そんな娘を君は天使だと言うが
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見張りをしていた白ひげ海賊団のサッチはぽっかりと浮かぶ船の存在を目視し、望遠鏡で旗印を確認すると、またか、といったような呆れた表情を浮かべた。
「お――い、親父ィ――!生きてるか――!?」
自身の船より何十倍も大きなガレオン船を見上げ、まだあどけなさを残した娘が大手を振る。返事の代わりにかけ梯子が降ろされ、娘は当たり前のようにそれを掴んだ。
「親父!息災だな、安心した!!」
乗船するなり己の姿を見つけ、嬉しそうに近づいてくる娘を見下ろし、船長白ひげは酒気を帯びた気だるげなため息をつく。
「誰が親父だ。俺ァお前みてェなハナッタレを娘にした覚えはねェな」
「そ――さ!だから早く娘にしてくれよ、親父!」
突っぱねられても意に介さない娘は、まるで本当の父親に甘えるように白ひげの足もとにすり寄るも、大きな手で払われてしまう。
「積荷は受け取ったぜ、エマ」
サッチの報告を受け、白ひげの顔があからさまに不機嫌になった。
「何遍言やわかるんだ。雀の涙程度の貢ぎ物で俺に認められようなんざ夢見るのも大概にしろよ」
「いやァ、”ちりつも”って言葉があってだね」
「何年積もらせる気だ、てめェ!!!」
まったくもってめげない娘――エマには、もはや天晴という言葉がふさわしい。このやり取りだってもう何度目にしたか。
もはや慣例行事とも呼べる光景にサッチが笑っていると、エマの来訪を聞きつけた仲間たちが騒ぎながら駆けつけてきた。
「エマ!久しぶりだなァ。元気してたかよい!?」
「また懸賞金上がったな!ちょ~~~っとだけど!」
「今夜は宴だな!泊まってくだろ!?」
船長とは打って変わって歓迎ムードの白ひげ海賊団の面々に囲まれ、エマは花でも咲いたかのような笑顔を見せる。さすが白ひげと言えど、こんな空気でエマを追い払えるほど横暴ではない。勝手にしろ、とささやかに抵抗してみたが、誰の耳にも入っていないようだった。
その日の夜――
「――いやァ、美女と言ったら二つ前の島にいた酒場の美人姉妹だろ!あれは九蛇のハンコックにも負けねェ絶世の美女だったぜ!!」
「お前実物見たことねェだろ!!ハンコックに勝てる女がこの世にいるハズがねェ!!」
「お前だって本物見たことねェだろ!俺もねェけど!!」
酒がいい感じに回ってくると、男どもの話すネタと言ったら大抵女、武勇伝に決まっている。特にここ最近のトピックスは、二つ前の島で出会った酒場の女店主である。男のあしらいに長けていた姉妹に白ひげ海賊団の猛者たちはすっかり骨抜きにされており、船の財産をすべて貢いでしまいそうな勢いに呆れた白ひげが無理やり予定を変更したほどだ。
「おいおいお前ら、いつまで雲上の人を追っかけてんだよ。ちゃんと地に足つけて、目ェ凝らしてみろ。ここにもいるじゃねェか、美女」
どん、と背中を押されてエマは飲んでいた酒をぶっと噴き出した。突然渦中に現れたエマに絶世の美女たちの話で盛り上げっていた男どもはほっこりした気持ちで手を叩く。
「「「そうだなー、かわい――」」」
「ペット的な目線だろ、それ!!!」
白ひげ海賊団の面々がエマを娘ないし妹のように扱ってしまうのも無理はない。エマはようやく酒が飲めるようになったくらいで、彼女よりも一回りも二回りも年嵩な男たちには、女として見ろというほうが無理な話だ。唯一、白ひげ海賊団の中で年齢が近い者と言ったら――
「…エースも見たの?酒場の美人姉妹」
エマに話を振られ、食べることに夢中になっていたエースは口いっぱいの食べ物をいったん飲み込むと、ああ、と頷いた。
「確かにすげェ美人だったな。ありゃ国が傾いちまうのも分からなくねェ」
エマは意外に思った。エースは戦うこと、食べること以外にはとんと無頓着な男だと思っていたので、異性には興味がないものと勝手に思い込んでいたのだ。
「妹のほう、お前に興味ありげだったよな~?」
「そうか?俺が若いから珍しがってただけだろ」
恨めしそうにエースに絡む船員たちに、聞き捨てならぬとばかりにエマがどういうことかと聞けば、美人姉妹の妹がえらくエースを気に入り、ずっと話しかけていたそうだ。単に俺がよく食うからだろ、とエースは適当にあしらっていたが、その表情が満更でもなさそうだったので、エマは面白くなさそうに「ふーん…」と呟いて酒を煽った。
「エマ、大丈夫か?」
酒が満遍なく回り、酔い潰れるものがちらほら続出する中、ふらりと宴会の外へ出たエマに気づき、エースが追いかけてきた。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。少し酔い覚ましたら船戻るから」
「水いるか?」
「さっき飲んだから平気。ありがと」
「そうか」
てっきり宴へ戻るものかと思いきや、エースは同じように縁に体をもたれかけ、暗い海を眺めている。火照った体に冷たい潮風が心地よく、気持ちいいね、と呟けば、おう、とだけ返ってきた。
「……例の美人姉妹のさ、妹、エースと仲良くなったって人」
「仲良くはなってねェよ」
「その人、どんな人だった?」
「どんなって……ん~~~…髪が長くて、目が緑で宝石みてェだったなァ。そんくらいしか覚えてねェや」
「エースのタイプだった?」
「好みってわけじゃねェよ。俺じゃなくても、誰が見ても美人って言わせるような女さ」
