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遠山はテニスコートのベンチに座りながら、そわそわと落ち着かない様子で二度も三度も周囲を見渡している。
もうすぐ自分の試合が行われるというのに一向に姿を現さない由紀のことが心配だった。彼女の体調があまり良くはなさそうだということを察していたため、余計に心配は募る。
立海大附属シングルス1の相手選手である主将の幸村は、すでに準備万端といった様子で自陣のベンチ周辺で最後のアップを行っている。
遠山も今日の親善試合の開催が決まった時から、ずっと強い相手と戦えることを楽しみにしてきた。
自分はシングルス1で確定していたし、相手側は間違いなく主将の幸村を出してくるだろうと予測していたからだ。
今日、自分の活躍する姿を意中の彼女に見てもらった後、想いを告げる予定でいるのだが、試合開始直前の時間になっても肝心の彼女は一向に来る気配を見せなかった。
幸村はすでに愛用のラケットをその手に持ち、コート内に入場済みだが、対戦相手の自分がベンチから動かないことを黙って見つめていた。
幸村の早くしてほしいと言わんばかりの視線に気付いたが、内心それどころではなかった。
「ちょっと試合は待ってくれへんか」
緊迫した空気の中、幸村に一時中断を申し入れる。チームメイトが自分の後方でざわつくのを感じた。
今まで何よりテニスの試合を優先してきた自分が、立海大の部長との試合に待ったをかけるなんて信じられないという雰囲気だ。
「構わないけど、それなりの事情があるんだろうね」
自分の申し入れの言葉に幸村は眉をしかめる。優しそうな声色をしているが、理由もわからず待たされることに対して面白くおもっていない様子だ。
しかしそれでも、彼女を探しに行きたいという自らの気持ちに嘘をつくことは出来なかった。
「頼む、10分でええ。人を待っとるんやけど、姿見えへんねん。体調があんまり良くないようやったから心配で、ほんま申し訳ない」
そう言って相手の主将に頭を下げると、さらに自陣のギャラリーはざわついた。
そんな周囲のざわつきをよそに幸村は顎に自身の指を当てて少し考える素振りを見せたあと、はっと何かに気づいた表情を浮かべる。
「それって…もしかして神崎さんのことかい?」
相手の主将から出たその名前に、どきりと心臓が音を立てた。
「なんで…」
「彼女は仁王の幼馴染だからね。俺たちとも付き合いは長いんだ。さっき姿を見かけた気がしたんだが、気のせいではなかったようだね。いいよ、彼女が来るまでなら待っててあげる」
「ほんまか!?おおきに!」
一度深々と頭を下げ、遠山はテニスコートの外へと駆けて行った。
部室へ向かうまでの道のり、由紀の姿を探しながら考える。
彼女の名前を出しただけで、幸村の表情が穏やかなものに変わったことを見逃してはいなかった。
幸村だけじゃない、その周囲にいた他のテニス部員も同様の反応を見せていた。
すなわち、彼女が彼らと過ごしてきた時間が自分よりいかに多いことかを物語っていた。
果たして、まだ深く関わるようになって数か月の自分を受け入れてもらえるのだろうか。
そんな一抹の不安も感じたが、今はなにより彼女の無事を確かめることが先決だった。
コートから少し離れた場所にある部室にたどり着き、中にいるであろう彼女に声をかけようとしドアノブに視線を流す。
しかし、自分が先ほど彼女に渡したキーホルダーつきの部室の鍵が何故か地面に落ちていることに気が付いた。
胸がざわつく。嫌な予感を遠山は直感で感じていた。
「由紀…っ!おるんか!?」
彼女の名前を叫び、がちゃりと勢いよく部室を開けて中を隅々まで見回すも、その姿はどこにもなかった。
息を切らし、再度きた道を戻る。
