第七章『導きの手』
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朝方近くになると室内に漂う冷え込んだ空気に反応して眠っていた信彦がくしゃみをした。
瞬間、室内に白光が瞬く。
「・・・あ・・・れ・・・?」
光が収縮すると約一日ぶりに大きい方の姿に戻り、同時に眠りから覚めたシグナルがぼんやりと声を洩らした。
覚醒しきっていない電脳は無意識のうちに昨日の出来事を思い返す。
―――――SIGNAL君
刹那、誰かの声が記憶に蘇った。
これはあの夢の断片だ。
そう感じたシグナルの意識は夢の内容を辿り出す。
暗い静かな所で迷子になって途方に暮れていると聞こえてくる歌声。
それが響いてくる場所を目指して行った時、〝彼女〟にシグナルは名前を呼ばれたのだ。
思いを巡らせながらベッドから身体を起こそうとしたシグナルは、ふと右隣に顔を向けたところで動きを止めてしまう。
シグナルが大きい姿に戻ったのは、眠っていた信彦がくしゃみをしたからだ。
だから信彦が隣に寝ていたとしても、別段驚くことではない。
しかし、そこにもう一人―――――想定外の人物が寝ていたとしたら。
「・・・なっ・・・なん・・・で!?」
瞠目したシグナルの瞳が捉えたのは瑠璃の姿だった。
鼓動が早鐘を打つような感覚につられて、思わずシグナルは叫び声を上げそうになったがそれを何とか堪えると、急いで身体を起こし、ベッドから降りてドアに向かう。
どうしてシグナルの隣で瑠璃が眠っていたのか。
それは昨晩ちびシグナルが久しぶりに瑠璃と一緒に寝たいと言い出したからだった。
けれどそれを聞いた信彦が黙っている筈はなく、少し大きめのシングルベッドが置かれていた瑠璃の部屋で三人一緒に寝ていたのだ。
「―――――シグナル?」
「・・・・・っ!?」
部屋を出たところでドアを背にして脱力しながら、息を吐き出していたシグナルは聞こえてきた声に思わずぎくっと反応してしまう。
顔を上げるとちょうど瑠璃の部屋の斜め向かいにある書斎のドアの前にパルスが立っている。
「そこは瑠璃の部屋だろう。こんな朝早くから、お前はそこで何をしてるんだ?」
一応、ロボット達にも各々の部屋は与えられている。
しかし、シグナルとパルスの場合はあまり使用されていない。
シグナルの場合たいてい夜はちびの方になっているために信彦の部屋で寝ていたりする。
一方、パルスはリビングのソファーでよく昼寝などをしていたりするのだが、時には人の出入りの少ない書斎の方でそのまま寝入っていたりすることがあるからだ。
「・・・なっ、なにもしてないよ!!」
怪訝そうに見据えてくるパルスからの追求を逃れるべく、勢いよくシグナルはそう叫ぶと階段へ向かい一階に駆け下りて行ってしまう。
そんなシグナルの様子にパルスは眉を顰めるも、後を追いかける事はしなかった。
それをすれば朝早くからのケンカに発展してしまうだろう、その光景が容易に浮んだためだった。
それから暫らくすると他の面々も起床する時刻となり、瑠璃も目を覚ましたのだが。
―――――暗い静かな場所に響く歌声
―――――歌を唄っている〝少女〟の姿が見える
―――――あれは・・・・わたし?
―――――そして、その傍らに居るのは・・・・・
目覚める直前、瑠璃もまたシグナルと同様に不可思議な夢を見ていたのだった。
そうしてお昼を過ぎた頃。
「若先生! ぼくもエモーションさんに会えます?」
昨日こちらに来ていたエモーションが自分を知っている感じだったと、正信から話を聞いたシグナルがそう言ったとき―――――。
「正信さん。私も、もう一度エモーションさんに会うことはできますか」
と、瑠璃も正信にそう頼んだのだ。
――――――夢に隠された『秘密』を確かめるために。
しかし、正信からの承諾を得る事は出来たものの、エモーションとの再度の邂逅は叶わなかった。
「二人とも、やっぱりエルはいないってさ」
「―――――そうですか・・・」
『第一研究室』からカシオペア家のホストコンピューターに、アクセスを試みた正信から告げられた言葉にシグナルががっくりと肩を落とした。
エモーションは遊びに出ていた場合、〝鉄砲玉〟でいつ戻ってくるか分からないのだ。
「あんま気にすんなよ、シグナル。瑠璃姉ちゃんもさ、また機会があるよ―――――」
「えぇ・・・そうね」
研究室から出て来たところで、話しかけてきたのは信彦だった。
正信がシグナルに話をした時、その場に信彦も居合わせていたのだ。
信彦の言葉に、瑠璃は曖昧な表情で頷く。
一方、シグナルは腕組をしながら、やはり複雑そうな表情で唸っていたのだが。
ふと、目線を上に向けながら「あ」と声を洩らすと、
「そうだ、そうだ!」
「シグナル? どこいくの―――――?」
笑みを浮べながら廊下を駆け出して行ってしまったシグナルに向かって信彦が叫ぶ。
が、届かなかったようでシグナルからの返事はなかった。
そこで、このままこの場に立ち止まっていても仕方ないので、瑠璃は信彦を促がし一緒にリビングに向かうべく歩き出した。
けれど、二階に上るための階段が廊下の先に見えたところで、ふと瑠璃は足を止めてしまっていた。
「もしかして・・・・・」
ぽつりと、瑠璃は呟く。
『第二研究室』にシグナルは向かったのではないだろうか。
―――――電脳空間に潜入するために。
「瑠璃姉ちゃん?」
急に立ち止まると、じっと階段の先を見つめた瑠璃の様子に、眉を顰めた信彦が呼びかけてくる。
「ごめんね、信彦君。ちょっと・・・用事を思い出したから二階の研究室に行って来るわね」
我に返った瑠璃は信彦にそう告げると、研究室に向かうべく階段を上り始めた。
「―――――瑠璃。お前も電脳空間に降りるのか?」
「・・・パルス君」
『第二研究室』のドアを開くと、声を掛けてきたのはパルスだった。
