第二十七章『それは誰が為に―――――』
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『・・・・・・瑠璃、無事にここまで来れたんだね』
それにより大人しくなった『力』が漏らしたその言葉に瑠璃は柔らかな声音で告げる。
「えぇ。『力』くんが【扉】を繋いでくれたから。〝私〟は真昼君と〝あの子〟が居るここまで来ることができた」
「―――――瑠璃姉・・・・・・」
そして瑠璃は呆然とした面持ちになっていた真昼に静かな笑みを浮かべて頷き返すと。
「吊戯さん」
下を向いて座り込む『つるぎ』の名前を静かな声音で呼ぶ。
続いて真昼もまた―――――
「行こう、吊戯さん」
「・・・つれていってくれる?」
誘いの言葉に子供の姿になった『つるぎ』は逡巡するようにそう呟いたのだが。
「・・・・・・遊ぼうよ。このままここで遊んでいようよ。ずっと楽しく。こどものままで」
「大人になるのもきっと楽しいですよ」
新たな一歩を踏み出すことを躊躇う『つるぎ』に瑠璃が未来への希望を口にするも。
「・・・帰っても窓には鍵がかかっているかも。窓が・・・ないかも」
―――――暗い夜空の下、灯りが点いていた家の窓に向かってゆっくりと『つるぎ』が飛びながら近づいて行って。
―――――窓硝子にそっと両手を触れさせて中を覗き込む。
―――――『つるぎ』の願いは家の中に入れて貰うこと。
―――――けれどそれは叶うことはなく。
―――――閉ざされた窓の向こう側で、両手を硝子に触れさせながら『つるぎ』は瞳から涙を溢れさせてしまう。
『つるぎ』が思い浮かべた〝先の世界〟は決して明るいものではなかった。
けれど―――――
「―――――大丈夫。『俺達』が開けてあげるよ」
自信に満ちた笑顔で真昼が『つるぎ』に言った。
その刹那―――――〝希望〟を指し示す―――――【扉】がそこに現れたのだ。
「・・・・・・」
視線を俯けたままの『つるぎ』に真昼は言葉を続ける。
「『狼谷吊戯26歳』―――――あなたは俺と瑠璃姉にそう言ったよね」
「かみやつるぎ。26歳・・・・・・」
と―――――
噛みしめるように『つるぎ』が自身の『名前』と『年齢』を口にする。
すると小さな子供から大人に成長した『吊戯』の姿がそこには在り。
「・・・来週には27歳」
『吊戯』から知らされたその補足情報に真昼は「そうなんだ」と目を瞬かせると。
「誕生日、何日?」
「八月三十一日・・・だけど。本当は誕生日じゃない。彼がオレを拾ってくれた日」
寂しそうな声音でそう言った『吊戯』に真昼は明るい声で告げる。
「そっか。じゃあみんなでお祝いしよう。俺と瑠璃姉でケーキ作るよ。大きなのを」
―――――刹那、『吊戯』の中に浮かび上がったのは、お祝いの火が灯ったロウソクが飾られた、いちごケーキの前で頬を紅潮させた幼い自分の姿だった。
そうして伏せていた瞳から一筋の涙を零した『吊戯』はゆっくりと顔を上げると。
「・・・いちごのやつにしてくれる?」
「吊戯さん、いちごが好きなんですか? もちろんそうします」
ゆっくりと伸ばされてきた『吊戯』の右手を瑠璃がギュッと両手で握りしめる。
―――――その時、瑠璃の腕の中に居た『力』はいつの間にか姿を消していて。
そうして『吊戯』が立ち上がった処で、三人揃って扉の前に並ぶと。
「俺も瑠璃姉も料理は得意なんだ。・・・このためだったのかもしれない」
真昼が感慨深げな様子で【扉】を見つめながら言った。
瑠璃もふわと笑みを浮かべながら「そうね」と頷くと―――――。
―――――コンコンと【扉】を真昼と一緒にノックした。
―――――そうして【扉】のノブに真昼が手をかけてゆっくりと回すと。
―――――開かれた【扉】の向こう側には太陽が輝く〝明るい世界〟が広がっていて。
―――――その〝明るい世界〟に向かって一歩足を踏み出した刹那。
時鳥の記憶
忘れていた想い
手をつないで確かめた絆
覚えている君の温かみ
