第二十三章『愛別離苦』
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愛別離苦
薄暗い照明に照らされた部屋の天井と、食器類とアルコールの空き缶が放置されたダイニングテーブルと一人の男の姿。
それは一人の〝幼子〟の瞳に映っていた世界だった。
そして―――――
己に向けられた視線に気づいた〝男〟が苛立った様子で、大股で幼子の処にやって来て。
自分のことを見ていた幼子の胸倉を左手で掴むと、右手を拳に変えて左側の横面を殴りつけたのだ。幼子の身体は部屋の隅の柱に括りつけられていて抵抗する術はなく。さらに碌に食事も与えて貰えていなかったことから、悲鳴を上げることもできず。
そうして幼子に対して暴力を奮った男は、その後すぐに部屋の片隅に投げ捨ててあった上着を左手に持つと、大股で部屋から外に出る為に扉へ向かい。そのまま幼子には一切目もくれることなく、何処かへと出掛けて行ってしまったのだ。
やがてぼんやりとした意識の中で、幼子が床に転がっていたカップから流れ出したミルクを求めて必死に手を伸ばしたものの。拘束された状態では、それに手が届くことはなく。気力が尽きた幼子の手が地面に落下してしまったその時―――――閉ざされていた部屋の扉がゆっくりと開いて―――――傍にやって来た何者かの手によって拘束状態から解放されて。それに気づいた幼子が、虚ろな瞳をそちらに向けると。
左目の下にガーゼを貼り付けた〝少年〟の顔が映り、次いで腫れ上がった横面に触れる少年の〝掌の温もり〟を感じた。それはもしかしたら、幼子にとっては初めての、〝人の温もり〟だったかもしれない。
そうして〝少年〟の手によって、〝幼子〟はその家から連れ出されることとなったのだが―――――。
『オイ。テメェ、ハイザラ !! 犬でも拾ってきただろ』
『誰の家だと思ってんの。放りだすぞ。ハイザラ、出て来い』
〝幼子〟を連れ出して来た〝少年〟の〝家庭環境〟もまた〝最低最悪〟なモノだった。
ドンドンドン―――――と『鍵』の掛かった『部屋の扉』を〝殴りつける音〟と、〝罵詈雑言〟が聴こえてくる。
しかし、少年はそれには一切耳を傾けることをせず。ベッドに胡坐をかいた状態で座ると、そこに幼子を寝かせながら、菓子パンを千切って与えようとした処で。
『なんだ、お前。歯がないな』
左手でそっと幼子の顎を持ちながら、口の中を確認した少年は、男に殴られたことにより、折られたのだと気づいたのだが。
『・・・まあ。あと4、5年すれば永久歯が生えてくるし問題ないか』
淡々とした声音で少年はそう呟くと。代わりに、ミルクの入った哺乳瓶を用意して、それで幼子に食事を摂らせようとしたものの。幼子は戸惑いの表情を浮かべるばかりで、手を伸ばすことすらしてこず。
『哺乳瓶 のくわえかたもわかんねぇのか。よく飢え死にしなかったな・・・』
チッと舌打ちをした少年が、眉を顰めながらそう言った直後。
つるっと手の中から滑り落ちてしまった哺乳瓶の蓋の締め具合が緩かったようで。パシャとベッドの上に零れてしまったのだが―――――。
それを目にして、のそ・・・と身体を緩慢に起き上がらせた幼子が、ぺろぺろと零れたミルクを舌で舐め始めたのだ。
その幼子の行動を目にした瞬間―――――
『・・・・・・動物・・・・・・なんのために生きてるんだ? お前も・・・俺も』
少年の中に込み上げてきたのは〝憐憫〟と〝蔑み〟と埋めようのない〝寂寥感〟だった。
しかし、そんな〝感情〟を心の内に抱きながらも、少年は幼子を自分の部屋で育てることを選び―――――結果、親達からの理不尽な〝罵声〟と〝暴力〟はより一層陰惨なモノとなったのだが。そんな劣悪な住環境に身を置きながらも、少年は自身の力で偏差値の高い進学校に通い続け、決して勉学の手を抜くことをしなかった。
するとある日、少年の人生に転機が訪れた―――――親達が不運な事故 に遭って帰らぬ人となったのだ。
そしてその日から〝少年〟と〝幼子〟は二人きりの『家族』になった。
