掌の上
それは、アズールにとっては一世一代の告白だった。
「僕と付き合って頂けませんか?」
「いいですよ。アズール先輩はどこに行きたいんですか?」
ぴしっと亀裂が走ったかと思えば、あっという間にガラガラと崩れ落ちていくアズールのメンタル。
彼にしては、素直に彼女に気持ちを伝えられたはずだった。
普段は可愛さ余って意地な悪い物言いで、片思いの彼女の気を引こうとしていた。だが、それではいつまで経っても彼女の心を手にいれることが出来ない。それに漸く気がついたアズールは、柄にも無く直球勝負を彼女へと仕掛けたのだ。あまりにも鈍感な彼女には、直球で行くくらいが丁度良いのかもしれない。
……とさっきまでのアズールは思っていた。
「はい?」
「だから、どこに行きたいんですか?」
まさか伝わっていないとは……さすがの鈍感っぷりに溜め息すら出てこない。
ぎゅっと握った手の平にはじわりと汗が滲む。僕の緊張を返せ、と叫びたくなる思いを、アズールはぐっと喉の奥へと流し込む。
「……街に新しいカフェが出来たらしく、マジカメで今話題になっているんです。宜しければ視察に付き合っていただけませんか?」
咄嗟に機転を利かせ、何事も無かったかのようにアズールは彼女との会話を進めた。
実際のところ彼のメンタルはもう崩壊していたが、彼女にそのことを悟られるわけにはいかない。
何も知らない間抜けで鈍感な彼女は、それはもう楽しそうにニコニコと呑気に二つ返事で「飲食代は経費で出ますよね! 行きます!」と返してきた。鈍感なくせに抜け目のない人だ。
「では、今週の日曜に行きましょう。外出届をきちんと提出しておいて下さいね」
「は〜〜い!」
アズールへ小さく手を振った後、今にでもスキップをしそうな軽やかな足取りで彼女は彼の前から立ち去った。
恋しい彼女の小さくなる背を目で追い、漸く肺に溜め込んでいた息を一気に吐き出した。
……今まで数え切れ無いほど彼女へ遠回しに求愛をしてきた。彼女の時間割を把握して、自然に廊下ですれ違えるよう計算をして行動をしたり、昼食を一緒にとろうとも誘った。もっと彼女と共に過ごす時間が欲しくてモストロ・ラウンジにのアルバイト勧誘もした。
そうして地道に遠回しに好意を伝えて行き、一度の告白でうまく行くように動いてきたというのに、察しの悪い彼女はアズールの決死の告白すら、するりと躱してへらへらと笑っていた。
「………………とりあえず今は蛸壺に篭りたい」
どうしたものかと考えるのも疲れたアズールは、幽霊のような足取りでオクタヴィネル寮へと踵を返した。
*
今夜のラウンジは客入りは少なく、店内はジャズのBGMがクリアに響いていた。
人手も足りているようで、アズールがVIPルームに籠って事務作業をこなしている間、手持ち無沙汰なフロイドもその正面のソファーに腰を掛け、退屈そうにスマホをいじっていた。
「アズール、なんか元気なくね?」
唐突に降ってきたフロイドの言葉。なぜか瞬間的に監督生の顔がアズールの目に浮かび、無意識のうちに溜息が溢れる。
「なんでもありません」
「深いため息なんて吐いちゃってさ」
「はあ……だからなんでもありません」
「ふーん。あ、わかったぁ!小エビちゃんに振られたんでしょお?」
「ま、まだ振られてません!!」
思わずアズールが立ち上がった勢いでガタッと椅子の音が大きく響く。水槽の水音だけが広いVIPルームの中を支配していた。
「ふぅん『まだ』ねぇ…………?」
しまった、失言をした。
アズールは焦る。意味深な笑みを浮かべるフロイドの唇の隙間から鋭い歯の先が覗いていた。
「詳しく話してよ」
「嫌です」
「いーじゃん」
「絶対に嫌です」