雲雀の記憶
夜明け前
君の源さえも無くなって
眠っていた心が蠢き出す
此処に居るよと言って
一陣の風が吹くのと同時に〝切なる想い〟が込められた『言葉』がまた瑠璃の中に浮かんできて。それが引き金となって、瑠璃の〝力〟が発動し、真紅の閃光がパアッと放たれると。
そこで精神世界の狭間から現実世界に瑠璃と真昼の意識は戻ることとなり―――――。
「・・・・・・ここは・・・・・・」
ゆっくりと瞼を持ち上げた瑠璃が視線を彷徨わせると。
『吊戯』の思念体である〝幼子〟が眉を下げながら此方を見つめていて。
「・・・・・・私は大丈夫よ」
現実に意識が戻ったことによって腹部に多少の鈍痛を覚えながらも、瑠璃は〝幼子〟を安心させるべく口元に笑みを浮かべてから身体を起こすと。
瑠璃が横たわっていた場所から少し離れた処で、瓦礫を背にして気を失っていた真昼もまたぼんやりと目を開けていて。
「・・・・・・いて・・・・・・」
真昼は小さく呻き声を漏らした後に起き上がろうとしたのだが。上半身を動かした瞬間、右腕にズキンと激しい痛みが走って。
「ッ・・・!」
「真昼君・・・・・・っ」
塔間との戦闘で真昼は右腕の骨を折られてしまっている。
眉を思い切り顰めた真昼の姿を目にして、それを思い出した瑠璃が気遣わしげな面持ちで傍に近づいて行き。真昼の右腕の状態を確認すると、負傷したその腕はひどく腫れ上がってしまっていて。
「とりあえず、何かで腕を固定しないと・・・・・・」
「・・・・・・大丈夫だよ、瑠璃姉」
どのような方法で応急処置をするか思考を巡らせようとした瑠璃に対し、
「この上着で何とかするよ」
自身が着ていた上着を真昼が左手で指し示してきた為。
その上着を脱ぐのを瑠璃が手伝う形を取り―――――。
その後は真昼が自分で、負傷した腕を固定するための三角巾代わりとして、上着を左手を使って巻いていき。最後に首の後ろで袖を縛る作業を真昼と瑠璃の様子を見つめていた〝幼子〟が完了させたのだ。
そうして左手を左腿に添えながらゆっくりと立ち上がった真昼は強気な笑みを浮かべながら「・・・よし。歩けそうだ」と呟くと。
「行こう。きみ のところへ」
〝幼子〟に向かってそう宣言したのだ。
**********
「9番目のサーヴァンプを作ろうなんて。まだそんなバカが出るとは思わなかった・・・」
塔間の企みを知ったクロの表情は普段の〝怠惰〟なものではなく―――――〝憤り〟に満ちたものになっていた。
しかし真祖の威圧感を目にしても、塔間は眉一つ動かすことなく。
「そんな怖い顔をするなよ。別にきみのせいじゃないさ」
目を細めると、そう言って嘲笑するような笑みを返してきたのだ。
その後―――――。
バッと跳躍をした吊戯が弓景に向かって奇襲を仕掛けてきたのだが。
瞬時にクロは弓景を右腕で下から担ぎあげて、繰り出されてきた蹴り技を躱すと。
次いで塔間から弓景が狙撃されそうになるも、すぐさま弓景の身体を宙に放り投げ、キャッチして―――――と。普段よりも、重労働となる動作をこなしつつ、弓景と連携を組んで、吊戯と塔間を相手に戦闘を繰り広げていた。
そうして「・・・・・・やっぱ抱えるんなら瑠璃が一番だな。もしくはお子様サイズの真昼のほうがまだマシだ」とぼやきを漏らした処で。
塔間の鎖による攻撃が放たれてきて、クロが咄嗟に弓景の身体を投げ飛ばしたことにより。クロだけが拘束されかける事態になってしまうも。そこでもまた、瞬時に体制を立て直した弓景が球体を放ったことにより、塔間の鎖は引千切られて、クロは危機を脱することができたのだが。
「連携プレーじゃかなわねーぞ・・・」
「そりゃそうだ」
う―――――ん、と困惑の声を漏らしたクロに、人をブン投げやがってと弓景は若干の怒りを滲ませながら相槌を打つ。
「でかいほうが・・・操ってんのか?」
クロは塔間と吊戯の姿を注視する。
塔間の右手の人差し指には吊戯の身体に纏わりついている魔力の気配がある。
「だとしても意識はあんだろ」