「ふ~ん…。…じゃあエースの好みってどんなよ?」
「はァ???」
エマとエースは年が近い。エマはエースの3つ上にあたる。だから今まで色々語り合ってきたが、いわゆる異性間の話題には触れてこなかったため、いきなりの質問にエースは驚き、それから俄かに頬を染めた。
「…んなこと、知ってどうするんだよ?」
エースからの逆質問にエマの眉間に少しだけ皺が寄る。あからさまに機嫌を損ねたのだ。
「…エースって女の人に興味ないと思ってたから、どうせあの女帝だろうがそこらの町娘だろうが、みんな同じに見えてんだろうなーって思ってたんだけど、違うんだったらエースの好みの女の人、気になるなーって」
「まあ、大体間違っちゃねェけど…」
エマのはっきりとした物言いにはエースも苦笑いを浮かべるほかなかったが、ふっと何か思い至った表情を見せると、そのままエマに向き直り、聞き逃せないようなゆっくりと、はっきりとした口調で言った。
「いつも明るくて、前向きで、仲間思いで、優しくて、諦めが悪くて、頑張り屋で、笑顔がかわいいやつ…かな」
エマは一言一句聞き逃さず、ひとつひとつ丁寧に拾っては頭の中でピースをはめていくと、目を丸くしてこう返した。
「なにそれ…めっちゃイイ子じゃん!そんな子いるわけないよ!理想高すぎ!!」
きっぱりと断言され、面食らってしまったエースだったが、次第におかしさがこみ上げてきて大声で笑った。
「はっきり言うなよ…!でも間違いなくいるさ!海は広いんだぜ?俺は必ずそいつをモノにする!!」
「すごい自信だなぁ…。ま、確かにこの広い海には2~3人、そんな天使みたいな子がいるかもね。出会えるかはわからんが」
「そういうお前はどうなんだよ?どんな男が好みなんだ?」
「好みっていうか…」
エマは一瞬、ちらりとエースを見てはすぐに視線を落とし、暗い海を見つめる。
「好きになった人がタイプ、って言うか…」
そう呟いたエマの頬が赤いのは酒のせいか――そうであってくれ、とエースは内心祈り、ごくりと喉を鳴らす。
「なんだよ、それ…。い、いるのか?好きな男…」
聞かれ、エマはだんまりを決め込むも、すぐにパッと顔を上げ、いたずらっぽく笑って見せた。
「さ~、どうでしょ?教えな~い!」
「おまっ、ずるかねェか!?それ!!」
「ふふっ、おやすみ~」
エマと別れてから早くもひと月が過ぎようとしていた頃ーー
「「「エマが海軍に捕まったァァァ~~~!!?」」」
白ひげ海賊団に激震が走った。
「どこにそんな記事載ってんだよ!!?」
「ここだ、ここ!よく見ろ!!」
「ちっさ!!備忘録じゃねェか、これ!?」
「海賊団は解散…!船長は捕縛!インペルダウンに護送中!どうなってんだよ!エマは無事なのかァ!!?」
ニュース・クーが運んできた新聞を奪い合うようにして回し読み、かの四皇ともあろう海賊団の屈強な男どもが情けなく狼狽している。船長白ひげは落ち着き払った様子で渦中からひょいと新聞を奪い取り、3行ほどの小さな小さな記事に目を通した。
「インペルダウンなんかにぶち込まれりゃ、もう二度とお天道様なんざ拝めねェぞ…。誰か!エマがどこを目指してた知ってる奴ァいるかァ!?」
白ひげの鶴の一声で次々と情報が流れてくる。
あの宴の日、エマはこんなことを話していた。ここから北西のキベラ島で闇のブローカーが海軍に悪魔の実を売るという情報を手に入れた。それを奪い、白ひげに献上すれば今度こそ仲間に入れてくれるに違いない、とエマは息巻いていたという。
キベラ島と聞き、白ひげは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「あそこはアバグネイルの管轄だな…。奴ァ相当狡猾な男と聞く。…あのバカ、一杯食わされやがったな」
「親父、どうする!?助けに行くか!?」
当然だ、と答えようとしたとき、船が更に騒がしくなったかと思えば、エースがストライカーを降ろしている真っ最中だった。
「俺が行くよ、親父!船で行くよりこいつのが速ェ!」
エースの言う通り、モビーディック号のようなガレオン船では全速力をもってしても追いつけるかどうか怪しいところだ。その点、ストライカーであれば波・風の影響を受けにくく、エースの体力が保つ限りは夜通し走らせることができるため、政府の船がインペルダウンに着く前に追いつけると踏んだ。
「無茶ァすんなよ、エース。俺たちが着くまでの足止めができりゃ上等だ」
「ああ、わかってる。行かせてくれてありがとう、親父!」
言うが早いか、我慢できないといった様子でエースはあっという間に走り去ってしまった。モビーディック号も大慌てで船主を北西へ向け、全速前進する――。
「あーあ、まんまとやられた」
ところ変わって、こちらは絶賛捕縛中のエマ。力の限り抵抗したせいで満身創痍である。
一方こちらもエマのしつこい抵抗に疲弊しきった様子でアバグネイルがじとりと睨み付けた。
「してやられたのはこちらのセリフだ。まさかお前のような雑魚が引っかかるとは」
雑魚と言われてエマはケラケラと笑った。エマの懸賞金は800万ベリーと破格で、これしきの海賊を捕らえたくらいではアバグネイルの出世には何の影響もない。
「だったら見逃してよー。インペルダウンってヤバい囚人がいっぱいいるんでしょ?怖いよー。いじめられちゃうよー」
「安心しろ。貴様はせいぜい雑用係としてこき使われるだけだ。……それとも私の下に就くか?貴様の諜報力は認めてやる。独学でよく私の無線を傍受したものだ。しかるべき教育を受ければ良い戦力になるだろう」
