でも無いしスタイルも普通なのに、なんでこんなに指名入るんですかね……? さすがに疲労が……」

 本気で疲弊しているのであろうユウは、肩をぐりぐりと軽く回しながら深いため息を吐いた。この間の週末なんてひっきりなしに自分指名のチェキ撮影が入ってたので、表情筋は攣ってるわ立ちっぱなしで足はパンパンだわで悲惨な体調であった。

「……皆さんありがとうございます。チェキサービスのお陰で今月の売り上げは予想以上に伸び上がりました」
「僕から提案があるのですが宜しいでしょうか」
「なんです?」
督生さん当店ではかなり人気のスタッフですので、監督生さんが宜しければハイタッチのサービスも加えて見てはいかがですか?」
「いーじゃんそれぇ! 飲食三千マドルでハイタッチ一回とかいいんじゃね?」

 それを聞いた瞬間、アズールは唇を血が滲むほど噛み締めた。
 守銭奴の血が騒ぐ一方ユウの番としては、別の男と彼女が手を触れ合わせるだなんて絶対に嫌だ。ありえない。といった相反する感情を抱きつつも、ラウンジの売り上げの為にも私情を挟むのは好ましく無いと考え、またも唇を強く噛んで言葉を呑み込んだ。

「それでしたら追加で五千マドルで握手、一万マドルでハグ……というのはどうでしょう?」
「ユウさんがハグ!?!? そんなの許しませんよ僕は」
「おやおや、アズールはビジネスに私情を挟むのですか?」

 数秒前にした決意はどこへやら、ハグという言葉に過剰に反応したアズール。それを面白そうにジェイドとフロイドはニヤニヤと鋭い歯をチラりと唇の隙間から見せ、不敵な笑みを浮かべながらアズールとユウへ交互に視線を注ぐ。

「……ユウさんが嫌なら却下になりますが……どうなさいますか」
「仕事なので、やれと言われたらやりますけど……」
 ユウができるというならば、支配人としてこんな金になる企画をみすみす逃すわけには行かない。

 心の中で血の涙を流しながらアズールは泣く泣くこの企画を通すこととなった。ウツボのせせら笑いが聞こえるような気がするのは絶対気のせいでは無い。


***

 さすがに大盛況すぎるだろう。
 ユウを求めて並ぶ欲に塗れた雄どもの長蛇の列をチラチラと見ながら、アズール小さな舌打ちをする。

 チェキ撮影だけでなくあれから会議で提案された例の企画も絶賛行なっている。ユウを推しているファンたちのお陰で売上は上々。マドルはがっぽり稼げている。
 だけども愛しい番が自分以外の男とくっついてチェキだの握手だのハイタッチだのをしている姿を横目で見ていれば、さすがに嫉妬心がふつふつと沸いて来るのだ。

「監督生さん!モストロ・ラウンジのマジカメいつも見てます。ず、ずっとファンでした……!」
「わあ!ありがとうございます!」
「最推しです監督生さん大好きです!! 生でお会いできてめっちゃ嬉しいっす!」
「こちらこそ、わざわざ遠くから来てくれて嬉しいです……!」
 次から次へとチケットを持って列を形成するお客達。
握手、握手、ハイタッチ、チェキハイタッチ、握手、チェキ、チェキ、etc……ハグは値段も高いせいか今のところ出てはいない。

「おーい監督生!なんか面白い催しをやってるって聞いて遊びに来たぞ!」
「カリム先輩、それにジャミル先輩も来てくれたんですか!?」
「俺は別に……カリムが行きたいと言って聞かなくてな。付き添いで来ただけだ」

 アズールがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、聞き覚えのある二人組の声がする方向へ恐る恐る振り返る。
「へぇ……一万マドルで監督生とハグができるだなんてお買い得だな!よし、そうしたら二万マドル分のドリンクと食事を頼んでもいいか?」
「先輩そんな大金……!」
「ん?二万マドルじゃ足りなかったか?じゃあオレとジャミルでハグ二回ずつで、四万マドルならどうだ!」
「いやだから俺は……」