道中、何度も彼女の携帯に連絡を入れたが呼び出し音が永遠と鳴るだけで出てくれる気配はなかった。
テニスコートに戻ると、ただならぬ自身の様子に一気に視線を浴びた。
「金ちゃんどないした…?」
息を整えるために膝に両手を当て何度も呼吸を繰り返していると、頭上から白石が心配そうに自分に歩み寄っていた。
「由紀が…おらん!どこにもおらへんねん!」
チームメイトは遠山の様子から緊迫した状態であることをすぐに察したようだった。
騒然とする四天宝寺のその様子は立海大側にもひしひしと伝わり始めているようだった。
「預けた部室の鍵が地面に落ちとった…部室の中にもおらん…っ」
「金ちゃん落ち着きや、彼女から何の連絡も入っとらんのか?」
「きてへん…でも由紀は借りた物放り投げて勝手に帰るようなそんな奴やな…」
「由紀が…いないって?」
突如、至近距離からかけられた聞きなれぬ声に気づき顔を上げる。
信じられないといった表情を彼は自分に向けている。
「仁王の…」
「てっきり、あんたの所に戻ったとばかり…」
仁王の言葉と様子から遠山は察した。
彼女は、部室に入る直前に彼と会っていたのだと。
そしてそこで、何かが起こったということも。
「由紀に何かしよっしたんか」
遠山は仁王にじりじりと詰め寄る。
その圧と気迫に仁王も、そしてその周囲の人間も足がすくみそうになっているようだった。仁王も無言を貫いていたが、観念した様子で閉ざしていた口を開く。
「…俺は、あいつに好きだと伝えていた。今日その返事をもらうはずじゃったんだが一向に姿を見せんし、でもお前と楽しそうに話すあいつを見かけたら無性にいらいらして…当たった」
「それで…泣かしたんか!」
怒りを抑えきれず仁王の胸倉を鷲掴みにする。
「あんたが由紀のことを好きでも構へん。由紀があんたを好きになってもそれは彼女の自由やから諦めもつく。でもな、傷つけるんやったら話は別や」
今にも殴り掛かりそうな勢いに周囲は遠山を止めるべきか迷い、行く末を固唾をのんで見守っている。
すると、ギャラリーの中から一人の男が一歩、そしてまた一歩と前に出て遠山に歩み寄りだした。
男は遠山の肩をポンと一度叩き、彼の名前を呼ぶ。
「金ちゃん、今は彼女を見つけることが先や。一回頭冷やし」
「白石…」
白石に制止され、すっと自分の中の怒りが沈静されていくのを感じた。今自分が一番にやるべきことを思い出す。
幸村もまた仁王の傍に駆け寄り、背中を軽く一度叩いて言う。
「そうだね。深くは聞かないけれど、まずは彼女を探し出そう。何か事故に巻き込まれてなければいいんだけど…なんだか嫌な予感がしてね」
遠山も、その他の周囲の人間も、幸村が鋭い口調でそう言いながら、ある一方の方向に視線を動かしていたことをこの時気づいてはいなかった。
由紀の顔がわかる者はあたり一帯の捜索、わからない者はテニスコート付近で待機と、各高校の主将が指揮をとり的確に人材を分散させ大捜索が開始された。
捜索を開始してから4時間が経った。
コート周辺や、校舎、彼女が行きそうな場所をくまなく探しているが中々見つけることが出来ずにいる。
部員の中には帰っただけではないのかという声も複数上がり、もしかして本当に家に帰ってしまっただけなのかと一瞬考えが過ったが、彼女が自分のジャージを貸したまま、何の連絡も無しに姿を消すわけがないと確信していた。
一度立ち止まり、ポケットから自身の携帯を取り出す。ディスプレイには彼女の名前と携帯の番号が表示されている。
「頼む…出てや」
望みをかけて、もう一度彼女の名前が映っている画面より通話ボタンを押す。
~♪
鳴った。今確かに、どこかで携帯が鳴る音がした。
もしかしたら彼女ではなく、たまたま誰かの携帯が鳴っているだけかもしれない。