お前も、というパルスの言葉から目線を研究室の奥に向ければ、先日のクォンタムとの攻防戦でメインプログラムが一部破損したために、整備椅子に身を沈めながら、現在電脳空間で療養中であるオラトリオの近くに、考えた通りすでに潜入したシグナルの姿が在る。
そして正信がシグナルにエモーションの話をしていた時、いつの間にかリビングから姿を消していたコードの姿もそこに在ることに瑠璃は気がついた。
どうやらコードも電脳空間に潜入しているらしい。
ケーブルに繋がれたその体は、試しに近寄って触れてもピクリともしなかった。
「えぇ。ちょっとオラクルに、エモーションさんの事を聞きに行って来るわ」
パルスに告げながら自分も電脳空間に潜入するべく、瑠璃はダイブシステムを設定したコンピューターに向かう。
エモーションは電脳空間にのみ存在している。
だからシグナルは「オラクルに話を聞けばいい」と思いついて電脳空間に潜入したのだ。
「そうか。ところで瑠璃―――――朝方近くなんだがお前の部屋にシグナルが来ていなかったか?」
「え? 朝方近くって・・・・・」
脳波を受信するためのチップを頭部に貼りつけて、システムを起動させるべくキーボード操作をしていた手を瑠璃は止め、椅子に座っていた身体をひねって、近くに来ていたパルスを振り返る。
「昨夜は信彦君とちびちゃんと三人で、一緒に私の部屋で寝ていたんだけど」
そう告げると、パルスは合点がいった様子で嘆息した。
「なるほどな」
何がなるほどなのだろうか?
パルスの言葉を瑠璃は疑問に思ったが、しかし今はそれよりも本来の目的の方を優先するべきだろうと考え、またコンピューターに向き直った。
そして―――――
「じゃあ、いって来ます」
「あぁ。気をつけるんだぞ」
この会話を最後に、瑠璃の意識は眠りの淵に沈んでいった。
白亜の建物の前に降り立つと、その扉を瑠璃は開いて中を進んで行く。
そうして長い廊下の先にある<ORACLE>の中心部に入室した瑠璃は、そこで司書と守護者の二人に挨拶をしようとしたのだが。
「・・・コード?」
「あ、瑠璃。いらっしゃい」
思わず呆然と立ち止まってしまった瑠璃に気づいたオラクルが声を掛けてくる。
「こんにちは、オラクル。・・・あの、なんでコードはシグナル君に追いかけられているの?」
「それはですね、お嬢さん。師匠が何やら、隠し事をしているからみたいなんすよ」
オラクルの傍に向かい、瑠璃が尋ねかけるとカウンターに腰を据えていたオラトリオが告げてくる。
「―――――隠し事?」
眉根を寄せ、瑠璃は思慮をめぐらせる。
昨日エモーションと会った時からコードは様子がおかしかった。
そして正信がエモーションの話をシグナルにしていた時に、コードは姿を消してこちらに来た。
「コード! エモーションさんのことで教えてほしいことがあるのだけど!」
ぐるぐると室内をシグナルから逃げるように、早足で歩き回るコードに視線を向けて、瑠璃は呼びかける。
と、ピタとコードの足が止まる。
「ちょっと待てよ!! コード!」
ツカツカとコードを追いかけていたシグナルが、そのチャンスを逃すことなくがしっと肩を捉える。
「瑠璃! 悪いが、いまはその話はできん」
刹那、そう言い放ったコードの姿がスッと消えてしまう。
「あ!! 逃げられた!!」
コードが立っていた場所には、ポッカリと暗い穴が開いている。
「くそー! 追いかける!」
肩を怒らせて勢いよく穴に飛び込もうとしたシグナルを、慌てて取り押さえたのはオラトリオだった。
「ちょっと待てシグナル!! その穴は地下違法空間 に通じてるぞ!」
違法地下空間―――――というのは、一般空間とは違ってかなり荒れた場所であり、まるで迷路の様でもある。
コードはよくそこにも出入りをしているので慣れてはいるが、電脳空間初心者であるシグナルがそのような場所に行けば、間違いなく迷ってしまうだろう。
「コードの奴~~~~~私の空間にこんな穴を~~~~~」
オラクルが穴を見据えて唸る。
「しっかし、師匠がここまでして逃げることって?」
「―――――・・・なんだろう?」
そうしてシグナルをがっしりと羽交い絞めにしたオラトリオが、オラクルと顔を見合わせてそう呟いた。
「お。エモーションが来てくれてたのかい」
一方、現実空間では昨日エモーションがこちらに来たとき、たまたま所用で留守にしていた教授がみのるから彼女が訪れていたことを聞いて『第二研究室』に資料を手にしながら向かっていた。
「頼んでいたもの持ってきといてくれたかな?」
「えぇ。人格調整プログラムソフトですね。研究室のお義父さまのコンピューターのハードディスクにおとしておきました」
にこりと笑いみのるが告げると、教授も笑みを浮べながら礼を口にした。
「おお。ありがとう、ありがとう。カシオペア博士のこのソフトがあれば、オラトリオのメインプログラムの破損部分をチェックできるってもんじゃ」
ガチャと研究室のドアを開くと、教授は意外そうに目を瞬かせた。
「お、パルス。珍しいの、お前さんがここに整備以外でおるなんて。それに―――――なんじゃい、コードもシグナルも・・・それに瑠璃さんまで電脳空間に潜入しておるのかい」
「もしかして―――――・・・あの事を調べてるのかしら?」
小首を傾げると、思いついた様子で目を瞬かせそう言ったみのるに教授は振り返る。
「あのこと? ってなんじゃいな、みのるさん」
「えぇ。じつは・・・」
「一体なんでだよ―――――~っ!! ぼくはエモーションさんに会ったことがな―――――~い! なのに! なんで向こうはぼくを知ってるんだ―――――!!」
<ORACLE>の司書室にシグナルの、力いっぱいの叫び声が響き渡る。
瑠璃がこちらに来る少し前、先に電脳空間に降りた際にシグナルはエモーションと会ったのだという。
そして間違いなく彼女が自分を知っているのだと確信を得たのだが、やはりシグナルにはエモーションと会ったという記憶がないのだ。
それなのに何故、向こうは自分を知っているのか?