視界を塔間の魔術によって覆い隠された状態にある吊戯の姿を、弓景もまた射るような眼差しで見据えると。
「吊戯!! 目ェ覚ませ!! 俺の声が聞こえねぇのか!! 吊戯!!」
強い口調で、叱りつけるように、吊戯に向かって呼びかけた。
「・・・はは。もう聞こえないさ。きみはいつも 決断と行動が遅いんだよなあ」
そんな弓景の様を塔間は冷めた目で見返した後に。
「・・・・・・そんなだから好きな女も親友にとられるんだ」
ふと、口端を吊り上げると―――――さらに弓景の心に揺さぶりをかける言葉を口にしたのだ。
刹那、茫然とした面持ちになった弓景の中に浮かんできたのは―――――『親友』である〝盾一郎〟と彼の亡くなった『妻』である〝詩文〟の姿だった。
―――――詩文は盾一郎と弓景と同じ大学に通う同期の間柄だった。
―――――そして弓景は一冊の本をきっかけにして、詩文と交流をするようになった中で彼女に惹かれていったのだが。
その一方で盾一郎もまた、詩文に想いを寄せていて。
―――――俺、詩文に告白しようと思うんだ―――――
―――――・・・いいんじゃねぇの。あいつもわりと盾のこと好きだろ―――――
親友の口からその『決断』を聞いた時、弓景は『自分の想い』を口にすることはせず、身を引く事を選んだ。
塔間が弓景の〝過去〟の〝苦い思い〟を知っていたのは、他ならぬ吊戯の口から話を聞いていたからだろう。
「はは。かわいそうになあ。気持ちをぶつけることもせずに。いつもなんにもしないんだな、きみは。いや、できない のか?」
即座に反論を返すどころか、視線を俯けて、口を震わせることしかできない状態となってしまった弓景の姿を塔間は嘲り。
「・・・そんなだから親友も女も俺達に殺された」
続けて衝撃の『真実』を突きつけてきたのだ。
「―――――は? 親友も・・・女も? 」
しかし追い打ちとなるその台詞を聞いた瞬間、弓景の思考は『過去』から『現在』に引き戻されることとなり。
この場に辿り着く前―――――途中で発見した血だまりの中に落ちていた切れたチェーンと小さな車輪。
―――――盾一郎が常に身に着けていた〝詩文の形見〟を拾った時の事が過り。
「・・・そうかよ。・・・あの日の下位の脱獄もやっぱり・・・テメェか」
一年前にこの支部で起こった惨劇は全て塔間の企てによるモノだったのだと理解し。
「そんで・・・盾一郎は・・・テメェが斬ったのかよ吊戯」
血だまりの場所で何があったのか、確信を得てしまった弓景の口から漏れだした声には沸き立つ怒りの感情が滲み出ていて。
「・・・・・・・・・あーと。その・・・落ち・・・着けよ。いや落ち着けねーのはわかるが。怒ればノッポの思うツボ・・・」
塔間と吊戯から目を離すことが出来ない中、クロは弓景の心情を重んじながら、何とか自制を促そうとその言葉を紡ぎ出すと。
「あー大丈夫。これは塔間への怒りじゃねぇよ」
―――――吊戯のことが嫌いだった―――――
―――――・・・それ以上に弱い自分が嫌いだった―――――
右手を掲げて応じながら、魔力球体を作り出した弓景の顔は鬼神のごときモノになっていたのだが。
その時、吊戯のことをひたと見据えた弓景の鋭い瞳は、微かに吊戯の身体が震えていたのを見逃すことはしなかった。
それから此方に向かって飛び掛かってきた吊戯と闘争を再開した中で。
学生時代に紆余曲折を経て―――――吊戯と『親友』となるまでの過去を思い出していた。
―――――きっかけは三日月が輝く夜。幼い頃とは違い、自ら圧倒的な力を行使して下位との戦闘を繰り広げ。勝者となった吊戯が白い上着をはためかせてビルの上を跳躍していったその姿を送迎の車の中から見た日のことだった。
そして―――――
『・・・僕の護衛を頼みたい。来週の盾一郎の誕生日プレゼントにエロ本を買いに行く』
『五万円』の報酬を吊戯に払って依頼をし。それ以降も弓景は継続して報酬を支払い続けることで。吊戯から実践を通して、武器と魔術を使った戦い方を教わるようになり。