それでも可能性にかけてみたかった。
音楽が切れる前に見つけ出そうと、息を切らしながら音のする方向へ走る。
視線の先に入ってきたのは、立海大のジャージを着た女子数名の姿。
そして、彼女たちが持っているはずのない彼女の携帯を手にしていた。
彼女たちが遠山を見つけ青ざめたような表情を見せる。その瞬間を見逃さなかった。
一歩ずつ、徐々に彼女たちと距離をつめる。
「ねーちゃんら…どうしてその携帯持っとるん」
十中八九彼女たちが由紀の失踪に関りがあることは明らかだった。
3人のうちの1人が携帯をこちらに差し出し口を開く。
「そこの茂みで拾ったんですよ。誰のかわからなくて困っていたんです」
表情を崩さず、いけしゃあしゃあと言ってのける彼女に内心腸が煮えくりそうな思いだった。
でもたしかに彼女が由紀に何かしたという証拠も何処にもない。
仕方がなく無言でその携帯を受け取ろうとした瞬間だった。
一瞬の出来事、自分の前に一人の人影が立ちはだかる。
そしてその人影の人物はおもむろに彼女の腕を強引に掴んだ。
「由紀に何した」
「痛!に…仁王君…」
「由紀に何したって聞いてんだ!!!」
背中越しでも伝わる仁王の気迫、響き渡る怒号。どんな表情をしているかまではわかりかねるが、それでも充分に怒りに満ちていることは伝わった。
「あいつに手出さんうちは咎めるつもりもなかったんじゃが、出したとなれば話は別じゃき。俺はあんたには絶対になびかんし、由紀に何かしたんなら、俺はお前たちを一生許さんぜよ」
我を忘れた様子の仁王に、痛いと何度も叫び苦痛にゆがむ彼女の絶望したかのような表情。
彼女の表情を見て、もうこれ以上自分が咎める気にはなれなかった。
「もう…止めてあげなにーちゃん。彼女ら見てみい、もう何も出来へんよ。充分や」
遠山は、仁王と彼女の手に静かに自身の手を添えた。
握られている手をそっとほどくと、仁王に掴まれていた部分が赤くなっているのが見えた。
「ねーちゃん、由紀はどこにおるん?はよ教えてくれたら、これ以上にーちゃんに嫌われずに済むで」
彼女たちは泣いていた。
伝わって来た感情は憎悪、嫉妬、そして羨望。
きっと彼女たちは仁王のことが好きで、無条件で仁王に好かれる由紀が羨ましくて、妬ましかったのだろう。
「頼む、教えてえな」
腕を掴まれていた彼女は完全に仁王に嫌われたというショックから言葉を発せずにいるようだったが、傍にいた他の2人が涙ながらにある方向を指さす。
「…あっちの奥の、古い倉庫の中です」
「本当にごめんなさい…っ」
彼女たちが涙ながらに言う古い倉庫、記憶の片隅に覚えがあった。
もう何十年も使われないまま放置されている倉庫で、滅多なことでは人が近づかない場所。それをわかっていてその場所を選んだのであれば本当にタチが悪い。下手すれば悪戯では済まされない事態に陥っていたかもしれないのだ。
焦りと、緊張。そう時間は経ってはいないがこの寒さだ、絶対に無事でいるという保証はどこにもない。
走って、走って、彼女たちが示した倉庫へものの数分でたどり着く。
扉の前には中から開けることが出来ないよう、ご丁寧に木の棒が立てかけられていた。
今、彼女はどんな気持ちであの中にいるのか。考えるより先に身体が動いていた。
「由紀!!!!」
がらっと勢いよく扉を開け、中にいるであろう彼女の名前を呼ぶ。
視界に映る光景に一瞬時が止まった。
埃まみれで古くなった建屋独特の臭い。倉庫内の物は散乱し、酷い有様。
その中で彼女は、自身のジャージを羽織りうずくまるように横たわっていた。
血の気がさっと引くような音が全身に響く。
「由紀…?」
震える腕で抱き起こした彼女の身体は冷たくなっており一時最悪の展開を想像したが、静かに息をしているのが確認でき心の底から安堵した。