それが考えても分からないのでシグナルは苛立ってしまうのだろう。
「・・・オラトリオ。お前の弟だろう。構ってやったらどうだ?」
見かねたオラクルがソファーに悠然と座っていたオラトリオに言う。
しかし、オラトリオは「いや」と即答した。
「せっかく瑠璃お嬢さんが来てくれているのに、なんであいつの相手をせにゃいかんの」
「・・・でも、私も知りたいのよね。どうしてエモーションさんはシグナル君の事を知っていたのか」
オラトリオの向かいのソファーに座っていた瑠璃が目を伏せながら言う。
「じゃあお嬢さんのためにも、少しマジメに考えてみようか」
と、その言葉に態度を急変させたオラトリオがシグナルに呼びかけた。
「おい、シグナル! サルみたいに暴れてないでちょっとこっちに来い」
「誰がサルだ―――――!!」
途端、シグナルが憤慨しながらオラトリオに向かってくる。
「私の空間で暴れるな―――――っ!!」
兄弟ケンカを止めるべく、オラクルが声を上げる。
その数秒後―――――。
「わたくしに挑戦しようとは10年修行が足りんのう」
床で目を回したシグナルを、腕を組んだオラトリオが呆れた様子で見下ろしていたのだ。
「もー、ぼく戦闘型なのになんで勝てね―――――のかなぁ・・・」
頭を擦りながら身体を起こしたシグナルが、床に座り込みながら憮然とした様子で唸る。
「そら、しょうがない。このお兄さんはシグナル君よりずっと前に造られているのだ」
と、肩を竦めながらオラトリオが経験の差だと言う。
その会話から「エモーションのことなら兄であるコードに訊けばいいのでは?」とオラクルが提案をしたのだが、先程逃げられてしまったので尋ねる事はできない。
そこで、もう一つの方法としてオラクルが告げてきたのが。
「シグナル、瑠璃。よければ<ORACLE>のA-ナンバーズの資料をあたろうか?」
「本当か? オラクル」
表情を輝かせ、シグナルがオラクルを見る。
「ただし。閲覧できるものに限られるが」
「ありがとう。オラクル」
オラクルの言葉に、瑠璃もまた笑みを零して礼を口にした。
<A-E>EMOTION:ELEMENTAL ELECTRO-ELEKTRA
A-ナンバーズ初の女性人格プログラムであり、現在稼動中のロボットプログラムとしては、アトランダム・コードに続く古参メンバーなのだという。
その後に、
<A-E1α>ELARA
<A-E1β>EUROPA
が、エモーションのプログラムを元に製作された。
彼女たちは<A-K>KARMAの次に完成している。
人間でいうと3人はDNAがまったく同じで、でも違う人格。
いわゆる3つ子というやつなのだ。
ちなみにオラトリオとオラクルも、双子とは少し違うが似たようなものなのである。
しかし、エモーションはいつシグナルのことを知ったのだろうか。
―――――この疑問に答えたのはオラクルだった。
「私より先にということはないだろう。私は頭脳集集団アトランダムの情報管理者だから、シグナルのことは<A-S>として登録された時から知っているが」
「師匠は?」
「コードは・・・どうかな?」
オラトリオが口を挟むと、オラクルは眉根を寄せてしまう。
そこでオラトリオが思いついたのが―――――教授は最初からコードにシグナルの補助を頼んでいたはずだから、オフレコで話を聞いてたかもしれないというものだった。
「―――――・・・待てよ」
トルコ帽を右手に持ちながら、左手でダーディブロンドの髪を撫でつけたオラトリオが、ふと眉を顰めた。
「俺たちは体ができる前から人格は存在している! 現実空間より先に電脳空間では存在してるじゃね―――――か!」
「そうか・・・生まれる前か」
オラクルが感心した様子で頷く。
「あ・・・」
生まれる前・・・・。
「シグナル君、オラトリオとオラクルにも〝あの話〟をしてみたほうがいいんじゃないかしら」
呆然と声を洩らしたシグナルに瑠璃が振り返った。
すると二人も「あの話?」とシグナルに目線を向けてくる。
「聞いて! オラトリオ! オラクル!」
それを受けたシグナルは、やがて決意した様子で二人に〝あの夢〟の内容を語り出した。
そうして出された結論が多分「導きの手」はエモーションだろう。
もう一人、歌を唄っていたという人物に関しては分からないが・・・・・。
これがオラトリオの口から出たとき、一瞬瑠璃の表情が翳ったことに気づいたのはシグナルのみだった。
しかし、最初に〝生まれる前の夢〟の話をした時には、そのような反応を瑠璃が見せてくることはなかったのに急にどうしたというのか。
―――――やっぱりもう一人、夢の中に出てきた歌声の主は・・・・・
そう思いながら、シグナルはオラトリオの話に耳を傾ける。
「ただ、不思議だな」
「何が?」
「完成前のロボットプログラムにどうやって接触したかってさ」
そうだろ? とオラトリオが肩を竦めながら言う。
「生まれる前の不安定なプログラムを公的空間に教授が置くわきゃねぇ。教授のホストコンピューターの仮想空間の、しかも多分何重ものガードをひいた中で子宮の中の胎児のように育てられたはずだ」
「じ・・・じゃあ、もしそこから出ちゃったら?」
恐る恐るシグナルが問いを口にする。
「何かトラウマを負ったら最悪・・・ロボットとして起動できないかもしれん。