一人称が髪を金色に染めたのを機に『僕』から『俺』に変わった頃には。
吊戯に対する報酬額は『五千円』から『五百円』にまで下がり。
いつしか吊戯に渡すのは『お金』ではなく―――――『缶ジュース一本』から『飴玉一個』へと変わっていった。
そうして『トモダチ』から『親友』となった吊戯に対して弓景が借金を返済するための助力を申し出た時。
―――――きみが本当に 知らないのは『お金で築ける友情がある』ってことじゃない―――――
―――――『お金がないから築けない友情がある』ってこと―――――
そう吊戯は弓景に対して告げてきた後に。
―――――弓ちゃんありがとね。でもオレの借金のことはこのままでいいよ―――――
―――――オレ、弓ちゃんとは対等な友達でいたいからさ―――――
その言葉を真っすぐ前を見つめながら言ったのだ
けれど―――――
―――――吊戯。あの日の約束を違えて俺は悔しい―――――
―――――テメエと対等になりたかったのは俺だ―――――
―――――俺のほうなんだよ―――――
塔間から吊戯を引き離すことを『決断』できぬままでいた為に。
―――――この最悪の事態が引き起こされてしまった。
―――――現状に満足しがちで―――――
―――――いつも何も踏み出さない僕 が―――――
―――――人生で初めて自分でした『決断』は―――――
「あの日。テメエに声をかけたことだ。おかげでとんでもねぇよ。俺の順風満帆で穏やかなはずの人生はめちゃくちゃだ。あの日の気の迷いのおかげで、毎日騒がしくてひでぇもんだ。―――――聞こえてんだろ。吊戯!!」
吊戯に対して魔力の弾をぶつけて交戦をする中で、あらいざらい、その心中を吊戯の意識の内に語り掛けていた弓景がいきり立つ勢いで叫ぶ。
その時、がく・・・・・・と吊戯の足元がふらついて、倒れそうになったのだが。
それを目にした塔間が瞬時に右手を突き出すと、吊戯に向かって魔術で生み出した拘束ベルトをビッと放ち。それが吊戯の胴回りに巻き付いた処でぐんっと引っ張ると「えっ」と微かに戸惑いの声を漏らした吊戯の身体を自分と戦闘を繰り広げていたクロ目掛けてドッと衝突させたのだ。
「・・・!? な・・・」
吊戯が自分の元に投げ飛ばされてきた時点で、反射的にクロは右腕で防御しようとしたものの。防ぎ切れず、壁に吊戯ともども叩き付けられることとなり。
めり込んだ壁にず・・・とクロが背中を滑らせて座り込むと。
げほっげほっと、クロの手前に座り込んで、激しく咳き込んでいた吊戯の身体を、塔間は再び拘束ベルトを用いてブンッと引っ張り上げると。今度は弓景に向かってドカッとそのままぶつけてきたのだ。
「塔・・・テメ・・・ッ」
しかし、その吊戯の身体を弓景は壁に身体を打ち付けられながらも、何とか受け止める体制を取ることが出来たのだが―――――。
塔間が右手の人差し指をくんと曲げる仕草をすると。
トンと吊戯の身体は弓景の前に降り立って。その後に右脚を掲げる動作をすると、そこでゴッと弓景の上半身を勢いよく踏みつけてきたのだ。
「・・・ッ」
ミシッと骨が折れる感覚に弓景は苦悶の表情を浮かべてしまう。
―――――・・・ああくそ―――――
―――――強くなりてぇよ―――――
―――――嫉妬心に負けねぇくらいに―――――
―――――後悔しねぇくらいに―――――
―――――間違いそうな親友をぶん殴れるくらいに―――――
―――――強く―――――
そうして口に出すことが出来ないままの自らの感情を弓景が心の中で叫んだその時。
上着のポケットから、盾一郎が身に着けていた小さな車輪が地面に向かって落ちると。
キ―――――ンと音が鳴り響いて。
刹那、吊戯の目元を覆っていた塔間の魔術が消失し―――――。
「―――――弓ちゃん。起きてよ」
放心した面持ちになった吊戯は弓景に対してそんな言葉を紡ぎ出すと。
「・・・盾ちゃんは今日はむかえにこないよ・・・」