こんな埃まみれで、汚くて、寒い場所に一人、どんな気持ちで助けを待っていたのだろうか。もし誰もこの場所に気づかずに見つけてもらえなかったとしたら…想像するだけで背筋が凍る思いだった。
冷え切っている彼女の身体をほんの僅かでも暖められるようにそっと腕に抱きかかえた。
数分と経たずして、続々と人が倉庫の方へ集まってくる。
おそらくはあの場にいた仁王が各方面へ連絡を入れてくれたのだろう。
由紀は念のためとすぐに救急車で運ばれた。
かくして、騒動は一旦落ち着いたが、親善試合はシングルス1の試合を残しお開きとなった。
立海大の部員が乗ったバスの前で、幸村と数名の部員らが深々と頭を下げる。
事の発端となった女性3人は、バスには乗車させてもらえなかったようで自力で帰るようにと幸村が指示しこの場からすでに姿を消していた。
「今回のことは本当に申し訳ないことをした、こちらの管理不足だ」
「いや、神崎さんも異常無いってさっき病院から連絡あったところやし、幸村君が気い病む必要ないで」
「彼女たちの処分は学校に戻ってから追々決めていくことになるだろう。もしかしたら、退部だけでは済まされないかもしれないけどね」
互いの部長同士、表面上大人の会話が繰り広げられる。
だが幸村の言うとおり、今回の一件はただの悪戯ではなく最悪由紀が命の危機に晒される可能性があった。
彼女たちはほんの憂さ晴らしのつもりだったのだろうが今回の一件、罪は決して軽くはないだろう。
「…遠山、ちょっとええか」
不意に自分の名を指名したのは、仁王だった。
何か言いたさげにしているが周囲の目もあり中々話し出せない様子が窺えた。
「ワイも話しあんねん、場所変えよか。幸村のにーちゃん、少しええよな?」
「あぁ。きっとそれが今後の彼のためにもなるはずだからね」
幸村が仁王に視線を送ると、敵わないといった表情を浮かべた。
幸村はすべてを見通したかのような表情で自分たちを送り出す。
本当に敵に回してはいけないのは白石ではなく、幸村の方だと直感で悟った。
「で、何やの話って」
人目につかない敷地の端まで場所を移してから問いかけると、仁王は気まずそうな表情を浮かべた直後、自分に向かって深々と頭を下げた。
「今回の件、迷惑かけた。由紀のこと、頼む」
「…は」
我ながら間抜けな声だったとは思うが、てっきり喧嘩をふっかけられるのかと思っていたので意外な仁王の言葉にすぐに返事を返すことが出来なかった。
頭を上げた仁王は、きつく結んでいた口を少しずつ開く。
「俺が傍にいることであいつが周りから嫌な扱いを受けていたことは知っとった。だから、なるべく学校では話さんようにして、距離を置いて、見守って来た。でもそれじゃ駄目だったんじゃのう、結局あの女たちのような奴らを野放しにすることになった。予防線を張るなり、けん制するなり、俺がもっと堂々と由紀を守ってやっていれば今回の一件だって防げたかもしれん。きっと俺は、また傷つける」
「…由紀の気持ちもまだちゃんと確かめんと、本当にそれでええのか」
「何年あいつのことだけ見てきたと思っとる。俺じゃ駄目だってことぐらい、今のあいつを見てりゃわかるぜよ」
そう言った仁王の表情には諦めと同時に悔しさが入り混じっているような気がした。
長年好きだった女性を簡単に諦められるわけがない、仁王が今どんな気持ちで自分に彼女を託そうとしているか想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
仁王は仁王なりのやり方で、今まで彼女を大切に想い守ってきたのだろう。
「…あいつには、馬鹿みたいに明るくて真っすぐで、堂々と守ってやれるようなお前みたいなやつの方がいい。頼むぜよ、遠山」