つまり―――――死んでしまうかもしれないってわけさ」
と、オラトリオの返事にシグナルの顔色がみるみる真っ青になっていく。
「死~~~~~っ!」
「大丈夫、大丈夫。お前は死んでない」
絶叫したシグナルに、オラクルが苦笑しながら言う。
バグっているけどな、とオラトリオが口を挟むとシグナルは憤然とまたなりかけたが、それを止めるようにカウンターに置かれていた電話がコール音を鳴らした。
「はい―――――あ、はい。わかりました、今替わります」
額にかかる髪の毛を手でかきあげながら、電話に応答していたオラクルが、受話器を片手にオラトリオに振り返る。
「え。俺?」
「音井教授からだ」
自身を指さして確認したオラトリオは、オラクルから受話器を受け取ると左手でそれを持ちながら右手を電話のコードに絡め、底抜けに明るい返事をした。
「は―――――い! オラトリオ君でーす。何か御用っすか―――――」
『御用ってなぁ・・・。オラトリオ・・・プログラムが壊れとるのに元気だねぇ』
連絡を寄越してきた教授が電話の向こうで苦笑する。
そしてオラトリオが教授と電話でやり取りをする中、オラクルに足があることに気づいたシグナルが騒ぎ出す。
「騙したな―――――っ。前、接続ケーブルでウネウネだったくせに―――――っ」
「あの姿も私だ」
「シグナル君、オラクルの姿はCGだからどちらも本当なのよ」
オラクルが半眼でシグナルに言葉を返すと、続けて瑠璃も説明をする。
「シグナルと瑠璃お嬢さんですか? いますけど―――――」
と、電話をしていたオラトリオが、ふとこちらに振り返ってきたので、シグナルと瑠璃は電話の内容に聞き耳を立てる。
「エモーション? 教授もですか。えぇ、今俺たちもその話をしていて―――――そうです」
どうやら教授からの連絡はエモーションの件らしい。
「で、俺たちの結論ですが・・・」
真剣な表情でオラトリオが告げようとした瞬間。
チンッ―――――と電話が、突然伸ばされた手により切られてしまう。
「師匠! 何するんですか!!」
不通となったコール音が響く中、オラトリオが受話器を握り締めながら、眉根をよせて電話を切った犯人であるコードに抗議する。
しかし、コードは憮然とした表情でそっぽを向いていた。
が、オラトリオが再び教授と連絡を取るべく番号を回した途端、また手を伸ばして不通にしてしまう。
「ああ・・・なんだかわけのわかんない闘いが・・・」
目の前で繰り広げられ始めたその光景にオラクルが呆れた様子で呟く。
暫らくの間、瑠璃もシグナルと並んで呆然と二人の闘いを眺めていたのだが。
ぷち、とどうやらコードは切れてしまったらしい。
シュッと袂が翻されるとそこにコードの愛刀である『細雪』が現れる。
閃く刃を見てオラトリオが、ひぃと反射的に身を引く。
刹那、電話は真二つに斬られてしまい、残ったのはオラトリオの手に握り締められていた受話器のみだった。
「師匠―――――っ。『細雪』で電話回線斬るなんてあんた何考えてるんですか!!」
「わ・・・私の連絡回線が―――――っコード!! やっていいこととシャレにならんことがあるぞ!」
オラトリオとコードの絶叫が響き渡る。
そうしてコードに詰め寄ろうとした二人を、制するように手を広げたのがシグナルだった。
「コード!!」
勢いよく叫んだシグナルは、じっとコードを睨みつけながら低い声で問いかける。
「ぼくが生まれる前。ぼくに・・・何をした?」
顔を顰めながらコードは、シグナルから視線を逸らしてしまう。
その刹那、コードの足元にあの暗い穴がまた現れる。
シグナルは「あ」と目を見開くと、ダッと勢いよく駆け出して行く。
「また逃げるかー!!」
「待て! シグナル!!」
穴に飛び込むシグナルをオラトリオがまた止めようとしたのだが今度は間に合わなかった。
「あー! あいつ一人で地下空間行けるわきゃねぇじゃねーか!」
「ついていってやれオラトリオ!」
穴の中に向かって叫んだオラトリオに、穴を覗き込みながらオラクルが言う。
そして瑠璃も二人の傍でぽっかりと開いた穴を見つめていたのだが。
「オラトリオ、オラクル。とりあえず、先に私がシグナル君を追うわ!!」
「瑠璃お嬢さん!?」
「瑠璃!?」
聞こえてきた言葉に二人が瞠目した時には、またもや止める隙なく暗い穴の中に瑠璃も飛び込んで行ってしまっていたのだ。
06・4/8掲載
06・5/18一部修正
瞬間、室内に白光が瞬く。
「・・・あ・・・れ・・・?」
光が収縮すると約一日ぶりに大きい方の姿に戻り、同時に眠りから覚めたシグナルがぼんやりと声を洩らした。
覚醒しきっていない電脳は無意識のうちに昨日の出来事を思い返す。
―――――SIGNAL君
刹那、誰かの声が記憶に蘇った。
これはあの夢の断片だ。
そう感じたシグナルの意識は夢の内容を辿り出す。
暗い静かな所で迷子になって途方に暮れていると聞こえてくる歌声。
それが響いてくる場所を目指して行った時、〝彼女〟にシグナルは名前を呼ばれたのだ。
思いを巡らせながらベッドから身体を起こそうとしたシグナルは、ふと右隣に顔を向けたところで動きを止めてしまう。
シグナルが大きい姿に戻ったのは、眠っていた信彦がくしゃみをしたからだ。
だから信彦が隣に寝ていたとしても、別段驚くことではない。
しかし、そこにもう一人―――――想定外の人物が寝ていたとしたら。