これは〝吊るされた男〟の深層心理の内にある〝始まりの記憶〟の断片。
本来ならば〝他者〟が垣間見ることは出来ないモノだ。
そうして視えてしまった〝彼〟の〝記憶の情景〟が途切れた時―――――
『―――――瑠璃の首に付けられているその黒い首輪。それが媒介になって、無意識の内に〝彼〟の精神と共鳴して繋がっちゃったみたいだね』
茫然とした面持ちで立ち尽くしていた瑠璃の前に忽然と現れて、そう漏らしたのはクロの中に存在している猫のような姿をした奇妙なぬいぐるみである『力』だった。
『―――――でも、瑠璃。相手はキミとは関係のない〝他人〟なんだ。だからキミが心を砕いて、自ら傷を負う必要はないはずだよ』
―――――『力』くんは今回の事態に関して、明らかに難色を見せている。
―――――それゆえに〝私〟が『力』くんの言葉を〝受け入れれば〟―――――恐らく今しがた垣間見た〝吊るされた男〟の〝始まりの記憶〟の断片は〝私の中〟から〝消える〟のだろう。
けれど―――――
「・・・・・・心配してくれたのにごめんね、『力』くん。それでも『私』は悲鳴をあげる人に気づいてしまったら見て見ぬふりはできない。手を伸べて、〝一緒に立ち向かう側〟で在りたいの」
目を伏せながら逡巡した瑠璃がその〝信念〟を口にすると―――――
〝ミストレス〟としての〝力〟を行使する為の媒介となる『鍵』がその〝意志〟に共鳴して白銀の閃光を瞬かせながらロッドとなって右手に具現化する。
「だって、私がこうして前を向き続けられているのは、〝大切な人達〟と出逢えたおかげだから」
そして瑠璃がふわりと微笑を浮かべると。
『・・・・・・瑠璃。キミが〝誰か〟のことで泣く姿をクロもボクも見たくない。けど、キミのその〝覚悟〟を否定することもまたボクらにはできないんだ』
やるせないといった様子で『力』がそう漏らして。
―――――だって〝ミストレス〟であるキミが統べる力は〝愛〟なんだから―――――
〝罪〟と〝愛〟は〝表裏一体〟であり、決して切り離すことが出来ないモノだ。
「うん・・・・・・、ごめんね『力』くん。それからありがとう」
ロッドを左手に持ち変えてしゃがんだ瑠璃が右手で『力』の頭を撫でると。目覚めの時が近づいてきたのだろう―――――視界に映っていた『力』の姿が揺らめき始めて。
『―――――瑠璃、一つだけ忠告しておくよ。〝あの男〟にはくれぐれも気をつけて。〝あの男〟はキミのことを、〝目的〟を果たすための〝道具〟としか見ていない。もし捕まってしまったりしたらキミの心は壊されてしまうかもしれない・・・・・・』
―――――〝あの男〟・・・・・・それって・・・・・・―――――
『力』からの警告により、目覚める直前で瑠璃の意識の内に過ったのは、初対面で背筋が冷たくなる感覚を覚えてしまった、C3の副支部長である塔間の姿だった。
「―――――・・・・・・クロ」
意識が覚醒した瑠璃が目を開けると、傍らで眠っているクロに抱きしめられた状態となっていた。
真昼と同室であるはずのクロがどうして瑠璃の部屋にいるのか。
その理由は―――――
吊戯を追いかけて部屋を出て行った真昼が戻って来た時。
瑠璃が泣いていたことを真昼に気づかれてしまい。
―――――クロ。お前、今日はいつも通り瑠璃姉と一緒に休めよ。もしも露木さんにバレたら、その時は『連帯責任』で俺も一緒に怒られてやるから!!―――――
―――――と、主人である真昼から言い渡されたからだった。
「ん・・・・・・・瑠璃、目覚めたのか・・・・・・」
瑠璃の呼びかけに反応して、目を開けたクロの真紅の瞳に瑠璃の顔が映りこむ。
―――――真昼君のおかげでいつも通りの朝を私は迎えることが出来た。
―――――だから『私』は〝大丈夫〟。
顔色を確認するように、左頬に触れたクロの右手に瑠璃もまた左手を重ねながら、
「えぇ、おはよう。クロ。まだ眠いかもしれないけれど、真昼君が待ってると思うから。起きて身支度済ませちゃいましょう?」
ふわりと微笑みを浮かべてそう言うと。