「…おん、任しといてや」
そう言葉を発した仁王は、まるで本当の兄のような優しい表情を浮かべていた。
もうすぐ自分の試合が行われるというのに一向に姿を現さない由紀のことが心配だった。彼女の体調があまり良くはなさそうだということを察していたため、余計に心配は募る。
立海大附属シングルス1の相手選手である主将の幸村は、すでに準備万端といった様子で自陣のベンチ周辺で最後のアップを行っている。
遠山も今日の親善試合の開催が決まった時から、ずっと強い相手と戦えることを楽しみにしてきた。
自分はシングルス1で確定していたし、相手側は間違いなく主将の幸村を出してくるだろうと予測していたからだ。
今日、自分の活躍する姿を意中の彼女に見てもらった後、想いを告げる予定でいるのだが、試合開始直前の時間になっても肝心の彼女は一向に来る気配を見せなかった。
幸村はすでに愛用のラケットをその手に持ち、コート内に入場済みだが、対戦相手の自分がベンチから動かないことを黙って見つめていた。
幸村の早くしてほしいと言わんばかりの視線に気付いたが、内心それどころではなかった。
「ちょっと試合は待ってくれへんか」
緊迫した空気の中、幸村に一時中断を申し入れる。チームメイトが自分の後方でざわつくのを感じた。
今まで何よりテニスの試合を優先してきた自分が、立海大の部長との試合に待ったをかけるなんて信じられないという雰囲気だ。
「構わないけど、それなりの事情があるんだろうね」
自分の申し入れの言葉に幸村は眉をしかめる。優しそうな声色をしているが、理由もわからず待たされることに対して面白くおもっていない様子だ。
しかしそれでも、彼女を探しに行きたいという自らの気持ちに嘘をつくことは出来なかった。
「頼む、10分でええ。人を待っとるんやけど、姿見えへんねん。体調があんまり良くないようやったから心配で、ほんま申し訳ない」
そう言って相手の主将に頭を下げると、さらに自陣のギャラリーはざわついた。
そんな周囲のざわつきをよそに幸村は顎に自身の指を当てて少し考える素振りを見せたあと、はっと何かに気づいた表情を浮かべる。
「それって…もしかして神崎さんのことかい?」
相手の主将から出たその名前に、どきりと心臓が音を立てた。
「なんで…」
「彼女は仁王の幼馴染だからね。俺たちとも付き合いは長いんだ。さっき姿を見かけた気がしたんだが、気のせいではなかったようだね。いいよ、彼女が来るまでなら待っててあげる」
「ほんまか!?おおきに!」
一度深々と頭を下げ、遠山はテニスコートの外へと駆けて行った。
部室へ向かうまでの道のり、由紀の姿を探しながら考える。
彼女の名前を出しただけで、幸村の表情が穏やかなものに変わったことを見逃してはいなかった。
幸村だけじゃない、その周囲にいた他のテニス部員も同様の反応を見せていた。
すなわち、彼女が彼らと過ごしてきた時間が自分よりいかに多いことかを物語っていた。
果たして、まだ深く関わるようになって数か月の自分を受け入れてもらえるのだろうか。
そんな一抹の不安も感じたが、今はなにより彼女の無事を確かめることが先決だった。
コートから少し離れた場所にある部室にたどり着き、中にいるであろう彼女に声をかけようとしドアノブに視線を流す。
しかし、自分が先ほど彼女に渡したキーホルダーつきの部室の鍵が何故か地面に落ちていることに気が付いた。
胸がざわつく。嫌な予感を遠山は直感で感じていた。
「由紀…っ!おるんか!?」
彼女の名前を叫び、がちゃりと勢いよく部室を開けて中を隅々まで見回すも、その姿はどこにもなかった。
息を切らし、再度きた道を戻る。
道中、何度も彼女の携帯に連絡を入れたが呼び出し音が永遠と鳴るだけで出てくれる気配はなかった。