今回エマが捕まってしまったのは他でもない、アバグネイルの撒き餌に引っかかってしまったのだ。
アバグネイルが闇のブローカーと悪魔の実の取引をしていたのは間違いない。わざわざ暗号化コードを用いて交渉のやり取りをしていた。
ほんの少しだけ、部外者が拾えるように細工をして、まんまと悪魔の実を奪いに来た略奪者を一網打尽にしてやる計画だったが、釣れたのはがエマだったというわけだ。
しかしわざと暗号通信に穴をあけていたとはいえ、これを拾えるのはかなりの手練れの者だ。大物海賊団であれば有しているであろう技術者なら拾えるような特殊な電波を、この小娘が拾ったのだというのだからアバグネイルは驚いた。
エマは子供の時分に白ひげの仲間になると決意してから、彼らの動向を追いかけるために毎日毎日無線機をいじり、情報を集めていた。そうしているうちに、自分は腕っぷしこそはからっきしだが、情報を武器に戦えることに気づいた。それからというもの、情報を集めて集めて戦って、今日に至ったわけだが、まさかここで仇になるとは努々思ってもみなかった。
「海兵なんてまっぴらごめんだね。アンタたちが私の故郷を見捨てたこと、一生忘れないんだから」
エマの故郷は西の海でも有数の酒の産地で、水質の良さから非常に質の良い酒造りが盛んで、世界的にもファンが多い。いくら作っても高く売れるため、島の人間は毎日働き、それなりに豊かに暮らしていた。
しかしそれに目を付けたやり手の国王が世界中の貴族や果ては海賊にまで売りつけ、国民には法外な手数料を徴収し、好き放題搾取する日々が続いた。
国王は金で海軍を抱え込んでいたため外部への助けは期待できず、国民の反乱感情が高ぶり、ついに内乱が起きそうになった時、現れたのが白ひげだった。
白ひげは故郷の酒を大変気に入り、国王もろとも海軍も追い出してしまい、ナワバリとして守ってくれることになった――というのが、エマが海賊になろうと決意したきっかけでもある。
「フン…。ならば一生臭い飯でも食ってろ。私の勧誘を断ったことを後悔しながら毎日枕を濡らすがいい」
「しねーよ。後悔するとしたら私の傍聴技術が優秀すぎたことだわ。…ところでこの船、なんでこんなトロトロ進んでんの?これじゃ、いつまでたっても着かないじゃん」
エマの言う通り、帆は半分たたまれていて、進んでいるかも疑わしいスピードで船は走っている。アバグネイルは水平線をじっと睨み付け、言った。
「待っているんだ。貴様を迎えにくる者を」
まるで要領を得ない表情を浮かべるエマにアバグネイルは続ける。
「貴様、ひと月前に白ひげと接触しているな。これまでも何度か略奪品を献上していることもわかっている。我々が今回餌に使ったこの”アワアワの実”も献上するつもりだったんだろう?」
何一つ否定できなかったが、アバグネイルの見解は大幅に外れている、とエマはおかしそうに笑った。
「白ひげが私を助けにくるって?あはは!あるわけないじゃん!私が今まで渡したはした金程度じゃ傘下にも入れてもらえなかったよ。だからいくら待っても、これ以上の大物は釣れません~。残念でした~」
女とは思えないような変顔で煽ってくるエマにアバグネイルがイラッとしたのは言うまでもないが、果たして無駄骨に過ぎないかはまだ判断するには尚早である、とアバグネイルは気を取り直し、いつ、どこから襲ってくるともしれない敵に備え、周囲の警戒を怠ることはなかった。
――その日の夜だ。
「敵襲!敵襲――ッ!!!」
エマを載せる軍艦のメインマストに火がつけられ、船内が俄かに慌ただしくなる。――来たか、とアバグネイルは己の予感が的中したことに内心胸を躍らせ、はやる気持ちを抑えて気を引き締める。
「敵の狙いはエマだ!第3部隊は囚人の護衛、第一部隊は索敵、第二部隊は船の保守にあたれ!!」
アバグネイルの号令に海兵たちが一斉に仕事にかかる。ドォン!!と一際大きく船が揺れ、右側面の砲口から煙が上がる。
「火薬が爆発しました!!船の右後方激しく損傷!!」
「砲台の火薬はすべて濡らせ!船が沈めば終いだぞ!相手は単騎だ、直ちに捕縛せよ!!」
メインマストへの放火に火薬の爆破ーー相手は火を使う者に違いない。それも強力な火力を操る者だ。
炎の消化に追われ、甲板が騒がしくなる中、船内へと急ぐ人影を目敏く見つけ、アバグネイルは後を追う。
船内が騒がしくなったことに気づき、エマは情報を集めようと聴覚を研ぎ澄ませる。どうやら侵入者がいるらしいのだが、まさか本当に誰かが自分を助けにでもきたというのか、とエマは胸がざわつく。
――どうしたって、期待してしまう。
誰か。
ここから逃がして――。
「火拳!!!!!」
エマが閉じ込められている部屋のドアが、炎とともに吹き飛んだ。
危うく巻き込まれそうになったこともさることながら、何よりも驚いたのは、
「エース!!?」
「白馬の王子サマ登場――なんてな」
そう言って余裕綽々で笑うものだから、エマは強がっていた緊張がほぐれ、泣き出しそうになった。
「言ってる場合じゃねェな。早く来い!脱出するぞ!」
と手招くエースだったがエマはまったく動こうとせず、少しだけ体をよじっては苦しそうな表情を浮かべる。
「ごめん…。脚、折られて…立てないの…」
エマに言われ、エースの顔色が変わる。見ればエマの両ふくらはぎは青黒く変色し、腿のように腫上がっていた。恐らく治療さえ施されていない。
