グロテスク・ロマンス

人とは災厄だ。
幼い頃、私は山と山の間にこびりついたような寒村で育った。養い親以外には同じ人間とすら思われておらず、野に住む犬猫が羨ましいとすら感じる扱いを受けていた。
私には、社会の一員としての同族意識なぞ持ちようがない。今からでも世捨て人になった方が幸せだろう。
しかし、杜王町に住んで気づいたことがある。
関係の深度を注意深く調整すれば、災厄の中にある希望を掠め取ることができるのだ。パンドラの逸話を知ったときは鼻で笑ったものだけど、その訓戒は馬鹿にできない。
俗世を離れるのはいつでもできるのだから、高校生らしいことの1つや2つ、楽しんだって罰は当たるまい。
そう思って入学してすぐに始めたバイトは、想像以上に楽しい。正直、金に困ってはいないが、積み上げた努力が数値に表われるのは純粋に喜ばしい。
他のバイトも、杜王学園の生徒が多い。情報を得られるのは大きなメリットだ。
レストラン「パッショーネ」は、それなりに居心地のいい場所だった。

***

「よォ~深淵ィ。オマエ特別科に入ったんだってぇ? 良かったなあ、取り柄が1つできて!」

パッショーネの従業員控え室で、私はバイトの先輩に絡まれていた。特別科のことを知っている感じ、おそらく杜王学園の生徒だ。
私が普通科にいたのは半月ほど。その短い間でさえ、難癖つけたり、客として訪れた女子生徒の見た目に点数をつけたり、失敗を私に押しつけたりと、悪い印象しかない。
厚顔無恥な振る舞いの裏に、どのような根拠の無い自信を持っていたのか。それだけが気になる男だったが、なるほど、スタンド使いだったのか。
買ったばかりのオモチャを見せびらかす幼稚園児のような……つまりは、底の浅さが改めて分かっただけだ。

「いやさぁ、見直したぜオレは。オマエ、女のくせに化粧もしないし、愛想も無いからさ。苦労するだろうなァ~って思ってたワケ! どうせ特別科でも一人だろ? 先輩を頼ってもいいからな!」

馴れ馴れしく肩を叩いてくる先輩に、曖昧な笑みを返す。
コレに変に言い返すと面倒だ。
水が上から下へ流れるが如く、先輩の口は止まらない。前半はともかく、学園ですれ違ったこともないのに、私の人間関係に口出しするな。お前に感心されるような生活は送っていない。今も、昔もだ。
コレを「先輩」と呼ぶのは他の先輩方への不敬であり、「先輩」という敬称そのものへの冒涜に違いない。
とはいえ、下手に遮るとさらにねちっこくなるし、後が面倒になる。ガツンと絞めてくれるネエロ先輩か、アバッキオ先輩辺りが来てくれないだろうか。確か、そろそろシフトだったはずだ。
この際、苦手なプロシュート先輩でも構わない。生返事で誤魔化すのも限界だ。誰でも良いからコレを黙らせてくれ。
他の学生がジロジロと私たちに目を向け始めているのが、肌で分かる。
その中で目立つのが、金髪の男子生徒だ。ディエゴ・ブランドーではない。さすがに、人の顔が見分けられなくなるほど病んではいない。いっそのこと他人の顔が分からなくなってしまえばいいのに、と思うことはあるけれど。
彼はジッと私を見ている。何回か一緒のシフトに入った記憶がある。名前は……覚えていない。都度、名札を見れば十分であろう。

「そうだ、オマエのスタンド能力教えてくれよ! どうせ大したことない能力だろうけど、持て余してんだろ? 制御の仕方をおしえてやるよ」

控え室の空気が凍った。
さっきまで存在していた、様子を窺うような話し声さえ、どこにもいない。
先輩のようなナニカが言ったことが余りにも非常識、だったのか? 困惑か、それとも怒りなのか、周りの学生は黙ってしまった。
特別科にいる時点で、何かしらの異常な能力を持っていることは分かっているのだから、話題にあがるものだと思っていたが。異常を抱える者たちなりのルールがあるらしい。
不潔な笑みを浮かべた先輩は、周りの反応を意に介さず、まだ喋る。