「ふーん。じゃあオレが小エビちゃんもらってもいーい? 小エビちゃんってチョロそうだから押しまくれば簡単に捕まえられそうだしぃ?」
わざとアズールを煽っているのだろう。挑発に乗るまいと思いつつも、マグマのような真っ赤な怒りが沸々と腹の底から込み上げてきていた。
「彼女に手を出したらお前を美容成分を絞り出すためだけの家畜にして差し上げます」
無闇矢鱈に怒り散らすのはなんとか抑え込み、マジカルペンを片手にドスを効かせた低い声でアズールがそう言えば、フロイドは「おっかねぇ!」とわざとらしく大袈裟に肩を竦ませた。
「まあ詳しいことはわかんねえけどさ、アズール遠回しにアピってたじゃん? もっと素直に直球勝負仕掛ければいいんじゃね? 毎日求愛し続けてれば流石の小エビちゃんも気づくっしょ」
「毎日」
「そうそう、毎日求愛しまくってれば外堀も埋められるし、小エビちゃんに気持ち伝わりやすくなるし、一石二鳥じゃね?」
フロイドにしてはまともなことを言っている。いや、ジェイドに比べるとなんだかんだ根がまともなのはフロイドの方だから、その言葉には妙に納得がいった。
「成る程……」
「じゃ、がんばれ」
この話題に飽きたらしいフロイドは、被っていたハットを頭から取り、ソファーの上で仰向けに横になると、顔の上にハットをひらりと載せて仮眠をとる体制になった。
*
「ユウさん、前髪を切りましたか? とてもお似合いです。可愛らしいですね。好きです」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「おやおやユウさん。今日もアルバイトお疲れ様です。勤勉ですね、好きです」
「嬉しいです、ありがとうございます!」
「先日魔法薬学の授業で、とても良い成績を収めたと耳に入れましたよ。素晴らしいです、好きです」
「えへへ、ありがとうございます!」
あれから数日、アズールはとにかく真っ直ぐに監督生へ好意を伝えまくっていた。文脈もクソもない愛の告白のフルコンボをかましていくも、無意識に監督生はそれら全てを華麗に躱していく。
好きだ好きだと直球で告げているのに、一向に彼女がアズールの本気の恋に気付いてくれることはなかった。
もしかしたら、友達としての好意だと勘違いをしているのかもしれない。
もしかしたら、自分が胡散臭いばかりに信じてもらえていないのかもしれない。
もしかしたら、やんわりと自分の『好き』という気持ちを拒否しているつもりなのかもしれない。
彼女のことを考えれば考えるほど思考はドツボに嵌っていく。そして己の過去の愚行を後悔しながらアズールは蛸壺へ籠ると頭を抱え始めた。
燃えるように真っ赤な夕焼けが美しい放課後のこと。
「改まって呼び出してどうしたんですか、アズール先輩」
「突然呼び出してすみません、改めてあなたに伝えたいことがあるんです」
件の彼女は一体どうしたのかと眉を顰めていた。
「僕はあなたのことが好きです」
「……? はい、ありが…………」
いつも通りお礼を返してきたユウの言葉をアズールは食い気味に阻止した。
「ほら、またですか。どうせ友達としての好意とあなたはまた勘違いしていますよね。ですので今から細かく、丁寧に、猿でもわかる説明をします」
疑問符を浮かべていたユウは、こてんと首を傾げた。その仕草のあまりの可愛らしさにアズールの胸は思わずぎゅぅううんと甘く締め付けられる。そして、こほんと仕切り直すように咳払いを一つした。
「僕はユウさんのことを女性として好いているんです。愛しているんです。あなたと番になりたいんです。将来的にはあなたと婚姻関係を結んで僕の子どもを産んで欲しいんです」
プライドを全てかなぐり捨てたド直球の愛の言葉を、マシンガンの如くの勢いでアズールは彼女へと撃ち込んだ。