その痛ましい姿を目の当たりにしたエースの瞳が怒りにゆれ、怪しげな光を放つ。「かわいそうになァ」と言いながらエースはエマを抱き上げると、鬼のような形相でいるはずのない敵を睨み付ける。
「大丈夫だから、このまま連れ出して…。見つかる前に逃げよう」
「……ああ、」
「逃がすわけないだろう」
アバグネイルが追いついた。動けないエマを抱えているせいで戦闘もままならない状態のエースを前に容赦なく剣を振るう。
アバグネイルは海軍大佐である。その肩書は何も冴えきった頭脳だけではない。武も両立させてこそ今の地位を得たと言える。
「…こいつの脚折ったの、お前か?」
「そうだ。あまりにも激しく抵抗するのでな、多少痛い目を見せた」
「多少、だと?」
エースは自分の背後にエマを一度降ろすと、アバグネイルに向かって拳を振り下ろす。
「てめェ、誰の女傷つけたか教えてやるよ!!!」
エースの拳を剣で受け止めたアバグネイルだったが、力の差で劣り、思い切り吹き飛ばされてしまう。散った炎があたりに飛び火し、船内をじわじわと熱くさせる。
吹き飛んだアバグネイルにとどめを刺そうとするエースを慌てて捕まえ、エマは懇願した。
「もう行こう、エース!囲まれちゃう!!」
騒ぎを聞きつけた海兵たちが押し寄せてくる足音が聞こえた。
エースはアバグネイルと海兵たちの喧騒、それからエマを見比べ、やり切れぬような悔しそうな声を上げてエマを抱き上げた。
「いたぞ、あそこだ!!」
「撃て、撃て!!」
「ダメだあいつ、火拳だ!!銃なんか通用しねェ!!」
体が炎のエースには海兵程度の物理攻撃など通用せず、エマを攻撃からかばいながら軍艦の中を風のように疾走する。ようやく外へ出ると、あっという間に甲板を駆け抜け、船尾にこっそりとつないでいたストライカーに乗り込んだ。
「エマ、掴まってろよ」
ストライカーの助手席に降ろされ、エマはバーをしっかりと握りしめると、エースは軍艦につないでいたロープを切り離し、エンジンをかけた。その音に気づき、海兵たちが慌てて船尾のほうへ移動するも、すでに数mは離れてしまっている。
「そいじゃ皆さん、良い旅を」
海兵たちの弾丸も届かず、砲台の火薬を詰め替える時間も与えられぬまま、海兵たちは去っていく二人を指をくわえてみているほかなかった。
「――いや~、まさか成功するとは。小せェ軍艦だったからよ、俺一人でいけんじゃね?と思ったら、本当にいけた」
ストライカーを優雅に走らせ、夜風に火照った体を冷やしながらエースは心底爽快に笑った。それからエマの脚の怪我を思い出し、ストライカーを停める。
「そうだ、脚大丈夫か?ったく、ひでェことするよな…」
エマの怪我の状態を見るためにしゃがみこんだエースの首に腕を巻き付け、エマが抱き着く。突然のことに驚いたエースは思考が停止し、身動きがとれなくなった。
この現実を確かめるようにエマは強く強くエースに抱き着き、言った。
「ありがとう…!エース、本当に王子様みたいだった!!!」
言われ、途端にエースは恥ずかしくなる。場を和ませるつもりで吐いたセリフが、まさか本気にされるとは。
しかしエースも、今ここにエマがいる現実を噛みしめ、己の腕の中にかき抱く。
もし、アバグネイルが欲をかいていなかったら、あの船に追いつくことはできなかったかもしれない。
もしエマがインペルダウンに到達してしまったら、親父のことだから取り返しに行くのだろうが、海軍との全面戦争になっていたかもしれない。
もし全面戦争が起きてしまったら、エマも、自分も、それから大切な仲間、親父も、生きていないかもしれない。
数えきれないもしもが後から後からこみ上げ、二人は今こうしているのが奇跡のように感じられ、お互いの存在を確かめ合うように強く強く抱き合う。
「…もう二度と会えないかもしれないと思ったら、怖かった」
ぽつりとエマが呟いたので、エースは「親父にか?」と聞くと、彼女は小さく首を振り、さらに小さな声で言った。
「………エースに………」
それから腕の中のエマの体温が上がったのを感じ、エースの体温も熱くなる。「そうか」だなんて気の利いた返しもできない己の甲斐性のなさに我ながら呆れるエースは、ええいままよとエマを引きはがし、真正面に向き直させる。
月明かりに照らされたお互いの顔は赤く、気恥ずかしいけれど、目を逸らすことはできない。
逃げちゃ、いけない――。
「好きだ、エマ。これからは俺がお前を守るから、俺のものになってくれ」
エースからの告白を受け、エマは自分がこの世で一番幸せ者なのではないかと錯覚してしまい、嬉しそうに笑って頷いた。
それを見届け、エースは緊張がほぐれたように顔を綻ばせる。
あまりにも甘い雰囲気に酔いしれた二人の距離は次第に近づいていき、お互いの瞳に自身の姿が映るほど接近し、あと少しで唇が触れる――
「あっ!おい!あれエースのストライカーじゃねェか!?」
直前に遠くから仲間の声が聞こえ、エースはがっくりと肩を落とした。見れば、ようやく追いついたモビーディック号がこちらに向かって進んでいる。
――エマを助けることに一切の躊躇がなかった白ひげは、はなからエマを仲間として受け入れるつもりだった。
抵抗してみせたのは、いつエマの気が変わっても誰にも責められないようにするためだ。
まさか先に我が息子と恋仲になってしまうとは、この時は努々思ってもみなかったが。
それはまた、あとのお話――。
fin.