「・・・なっ・・・なん・・・で!?」
瞠目したシグナルの瞳が捉えたのは瑠璃の姿だった。
鼓動が早鐘を打つような感覚につられて、思わずシグナルは叫び声を上げそうになったがそれを何とか堪えると、急いで身体を起こし、ベッドから降りてドアに向かう。
どうしてシグナルの隣で瑠璃が眠っていたのか。
それは昨晩ちびシグナルが久しぶりに瑠璃と一緒に寝たいと言い出したからだった。
けれどそれを聞いた信彦が黙っている筈はなく、少し大きめのシングルベッドが置かれていた瑠璃の部屋で三人一緒に寝ていたのだ。
「―――――シグナル?」
「・・・・・っ!?」
部屋を出たところでドアを背にして脱力しながら、息を吐き出していたシグナルは聞こえてきた声に思わずぎくっと反応してしまう。
顔を上げるとちょうど瑠璃の部屋の斜め向かいにある書斎のドアの前にパルスが立っている。
「そこは瑠璃の部屋だろう。こんな朝早くから、お前はそこで何をしてるんだ?」
一応、ロボット達にも各々の部屋は与えられている。
しかし、シグナルとパルスの場合はあまり使用されていない。
シグナルの場合たいてい夜はちびの方になっているために信彦の部屋で寝ていたりする。
一方、パルスはリビングのソファーでよく昼寝などをしていたりするのだが、時には人の出入りの少ない書斎の方でそのまま寝入っていたりすることがあるからだ。
「・・・なっ、なにもしてないよ!!」
怪訝そうに見据えてくるパルスからの追求を逃れるべく、勢いよくシグナルはそう叫ぶと階段へ向かい一階に駆け下りて行ってしまう。
そんなシグナルの様子にパルスは眉を顰めるも、後を追いかける事はしなかった。
それをすれば朝早くからのケンカに発展してしまうだろう、その光景が容易に浮んだためだった。
それから暫らくすると他の面々も起床する時刻となり、瑠璃も目を覚ましたのだが。
―――――暗い静かな場所に響く歌声
―――――歌を唄っている〝少女〟の姿が見える
―――――あれは・・・・わたし?
―――――そして、その傍らに居るのは・・・・・
目覚める直前、瑠璃もまたシグナルと同様に不可思議な夢を見ていたのだった。
そうしてお昼を過ぎた頃。
「若先生! ぼくもエモーションさんに会えます?」
昨日こちらに来ていたエモーションが自分を知っている感じだったと、正信から話を聞いたシグナルがそう言ったとき―――――。
「正信さん。私も、もう一度エモーションさんに会うことはできますか」
と、瑠璃も正信にそう頼んだのだ。
――――――夢に隠された『秘密』を確かめるために。
しかし、正信からの承諾を得る事は出来たものの、エモーションとの再度の邂逅は叶わなかった。
「二人とも、やっぱりエルはいないってさ」
「―――――そうですか・・・」
『第一研究室』からカシオペア家のホストコンピューターに、アクセスを試みた正信から告げられた言葉にシグナルががっくりと肩を落とした。
エモーションは遊びに出ていた場合、〝鉄砲玉〟でいつ戻ってくるか分からないのだ。
「あんま気にすんなよ、シグナル。瑠璃姉ちゃんもさ、また機会があるよ―――――」
「えぇ・・・そうね」
研究室から出て来たところで、話しかけてきたのは信彦だった。
正信がシグナルに話をした時、その場に信彦も居合わせていたのだ。
信彦の言葉に、瑠璃は曖昧な表情で頷く。
一方、シグナルは腕組をしながら、やはり複雑そうな表情で唸っていたのだが。
ふと、目線を上に向けながら「あ」と声を洩らすと、
「そうだ、そうだ!」
「シグナル? どこいくの―――――?」
笑みを浮べながら廊下を駆け出して行ってしまったシグナルに向かって信彦が叫ぶ。
が、届かなかったようでシグナルからの返事はなかった。
そこで、このままこの場に立ち止まっていても仕方ないので、瑠璃は信彦を促がし一緒にリビングに向かうべく歩き出した。
けれど、二階に上るための階段が廊下の先に見えたところで、ふと瑠璃は足を止めてしまっていた。
「もしかして・・・・・」
ぽつりと、瑠璃は呟く。
『第二研究室』にシグナルは向かったのではないだろうか。
―――――電脳空間に潜入するために。
「瑠璃姉ちゃん?」
急に立ち止まると、じっと階段の先を見つめた瑠璃の様子に、眉を顰めた信彦が呼びかけてくる。
「ごめんね、信彦君。ちょっと・・・用事を思い出したから二階の研究室に行って来るわね」
我に返った瑠璃は信彦にそう告げると、研究室に向かうべく階段を上り始めた。
「―――――瑠璃。お前も電脳空間に降りるのか?」
「・・・パルス君」
『第二研究室』のドアを開くと、声を掛けてきたのはパルスだった。
お前も、というパルスの言葉から目線を研究室の奥に向ければ、先日のクォンタムとの攻防戦でメインプログラムが一部破損したために、整備椅子に身を沈めながら、現在電脳空間で療養中であるオラトリオの近くに、考えた通りすでに潜入したシグナルの姿が在る。
そして正信がシグナルにエモーションの話をしていた時、いつの間にかリビングから姿を消していたコードの姿もそこに在ることに瑠璃は気がついた。
どうやらコードも電脳空間に潜入しているらしい。
ケーブルに繋がれたその体は、試しに近寄って触れてもピクリともしなかった。
「えぇ。ちょっとオラクルに、エモーションさんの事を聞きに行って来るわ」