「にゃぁ~・・・・・・向き合えねー」
クロはポフンと人型から黒猫に姿を変えてしまったのだが。
それもまたいつものやり取りの中の一つなので。
クスッと瑠璃は笑みを零すと、自身の身支度を手早く済ませた後に。
「おはよう、真昼君」
「瑠璃姉、おはよう。これ、制服。俺のほうで丈の調節しておいたから」
黒猫を腕の中に抱いて真昼の部屋を訪れると、既に三人分の朝食を用意していた真昼の手から結局自分で直しそびれてしまった制服を受け取り。
「ありがとう、真昼君。ピッタリのちょうどいいサイズになってるわ」
礼を述べた上でそれを身に纏うと。人型に戻ったクロも交えて三人で朝食を食べた後に、真昼と二人で片付けを終えてから盾一郎達が待っているオフィスに向かったのだが。
「おはようございま―――――・・・?」
先に扉を開いた真昼が挨拶をしようとした処―――――バタバタバタと何やら慌てている様子の盾一郎の姿が目に飛び込んできて。
「おはようございます、弓景さん。あの・・・・・・盾一郎さん、何かあったんですか?」
一方で、落ち着いた様子のまま自分の席で、書類を見ながらコーヒーを飲んでいた弓景の傍に黒猫を腕に抱いた瑠璃が近づいて行って尋ねかけると。
「ああ、今日の午前にやる会議が外部の人間も来るやつでな」
はよ、と挨拶を返してきてくれた弓景がそう告げてきて。
「昨日、一言言ってくれよ弓!」
「俺はテメェのカーチャンじゃねぇ」
ロッカーからスーツを見つけ出した盾一郎が口にした文句に対し、シレっとした態度で弓景はそう言い返すと。
「瑪瑙、お前は此処に座ってろ」と盾一郎が着替える様子が目に入らないよう、ちょうど背を向ける側に在った自分が座っていた席に瑠璃を座らせた処で。弓景のその行動を確認した盾一郎が手早く着替えを終えると「おい弓、ネクタイ貸してくれよ」と呼びかけてきて。
自分のロッカーからネクタイを取り出した弓景が盾一郎の前に立つと。
ふ―――――間に合いそうだと盾一郎は安堵の息を漏らして。
「よしよし。今日も男前だな」
右手に手鏡を持ちながら左手で乱れた髪を整えつつ、そんな台詞を口にすると。
「その魔法の鏡どこで売ってんだ?」
弓景が慣れた様子で盾一郎の首に掛けたネクタイを締めながら、呆れたような口調で聞き返してきて。
そんな弓景に対し「真実しか映らねぇよ」と盾一郎は眉を顰めながら言い返していて。
二人のやり取りを笑っていいものなのか・・・と瑠璃の向かい側の席に着いて当惑の面持ちで眺めていた真昼がチラリとホワイトボードに書かれていた今日の予定を確認した後に。
「あ、あの、吊戯さんは・・・?」
オフィス内に姿が見当たらないままの吊戯の所在を訊こうとした刹那―――――
ガコン!! と大きな音を響かせながら天井の一部が抜け落ちるのと同時に、人の脚がそこから飛び出してきて。
「「!?」」
何事かと視線を上に向けた真昼と瑠璃が揃って絶句した中。びくっと身体を震わせつつ、条件反射で人型に戻っていたクロが瑠璃の傍らに立つのと同時に、天井から現れた人物がズダッと勢いよく机の上に着地してきたのだ。
そうして度肝を抜くような登場の仕方をした輩に対し、真昼が席から立ち上がると「な・・・」と声を上げようとしたのだが。
「動くな!! 手を上げろ!!」
と―――――鋭い声音で警告を発した瞬間、バチバチと漆黒の閃光を迸らせながら、両手に二丁の長銃を具現化させて。それを真昼とクロに対して突きつけてきたのだ。
そうして素直に両手を上げた真昼とクロが冷や汗を浮かべながら固まってしまった中。
「はっは!」
なんつって! と長銃を手にしながら笑みを浮かべたその人物こそ、真昼が所在を尋ねようとした吊戯で。
「いっけな~い、遅刻遅刻」
別段、詫びる様子もなく長銃を消失させた後に、外してしまった天井の板を元の場所に両手で填め直した吊戯に対し、
「つ・・・吊戯さん・・・」
「・・・・・・吊戯さん、何でそんな処から出てきたんですか?」
顔を引き攣らせながら両手を下ろした真昼に続いて、ドキドキと大きな心音を響かせている胸元に手を置きながら瑠璃が眉を下げつつ吊戯に尋ねかけると。
