グロテスク・ロマンス

「やあ、綺羅。昼一緒に食べようぜ」

隣の席のヤツが、おかしくなった。
特別仲良くしようとか考えていたわけではないが、絶対に普段の様子とはかけ離れていることは見て取れた。
朝はにこやかに挨拶してきて、授業の合間もあれこれ話しかけてくる。
昼休みになったらこれだ。謝罪が成立したからといって、友達になったわけではないというのに。
正直、何がしたいのか分からない。
ディエゴ・ブランドーはこんな男だったか?

「……私と? どうして?」
「クラスメイト誘うのがそんなにおかしいか?」

ずい、と距離を縮めてくる。
爽やかな香水の匂いが細波のように押し寄せてくる。
オレの誘いを断るわけないよな? という言外の圧を感じるが、私を誘うこと自体がおかしいのだと気づいて欲しい。

「私と話しても、何も得るものは無いと思うけど。女の子とお喋りしたいなら、他の子を誘いなよ」

ディエゴくんが会話そのものに楽しみを見いだしているとは思えないが、嫌々応じている相手より、自ら望んで話す相手の方がずっとマシだろう。
時間を無駄にしなくていいのだし。

「野暮なことをいうなよ」
「友達でもないのに、一緒にお昼食べる理由がないんだってば」

私は辛辣に、けれど暴言にならないギリギリを攻める。
敵意が無いのは分かる。でも、私に親しく話しかけてどうしたいのか……。
結局、全く分からない。
ディエゴくんはニコニコしているものの、去る気配はない。
こうしている間にも、昼休みの時間は減っていくばかりだ。

「理由なんて何でもいいだろ。オレを納得させるだけの言い訳があるのなら、話は別だが」

低く、柔らかい声で彼は追い詰めてくる。
教室に残ったクラスメイトの視線も、私たちに集まり始めている。
選択肢は一つしかなかった。

***

ディエゴくんは、私を連れて空き教室に入った。
彼は、隅に寄せられた机と椅子をテキパキと並べると、入り口で立ち尽くしていた私に向き直る。

「座れよ」

うながされて席に着くと、向かいにディエゴくんが座る。
まさか、本当に昼食を食べるだけなのだろうか? 例の謝罪の件を根に持っているのだと思っていたが、であれば意味の無い世間話に興じようとはすまい。
弁当箱を取り出す彼を眺める。
……聞いてみようか?

「あの……」
「まだ時間はあるんだから、そう焦るなよ。昼飯持って無いのか?」
「いや、そんなことないけど」

確かに、「一緒に昼ご飯を食べる」という名目がある以上、私だけ食べないという選択肢はとれない。
正直、緊張で喉を通るか不安だ。食べるふりだけでもしよう。
通学に使っているリュックサックから、バイト先で貰ったパニーノを取り出す。足が速いものから消費しているが、まだ半分も残っている。先輩方は私を豚にしたいのだろうか。
私が、のそのそと包み紙を破るのを見て、ディエゴくんも自分の昼食に口をつける。
互いの咀嚼音すら聞こえてきそうな静けさを破ったのは、ディエゴくんからだった。

「その包装、パッショーネのだろ。よく行くのか?」
「バイトしてる。昨日、その、先輩に奢ってもらった」

一瞬、ディエゴくんの青い瞳が細められた。
めざとい。突然の質問が答えられるものでよかった。
とっさに、昨日あった騒動のことを誤魔化してしまったが、それでいい。
パニーノのパンの部分だけチビチビ囓る。背に腹はかえられないが、我ながら行儀悪い。

「たくさん持たされたから、まだ食べ切れてない」
「へえ……あそこのバイトは特別科の生徒が多いって聞いたことがあるが、普通科の頃から働いているのか?」
「うん」

会話を淡々と処理していく。
浅い関係の人を不快にさせない秘訣は、誤解のしようが無いほど言葉を簡潔にすること。そして、個人の事情をなるべく持ち出さないこと。
欲しい情報だけ持たせて、満足したと錯覚させること。これに尽きる。

「スタンド使いは我が強いヤツばかりだ。苦労しなかったか? スタンドが使えないからと、普通科の生徒を見下すのもいる。まあ、そういうヤツに限ってたいしたことないんだがな」
「ああ、その手合いを一人、知っている」

私の言葉に、ディエゴくんは目を見開いた。

「ちょうど昨日、いなくなった」

胸の下あたりがむず痒くなる。そこを中心に、震えが広がっていく。
空気がパツパツに入ったボールを蹴飛ばしたかのような爽快感。
不愉快な騒音を、自分の手で黙らせた心地よさ。

「く、くふっ、ふふふ」

口角が上がるのを抑えられず、パニーノを持ってない方の手で隠す。
何百、何千と経験した諦めとは違う、味わったことのない開放感が、一日遅れてやってきたのだ。

「ごめん、ちょっとした思い出し笑いだよ。ふふ」
「……そうか。ずいぶんなロクデナシだったんだな、そいつ」

ディエゴくんは、嘲笑混じりに返事をする。表情からは、笑っているのか興味無いのか、よく分からない。
いや、さっきよりも凝視されているような……私の話がつまらないのかもしれない。