「恥ずかしいのかぁ? 黙ってちゃ何も分からないぜ!」

…………。
あなたの言う通りだ。
黙っていては、何も解決しない。
思い至った瞬間。身体が、勝手に動いた。

「ゲボォッ!?」

ドォッ! と先輩が壁にぶつかる重たい音と、近くにあった椅子がバタバタ倒れるけたたましい音が、控え室の静寂を破る。
筋力にものを言わせた、ただの前蹴りだ。不幸にも身長に恵まれなかった先輩は、それだけで吹っ飛んだ。
余程驚いたのだろうか。腰が抜けた先輩に、私は歩み寄る。

「今まで、あなたの与太話を黙って聞いてやっていたけれど……自分が何様だと思って、私に命令しているのかな」

周りがにわかに騒ぎ始めた。どうでもいい。
今日で私もコイツもお役御免になるだろうから。
ネジが緩んだ顎をガクガクさせて、先輩は叫ぶ。

「お、オマエっ、オレにこんなことしてどうなるかっ」
「どうにもならない。私たちは揃って解雇される。その前に……」

私は右手を掲げる。手の平を床に対して直角に、瓦割りをするように。

「年長として、責任くらい果たしてくださいよ」

二の腕から指の先にかけて、赤い帯のようなものが次々に巻き付いていく。ギチ、ギチ、と張り詰めたゴムに似た音が幽かにする。
知識がある者が見れば、その正体が筋繊維だということが分かるだろう。
帯は服を突き破り、私の身体から生えているのは一目瞭然なのだから。

「ひっ……」

右腕の感覚がぼやけ、拡張していく。太く編み上げられた肉塊の下から、乳歯が生え替わるように、ずるりと白い刃が飛び出す。
5秒もかからず、私の右腕は分厚い片刃の剣となった。
重さだけで切れ味は無い。
私は、それを。

「やめろっ!」

振り下ろした。

先輩の傍らに転がっている、椅子に向かって。
クッションの綿をまき散らしながら、無数の木屑が先輩に降りかかる。
腰が抜けたのか、先輩は逃げることもできず、ナメクジのように這い回ることしかできないようだった。

「先輩、私のスタンドは大したことないんでしょう? どうかご教示ください? あのような大口を叩いたのですから」

効き目が無かったら、次はテーブルを見せしめにしよう。そう考えながら、静かになった先輩に詰め寄る。
ガリリリ……と乳白色の刃が、床を引っ掻く。
あと一歩。
そこまできて、右の肩をぐいと引かれた。

「深淵さん、これ以上はやりすぎだ。彼の心はもう折れている」

さっきから目につく、金髪の生徒だ。私より少し高いくらいの背丈で、緑の目には強い意志が宿っている。
ただの正義感で割り込んだわけではなかろう。
右後ろに立たれたら、私は彼に反撃できない。引いて刺す。最悪、振り回す。どっちにしても、避け易く取り押さえやすい位置だ。
もう暴れる必要もないけれど。

「ああ、ならもういいです。ええと……」

変異させた右腕を元に戻しながら、名札を見ようとして、相手が学園の制服を着ていることに気づいた。
なんてことだ。名前が分からない。仲裁に入ってくれた以上、実際に「彼」だの「金髪の」だのと呼ぶわけにもいかないのに。
もごもごしているのを見かねたのか、彼は呆れたように溜息をついた。

「僕はジョルノ・ジョバァーナ。君と同じ特別科です」
「なるほど、それは、ご丁寧にどうも」
「いや……君も、散々な目にあったな」

ジョルノくんは、私の手を取ってその場から少し離れる。
風に流されるようなエスコートだ。
何を言うべきだろう。場を乱したことへの謝罪。私はこの後どうなるのか。壊した椅子の弁償をするべきなのか。
面倒ごとばかり押し寄せてくる。原因はすべて私だ。
わざわざスタンドを使って脅さなくても、黙って突っ立っていればそれで終わった話なのに。

「編入したばかりで、色々と慣れていないだろう。さっきの腕も」

ジョルノくんは、私の腕に目をやる。
ついさっきまで、赤黒い肉の剣になっていた、右腕を。

「編入が突然だったのは否定しないけど。あなたも、得体の知れないモノによく触れるね。」
「そういう意味じゃあ……スタンドに振り回されていないかって心配したんだが」
「別に、もう一つ頭があるとか、足が生えているわけじゃない。あくまで身体機能の一つでしかないのに、どうやって振り回されろっていうのかな」