「ムダなことすんな吊戯!」
盾一郎が呆れた様子で吊戯を見遣り。
「変な抜け道使うなっつってんだろ」
弓景が眉を顰めつつ、机に乗んなと注意をするも。
「ツルギちゃんの秘密の通路~~~」
ショートカット! とテンション高く応じた吊戯の様子を目にして、
「吊戯さん、昨日休めましたか? 徹夜なんじゃ・・・」
あ、とその原因に思い至った真昼が眉を顰めながら、夜に仕事に呼ばれて今日も朝から・・・と口にすると。
「吊戯さん、徹夜は身体に良くないですよ・・・・・・」
瑠璃もまた気遣わし気な面持ちで、吊戯にそう言ったのだが。
「いやいや。一徹二轍で休めないって~~~。むしろ休んじゃうとその日にもらえるはずだったお賃金を考えちゃって。心が病んじゃう♥」
右手の親指と人差し指で丸を作りつつ、左手を胸元に添えながら、視線を明後日の方向に向けると、ふう・・・と溜息を漏らした後、暗い笑みを浮かべた吊戯に。
―――――それはすでに病んでいる状態じゃ・・・。
真昼が何とも言えない眼差しを向けると。
「しかし、キミも瑠璃ちゃんもそーやって気遣いができるいい子だね! おにーさん気分がいーからジュースでもオゴっちゃおうかな―――――!?」
真昼の右肩を抱き寄せるようにしながら吊戯がそんなふうに告げてきて。
唐突な吊戯の行動に「あっ、あの・・・!?」と真昼が困惑の声を上げると。
「あっ、うそ残念♥ 財布落としたみたい♥ 代わりに瑠璃ちゃん、立て替えてくれるかな♥」
パッと真昼から離れた吊戯が、にっこりと笑みを浮かべながら瑠璃の右手を両手で握りしめてきて。
「えと、はい・・・・・・それは構わないですけど」
そんな吊戯に対して瑠璃が呆然と目を瞬かせつつも頷くと。
「ありがとう瑠璃ちゃん♥ それじゃあクロちゃん、ちょっとだけ瑠璃ちゃん借りるね!!」
眉根を寄せつつも、敢えて口を挟むことをせず様子を見るようにしていたクロに対し、吊戯はヘラっと笑いかけた後に。
「ってわけで弓ちゃん、あとよろしくー♥」
「す、すみません、弓景さん、盾一郎さん。クロと真昼君も。すぐに戻るから」
弓景に声を掛けてから、すたっと素早く身を翻した吊戯の勢いに引っ張られる形で、瑠璃がオフィスから出て行くと。
「・・・なんでテメェだけ避けられてるんだ?」
唖然とした面持ちで固まっていた真昼の左側に眉を顰めながら立った弓景が尋ねかけてきて。
「そうだな、吊戯が特定の相手を避けるなんて珍しいな」
スーツのジャケットのボタンを留めつつ、右側にやって来た盾一郎もまた、弓景の言葉に同意をしてきて。
「え!? 今の、俺、避けられてたんですか!?」
それによりハッと我に返った真昼は驚愕の声を上げて、どっちかっていうと俺も絡まれてたんですけど、と漏らすと。
「吊戯と何かあったのか?」
盾一郎がそう尋ねかけてきて。
「えっ・・・いや・・・えと昨日の夜・・・」
言葉を詰まらせてしまった真昼の頭の上にはいつの間にか黒猫に姿を変えた相棒が乗っていて。
―――――・・・・・・瑠璃姉が吊戯さんに〝抱き枕〟にされそうになっていたっていうのは、クロの耳にまでわざわざ入れるのはマズいだろうし。
―――――・・・・・・瑠璃姉が泣いてた、っていうのも、今はもう吊戯さんと普通に話せてたんだから、口にするのもやっぱりアレだろうし。
「き・・・傷を見ちゃった・・・のと夕飯に誘ったくらいで・・・」
そして結局、自分と吊戯の間にあった事柄だけ、真昼が伝えると。
盾一郎は軽く口端を上げつつ、弓景に向かって「な?」と目配せをして見せてきて。
〝―――――あの二人なら、もしかしたら吊戯のことを・・・・・・〟
盾一郎の〝期待通り〟―――――あの二人は吊戯に―――――〝変化〟をもたらしてくれた。
そういうことなのだと理解した弓景は「あ゛―――――」と顰め面で盾一郎に答えると。
―――――『な!?』ってどういう意味なんだ!?
―――――吊戯さんと瑠璃姉の後を俺も追いかけた方が良いのか!?