「そういえば、ずっと気になっていたんだが」

自分の分を食べ終わった彼は、身を乗り出すように頬杖をつく。
突き抜ける空のような瞳は、陰の下でギラギラと輝いている。

「君はどうして特別科(ここ)に来たんだ? スタンド使いになりたてなら、何かやらかしたんじゃあないか? 職員どもは目敏いからな……」
「ああ、それなんだけどね。別にスタンド使いになったから特別科に来たわけじゃないんだ。スタンド使いだってことがバレたから移籍したっていうか」

ディエゴくんから、目を逸らす。どうしても奥歯に物が挟まった言い方になってしまう。
移籍のきっかけとなった、あの事故のことを口にできない。あばらの隙間を虫が這い伝っているような気分になる。
自分に都合の悪いことを話すのは、並大抵の根性では為し得ないことだ。
障害になるのは、他ならぬ自分自身。自尊心とか、罪悪感とか、想起するものによって様々だ。
一番の問題は、過去を語るには必ず言葉にしなければならないことだ。言葉にするということは、過去をしっかりと見つめなければならないわけで……。

「巻き込まれて、スタンドを使わざるを得なかった、というか……」

言葉が体裁すら保てなくなっていくにつれて、時間の流れがゆっくりになっていく。
もちろん、気のせいだ。会話のキャッチボールが止まりかけているのだから、当たり前だ。

「……なあ」
「いや、いや、話すよ。大したことじゃあないから。本当に」

ディエゴくんの言葉を遮る。
そう、本当に大したことじゃあないのだ。
腕を折られた程度、いくらでもリカバリーが効く。野犬の群れの方が恐ろしかったろう。
事実を話すだけだ。誰だってできることだ。
口を動かせ。
一度、深く息を吐く。考える時間を作る。

「図書室をブラブラ歩いていたら、本棚が崩れてね。前に立っている男子を引いて、助けた」

端的だが、話を続けられている。

「そしたら、近くにいた女子に襲われた。髪が、人間の手や足より柔軟に動いて……」

思い出してみると、馬鹿げた話だ。どうしてこんなことを、真面目くさってディエゴくんに話しているんだろう。
そう思うのは、私が特別科でスタンドを実際に見ていないからだ。なんだかんだ、自分以外の異常現象を目撃していない。
自分が信じていないことを、さも現実ぶって語ることはできないというのに。

「それで、腕を折られた。そこまではいい。骨折るくらいなら、今まで何度もあった」
「待て、お前がこっちに来たのは事故の翌日だろう。初めて会ったときは、怪我なんてどこにもなかった」
「怪我をちまちま直すことに、何のメリットがあると思う? 特別科の職員が駆けつけた頃には、骨はほとんどくっついていた。不自然なくらいに」

怪我が直るのが速いほど、苦痛は遠ざかる。
傷が絶え間なく押し寄せる分にはよかったろう。
けれど、日常においては、そのメリットはどうしようもないデメリットに裏返った。

「それから、面倒な事情聴取にカウンセリング……。やっと家に帰って、次の日には編入。私に選択する権利すらなかった」

語るうち、舌が柔らかくなったかのようにスラスラと動く。
同時に、何度も経験した感覚が、胸を貫いた。
重苦しく、鋭く、冷たい。袋小路に誘われるような絶望の痕を、まざまざと見せられている。

「だから、そう、初日の態度はやつ当たりだったのかも。本当にごめんね」
「謝るな。無視された理由が分かったから、もういい」

ディエゴくんはぶっきらぼうに言い捨てた。
低く、温度の無い声音が心地いい。自然と口元が緩む。
思い出したくないことを自らの口で語ったというのに、気持ちが晴れた気がする。
ブクブクに肥えた膿を絞り切ったような、少しの痛みと引き換えに耐え難い不快を追放した感覚だ。

「ここまで長く話したのは、本当に久しぶりかもしれない。友達がいたらこんな感じなのかな」
「……そうか。そこまで喜んでもらえるなら、昼休みを潰したかいがあるものだ」

昼休み終了のチャイムが鳴る。
私は、10分の1も食べてないパニーノを包み直す。空き時間に食べよう。家にもまだあるし……。

「全然食べてないじゃあないか。午後もたないぞ」
「あまりお腹空いてなかったから」

ディエゴくんの指摘をぼかして、席を立つ。
嘘は言っていない。他人がいる食卓で食欲が湧くはずもないし、嫌なことを思い出したストレスで胃が悲鳴をあげている。空腹はかき消される。
彼はそれ以上追究せず、机と椅子を隅に押し退ける。ああも雑に片付けて大丈夫なのだろうか。

どうでもいい心配に気を取られて、どうしてディエゴくんが私とお喋りしたのか、すっかり忘れていた。
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