くしゃりと顔を歪ませて、金色の瞳から涙を流しながらそう告げてきたのだ。
その時、弓景もまた吊戯の顔を呆然とした面持ちで見返していて。
カラカラカランと地面で回って止まった小さな車輪にふと視線を向けると。
「・・・なあ。なんで盾一郎がテメエと仲良くなりたがったか知ってるか? たまたま席が後ろだっただけとか。同情とか救世主願望とかそんなんじゃねぇ」
―――――『狼谷くんとはあまり仲よくしないほうがいい』―――――
幼い頃、弓景は家の人間からそう言い聞かされていた。
だから盾一郎にも〝吊戯と関わるとろくなことにならない〟と弓景は忠告をしたのだが。
―――――『でも紙ヒコーキ折るのうまいんだ』―――――
吊戯が家で兄に教わったのだという、その紙飛行機の折り方を自分も教わりたい。
純粋な子供らしい理由で吊戯と仲良くなりたいのだと言った盾一郎に自分だってそれくらいできると弓景は反論するも。盾一郎は納得することなく、終いには叩き合いのケンカに発展してしまう結果となった。
「・・・塔間がテメエに教えた紙飛行機が一番遠くまで飛ぶからだとよ」
―――――吊戯が知らなかった盾一郎との思い出を語った弓景の面差しは〝憧憬の念〟を抱いたものになっていて。
その刹那、弓景の中に駆け巡ったのは―――――
―――――吊戯と盾一郎と弓景が〝三人で一緒に〟過ごす事になるまでの過去の出来事で―――――
「・・・あ―――――・・・そうか。なんだ。そーゆーことかよ・・・。テメエの全部の原点に塔間がいるんだな。そりゃあ誰に何言われたって見捨てられねぇよな。見放せねぇよな」
―――――そこで弓景は漸く理解することが出来たその思いを言葉にする。
「じゃあそれでいいわ。塔間も一緒でいいから。塔間が生かしたお前のまんまでいいからよ。テメエから塔間に教えてやれよ。テメエの声なら届くだろ。外に出て紙飛行機でも飛ばしたら。案外あいつヒーローになれるって」
その弓景の『言葉』が〝引き金〟となり、吊戯の身体を拘束していた塔間の魔術がパキンと解呪されて身に纏っていた上着がその背に広がった瞬間。
―――――迫りくる殺気を感じ取った吊戯が金色の瞳に鋭さを宿しながらそちらに目を向けると。弓景目掛けて三発の銃弾が放たれてきたのだが―――――。
「―――――!」
左手を翳した吊戯が魔術の障壁を作り上げたことにより、塔間が撃った銃弾はガガガガッと弓景に着弾することなく防がれたのだ。
「・・・吊戯」
その様を目にした弓景は呆気に取られた面持ちになりながら『親友』の〝名前〟を呼ぶと。
そこで弓景の中でずっと張り詰めていた緊張の糸が切れ、左手の中にあった魔力球体がプシュ・・・と消失し始めて。
「・・・は。バカ、遅ぇよ」
弓景は口元に笑みを浮かべながら吊戯に向かって悪態をつくと、そこで意識を保つことに限界を迎えて床に倒れ込んでしまう。
「・・・弓ちゃん。ありがとう」
―――――オレはずっと誰かに―――――
―――――彼を肯定してほしかった―――――
そこで吊戯が弓景に向かって心からの感謝の言葉を紡ぎ出した。
―――――刹那のことだった。
たた、と〝幼子〟が何処からともなく走ってきて。
―――――それは塔間にはとてもよく見知った存在で。
微かに驚いた様子で目を瞠った塔間は忽然と現れた〝幼子〟の後姿を目で追跡する。
実態ではなく〝精神体〟であるその〝幼子〟の身体から伸びた細い〝標の繋がり〟は吊戯へと続いていて。
吊戯の傍らに辿り着いた〝幼子〟は意識を失っている弓景の傍に膝を突くと、ぽろぽろと涙を溢れさせて。
―――――ごめんね、弓ちゃん―――――
―――――それからオレを止めてくれてありがとう―――――
そんな〝幼子〟の声が聞こえた気がした。
スウ・・・と〝幼子〟の姿が吊戯の中に溶け込んでいく。
その様子を目にした塔間が神妙な面持ちで目を伏せる。
と―――――
片膝を立てた吊戯がゆっくりと立ち上がる。
自我を取り戻した吊戯の面差しは決意を固めたものになっていて。