戸惑いの面持ちで、自分達の事を見ていた真昼に対し、チッと弓景は舌打ちを漏らすと、バサと手に持っていた書類の束を差し出し。
「ったく。なんでもいいけどよ。じゃあこれ仕事。この前の報告書。届けて来い」
唐突に仕事を振り当てられることになった真昼は「え・・・」と呆気に取られてしまうも。
「その報告書は露木さんの処に届けに行けばいいんですよね?」
「ああ。修がいるのは開発班の研究室だ」
盾一郎から露木がいる場所を聞くと、一先ず与えられたその仕事を遂行するべく、真昼もまた相棒とともにオフィスを後にしたのだった。
【本館/21・11/13/別館/21・11/15掲載】
薄暗い照明に照らされた部屋の天井と、食器類とアルコールの空き缶が放置されたダイニングテーブルと一人の男の姿。
それは一人の〝幼子〟の瞳に映っていた世界だった。
そして―――――
己に向けられた視線に気づいた〝男〟が苛立った様子で、大股で幼子の処にやって来て。
自分のことを見ていた幼子の胸倉を左手で掴むと、右手を拳に変えて左側の横面を殴りつけたのだ。幼子の身体は部屋の隅の柱に括りつけられていて抵抗する術はなく。さらに碌に食事も与えて貰えていなかったことから、悲鳴を上げることもできず。
そうして幼子に対して暴力を奮った男は、その後すぐに部屋の片隅に投げ捨ててあった上着を左手に持つと、大股で部屋から外に出る為に扉へ向かい。そのまま幼子には一切目もくれることなく、何処かへと出掛けて行ってしまったのだ。
やがてぼんやりとした意識の中で、幼子が床に転がっていたカップから流れ出したミルクを求めて必死に手を伸ばしたものの。拘束された状態では、それに手が届くことはなく。気力が尽きた幼子の手が地面に落下してしまったその時―――――閉ざされていた部屋の扉がゆっくりと開いて―――――傍にやって来た何者かの手によって拘束状態から解放されて。それに気づいた幼子が、虚ろな瞳をそちらに向けると。
左目の下にガーゼを貼り付けた〝少年〟の顔が映り、次いで腫れ上がった横面に触れる少年の〝掌の温もり〟を感じた。それはもしかしたら、幼子にとっては初めての、〝人の温もり〟だったかもしれない。
そうして〝少年〟の手によって、〝幼子〟はその家から連れ出されることとなったのだが―――――。
『オイ。テメェ、
『誰の家だと思ってんの。放りだすぞ。ハイザラ、出て来い』
〝幼子〟を連れ出して来た〝少年〟の〝家庭環境〟もまた〝最低最悪〟なモノだった。
ドンドンドン―――――と『鍵』の掛かった『部屋の扉』を〝殴りつける音〟と、〝罵詈雑言〟が聴こえてくる。
しかし、少年はそれには一切耳を傾けることをせず。ベッドに胡坐をかいた状態で座ると、そこに幼子を寝かせながら、菓子パンを千切って与えようとした処で。
『なんだ、お前。歯がないな』
左手でそっと幼子の顎を持ちながら、口の中を確認した少年は、男に殴られたことにより、折られたのだと気づいたのだが。
『・・・まあ。あと4、5年すれば永久歯が生えてくるし問題ないか』
淡々とした声音で少年はそう呟くと。代わりに、ミルクの入った哺乳瓶を用意して、それで幼子に食事を摂らせようとしたものの。幼子は戸惑いの表情を浮かべるばかりで、手を伸ばすことすらしてこず。
『
チッと舌打ちをした少年が、眉を顰めながらそう言った直後。
つるっと手の中から滑り落ちてしまった哺乳瓶の蓋の締め具合が緩かったようで。パシャとベッドの上に零れてしまったのだが―――――。
それを目にして、のそ・・・と身体を緩慢に起き上がらせた幼子が、ぺろぺろと零れたミルクを舌で舐め始めたのだ。
その幼子の行動を目にした瞬間―――――
『・・・・・・動物・・・・・・なんのために生きてるんだ? お前も・・・俺も』
少年の中に込み上げてきたのは〝憐憫〟と〝蔑み〟と埋めようのない〝寂寥感〟だった。
しかし、そんな〝感情〟を心の内に抱きながらも、少年は幼子を自分の部屋で育てることを選び―――――結果、親達からの理不尽な〝罵声〟と〝暴力〟はより一層陰惨なモノとなったのだが。そんな劣悪な住環境に身を置きながらも、少年は自身の力で偏差値の高い進学校に通い続け、決して勉学の手を抜くことをしなかった。
するとある日、少年の人生に転機が訪れた―――――親達が不運な