「お――い、親父ィ――!生きてるか――!?」
自身の船より何十倍も大きなガレオン船を見上げ、まだあどけなさを残した娘が大手を振る。返事の代わりにかけ梯子が降ろされ、娘は当たり前のようにそれを掴んだ。
「親父!息災だな、安心した!!」
乗船するなり己の姿を見つけ、嬉しそうに近づいてくる娘を見下ろし、船長白ひげは酒気を帯びた気だるげなため息をつく。
「誰が親父だ。俺ァお前みてェなハナッタレを娘にした覚えはねェな」
「そ――さ!だから早く娘にしてくれよ、親父!」
突っぱねられても意に介さない娘は、まるで本当の父親に甘えるように白ひげの足もとにすり寄るも、大きな手で払われてしまう。
「積荷は受け取ったぜ、エマ」
サッチの報告を受け、白ひげの顔があからさまに不機嫌になった。
「何遍言やわかるんだ。雀の涙程度の貢ぎ物で俺に認められようなんざ夢見るのも大概にしろよ」
「いやァ、”ちりつも”って言葉があってだね」
「何年積もらせる気だ、てめェ!!!」
まったくもってめげない娘――エマには、もはや天晴という言葉がふさわしい。このやり取りだってもう何度目にしたか。
もはや慣例行事とも呼べる光景にサッチが笑っていると、エマの来訪を聞きつけた仲間たちが騒ぎながら駆けつけてきた。
「エマ!久しぶりだなァ。元気してたかよい!?」
「また懸賞金上がったな!ちょ~~~っとだけど!」
「今夜は宴だな!泊まってくだろ!?」
船長とは打って変わって歓迎ムードの白ひげ海賊団の面々に囲まれ、エマは花でも咲いたかのような笑顔を見せる。さすが白ひげと言えど、こんな空気でエマを追い払えるほど横暴ではない。勝手にしろ、とささやかに抵抗してみたが、誰の耳にも入っていないようだった。
その日の夜――
「――いやァ、美女と言ったら二つ前の島にいた酒場の美人姉妹だろ!あれは九蛇のハンコックにも負けねェ絶世の美女だったぜ!!」
「お前実物見たことねェだろ!!ハンコックに勝てる女がこの世にいるハズがねェ!!」
「お前だって本物見たことねェだろ!俺もねェけど!!」
酒がいい感じに回ってくると、男どもの話すネタと言ったら大抵女、武勇伝に決まっている。特にここ最近のトピックスは、二つ前の島で出会った酒場の女店主である。男のあしらいに長けていた姉妹に白ひげ海賊団の猛者たちはすっかり骨抜きにされており、船の財産をすべて貢いでしまいそうな勢いに呆れた白ひげが無理やり予定を変更したほどだ。
「おいおいお前ら、いつまで雲上の人を追っかけてんだよ。ちゃんと地に足つけて、目ェ凝らしてみろ。ここにもいるじゃねェか、美女」
どん、と背中を押されてエマは飲んでいた酒をぶっと噴き出した。突然渦中に現れたエマに絶世の美女たちの話で盛り上げっていた男どもはほっこりした気持ちで手を叩く。
「「「そうだなー、かわい――」」」
「ペット的な目線だろ、それ!!!」
白ひげ海賊団の面々がエマを娘ないし妹のように扱ってしまうのも無理はない。エマはようやく酒が飲めるようになったくらいで、彼女よりも一回りも二回りも年嵩な男たちには、女として見ろというほうが無理な話だ。唯一、白ひげ海賊団の中で年齢が近い者と言ったら――
「…エースも見たの?酒場の美人姉妹」
エマに話を振られ、食べることに夢中になっていたエースは口いっぱいの食べ物をいったん飲み込むと、ああ、と頷いた。
「確かにすげェ美人だったな。ありゃ国が傾いちまうのも分からなくねェ」
エマは意外に思った。エースは戦うこと、食べること以外にはとんと無頓着な男だと思っていたので、異性には興味がないものと勝手に思い込んでいたのだ。
「妹のほう、お前に興味ありげだったよな~?」
「そうか?俺が若いから珍しがってただけだろ」
恨めしそうにエースに絡む船員たちに、聞き捨てならぬとばかりにエマがどういうことかと聞けば、美人姉妹の妹がえらくエースを気に入り、ずっと話しかけていたそうだ。単に俺がよく食うからだろ、とエースは適当にあしらっていたが、その表情が満更でもなさそうだったので、エマは面白くなさそうに「ふーん…」と呟いて酒を煽った。
「エマ、大丈夫か?」
酒が満遍なく回り、酔い潰れるものがちらほら続出する中、ふらりと宴会の外へ出たエマに気づき、エースが追いかけてきた。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。少し酔い覚ましたら船戻るから」
「水いるか?」
「さっき飲んだから平気。ありがと」
「そうか」
てっきり宴へ戻るものかと思いきや、エースは同じように縁に体をもたれかけ、暗い海を眺めている。火照った体に冷たい潮風が心地よく、気持ちいいね、と呟けば、おう、とだけ返ってきた。
「……例の美人姉妹のさ、妹、エースと仲良くなったって人」
「仲良くはなってねェよ」
「その人、どんな人だった?」
「どんなって……ん~~~…髪が長くて、目が緑で宝石みてェだったなァ。そんくらいしか覚えてねェや」
「エースのタイプだった?」
「好みってわけじゃねェよ。俺じゃなくても、誰が見ても美人って言わせるような女さ」
「ふ~ん…。…じゃあエースの好みってどんなよ?」
「はァ???」
エマとエースは年が近い。エマはエースの3つ上にあたる。だから今まで色々語り合ってきたが、いわゆる異性間の話題には触れてこなかったため、いきなりの質問にエースは驚き、それから俄かに頬を染めた。