その吊戯の顔を塔間は無表情に見返すと―――――。
吊戯は喉元にある黒いチョーカーに右手で触れて。そこから漆黒の剣をズと引き出すと。
その身に纏っていた拘束服となる上着の襟筋の端を左手で掴みながら、右手に握りしめた剣の刃を当てて。
―――――そのままビッと勢いよく切り裂いたのだ。
パサと上着が吊戯の身体から離れて落ちていく。
吊戯は右手に刃を構えたまま塔間の顔をジッと見据える。
その一連の出来事を、固唾を飲んで見ていたクロは、ふと感じた感覚にハッと目を瞬かせる。
他ならぬ―――――〝主人〟と〝ミストレス〟―――――二人の気配。
―――――『クロ』―――――
そして自分の『名前』を呼ぶ二人の声が、クロの意識の内に聴こえてくる。
此方に向かって歩いてくる二人の気配に気づいた塔間もまた、眉を顰めながらゆっくりと視線を後ろに向ける。
―――――真昼と瑠璃は必ずここに来る―――――
かくして〝怠惰の真祖〟の言葉通り、〝不屈の精神〟を宿した真昼と瑠璃が塔間の前に再び姿を現したのだ。
【本館/24・6/15/別館/24・6/28掲載】
それにより大人しくなった『力』が漏らしたその言葉に瑠璃は柔らかな声音で告げる。
「えぇ。『力』くんが【扉】を繋いでくれたから。〝私〟は真昼君と〝あの子〟が居るここまで来ることができた」
「―――――瑠璃姉・・・・・・」
そして瑠璃は呆然とした面持ちになっていた真昼に静かな笑みを浮かべて頷き返すと。
「吊戯さん」
下を向いて座り込む『つるぎ』の名前を静かな声音で呼ぶ。
続いて真昼もまた―――――
「行こう、吊戯さん」
「・・・つれていってくれる?」
誘いの言葉に子供の姿になった『つるぎ』は逡巡するようにそう呟いたのだが。
「・・・・・・遊ぼうよ。このままここで遊んでいようよ。ずっと楽しく。こどものままで」
「大人になるのもきっと楽しいですよ」
新たな一歩を踏み出すことを躊躇う『つるぎ』に瑠璃が未来への希望を口にするも。
「・・・帰っても窓には鍵がかかっているかも。窓が・・・ないかも」
―――――暗い夜空の下、灯りが点いていた家の窓に向かってゆっくりと『つるぎ』が飛びながら近づいて行って。
―――――窓硝子にそっと両手を触れさせて中を覗き込む。
―――――『つるぎ』の願いは家の中に入れて貰うこと。
―――――けれどそれは叶うことはなく。
―――――閉ざされた窓の向こう側で、両手を硝子に触れさせながら『つるぎ』は瞳から涙を溢れさせてしまう。
『つるぎ』が思い浮かべた〝先の世界〟は決して明るいものではなかった。
けれど―――――
「―――――大丈夫。『俺達』が開けてあげるよ」
自信に満ちた笑顔で真昼が『つるぎ』に言った。
その刹那―――――〝希望〟を指し示す―――――【扉】がそこに現れたのだ。
「・・・・・・」
視線を俯けたままの『つるぎ』に真昼は言葉を続ける。
「『狼谷吊戯26歳』―――――あなたは俺と瑠璃姉にそう言ったよね」
「かみやつるぎ。26歳・・・・・・」
と―――――
噛みしめるように『つるぎ』が自身の『名前』と『年齢』を口にする。
すると小さな子供から大人に成長した『吊戯』の姿がそこには在り。
「・・・来週には27歳」
『吊戯』から知らされたその補足情報に真昼は「そうなんだ」と目を瞬かせると。
「誕生日、何日?」
「八月三十一日・・・だけど。本当は誕生日じゃない。彼がオレを拾ってくれた日」
寂しそうな声音でそう言った『吊戯』に真昼は明るい声で告げる。
「そっか。じゃあみんなでお祝いしよう。俺と瑠璃姉でケーキ作るよ。大きなのを」
―――――刹那、『吊戯』の中に浮かび上がったのは、お祝いの火が灯ったロウソクが飾られた、いちごケーキの前で頬を紅潮させた幼い自分の姿だった。
そうして伏せていた瞳から一筋の涙を零した『吊戯』はゆっくりと顔を上げると。
「・・・いちごのやつにしてくれる?」
「吊戯さん、いちごが好きなんですか? もちろんそうします」