パルスに告げながら自分も電脳空間に潜入するべく、瑠璃はダイブシステムを設定したコンピューターに向かう。
エモーションは電脳空間にのみ存在している。
だからシグナルは「オラクルに話を聞けばいい」と思いついて電脳空間に潜入したのだ。
「そうか。ところで瑠璃―――――朝方近くなんだがお前の部屋にシグナルが来ていなかったか?」
「え? 朝方近くって・・・・・」
脳波を受信するためのチップを頭部に貼りつけて、システムを起動させるべくキーボード操作をしていた手を瑠璃は止め、椅子に座っていた身体をひねって、近くに来ていたパルスを振り返る。
「昨夜は信彦君とちびちゃんと三人で、一緒に私の部屋で寝ていたんだけど」
そう告げると、パルスは合点がいった様子で嘆息した。
「なるほどな」
何がなるほどなのだろうか?
パルスの言葉を瑠璃は疑問に思ったが、しかし今はそれよりも本来の目的の方を優先するべきだろうと考え、またコンピューターに向き直った。
そして―――――
「じゃあ、いって来ます」
「あぁ。気をつけるんだぞ」
この会話を最後に、瑠璃の意識は眠りの淵に沈んでいった。
白亜の建物の前に降り立つと、その扉を瑠璃は開いて中を進んで行く。
そうして長い廊下の先にある<ORACLE>の中心部に入室した瑠璃は、そこで司書と守護者の二人に挨拶をしようとしたのだが。
「・・・コード?」
「あ、瑠璃。いらっしゃい」
思わず呆然と立ち止まってしまった瑠璃に気づいたオラクルが声を掛けてくる。
「こんにちは、オラクル。・・・あの、なんでコードはシグナル君に追いかけられているの?」
「それはですね、お嬢さん。師匠が何やら、隠し事をしているからみたいなんすよ」
オラクルの傍に向かい、瑠璃が尋ねかけるとカウンターに腰を据えていたオラトリオが告げてくる。
「―――――隠し事?」
眉根を寄せ、瑠璃は思慮をめぐらせる。
昨日エモーションと会った時からコードは様子がおかしかった。
そして正信がエモーションの話をシグナルにしていた時に、コードは姿を消してこちらに来た。
「コード! エモーションさんのことで教えてほしいことがあるのだけど!」
ぐるぐると室内をシグナルから逃げるように、早足で歩き回るコードに視線を向けて、瑠璃は呼びかける。
と、ピタとコードの足が止まる。
「ちょっと待てよ!! コード!」
ツカツカとコードを追いかけていたシグナルが、そのチャンスを逃すことなくがしっと肩を捉える。
「瑠璃! 悪いが、いまはその話はできん」
刹那、そう言い放ったコードの姿がスッと消えてしまう。
「あ!! 逃げられた!!」
コードが立っていた場所には、ポッカリと暗い穴が開いている。
「くそー! 追いかける!」
肩を怒らせて勢いよく穴に飛び込もうとしたシグナルを、慌てて取り押さえたのはオラトリオだった。
「ちょっと待てシグナル!! その穴は
違法地下空間―――――というのは、一般空間とは違ってかなり荒れた場所であり、まるで迷路の様でもある。
コードはよくそこにも出入りをしているので慣れてはいるが、電脳空間初心者であるシグナルがそのような場所に行けば、間違いなく迷ってしまうだろう。
「コードの奴~~~~~私の空間にこんな穴を~~~~~」
オラクルが穴を見据えて唸る。
「しっかし、師匠がここまでして逃げることって?」
「―――――・・・なんだろう?」
そうしてシグナルをがっしりと羽交い絞めにしたオラトリオが、オラクルと顔を見合わせてそう呟いた。
「お。エモーションが来てくれてたのかい」
一方、現実空間では昨日エモーションがこちらに来たとき、たまたま所用で留守にしていた教授がみのるから彼女が訪れていたことを聞いて『第二研究室』に資料を手にしながら向かっていた。
「頼んでいたもの持ってきといてくれたかな?」
「えぇ。人格調整プログラムソフトですね。研究室のお義父さまのコンピューターのハードディスクにおとしておきました」
にこりと笑いみのるが告げると、教授も笑みを浮べながら礼を口にした。
「おお。ありがとう、ありがとう。カシオペア博士のこのソフトがあれば、オラトリオのメインプログラムの破損部分をチェックできるってもんじゃ」
ガチャと研究室のドアを開くと、教授は意外そうに目を瞬かせた。
「お、パルス。珍しいの、お前さんがここに整備以外でおるなんて。それに―――――なんじゃい、コードもシグナルも・・・それに瑠璃さんまで電脳空間に潜入しておるのかい」
「もしかして―――――・・・あの事を調べてるのかしら?」
小首を傾げると、思いついた様子で目を瞬かせそう言ったみのるに教授は振り返る。
「あのこと? ってなんじゃいな、みのるさん」
「えぇ。じつは・・・」
「一体なんでだよ―――――~っ!! ぼくはエモーションさんに会ったことがな―――――~い! なのに! なんで向こうはぼくを知ってるんだ―――――!!」
<ORACLE>の司書室にシグナルの、力いっぱいの叫び声が響き渡る。
瑠璃がこちらに来る少し前、先に電脳空間に降りた際にシグナルはエモーションと会ったのだという。
そして間違いなく彼女が自分を知っているのだと確信を得たのだが、やはりシグナルにはエモーションと会ったという記憶がないのだ。
それなのに何故、向こうは自分を知っているのか?