そしてその日から〝少年〟と〝幼子〟は二人きりの『家族』になった。
これは〝吊るされた男〟の深層心理の内にある〝始まりの記憶〟の断片。
本来ならば〝他者〟が垣間見ることは出来ないモノだ。
そうして視えてしまった〝彼〟の〝記憶の情景〟が途切れた時―――――
『―――――瑠璃の首に付けられているその黒い首輪。それが媒介になって、無意識の内に〝彼〟の精神と共鳴して繋がっちゃったみたいだね』
茫然とした面持ちで立ち尽くしていた瑠璃の前に忽然と現れて、そう漏らしたのはクロの中に存在している猫のような姿をした奇妙なぬいぐるみである『力』だった。
『―――――でも、瑠璃。相手はキミとは関係のない〝他人〟なんだ。だからキミが心を砕いて、自ら傷を負う必要はないはずだよ』
―――――『力』くんは今回の事態に関して、明らかに難色を見せている。
―――――それゆえに〝私〟が『力』くんの言葉を〝受け入れれば〟―――――恐らく今しがた垣間見た〝吊るされた男〟の〝始まりの記憶〟の断片は〝私の中〟から〝消える〟のだろう。
けれど―――――
「・・・・・・心配してくれたのにごめんね、『力』くん。それでも『私』は悲鳴をあげる人に気づいてしまったら見て見ぬふりはできない。手を伸べて、〝一緒に立ち向かう側〟で在りたいの」
目を伏せながら逡巡した瑠璃がその〝信念〟を口にすると―――――
〝ミストレス〟としての〝力〟を行使する為の媒介となる『鍵』がその〝意志〟に共鳴して白銀の閃光を瞬かせながらロッドとなって右手に具現化する。
「だって、私がこうして前を向き続けられているのは、〝大切な人達〟と出逢えたおかげだから」
そして瑠璃がふわりと微笑を浮かべると。
『・・・・・・瑠璃。キミが〝誰か〟のことで泣く姿をクロもボクも見たくない。けど、キミのその〝覚悟〟を否定することもまたボクらにはできないんだ』
やるせないといった様子で『力』がそう漏らして。
―――――だって〝ミストレス〟であるキミが統べる力は〝愛〟なんだから―――――
〝罪〟と〝愛〟は〝表裏一体〟であり、決して切り離すことが出来ないモノだ。
「うん・・・・・・、ごめんね『力』くん。それからありがとう」
ロッドを左手に持ち変えてしゃがんだ瑠璃が右手で『力』の頭を撫でると。目覚めの時が近づいてきたのだろう―――――視界に映っていた『力』の姿が揺らめき始めて。
『―――――瑠璃、一つだけ忠告しておくよ。〝あの男〟にはくれぐれも気をつけて。〝あの男〟はキミのことを、〝目的〟を果たすための〝道具〟としか見ていない。もし捕まってしまったりしたらキミの心は壊されてしまうかもしれない・・・・・・』
―――――〝あの男〟・・・・・・それって・・・・・・―――――
『力』からの警告により、目覚める直前で瑠璃の意識の内に過ったのは、初対面で背筋が冷たくなる感覚を覚えてしまった、C3の副支部長である塔間の姿だった。
「―――――・・・・・・クロ」
意識が覚醒した瑠璃が目を開けると、傍らで眠っているクロに抱きしめられた状態となっていた。
真昼と同室であるはずのクロがどうして瑠璃の部屋にいるのか。
その理由は―――――
吊戯を追いかけて部屋を出て行った真昼が戻って来た時。
瑠璃が泣いていたことを真昼に気づかれてしまい。
―――――クロ。お前、今日はいつも通り瑠璃姉と一緒に休めよ。もしも露木さんにバレたら、その時は『連帯責任』で俺も一緒に怒られてやるから!!―――――
―――――と、主人である真昼から言い渡されたからだった。
「ん・・・・・・・瑠璃、目覚めたのか・・・・・・」
瑠璃の呼びかけに反応して、目を開けたクロの真紅の瞳に瑠璃の顔が映りこむ。
―――――真昼君のおかげでいつも通りの朝を私は迎えることが出来た。
―――――だから『私』は〝大丈夫〟。
顔色を確認するように、左頬に触れたクロの右手に瑠璃もまた左手を重ねながら、
「えぇ、おはよう。クロ。まだ眠いかもしれないけれど、真昼君が待ってると思うから。起きて身支度済ませちゃいましょう?」
ふわりと微笑みを浮かべてそう言うと。
「にゃぁ~・・・・・・向き合えねー」
クロはポフンと人型から黒猫に姿を変えてしまったのだが。
それもまたいつものやり取りの中の一つなので。