苦笑交じりに言うと、ジョルノくんは一瞬目を見開き、真剣な表情で私に問うた。

「ちょっと待ってくれ。深淵さん、きみはスタンドについてどこまで知っている?」
「物理法則や科学で説明できない、個人によって引き起こされる異常現象」

私は素直に答えた。
何を慌てているのか知らないが、ジョルノくんの振る舞いから敵意や害意を感じない。こちらを慮っているようにも思える。同じ店で働いているよしみ、というやつだろうか。
ジョルノくんは少し声を低くして、いかにも深刻そうに語る。

「ざっくりした説明になるが……スタンドとは、精神が具現化したものだ。その姿はスタンド使いにしか見えず、能力も本人の精神を反映していることが多い」
「…………はあ」

漫画の設定だったら、よく出来ているのだけど。
それが現実だと言われれば、なんの冗談だと笑いたくなる。

「信じられませんか?」
「いや、腑に落ちないだけ……」

肉、骨、筋、脂、皮、爪、殻、翅。
私の身体から生まれるものを思い浮かべる。
肉体の修復も、変異も、私の身体を舞台に起きている。現代の科学における是非を無視すれば、進化を数段すっ飛ばした生理現象でしかない。
深淵綺羅は、ホモサピエンスのミュータントなのだ。
『精神の具現化』の一言で片付けられてはたまらない。
普通科にいた頃から、スタンドという言葉自体は耳にしていた。けれど、特別科に編入してからもヴィジョンとやらに触れるどころか、目にしたことも無い。
ジョルノくんの言うことが本当ならば、私はスタンド使いとして分類されないだろう。
まさか、特別科がトンデモ人間博覧会だからといって、私をからかおうとしているのではないか? 私がスタンドに疎いからといって、あることもないことも吹き込んでいるのではないか?
一瞬、そんな邪推が浮かび上がる。
だが、ジョルノくんの表情からは、ホラ吹き特有のイヤらしさを感じない。
緑色の瞳が力強く輝いているだけだ。

「精神の具現化といっても、ヴィジョンが存在しないスタンドもある。深淵さんのも、その類なんじゃあないですか」
「それは……そういうものなの?」
「多くはないが、全くいないわけでもない。そんなところです」

ジョルノくんの答えは、納得はともかく、理解できるものだった。
解雇の沙汰を待つまでの暇潰しにしては、破格の情報だ。気軽に尋ねられることでもないから、むしろここで聞けてよかったかもしれない。
ところで、普通科から特別科へ編入する過程の中で、私はスタンドのことを誰からも教えられていなかったのだけど……職員の怠惰だろうか?

***

騒動の後。
私はパッショーネに残ることになった。
もちろん、壊した椅子の弁償や、雇われ人としてあるまじき振る舞いについて謝罪し、処罰として解雇を受け入れる旨を伝えた。
当然だ。どのような理由があれ、私とアレを一緒に処分する方が店側としても楽なのだから。
だが、何が起こったのか、アレ一人が素行不良で解雇される運びとなった。帰宅した今も信じられない。
理由としてはこうだ。
日常的にハラスメントに及んでいたこと。同僚の士気を著しく下げる要因であること。極めつけは、私への暴言だったらしい。
パッショーネの学生バイトは、ほとんどがスタンド使い。アレは一線を越えてしまったということだ。
リゾット・ネエロをはじめとする先輩方は、それぞれの言い方で慰めてくれて、しまいには一人では多すぎる量のテイクアウトを持たされた。
騒ぎからずっと付き添ってくれたジョルノくんは「日頃の行いですよ」と言った。

もう一つ、珍事というべき出来事がある。
私のSNSに、個人の連絡先が登録されたことだ。
もともと個人的なやりとりをする友達はいなかったし、私はスマホを使うのが苦手だった。勝手にピーピー鳴るのが嫌で、すぐその辺へ放ってしまうからだ。
登録しているのはバイトの連絡用グループチャットだけで、それすら通知をミュートにしていた。
私の暴挙に何を見いだしたのか、奇特にも繋がりを持ちたいと申し出たのだ。
彼の名前はジョルノ・ジョバァーナ。
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