それが考えても分からないのでシグナルは苛立ってしまうのだろう。
「・・・オラトリオ。お前の弟だろう。構ってやったらどうだ?」
見かねたオラクルがソファーに悠然と座っていたオラトリオに言う。
しかし、オラトリオは「いや」と即答した。
「せっかく瑠璃お嬢さんが来てくれているのに、なんであいつの相手をせにゃいかんの」
「・・・でも、私も知りたいのよね。どうしてエモーションさんはシグナル君の事を知っていたのか」
オラトリオの向かいのソファーに座っていた瑠璃が目を伏せながら言う。
「じゃあお嬢さんのためにも、少しマジメに考えてみようか」
と、その言葉に態度を急変させたオラトリオがシグナルに呼びかけた。
「おい、シグナル! サルみたいに暴れてないでちょっとこっちに来い」
「誰がサルだ―――――!!」
途端、シグナルが憤慨しながらオラトリオに向かってくる。
「私の空間で暴れるな―――――っ!!」
兄弟ケンカを止めるべく、オラクルが声を上げる。
その数秒後―――――。
「わたくしに挑戦しようとは10年修行が足りんのう」
床で目を回したシグナルを、腕を組んだオラトリオが呆れた様子で見下ろしていたのだ。
「もー、ぼく戦闘型なのになんで勝てね―――――のかなぁ・・・」
頭を擦りながら身体を起こしたシグナルが、床に座り込みながら憮然とした様子で唸る。
「そら、しょうがない。このお兄さんはシグナル君よりずっと前に造られているのだ」
と、肩を竦めながらオラトリオが経験の差だと言う。
その会話から「エモーションのことなら兄であるコードに訊けばいいのでは?」とオラクルが提案をしたのだが、先程逃げられてしまったので尋ねる事はできない。
そこで、もう一つの方法としてオラクルが告げてきたのが。
「シグナル、瑠璃。よければ<ORACLE>のA-ナンバーズの資料をあたろうか?」
「本当か? オラクル」
表情を輝かせ、シグナルがオラクルを見る。
「ただし。閲覧できるものに限られるが」
「ありがとう。オラクル」
オラクルの言葉に、瑠璃もまた笑みを零して礼を口にした。
<A-E>EMOTION:ELEMENTAL ELECTRO-ELEKTRA
A-ナンバーズ初の女性人格プログラムであり、現在稼動中のロボットプログラムとしては、アトランダム・コードに続く古参メンバーなのだという。
その後に、
<A-E1α>ELARA
<A-E1β>EUROPA
が、エモーションのプログラムを元に製作された。
彼女たちは<A-K>KARMAの次に完成している。
人間でいうと3人はDNAがまったく同じで、でも違う人格。
いわゆる3つ子というやつなのだ。
ちなみにオラトリオとオラクルも、双子とは少し違うが似たようなものなのである。
しかし、エモーションはいつシグナルのことを知ったのだろうか。
―――――この疑問に答えたのはオラクルだった。
「私より先にということはないだろう。私は頭脳集集団アトランダムの情報管理者だから、シグナルのことは<A-S>として登録された時から知っているが」
「師匠は?」
「コードは・・・どうかな?」
オラトリオが口を挟むと、オラクルは眉根を寄せてしまう。
そこでオラトリオが思いついたのが―――――教授は最初からコードにシグナルの補助を頼んでいたはずだから、オフレコで話を聞いてたかもしれないというものだった。
「―――――・・・待てよ」
トルコ帽を右手に持ちながら、左手でダーディブロンドの髪を撫でつけたオラトリオが、ふと眉を顰めた。
「俺たちは体ができる前から人格は存在している! 現実空間より先に電脳空間では存在してるじゃね―――――か!」
「そうか・・・生まれる前か」
オラクルが感心した様子で頷く。
「あ・・・」
生まれる前・・・・。
「シグナル君、オラトリオとオラクルにも〝あの話〟をしてみたほうがいいんじゃないかしら」
呆然と声を洩らしたシグナルに瑠璃が振り返った。
すると二人も「あの話?」とシグナルに目線を向けてくる。
「聞いて! オラトリオ! オラクル!」
それを受けたシグナルは、やがて決意した様子で二人に〝あの夢〟の内容を語り出した。
そうして出された結論が多分「導きの手」はエモーションだろう。
もう一人、歌を唄っていたという人物に関しては分からないが・・・・・。
これがオラトリオの口から出たとき、一瞬瑠璃の表情が翳ったことに気づいたのはシグナルのみだった。
しかし、最初に〝生まれる前の夢〟の話をした時には、そのような反応を瑠璃が見せてくることはなかったのに急にどうしたというのか。
―――――やっぱりもう一人、夢の中に出てきた歌声の主は・・・・・
そう思いながら、シグナルはオラトリオの話に耳を傾ける。
「ただ、不思議だな」
「何が?」
「完成前のロボットプログラムにどうやって接触したかってさ」