 ユウの側に控えていたジェイドに四万マドルを直接の手渡して彼女にハグをするカリム。それに対してはずかしそうに、はにかむユウ。

 プッツンとアズールの中で何かが切れた音がした。

「もうやだ〜〜〜〜〜!!!!」
「アズール先輩!?!?」
 そう発狂するや否や、アズールはそれ以上は何も言わずユウの腕を引っ張ってスタッフルームへ連れ込んだ。 

「アズール一体どうしたんだ?」
「カリム……お前は無意識に人を煽る天才なのか……?」 

 何も分かっていないカリムは首を傾げたまま、オレ何かしちゃったのか。とジャミルにひたすら問い掛ける。

***

「あなたは僕のものなのに〜〜〜〜もうやだ〜〜〜〜もう無理〜〜〜〜〜〜」

なぜこんなことになっているんだろう。監督生はアズールに強く抱きしめられた状態のまま一歩も動くことができなかった。

「先輩落ち着いて! ねえ落ち着いてってば!」
「もう中止だ!! あんな訳わかんねえイベント中止に決まってんだろ〜〜〜〜〜〜」

 だめだこりゃ。口調が支配人の堂々たる口調では無く、ただの墨吐き坊やのタコちゃんになって、完全に崩れている。
 ユウは泣きじゃくって己に必死に縋ってくるアズールの背に手を置いて、まるで稚魚をあやす様に彼の背をとん、とん、とリズム良く優しく叩いていた。

「僕のなのに……僕だけのユウさんなのに……みんなしてあんなベタベタ気安く触れて、欲に塗れたいやらしい目で舐め回すように彼女を見て……ありえない最悪だ無理無理無理」
「でもお仕事だから先輩。あれ仕事です。だから落ち着いてください大丈夫です」
「あなたは仕事と言われれば僕以外の男とも抱き合えるんですか」
「仕事なんですから仕方ないじゃ無いですか……」
「僕はもう嫌です耐えられません」

 アズールはユウの首筋に甘えるように鼻を擦り寄せ、抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。  
 まるで小さな子どものように必死に縋り付くアズールの姿を見てしまえばユウの母性は擽ぐられ、優しくその銀髪の柔らかな丸い後頭部を、髪をすくように撫でた。

「明日からこのイベントにあなたは参加させません。むしろラウンジのホールに出すのも、もう嫌なくらいです」
「それはわたしの収入がなくなっちゃうので困りますねぇ」
「僕の元で永久就職しませんか」
「モストロ・ラウンジの社員はちょっと……」
「違います!僕の妻にならないかって聞いてるんです!」

 息を切らしてアズールがそう言えば、その言葉をやっと理解できたユウは一瞬で体の中の血液が煮えたぎって、耳まで顔が真っ赤に染まった。

「いやいやいやそれは気が早いです!学生結婚は気が早すぎます!それに私だっていつ元の世界に帰ることになるのか……」
「は…………?帰る……?あなた、僕にここまで愛させておいてまだ帰るおつもりなんですか」

 場の空気が一瞬で凍り付いた。気温まで本当に下がったのではないだろうか。寒気でふるりとユウの背筋が震える。
「もう少しゆっくりあなたとはお話をした方が良いみたいですね。少し場所を変えましょうか。そうですね、僕の部屋のベッドの上に一度移動しましょう」
「待って」
「大丈夫です。ラウンジのことと、イベントのことは適当にジェイドに任せますので心配なさらないで下さい」

 抵抗するユウの膝の裏に腕を回してお姫様抱っこをすると、機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら、アズールたちは裏口からラウンジを後にした。その後この日に2人の姿を見た者は誰もいない。

***

 翌日、モストロ・ラウンジのこのイベントの対象スタッフの名前からユウの名が消え、更にはラウンジのアルバイト名簿からもユウの名前が消え去った。

 またその次の日、久々にみんなの前に姿を現したユウの首元には、大量のキスマークとタコの吸盤の痕が残されていたと専ら学園中で噂になっていた。

 更には彼女の左手の薬指にはシンプルなシルバーのリングを嵌められていたという噂も流れていた。そのリングからただならぬタコの執着の気配がする、という噂も流れていたけど、それが事実なのかどうなのかは誰も知らない。



  
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