「…んなこと、知ってどうするんだよ?」
エースからの逆質問にエマの眉間に少しだけ皺が寄る。あからさまに機嫌を損ねたのだ。
「…エースって女の人に興味ないと思ってたから、どうせあの女帝だろうがそこらの町娘だろうが、みんな同じに見えてんだろうなーって思ってたんだけど、違うんだったらエースの好みの女の人、気になるなーって」
「まあ、大体間違っちゃねェけど…」
エマのはっきりとした物言いにはエースも苦笑いを浮かべるほかなかったが、ふっと何か思い至った表情を見せると、そのままエマに向き直り、聞き逃せないようなゆっくりと、はっきりとした口調で言った。
「いつも明るくて、前向きで、仲間思いで、優しくて、諦めが悪くて、頑張り屋で、笑顔がかわいいやつ…かな」
エマは一言一句聞き逃さず、ひとつひとつ丁寧に拾っては頭の中でピースをはめていくと、目を丸くしてこう返した。
「なにそれ…めっちゃイイ子じゃん!そんな子いるわけないよ!理想高すぎ!!」
きっぱりと断言され、面食らってしまったエースだったが、次第におかしさがこみ上げてきて大声で笑った。
「はっきり言うなよ…!でも間違いなくいるさ!海は広いんだぜ?俺は必ずそいつをモノにする!!」
「すごい自信だなぁ…。ま、確かにこの広い海には2~3人、そんな天使みたいな子がいるかもね。出会えるかはわからんが」
「そういうお前はどうなんだよ?どんな男が好みなんだ?」
「好みっていうか…」
エマは一瞬、ちらりとエースを見てはすぐに視線を落とし、暗い海を見つめる。
「好きになった人がタイプ、って言うか…」
そう呟いたエマの頬が赤いのは酒のせいか――そうであってくれ、とエースは内心祈り、ごくりと喉を鳴らす。
「なんだよ、それ…。い、いるのか?好きな男…」
聞かれ、エマはだんまりを決め込むも、すぐにパッと顔を上げ、いたずらっぽく笑って見せた。
「さ~、どうでしょ?教えな~い!」
「おまっ、ずるかねェか!?それ!!」
「ふふっ、おやすみ~」
エマと別れてから早くもひと月が過ぎようとしていた頃ーー
「「「エマが海軍に捕まったァァァ~~~!!?」」」
白ひげ海賊団に激震が走った。
「どこにそんな記事載ってんだよ!!?」
「ここだ、ここ!よく見ろ!!」
「ちっさ!!備忘録じゃねェか、これ!?」
「海賊団は解散…!船長は捕縛!インペルダウンに護送中!どうなってんだよ!エマは無事なのかァ!!?」
ニュース・クーが運んできた新聞を奪い合うようにして回し読み、かの四皇ともあろう海賊団の屈強な男どもが情けなく狼狽している。船長白ひげは落ち着き払った様子で渦中からひょいと新聞を奪い取り、3行ほどの小さな小さな記事に目を通した。
「インペルダウンなんかにぶち込まれりゃ、もう二度とお天道様なんざ拝めねェぞ…。誰か!エマがどこを目指してた知ってる奴ァいるかァ!?」
白ひげの鶴の一声で次々と情報が流れてくる。
あの宴の日、エマはこんなことを話していた。ここから北西のキベラ島で闇のブローカーが海軍に悪魔の実を売るという情報を手に入れた。それを奪い、白ひげに献上すれば今度こそ仲間に入れてくれるに違いない、とエマは息巻いていたという。
キベラ島と聞き、白ひげは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「あそこはアバグネイルの管轄だな…。奴ァ相当狡猾な男と聞く。…あのバカ、一杯食わされやがったな」
「親父、どうする!?助けに行くか!?」
当然だ、と答えようとしたとき、船が更に騒がしくなったかと思えば、エースがストライカーを降ろしている真っ最中だった。
「俺が行くよ、親父!船で行くよりこいつのが速ェ!」
エースの言う通り、モビーディック号のようなガレオン船では全速力をもってしても追いつけるかどうか怪しいところだ。その点、ストライカーであれば波・風の影響を受けにくく、エースの体力が保つ限りは夜通し走らせることができるため、政府の船がインペルダウンに着く前に追いつけると踏んだ。
「無茶ァすんなよ、エース。俺たちが着くまでの足止めができりゃ上等だ」
「ああ、わかってる。行かせてくれてありがとう、親父!」
言うが早いか、我慢できないといった様子でエースはあっという間に走り去ってしまった。モビーディック号も大慌てで船主を北西へ向け、全速前進する――。
「あーあ、まんまとやられた」
ところ変わって、こちらは絶賛捕縛中のエマ。力の限り抵抗したせいで満身創痍である。
一方こちらもエマのしつこい抵抗に疲弊しきった様子でアバグネイルがじとりと睨み付けた。
「してやられたのはこちらのセリフだ。まさかお前のような雑魚が引っかかるとは」
雑魚と言われてエマはケラケラと笑った。エマの懸賞金は800万ベリーと破格で、これしきの海賊を捕らえたくらいではアバグネイルの出世には何の影響もない。
「だったら見逃してよー。インペルダウンってヤバい囚人がいっぱいいるんでしょ?怖いよー。いじめられちゃうよー」
「安心しろ。貴様はせいぜい雑用係としてこき使われるだけだ。……それとも私の下に就くか?貴様の諜報力は認めてやる。独学でよく私の無線を傍受したものだ。しかるべき教育を受ければ良い戦力になるだろう」
今回エマが捕まってしまったのは他でもない、アバグネイルの撒き餌に引っかかってしまったのだ。