そうだろ? とオラトリオが肩を竦めながら言う。
「生まれる前の不安定なプログラムを公的空間に教授が置くわきゃねぇ。教授のホストコンピューターの仮想空間の、しかも多分何重ものガードをひいた中で子宮の中の胎児のように育てられたはずだ」
「じ・・・じゃあ、もしそこから出ちゃったら?」
恐る恐るシグナルが問いを口にする。
「何かトラウマを負ったら最悪・・・ロボットとして起動できないかもしれん。
つまり―――――死んでしまうかもしれないってわけさ」
と、オラトリオの返事にシグナルの顔色がみるみる真っ青になっていく。
「死~~~~~っ!」
「大丈夫、大丈夫。お前は死んでない」
絶叫したシグナルに、オラクルが苦笑しながら言う。
バグっているけどな、とオラトリオが口を挟むとシグナルは憤然とまたなりかけたが、それを止めるようにカウンターに置かれていた電話がコール音を鳴らした。
「はい―――――あ、はい。わかりました、今替わります」
額にかかる髪の毛を手でかきあげながら、電話に応答していたオラクルが、受話器を片手にオラトリオに振り返る。
「え。俺?」
「音井教授からだ」
自身を指さして確認したオラトリオは、オラクルから受話器を受け取ると左手でそれを持ちながら右手を電話のコードに絡め、底抜けに明るい返事をした。
「は―――――い! オラトリオ君でーす。何か御用っすか―――――」
『御用ってなぁ・・・。オラトリオ・・・プログラムが壊れとるのに元気だねぇ』
連絡を寄越してきた教授が電話の向こうで苦笑する。
そしてオラトリオが教授と電話でやり取りをする中、オラクルに足があることに気づいたシグナルが騒ぎ出す。
「騙したな―――――っ。前、接続ケーブルでウネウネだったくせに―――――っ」
「あの姿も私だ」
「シグナル君、オラクルの姿はCGだからどちらも本当なのよ」
オラクルが半眼でシグナルに言葉を返すと、続けて瑠璃も説明をする。
「シグナルと瑠璃お嬢さんですか? いますけど―――――」
と、電話をしていたオラトリオが、ふとこちらに振り返ってきたので、シグナルと瑠璃は電話の内容に聞き耳を立てる。
「エモーション? 教授もですか。えぇ、今俺たちもその話をしていて―――――そうです」
どうやら教授からの連絡はエモーションの件らしい。
「で、俺たちの結論ですが・・・」
真剣な表情でオラトリオが告げようとした瞬間。
チンッ―――――と電話が、突然伸ばされた手により切られてしまう。
「師匠! 何するんですか!!」
不通となったコール音が響く中、オラトリオが受話器を握り締めながら、眉根をよせて電話を切った犯人であるコードに抗議する。
しかし、コードは憮然とした表情でそっぽを向いていた。
が、オラトリオが再び教授と連絡を取るべく番号を回した途端、また手を伸ばして不通にしてしまう。
「ああ・・・なんだかわけのわかんない闘いが・・・」
目の前で繰り広げられ始めたその光景にオラクルが呆れた様子で呟く。
暫らくの間、瑠璃もシグナルと並んで呆然と二人の闘いを眺めていたのだが。
ぷち、とどうやらコードは切れてしまったらしい。
シュッと袂が翻されるとそこにコードの愛刀である『細雪』が現れる。
閃く刃を見てオラトリオが、ひぃと反射的に身を引く。
刹那、電話は真二つに斬られてしまい、残ったのはオラトリオの手に握り締められていた受話器のみだった。
「師匠―――――っ。『細雪』で電話回線斬るなんてあんた何考えてるんですか!!」
「わ・・・私の連絡回線が―――――っコード!! やっていいこととシャレにならんことがあるぞ!」
オラトリオとコードの絶叫が響き渡る。
そうしてコードに詰め寄ろうとした二人を、制するように手を広げたのがシグナルだった。
「コード!!」
勢いよく叫んだシグナルは、じっとコードを睨みつけながら低い声で問いかける。
「ぼくが生まれる前。ぼくに・・・何をした?」
顔を顰めながらコードは、シグナルから視線を逸らしてしまう。
その刹那、コードの足元にあの暗い穴がまた現れる。
シグナルは「あ」と目を見開くと、ダッと勢いよく駆け出して行く。
「また逃げるかー!!」
「待て! シグナル!!」
穴に飛び込むシグナルをオラトリオがまた止めようとしたのだが今度は間に合わなかった。
「あー! あいつ一人で地下空間行けるわきゃねぇじゃねーか!」
「ついていってやれオラトリオ!」
穴の中に向かって叫んだオラトリオに、穴を覗き込みながらオラクルが言う。
そして瑠璃も二人の傍でぽっかりと開いた穴を見つめていたのだが。
「オラトリオ、オラクル。とりあえず、先に私がシグナル君を追うわ!!」
「瑠璃お嬢さん!?」
「瑠璃!?」
聞こえてきた言葉に二人が瞠目した時には、またもや止める隙なく暗い穴の中に瑠璃も飛び込んで行ってしまっていたのだ。
06・4/8掲載
06・5/18一部修正