グロテスク・ロマンス

特別科に移籍して二日。
時間が経つと喪失感も薄れるもので、私は幾らか前向きな気持ちを取り戻した。
人生なんてそんなもの。思い通りに行く方がおかしい。
選択権など、私にはない。今までそうだったろうに。
特別科の校舎に入り、案内を見ながら教室へ向かう。そろそろ朝練に出ていた生徒が来る時間帯だろうか。廊下は賑やかだ。
今日はやらなくてはいけないことがある。

「あ。いた」

私の席の隣。金髪青眼の男子生徒。
ディエゴ・ブランドーへの謝罪だ。
初日は散々拒絶してしまったが、彼からしてみればとんだ災難だったろう。やりたくもない世話を焼いて、駄々をこねられて。
私の所感など、彼にはなんの関係もない。どのような理由があっても、その理由が私にとってどれだけ重いものであっても、ディエゴ・ブランドーへの礼を失した行いが許されることはない。
謝罪を受け入れてくれるかについては、極めてどうでもいいが、ケジメはつけなければならないのだ。

「おはよう、ブランドーくん。いま、いいかな」

本を読んでいる彼に、声をかける。こちらを見向きもしないが、ページをめくる手が止まっている。

「今までの、特に、一昨日の無礼を謝罪させてほしい」

そういえば、謝意を示すときにはしおらしい態度を取るべきだろうか。逆効果かな。昔はどんなに謝っても許してもらえたためしがなかったから、分からないな。
下らないことを考えていると、ディエゴ・ブランドーはパタン、と本を閉じた。そして、ジロリと私を睨む。

「聞くだけ聞いてやる」

それだけ言うと、席を立つ。私も続く。
教室の喧噪が聞こえない、校舎の片隅まで。

***

ディエゴ・ブランドーは人気の無い廊下で立ち止まった。
周りは少しほこりっぽく、掃除すらおざなりになっている吹きだまりだ。

「それで? 転入生様はどんな言い訳を聞かせてくださるんだ?」

仰々しく、それで嫌味ったらしく彼は切り出した。
多分、人の話を聞く態度じゃあないが、私なら話を聞くことすらしないからな。十分優しい対応だろう。
居住まいを正す。

「ええと、ブランドーくん」
「ディエゴでいい」
「……ディエゴくん」

出鼻をくじかれた。おかしい。普通、赤の他人に下の名前で呼ばれたら、この上なく不快だろうに。
いや、文化の違いだ。ここで止まってはならない。口を動かせ。

「まずは、転入初日、色々面倒を見てくれてありがとう」

ディエゴ・ブランドーの表情は変わらない。偉そうな感じ……自信持ってる感じ?
どっちでもいいか。面向かって話すのはこれが最後なのだし。あちらも、感じの悪い女に好き好んで関わろうとはしないだろう。

「移籍のことは私も当日知ったから、あなたも突然役目を押しつけられたようなものだと思うんだ。なのに、私のつまらない駄々で迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」

頭を下げる。
言葉を尽くして、態度で示した。あとは謝意の証を渡すだけだ。

「口ではなんとでも言えるだろ」

嘲笑混じりに彼は言い放つ。
もっともだ。言葉だけではなんの証明にもならない。

「分かっているよ……ほら」

通学鞄から、すこし膨らんだ茶封筒を取り出す。

「時は金なりというけど、本当は金ごときと対価なわけないよね。昨日の埋め合わせになればいいけれど」

差し出すも、受け取られる気配がない。
どうしてだろう。やむを得ぬ事情があったとはいえ、特別科校舎の案内で彼を一日拘束したことに代わりない。
慰謝料込みで10万円。悪くない値段だと思うが。
ディエゴ・ブランドーは、感情を削ぎ落とした顔で、茶封筒をじっと見る。