ゆっくりと伸ばされてきた『吊戯』の右手を瑠璃がギュッと両手で握りしめる。
―――――その時、瑠璃の腕の中に居た『力』はいつの間にか姿を消していて。
そうして『吊戯』が立ち上がった処で、三人揃って扉の前に並ぶと。
「俺も瑠璃姉も料理は得意なんだ。・・・このためだったのかもしれない」
真昼が感慨深げな様子で【扉】を見つめながら言った。
瑠璃もふわと笑みを浮かべながら「そうね」と頷くと―――――。
―――――コンコンと【扉】を真昼と一緒にノックした。
―――――そうして【扉】のノブに真昼が手をかけてゆっくりと回すと。
―――――開かれた【扉】の向こう側には太陽が輝く〝明るい世界〟が広がっていて。
―――――その〝明るい世界〟に向かって一歩足を踏み出した刹那。
時鳥の記憶
忘れていた想い
手をつないで確かめた絆
覚えている君の温かみ
雲雀の記憶
夜明け前
君の源さえも無くなって
眠っていた心が蠢き出す
此処に居るよと言って
一陣の風が吹くのと同時に〝切なる想い〟が込められた『言葉』がまた瑠璃の中に浮かんできて。それが引き金となって、瑠璃の〝力〟が発動し、真紅の閃光がパアッと放たれると。
そこで精神世界の狭間から現実世界に瑠璃と真昼の意識は戻ることとなり―――――。
「・・・・・・ここは・・・・・・」
ゆっくりと瞼を持ち上げた瑠璃が視線を彷徨わせると。
『吊戯』の思念体である〝幼子〟が眉を下げながら此方を見つめていて。
「・・・・・・私は大丈夫よ」
現実に意識が戻ったことによって腹部に多少の鈍痛を覚えながらも、瑠璃は〝幼子〟を安心させるべく口元に笑みを浮かべてから身体を起こすと。
瑠璃が横たわっていた場所から少し離れた処で、瓦礫を背にして気を失っていた真昼もまたぼんやりと目を開けていて。
「・・・・・・いて・・・・・・」
真昼は小さく呻き声を漏らした後に起き上がろうとしたのだが。上半身を動かした瞬間、右腕にズキンと激しい痛みが走って。
「ッ・・・!」
「真昼君・・・・・・っ」
塔間との戦闘で真昼は右腕の骨を折られてしまっている。
眉を思い切り顰めた真昼の姿を目にして、それを思い出した瑠璃が気遣わしげな面持ちで傍に近づいて行き。真昼の右腕の状態を確認すると、負傷したその腕はひどく腫れ上がってしまっていて。
「とりあえず、何かで腕を固定しないと・・・・・・」
「・・・・・・大丈夫だよ、瑠璃姉」
どのような方法で応急処置をするか思考を巡らせようとした瑠璃に対し、
「この上着で何とかするよ」
自身が着ていた上着を真昼が左手で指し示してきた為。
その上着を脱ぐのを瑠璃が手伝う形を取り―――――。
その後は真昼が自分で、負傷した腕を固定するための三角巾代わりとして、上着を左手を使って巻いていき。最後に首の後ろで袖を縛る作業を真昼と瑠璃の様子を見つめていた〝幼子〟が完了させたのだ。
そうして左手を左腿に添えながらゆっくりと立ち上がった真昼は強気な笑みを浮かべながら「・・・よし。歩けそうだ」と呟くと。
「行こう。
〝幼子〟に向かってそう宣言したのだ。
**********
「9番目のサーヴァンプを作ろうなんて。まだそんなバカが出るとは思わなかった・・・」
塔間の企みを知ったクロの表情は普段の〝怠惰〟なものではなく―――――〝憤り〟に満ちたものになっていた。
しかし真祖の威圧感を目にしても、塔間は眉一つ動かすことなく。
「そんな怖い顔をするなよ。別にきみのせいじゃないさ」
目を細めると、そう言って嘲笑するような笑みを返してきたのだ。
その後―――――。
バッと跳躍をした吊戯が弓景に向かって奇襲を仕掛けてきたのだが。
瞬時にクロは弓景を右腕で下から担ぎあげて、繰り出されてきた蹴り技を躱すと。
次いで塔間から弓景が狙撃されそうになるも、すぐさま弓景の身体を宙に放り投げ、キャッチして―――――と。普段よりも、重労働となる動作をこなしつつ、弓景と連携を組んで、吊戯と塔間を相手に戦闘を繰り広げていた。