アバグネイルが闇のブローカーと悪魔の実の取引をしていたのは間違いない。わざわざ暗号化コードを用いて交渉のやり取りをしていた。
ほんの少しだけ、部外者が拾えるように細工をして、まんまと悪魔の実を奪いに来た略奪者を一網打尽にしてやる計画だったが、釣れたのはがエマだったというわけだ。
しかしわざと暗号通信に穴をあけていたとはいえ、これを拾えるのはかなりの手練れの者だ。大物海賊団であれば有しているであろう技術者なら拾えるような特殊な電波を、この小娘が拾ったのだというのだからアバグネイルは驚いた。
エマは子供の時分に白ひげの仲間になると決意してから、彼らの動向を追いかけるために毎日毎日無線機をいじり、情報を集めていた。そうしているうちに、自分は腕っぷしこそはからっきしだが、情報を武器に戦えることに気づいた。それからというもの、情報を集めて集めて戦って、今日に至ったわけだが、まさかここで仇になるとは努々思ってもみなかった。
「海兵なんてまっぴらごめんだね。アンタたちが私の故郷を見捨てたこと、一生忘れないんだから」
エマの故郷は西の海でも有数の酒の産地で、水質の良さから非常に質の良い酒造りが盛んで、世界的にもファンが多い。いくら作っても高く売れるため、島の人間は毎日働き、それなりに豊かに暮らしていた。
しかしそれに目を付けたやり手の国王が世界中の貴族や果ては海賊にまで売りつけ、国民には法外な手数料を徴収し、好き放題搾取する日々が続いた。
国王は金で海軍を抱え込んでいたため外部への助けは期待できず、国民の反乱感情が高ぶり、ついに内乱が起きそうになった時、現れたのが白ひげだった。
白ひげは故郷の酒を大変気に入り、国王もろとも海軍も追い出してしまい、ナワバリとして守ってくれることになった――というのが、エマが海賊になろうと決意したきっかけでもある。
「フン…。ならば一生臭い飯でも食ってろ。私の勧誘を断ったことを後悔しながら毎日枕を濡らすがいい」
「しねーよ。後悔するとしたら私の傍聴技術が優秀すぎたことだわ。…ところでこの船、なんでこんなトロトロ進んでんの?これじゃ、いつまでたっても着かないじゃん」
エマの言う通り、帆は半分たたまれていて、進んでいるかも疑わしいスピードで船は走っている。アバグネイルは水平線をじっと睨み付け、言った。
「待っているんだ。貴様を迎えにくる者を」
まるで要領を得ない表情を浮かべるエマにアバグネイルは続ける。
「貴様、ひと月前に白ひげと接触しているな。これまでも何度か略奪品を献上していることもわかっている。我々が今回餌に使ったこの”アワアワの実”も献上するつもりだったんだろう?」
何一つ否定できなかったが、アバグネイルの見解は大幅に外れている、とエマはおかしそうに笑った。
「白ひげが私を助けにくるって?あはは!あるわけないじゃん!私が今まで渡したはした金程度じゃ傘下にも入れてもらえなかったよ。だからいくら待っても、これ以上の大物は釣れません~。残念でした~」
女とは思えないような変顔で煽ってくるエマにアバグネイルがイラッとしたのは言うまでもないが、果たして無駄骨に過ぎないかはまだ判断するには尚早である、とアバグネイルは気を取り直し、いつ、どこから襲ってくるともしれない敵に備え、周囲の警戒を怠ることはなかった。
――その日の夜だ。
「敵襲!敵襲――ッ!!!」
エマを載せる軍艦のメインマストに火がつけられ、船内が俄かに慌ただしくなる。――来たか、とアバグネイルは己の予感が的中したことに内心胸を躍らせ、はやる気持ちを抑えて気を引き締める。
「敵の狙いはエマだ!第3部隊は囚人の護衛、第一部隊は索敵、第二部隊は船の保守にあたれ!!」
アバグネイルの号令に海兵たちが一斉に仕事にかかる。ドォン!!と一際大きく船が揺れ、右側面の砲口から煙が上がる。
「火薬が爆発しました!!船の右後方激しく損傷!!」
「砲台の火薬はすべて濡らせ!船が沈めば終いだぞ!相手は単騎だ、直ちに捕縛せよ!!」
メインマストへの放火に火薬の爆破ーー相手は火を使う者に違いない。それも強力な火力を操る者だ。
炎の消化に追われ、甲板が騒がしくなる中、船内へと急ぐ人影を目敏く見つけ、アバグネイルは後を追う。
船内が騒がしくなったことに気づき、エマは情報を集めようと聴覚を研ぎ澄ませる。どうやら侵入者がいるらしいのだが、まさか本当に誰かが自分を助けにでもきたというのか、とエマは胸がざわつく。
――どうしたって、期待してしまう。
誰か。
ここから逃がして――。
「火拳!!!!!」
エマが閉じ込められている部屋のドアが、炎とともに吹き飛んだ。
危うく巻き込まれそうになったこともさることながら、何よりも驚いたのは、
「エース!!?」
「白馬の王子サマ登場――なんてな」
そう言って余裕綽々で笑うものだから、エマは強がっていた緊張がほぐれ、泣き出しそうになった。
「言ってる場合じゃねェな。早く来い!脱出するぞ!」
と手招くエースだったがエマはまったく動こうとせず、少しだけ体をよじっては苦しそうな表情を浮かべる。
「ごめん…。脚、折られて…立てないの…」
エマに言われ、エースの顔色が変わる。見ればエマの両ふくらはぎは青黒く変色し、腿のように腫上がっていた。恐らく治療さえ施されていない。
その痛ましい姿を目の当たりにしたエースの瞳が怒りにゆれ、怪しげな光を放つ。「かわいそうになァ」と言いながらエースはエマを抱き上げると、鬼のような形相でいるはずのない敵を睨み付ける。