「……違う。それは必要無い」

十数秒の逡巡の後、彼はそっと私の手を押しのけた。
は?
必要無い? 「いらない」でも「たりない」でもなく、「ひつようない」?
意味が分からない。あるいは、私が何か勘違いしているのか? いや、そんなことない。
謝罪とは、受けた損失を何らかの価値あるもので補填すること。「そこまでするなら、水に流すよ」と相手を納得させる行為だ。
信じられないことに、謝罪を言葉で済ます極まった人も、いるにはいるらしいが……。そういった人種を私は一人しか知らないし、ディエゴ・ブランドーは絶対に当てはまらないだろう。むしろ積極的に取り立てそうなものだ。
現金をそのまま渡すのは下品であることは、重々承知している。菓子折を渡す方法があることも知っている。
でも、考えてほしい。ディエゴ・ブランドーは、果たしてクッキーや果物ゼリーを渡されて、謝罪と見なすだろうか。彼は運動部に所属しているらしく、身体は一目見ただけでキッチリ鍛えられているのが分かる。砂糖の塊なんぞは、むしろ彼を怒らせることになるだろう。
そもそも、印象の悪い人物から貰う食べ物を口にしたいか? しかも、異性から。何が入っているか知れたものじゃない。私のような人間嫌いでなくとも躊躇するはずだ。
だから、彼が喜ぶような、謝罪の共に相応しい消耗品は1つしかなかった。

「いや、受け取って貰わないと……。あなたの時間とか、成績とか、そういうのを補填するための」

言い切ることはできなかった。
手首に火花が弾けるような痛み。ついで、久しい息苦しさが私を襲った。
意味の無い音が、口から出て行く。
突然のことに身体が反応できなくても、頭は冷静だ。
持っていた茶封筒はどこかへ行き、胸ぐらを捕まれて壁に押しつけられている。

「……おまえ、ふざけているのか? オレが落ちこぼれに見えるのか? なあ?」

顔を近づけ、ドスの効いた声で追い詰めるように問われる。
困った。
これは、なんと答えるのが正解なのだろう。
謝罪が失敗したから? もともと私を許す気がなかった? 考えても分かるはずがない。現代文のテストでもあるまいに、人の気持ちを推し量るほどナンセンスなことはない。
捕まれたブラウスの生地が、ギリリと悲鳴をあげる。煉獄を宿した青い瞳の温度が、ジリジリと上がっていく。
とにかく、何か言うしかない。

「……正味、あなたが何故怒っているのか、理解できない。私があなたの時間を浪費させたのは事実で、その対価として10万用意した」

胸ぐらを捕まれて爪先が浮くほどの身長差は無かったようで、代わりに締め上げるような持ち方に変わった。
今にも私の喉に噛みつきそうなディエゴ・ブランドーから目を逸らさず、続ける。

「時間は何よりも万能な資源だ……昨日、ずっと無駄無駄言っていたし、あなたもそう思っているんでしょう? 時間ほどでなくとも、金も万能だから」
「お前ごときが、オレを金で買おうっていうのか」
「違う。私が出せるのは金しかない。それだけ」

そう、金の是非を語るなら、私の謝罪も意味が無いものになる。
価値がつけられないものを、価値が限りなく高いもので埋め合わせしますってだけなのに、どうしてここまで話が拗れるんだ? 彼は私の話を聞いていなかったのだろうか。
そもそも、どうしてディエゴ・ブランドーは私に時間をくれたのだろう。時間の無駄であろうに。

「でも、あなたへかけた迷惑の補填をしないのも、間違っている。だから」
「もういい」

言いつのろうとするのを遮って、彼が身体を離した。息苦しさがなくなり、胸元がスッと開放的になる。

「お前が謝ることしか考えてないマヌケだってことは、嫌ってくらいに伝わった。これ以上は無駄だ」

先の激昂が嘘だったかのように落ち着いている。
重い溜息が似合う、憂いを帯びた表情だ。
疲れたのだろう。意味の無いことで言い合いすれば、さもありなん。

「なあ、封筒は、オレが貰った方がいいのか?」
「え、ああ、うん。そうしないと、謝ったことにならない」

ディエゴ・ブランドーは足下に放られていた封筒を手にすると、中身を何枚か抜いて私に差し出した。

「…………」

どうしていいか分からず、かすかに揺れるお札を眺めていると、彼は片手でお札を折りたたみ、ブラウスの胸ポケットに突っ込んだ。
そのまま、自分が乱した襟を直していく。
手品師のような鮮やかさだった。

「金は好きだが、必要以上に貰うのは気に食わん」

そういうものだろうか。金が好きだというなら、掴めるだけ掴むものではないのだろうか?
まあ、それが彼の主義というなら、素直に従うのが賢明であろう。
結局は、ディエゴ・ブランドーが納得するかどうかが肝要なのだから。

「そろそろ戻ろうぜ」

曖昧な返事をして、ここへ来るときと同じように、彼の背を追う。
違うのは、窓ガラス越しに私を窺う青い瞳だった。
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