テニスコートに戻ると、ただならぬ自身の様子に一気に視線を浴びた。
「金ちゃんどないした…?」
息を整えるために膝に両手を当て何度も呼吸を繰り返していると、頭上から白石が心配そうに自分に歩み寄っていた。
「由紀が…おらん!どこにもおらへんねん!」
チームメイトは遠山の様子から緊迫した状態であることをすぐに察したようだった。
騒然とする四天宝寺のその様子は立海大側にもひしひしと伝わり始めているようだった。
「預けた部室の鍵が地面に落ちとった…部室の中にもおらん…っ」
「金ちゃん落ち着きや、彼女から何の連絡も入っとらんのか?」
「きてへん…でも由紀は借りた物放り投げて勝手に帰るようなそんな奴やな…」
「由紀が…いないって?」
突如、至近距離からかけられた聞きなれぬ声に気づき顔を上げる。
信じられないといった表情を彼は自分に向けている。
「仁王の…」
「てっきり、あんたの所に戻ったとばかり…」
仁王の言葉と様子から遠山は察した。
彼女は、部室に入る直前に彼と会っていたのだと。
そしてそこで、何かが起こったということも。
「由紀に何かしよっしたんか」
遠山は仁王にじりじりと詰め寄る。
その圧と気迫に仁王も、そしてその周囲の人間も足がすくみそうになっているようだった。仁王も無言を貫いていたが、観念した様子で閉ざしていた口を開く。
「…俺は、あいつに好きだと伝えていた。今日その返事をもらうはずじゃったんだが一向に姿を見せんし、でもお前と楽しそうに話すあいつを見かけたら無性にいらいらして…当たった」
「それで…泣かしたんか!」
怒りを抑えきれず仁王の胸倉を鷲掴みにする。
「あんたが由紀のことを好きでも構へん。由紀があんたを好きになってもそれは彼女の自由やから諦めもつく。でもな、傷つけるんやったら話は別や」
今にも殴り掛かりそうな勢いに周囲は遠山を止めるべきか迷い、行く末を固唾をのんで見守っている。
すると、ギャラリーの中から一人の男が一歩、そしてまた一歩と前に出て遠山に歩み寄りだした。
男は遠山の肩をポンと一度叩き、彼の名前を呼ぶ。
「金ちゃん、今は彼女を見つけることが先や。一回頭冷やし」
「白石…」
白石に制止され、すっと自分の中の怒りが沈静されていくのを感じた。今自分が一番にやるべきことを思い出す。
幸村もまた仁王の傍に駆け寄り、背中を軽く一度叩いて言う。
「そうだね。深くは聞かないけれど、まずは彼女を探し出そう。何か事故に巻き込まれてなければいいんだけど…なんだか嫌な予感がしてね」
遠山も、その他の周囲の人間も、幸村が鋭い口調でそう言いながら、ある一方の方向に視線を動かしていたことをこの時気づいてはいなかった。
由紀の顔がわかる者はあたり一帯の捜索、わからない者はテニスコート付近で待機と、各高校の主将が指揮をとり的確に人材を分散させ大捜索が開始された。
捜索を開始してから4時間が経った。
コート周辺や、校舎、彼女が行きそうな場所をくまなく探しているが中々見つけることが出来ずにいる。
部員の中には帰っただけではないのかという声も複数上がり、もしかして本当に家に帰ってしまっただけなのかと一瞬考えが過ったが、彼女が自分のジャージを貸したまま、何の連絡も無しに姿を消すわけがないと確信していた。
一度立ち止まり、ポケットから自身の携帯を取り出す。ディスプレイには彼女の名前と携帯の番号が表示されている。
「頼む…出てや」
望みをかけて、もう一度彼女の名前が映っている画面より通話ボタンを押す。
~♪
鳴った。今確かに、どこかで携帯が鳴る音がした。
もしかしたら彼女ではなく、たまたま誰かの携帯が鳴っているだけかもしれない。
それでも可能性にかけてみたかった。
音楽が切れる前に見つけ出そうと、息を切らしながら音のする方向へ走る。