クスッと瑠璃は笑みを零すと、自身の身支度を手早く済ませた後に。
「おはよう、真昼君」
「瑠璃姉、おはよう。これ、制服。俺のほうで丈の調節しておいたから」
黒猫を腕の中に抱いて真昼の部屋を訪れると、既に三人分の朝食を用意していた真昼の手から結局自分で直しそびれてしまった制服を受け取り。
「ありがとう、真昼君。ピッタリのちょうどいいサイズになってるわ」
礼を述べた上でそれを身に纏うと。人型に戻ったクロも交えて三人で朝食を食べた後に、真昼と二人で片付けを終えてから盾一郎達が待っているオフィスに向かったのだが。
「おはようございま―――――・・・?」
先に扉を開いた真昼が挨拶をしようとした処―――――バタバタバタと何やら慌てている様子の盾一郎の姿が目に飛び込んできて。
「おはようございます、弓景さん。あの・・・・・・盾一郎さん、何かあったんですか?」
一方で、落ち着いた様子のまま自分の席で、書類を見ながらコーヒーを飲んでいた弓景の傍に黒猫を腕に抱いた瑠璃が近づいて行って尋ねかけると。
「ああ、今日の午前にやる会議が外部の人間も来るやつでな」
はよ、と挨拶を返してきてくれた弓景がそう告げてきて。
「昨日、一言言ってくれよ弓!」
「俺はテメェのカーチャンじゃねぇ」
ロッカーからスーツを見つけ出した盾一郎が口にした文句に対し、シレっとした態度で弓景はそう言い返すと。
「瑪瑙、お前は此処に座ってろ」と盾一郎が着替える様子が目に入らないよう、ちょうど背を向ける側に在った自分が座っていた席に瑠璃を座らせた処で。弓景のその行動を確認した盾一郎が手早く着替えを終えると「おい弓、ネクタイ貸してくれよ」と呼びかけてきて。
自分のロッカーからネクタイを取り出した弓景が盾一郎の前に立つと。
ふ―――――間に合いそうだと盾一郎は安堵の息を漏らして。
「よしよし。今日も男前だな」
右手に手鏡を持ちながら左手で乱れた髪を整えつつ、そんな台詞を口にすると。
「その魔法の鏡どこで売ってんだ?」
弓景が慣れた様子で盾一郎の首に掛けたネクタイを締めながら、呆れたような口調で聞き返してきて。
そんな弓景に対し「真実しか映らねぇよ」と盾一郎は眉を顰めながら言い返していて。
二人のやり取りを笑っていいものなのか・・・と瑠璃の向かい側の席に着いて当惑の面持ちで眺めていた真昼がチラリとホワイトボードに書かれていた今日の予定を確認した後に。
「あ、あの、吊戯さんは・・・?」
オフィス内に姿が見当たらないままの吊戯の所在を訊こうとした刹那―――――
ガコン!! と大きな音を響かせながら天井の一部が抜け落ちるのと同時に、人の脚がそこから飛び出してきて。
「「!?」」
何事かと視線を上に向けた真昼と瑠璃が揃って絶句した中。びくっと身体を震わせつつ、条件反射で人型に戻っていたクロが瑠璃の傍らに立つのと同時に、天井から現れた人物がズダッと勢いよく机の上に着地してきたのだ。
そうして度肝を抜くような登場の仕方をした輩に対し、真昼が席から立ち上がると「な・・・」と声を上げようとしたのだが。
「動くな!! 手を上げろ!!」
と―――――鋭い声音で警告を発した瞬間、バチバチと漆黒の閃光を迸らせながら、両手に二丁の長銃を具現化させて。それを真昼とクロに対して突きつけてきたのだ。
そうして素直に両手を上げた真昼とクロが冷や汗を浮かべながら固まってしまった中。
「はっは!」
なんつって! と長銃を手にしながら笑みを浮かべたその人物こそ、真昼が所在を尋ねようとした吊戯で。
「いっけな~い、遅刻遅刻」
別段、詫びる様子もなく長銃を消失させた後に、外してしまった天井の板を元の場所に両手で填め直した吊戯に対し、
「つ・・・吊戯さん・・・」
「・・・・・・吊戯さん、何でそんな処から出てきたんですか?」
顔を引き攣らせながら両手を下ろした真昼に続いて、ドキドキと大きな心音を響かせている胸元に手を置きながら瑠璃が眉を下げつつ吊戯に尋ねかけると。
「ムダなことすんな吊戯!」
盾一郎が呆れた様子で吊戯を見遣り。
「変な抜け道使うなっつってんだろ」
弓景が眉を顰めつつ、机に乗んなと注意をするも。
「ツルギちゃんの秘密の通路~~~」
ショートカット! とテンション高く応じた吊戯の様子を目にして、
「吊戯さん、昨日休めましたか? 徹夜なんじゃ・・・」