「大丈夫だから、このまま連れ出して…。見つかる前に逃げよう」
「……ああ、」
「逃がすわけないだろう」
アバグネイルが追いついた。動けないエマを抱えているせいで戦闘もままならない状態のエースを前に容赦なく剣を振るう。
アバグネイルは海軍大佐である。その肩書は何も冴えきった頭脳だけではない。武も両立させてこそ今の地位を得たと言える。
「…こいつの脚折ったの、お前か?」
「そうだ。あまりにも激しく抵抗するのでな、多少痛い目を見せた」
「多少、だと?」
エースは自分の背後にエマを一度降ろすと、アバグネイルに向かって拳を振り下ろす。
「てめェ、誰の女傷つけたか教えてやるよ!!!」
エースの拳を剣で受け止めたアバグネイルだったが、力の差で劣り、思い切り吹き飛ばされてしまう。散った炎があたりに飛び火し、船内をじわじわと熱くさせる。
吹き飛んだアバグネイルにとどめを刺そうとするエースを慌てて捕まえ、エマは懇願した。
「もう行こう、エース!囲まれちゃう!!」
騒ぎを聞きつけた海兵たちが押し寄せてくる足音が聞こえた。
エースはアバグネイルと海兵たちの喧騒、それからエマを見比べ、やり切れぬような悔しそうな声を上げてエマを抱き上げた。
「いたぞ、あそこだ!!」
「撃て、撃て!!」
「ダメだあいつ、火拳だ!!銃なんか通用しねェ!!」
体が炎のエースには海兵程度の物理攻撃など通用せず、エマを攻撃からかばいながら軍艦の中を風のように疾走する。ようやく外へ出ると、あっという間に甲板を駆け抜け、船尾にこっそりとつないでいたストライカーに乗り込んだ。
「エマ、掴まってろよ」
ストライカーの助手席に降ろされ、エマはバーをしっかりと握りしめると、エースは軍艦につないでいたロープを切り離し、エンジンをかけた。その音に気づき、海兵たちが慌てて船尾のほうへ移動するも、すでに数mは離れてしまっている。
「そいじゃ皆さん、良い旅を」
海兵たちの弾丸も届かず、砲台の火薬を詰め替える時間も与えられぬまま、海兵たちは去っていく二人を指をくわえてみているほかなかった。
「――いや~、まさか成功するとは。小せェ軍艦だったからよ、俺一人でいけんじゃね?と思ったら、本当にいけた」
ストライカーを優雅に走らせ、夜風に火照った体を冷やしながらエースは心底爽快に笑った。それからエマの脚の怪我を思い出し、ストライカーを停める。
「そうだ、脚大丈夫か?ったく、ひでェことするよな…」
エマの怪我の状態を見るためにしゃがみこんだエースの首に腕を巻き付け、エマが抱き着く。突然のことに驚いたエースは思考が停止し、身動きがとれなくなった。
この現実を確かめるようにエマは強く強くエースに抱き着き、言った。
「ありがとう…!エース、本当に王子様みたいだった!!!」
言われ、途端にエースは恥ずかしくなる。場を和ませるつもりで吐いたセリフが、まさか本気にされるとは。
しかしエースも、今ここにエマがいる現実を噛みしめ、己の腕の中にかき抱く。
もし、アバグネイルが欲をかいていなかったら、あの船に追いつくことはできなかったかもしれない。
もしエマがインペルダウンに到達してしまったら、親父のことだから取り返しに行くのだろうが、海軍との全面戦争になっていたかもしれない。
もし全面戦争が起きてしまったら、エマも、自分も、それから大切な仲間、親父も、生きていないかもしれない。
数えきれないもしもが後から後からこみ上げ、二人は今こうしているのが奇跡のように感じられ、お互いの存在を確かめ合うように強く強く抱き合う。
「…もう二度と会えないかもしれないと思ったら、怖かった」
ぽつりとエマが呟いたので、エースは「親父にか?」と聞くと、彼女は小さく首を振り、さらに小さな声で言った。
「………エースに………」
それから腕の中のエマの体温が上がったのを感じ、エースの体温も熱くなる。「そうか」だなんて気の利いた返しもできない己の甲斐性のなさに我ながら呆れるエースは、ええいままよとエマを引きはがし、真正面に向き直させる。
月明かりに照らされたお互いの顔は赤く、気恥ずかしいけれど、目を逸らすことはできない。
逃げちゃ、いけない――。
「好きだ、エマ。これからは俺がお前を守るから、俺のものになってくれ」
エースからの告白を受け、エマは自分がこの世で一番幸せ者なのではないかと錯覚してしまい、嬉しそうに笑って頷いた。
それを見届け、エースは緊張がほぐれたように顔を綻ばせる。
あまりにも甘い雰囲気に酔いしれた二人の距離は次第に近づいていき、お互いの瞳に自身の姿が映るほど接近し、あと少しで唇が触れる――
「あっ!おい!あれエースのストライカーじゃねェか!?」
直前に遠くから仲間の声が聞こえ、エースはがっくりと肩を落とした。見れば、ようやく追いついたモビーディック号がこちらに向かって進んでいる。
――エマを助けることに一切の躊躇がなかった白ひげは、はなからエマを仲間として受け入れるつもりだった。
抵抗してみせたのは、いつエマの気が変わっても誰にも責められないようにするためだ。
まさか先に我が息子と恋仲になってしまうとは、この時は努々思ってもみなかったが。
それはまた、あとのお話――。
fin.
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