ここまでストレートに伝えてしまえば流石に鈍感すぎるユウでも理解ができるだろう。アズールは爪が突き刺さるほどぐっと強く己の拳を握り込んだ。手のひらにはあの日と同じようにじわりと汗が滲んでいた。
数秒のタイムラグを挟んで自分の中で羞恥心がじわじわと込み上げてきた。頬が燃えるように熱い。耳の先まで熱い。だが、この紅潮した頬は夕焼けの赤によって上手く隠されているだろう。今日程真っ赤に燃える空に感謝したことはない。
「好きです」
唇を結んだまま黙り込んでいるユウに、追い討ちをかけるようにして感情をぶつける。
「ユウさんが、好きです」
喉がカラカラに乾く。頬はまだ熱いままだ。
数秒の沈黙を切り裂くかのように、ゆっくりとユウは口を開いた。
「知ってますよ」
「…………は?」
勢いよくユウがアズールを押し倒すようにして抱きついた。
突拍子もない行動を取られ、バランスを崩したアズールは尻餅をつく。
そして、そのアズールの胸の中に飛び込んだユウは、ゆるりとした動作でアズールへと距離を詰めると、二人の唇は重なった。
何が起きたかもアズールは理解できぬまま、ぱっちりとスカイブルーの瞳を見開く。
唇の柔らかさを堪能する間もない。ただ、頭の中は真っ白に塗り潰されていて、今ばかりはアズール自慢の優秀な頭脳も全く使い物にはならない。
ゆっくりとユウの唇が離れていく。アズールは相変わらず状況の理解が追いつかず、呆然としたまま、ユウの黒曜石のような瞳から目を離せずにいた。
「わたしも先輩のこと、大好きです」
「と、友達としてではなくてですか……?」
「はい、勿論です。是非付き合ってください」
「買い物に……とかっていうボケではなく……?」
「はい、私と交際をしてください」
一瞬のうちに胸が暖かいもので満たされていく感覚。漸く愛しい彼女に思いが通じたのだ。
紳士たるもの、恋人となった彼女の前で堂々と浮かれる事もできず、心の中で『よっしゃ!』と叫び、ガッツポーズをしながら小躍りをしていると、ユウはくすくすと笑い始めた。
「アズール先輩、口元がにやけてますよ」
「に、にやけていません!」
ユウは揶揄うようにくすくすと笑みを溢していた。楽しそうに笑う彼女に水を差すこともできず、代わりにと言わんばかりにアズールは、ぎこちないキスをユウの唇に落とした。
「ところで」
そういえば、と思いついたかのようにアズールは言葉を溢す。
「さきほど言っていた『知っています』と言うのは一体どう言う意味ですか」
「ああ、そのことですか?」
悪戯な笑みをユウは浮かべる。愛らしいはずなのに、何処かどうしようもなく意地の悪さを含んで笑みなような気がするのは、気のせいなのだろうか。
「ずーっと前からアズール先輩が私のこと本気で好きだったこと、気が付いてましたよ」
「はあ…………?」
本日二度目の思考停止状態がアズールを襲う。
「ちょっと待ってください。つまり、あなたは鈍感なふりをしていたってことですか……?」
「ふふふっ。だって…………」
ユウはうっとりとした甘い表情でこう口にした。
「わたしの気を引こうとしていたアズール先輩が、可愛くて可愛くて堪らなかったんですもの」
……どうやら自分の知らぬうちに、この女の手の平の上で転がされていたことに漸く気がついたアズールは、開いた口が塞がらなかった。
ウツボたちと同等に厄介で、面倒な女を好きになってしまったことに思わず頭を抱えてしまいたくなる。
歪んだ愛情を秘めている、愛おしい恋人の、陶然と酔いしれた甘い微笑みを横目にアズールは深い溜め息を吐くことしかできなかった。
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