あ、とその原因に思い至った真昼が眉を顰めながら、夜に仕事に呼ばれて今日も朝から・・・と口にすると。
「吊戯さん、徹夜は身体に良くないですよ・・・・・・」
瑠璃もまた気遣わし気な面持ちで、吊戯にそう言ったのだが。
「いやいや。一徹二轍で休めないって~~~。むしろ休んじゃうとその日にもらえるはずだったお賃金を考えちゃって。心が病んじゃう♥」
右手の親指と人差し指で丸を作りつつ、左手を胸元に添えながら、視線を明後日の方向に向けると、ふう・・・と溜息を漏らした後、暗い笑みを浮かべた吊戯に。
―――――それはすでに病んでいる状態じゃ・・・。
真昼が何とも言えない眼差しを向けると。
「しかし、キミも瑠璃ちゃんもそーやって気遣いができるいい子だね! おにーさん気分がいーからジュースでもオゴっちゃおうかな―――――!?」
真昼の右肩を抱き寄せるようにしながら吊戯がそんなふうに告げてきて。
唐突な吊戯の行動に「あっ、あの・・・!?」と真昼が困惑の声を上げると。
「あっ、うそ残念♥ 財布落としたみたい♥ 代わりに瑠璃ちゃん、立て替えてくれるかな♥」
パッと真昼から離れた吊戯が、にっこりと笑みを浮かべながら瑠璃の右手を両手で握りしめてきて。
「えと、はい・・・・・・それは構わないですけど」
そんな吊戯に対して瑠璃が呆然と目を瞬かせつつも頷くと。
「ありがとう瑠璃ちゃん♥ それじゃあクロちゃん、ちょっとだけ瑠璃ちゃん借りるね!!」
眉根を寄せつつも、敢えて口を挟むことをせず様子を見るようにしていたクロに対し、吊戯はヘラっと笑いかけた後に。
「ってわけで弓ちゃん、あとよろしくー♥」
「す、すみません、弓景さん、盾一郎さん。クロと真昼君も。すぐに戻るから」
弓景に声を掛けてから、すたっと素早く身を翻した吊戯の勢いに引っ張られる形で、瑠璃がオフィスから出て行くと。
「・・・なんでテメェだけ避けられてるんだ?」
唖然とした面持ちで固まっていた真昼の左側に眉を顰めながら立った弓景が尋ねかけてきて。
「そうだな、吊戯が特定の相手を避けるなんて珍しいな」
スーツのジャケットのボタンを留めつつ、右側にやって来た盾一郎もまた、弓景の言葉に同意をしてきて。
「え!? 今の、俺、避けられてたんですか!?」
それによりハッと我に返った真昼は驚愕の声を上げて、どっちかっていうと俺も絡まれてたんですけど、と漏らすと。
「吊戯と何かあったのか?」
盾一郎がそう尋ねかけてきて。
「えっ・・・いや・・・えと昨日の夜・・・」
言葉を詰まらせてしまった真昼の頭の上にはいつの間にか黒猫に姿を変えた相棒が乗っていて。
―――――・・・・・・瑠璃姉が吊戯さんに〝抱き枕〟にされそうになっていたっていうのは、クロの耳にまでわざわざ入れるのはマズいだろうし。
―――――・・・・・・瑠璃姉が泣いてた、っていうのも、今はもう吊戯さんと普通に話せてたんだから、口にするのもやっぱりアレだろうし。
「き・・・傷を見ちゃった・・・のと夕飯に誘ったくらいで・・・」
そして結局、自分と吊戯の間にあった事柄だけ、真昼が伝えると。
盾一郎は軽く口端を上げつつ、弓景に向かって「な?」と目配せをして見せてきて。
〝―――――あの二人なら、もしかしたら吊戯のことを・・・・・・〟
盾一郎の〝期待通り〟―――――あの二人は吊戯に―――――〝変化〟をもたらしてくれた。
そういうことなのだと理解した弓景は「あ゛―――――」と顰め面で盾一郎に答えると。
―――――『な!?』ってどういう意味なんだ!?
―――――吊戯さんと瑠璃姉の後を俺も追いかけた方が良いのか!?
戸惑いの面持ちで、自分達の事を見ていた真昼に対し、チッと弓景は舌打ちを漏らすと、バサと手に持っていた書類の束を差し出し。
「ったく。なんでもいいけどよ。じゃあこれ仕事。この前の報告書。届けて来い」
唐突に仕事を振り当てられることになった真昼は「え・・・」と呆気に取られてしまうも。
「その報告書は露木さんの処に届けに行けばいいんですよね?」
「ああ。修がいるのは開発班の研究室だ」
盾一郎から露木がいる場所を聞くと、一先ず与えられたその仕事を遂行するべく、真昼もまた相棒とともにオフィスを後にしたのだった。
【本館/21・11/13/別館/21・11/15掲載】