視線の先に入ってきたのは、立海大のジャージを着た女子数名の姿。
そして、彼女たちが持っているはずのない彼女の携帯を手にしていた。
彼女たちが遠山を見つけ青ざめたような表情を見せる。その瞬間を見逃さなかった。
一歩ずつ、徐々に彼女たちと距離をつめる。
「ねーちゃんら…どうしてその携帯持っとるん」
十中八九彼女たちが由紀の失踪に関りがあることは明らかだった。
3人のうちの1人が携帯をこちらに差し出し口を開く。
「そこの茂みで拾ったんですよ。誰のかわからなくて困っていたんです」
表情を崩さず、いけしゃあしゃあと言ってのける彼女に内心腸が煮えくりそうな思いだった。
でもたしかに彼女が由紀に何かしたという証拠も何処にもない。
仕方がなく無言でその携帯を受け取ろうとした瞬間だった。
一瞬の出来事、自分の前に一人の人影が立ちはだかる。
そしてその人影の人物はおもむろに彼女の腕を強引に掴んだ。
「由紀に何した」
「痛!に…仁王君…」
「由紀に何したって聞いてんだ!!!」
背中越しでも伝わる仁王の気迫、響き渡る怒号。どんな表情をしているかまではわかりかねるが、それでも充分に怒りに満ちていることは伝わった。
「あいつに手出さんうちは咎めるつもりもなかったんじゃが、出したとなれば話は別じゃき。俺はあんたには絶対になびかんし、由紀に何かしたんなら、俺はお前たちを一生許さんぜよ」
我を忘れた様子の仁王に、痛いと何度も叫び苦痛にゆがむ彼女の絶望したかのような表情。
彼女の表情を見て、もうこれ以上自分が咎める気にはなれなかった。
「もう…止めてあげなにーちゃん。彼女ら見てみい、もう何も出来へんよ。充分や」
遠山は、仁王と彼女の手に静かに自身の手を添えた。
握られている手をそっとほどくと、仁王に掴まれていた部分が赤くなっているのが見えた。
「ねーちゃん、由紀はどこにおるん?はよ教えてくれたら、これ以上にーちゃんに嫌われずに済むで」
彼女たちは泣いていた。
伝わって来た感情は憎悪、嫉妬、そして羨望。
きっと彼女たちは仁王のことが好きで、無条件で仁王に好かれる由紀が羨ましくて、妬ましかったのだろう。
「頼む、教えてえな」
腕を掴まれていた彼女は完全に仁王に嫌われたというショックから言葉を発せずにいるようだったが、傍にいた他の2人が涙ながらにある方向を指さす。
「…あっちの奥の、古い倉庫の中です」
「本当にごめんなさい…っ」
彼女たちが涙ながらに言う古い倉庫、記憶の片隅に覚えがあった。
もう何十年も使われないまま放置されている倉庫で、滅多なことでは人が近づかない場所。それをわかっていてその場所を選んだのであれば本当にタチが悪い。下手すれば悪戯では済まされない事態に陥っていたかもしれないのだ。
焦りと、緊張。そう時間は経ってはいないがこの寒さだ、絶対に無事でいるという保証はどこにもない。
走って、走って、彼女たちが示した倉庫へものの数分でたどり着く。
扉の前には中から開けることが出来ないよう、ご丁寧に木の棒が立てかけられていた。
今、彼女はどんな気持ちであの中にいるのか。考えるより先に身体が動いていた。
「由紀!!!!」
がらっと勢いよく扉を開け、中にいるであろう彼女の名前を呼ぶ。
視界に映る光景に一瞬時が止まった。
埃まみれで古くなった建屋独特の臭い。倉庫内の物は散乱し、酷い有様。
その中で彼女は、自身のジャージを羽織りうずくまるように横たわっていた。
血の気がさっと引くような音が全身に響く。
「由紀…?」
震える腕で抱き起こした彼女の身体は冷たくなっており一時最悪の展開を想像したが、静かに息をしているのが確認でき心の底から安堵した。
こんな埃まみれで、汚くて、寒い場所に一人、どんな気持ちで助けを待っていたのだろうか。もし誰もこの場所に気づかずに見つけてもらえなかったとしたら…想像するだけで背筋が凍る思いだった。
冷え切っている彼女の身体をほんの僅かでも暖められるようにそっと腕に抱きかかえた。
数分と経たずして、続々と人が倉庫の方へ集まってくる。
おそらくはあの場にいた仁王が各方面へ連絡を入れてくれたのだろう。
由紀は念のためとすぐに救急車で運ばれた。
かくして、騒動は一旦落ち着いたが、親善試合はシングルス1の試合を残しお開きとなった。
立海大の部員が乗ったバスの前で、幸村と数名の部員らが深々と頭を下げる。
事の発端となった女性3人は、バスには乗車させてもらえなかったようで自力で帰るようにと幸村が指示しこの場からすでに姿を消していた。
「今回のことは本当に申し訳ないことをした、こちらの管理不足だ」
「いや、神崎さんも異常無いってさっき病院から連絡あったところやし、幸村君が気い病む必要ないで」
「彼女たちの処分は学校に戻ってから追々決めていくことになるだろう。もしかしたら、退部だけでは済まされないかもしれないけどね」
互いの部長同士、表面上大人の会話が繰り広げられる。
だが幸村の言うとおり、今回の一件はただの悪戯ではなく最悪由紀が命の危機に晒される可能性があった。
彼女たちはほんの憂さ晴らしのつもりだったのだろうが今回の一件、罪は決して軽くはないだろう。
「…遠山、ちょっとええか」
不意に自分の名を指名したのは、仁王だった。
何か言いたさげにしているが周囲の目もあり中々話し出せない様子が窺えた。
「ワイも話しあんねん、場所変えよか。幸村のにーちゃん、少しええよな?」
「あぁ。きっとそれが今後の彼のためにもなるはずだからね」
幸村が仁王に視線を送ると、敵わないといった表情を浮かべた。
幸村はすべてを見通したかのような表情で自分たちを送り出す。
本当に敵に回してはいけないのは白石ではなく、幸村の方だと直感で悟った。
「で、何やの話って」
人目につかない敷地の端まで場所を移してから問いかけると、仁王は気まずそうな表情を浮かべた直後、自分に向かって深々と頭を下げた。
「今回の件、迷惑かけた。由紀のこと、頼む」
「…は」
我ながら間抜けな声だったとは思うが、てっきり喧嘩をふっかけられるのかと思っていたので意外な仁王の言葉にすぐに返事を返すことが出来なかった。
頭を上げた仁王は、きつく結んでいた口を少しずつ開く。
「俺が傍にいることであいつが周りから嫌な扱いを受けていたことは知っとった。だから、なるべく学校では話さんようにして、距離を置いて、見守って来た。でもそれじゃ駄目だったんじゃのう、結局あの女たちのような奴らを野放しにすることになった。予防線を張るなり、けん制するなり、俺がもっと堂々と由紀を守ってやっていれば今回の一件だって防げたかもしれん。きっと俺は、また傷つける」
「…由紀の気持ちもまだちゃんと確かめんと、本当にそれでええのか」
「何年あいつのことだけ見てきたと思っとる。俺じゃ駄目だってことぐらい、今のあいつを見てりゃわかるぜよ」
そう言った仁王の表情には諦めと同時に悔しさが入り混じっているような気がした。
長年好きだった女性を簡単に諦められるわけがない、仁王が今どんな気持ちで自分に彼女を託そうとしているか想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
仁王は仁王なりのやり方で、今まで彼女を大切に想い守ってきたのだろう。
「…あいつには、馬鹿みたいに明るくて真っすぐで、堂々と守ってやれるようなお前みたいなやつの方がいい。頼むぜよ、遠山」
「…おん、任しといてや」
そう言葉を発した仁王は、まるで本当の兄のような優しい表情を浮かべていた。