そうして「・・・・・・やっぱ抱えるんなら瑠璃が一番だな。もしくはお子様サイズの真昼のほうがまだマシだ」とぼやきを漏らした処で。
塔間の鎖による攻撃が放たれてきて、クロが咄嗟に弓景の身体を投げ飛ばしたことにより。クロだけが拘束されかける事態になってしまうも。そこでもまた、瞬時に体制を立て直した弓景が球体を放ったことにより、塔間の鎖は引千切られて、クロは危機を脱することができたのだが。
「連携プレーじゃかなわねーぞ・・・」
「そりゃそうだ」
う―――――ん、と困惑の声を漏らしたクロに、人をブン投げやがってと弓景は若干の怒りを滲ませながら相槌を打つ。
「でかいほうが・・・操ってんのか?」
クロは塔間と吊戯の姿を注視する。
塔間の右手の人差し指には吊戯の身体に纏わりついている魔力の気配がある。
「だとしても意識はあんだろ」
視界を塔間の魔術によって覆い隠された状態にある吊戯の姿を、弓景もまた射るような眼差しで見据えると。
「吊戯!! 目ェ覚ませ!! 俺の声が聞こえねぇのか!! 吊戯!!」
強い口調で、叱りつけるように、吊戯に向かって呼びかけた。
「・・・はは。もう聞こえないさ。きみは
そんな弓景の様を塔間は冷めた目で見返した後に。
「・・・・・・そんなだから好きな女も親友にとられるんだ」
ふと、口端を吊り上げると―――――さらに弓景の心に揺さぶりをかける言葉を口にしたのだ。
刹那、茫然とした面持ちになった弓景の中に浮かんできたのは―――――『親友』である〝盾一郎〟と彼の亡くなった『妻』である〝詩文〟の姿だった。
―――――詩文は盾一郎と弓景と同じ大学に通う同期の間柄だった。
―――――そして弓景は一冊の本をきっかけにして、詩文と交流をするようになった中で彼女に惹かれていったのだが。
その一方で盾一郎もまた、詩文に想いを寄せていて。
―――――俺、詩文に告白しようと思うんだ―――――
―――――・・・いいんじゃねぇの。あいつもわりと盾のこと好きだろ―――――
親友の口からその『決断』を聞いた時、弓景は『自分の想い』を口にすることはせず、身を引く事を選んだ。
塔間が弓景の〝過去〟の〝苦い思い〟を知っていたのは、他ならぬ吊戯の口から話を聞いていたからだろう。
「はは。かわいそうになあ。気持ちをぶつけることもせずに。いつもなんにもしないんだな、きみは。いや、
即座に反論を返すどころか、視線を俯けて、口を震わせることしかできない状態となってしまった弓景の姿を塔間は嘲り。
「・・・そんなだから親友も女も俺達に殺された」
続けて衝撃の『真実』を突きつけてきたのだ。
「―――――は? 親友も・・・
しかし追い打ちとなるその台詞を聞いた瞬間、弓景の思考は『過去』から『現在』に引き戻されることとなり。
この場に辿り着く前―――――途中で発見した血だまりの中に落ちていた切れたチェーンと小さな車輪。
―――――盾一郎が常に身に着けていた〝詩文の形見〟を拾った時の事が過り。
「・・・そうかよ。・・・あの日の下位の脱獄もやっぱり・・・テメェか」
一年前にこの支部で起こった惨劇は全て塔間の企てによるモノだったのだと理解し。
「そんで・・・盾一郎は・・・テメェが斬ったのかよ吊戯」
血だまりの場所で何があったのか、確信を得てしまった弓景の口から漏れだした声には沸き立つ怒りの感情が滲み出ていて。
「・・・・・・・・・あーと。その・・・落ち・・・着けよ。いや落ち着けねーのはわかるが。怒ればノッポの思うツボ・・・」
塔間と吊戯から目を離すことが出来ない中、クロは弓景の心情を重んじながら、何とか自制を促そうとその言葉を紡ぎ出すと。
「あー大丈夫。これは塔間への怒りじゃねぇよ」
―――――吊戯のことが嫌いだった―――――
―――――・・・それ以上に弱い自分が嫌いだった―――――
右手を掲げて応じながら、魔力球体を作り出した弓景の顔は鬼神のごときモノになっていたのだが。
その時、吊戯のことをひたと見据えた弓景の鋭い瞳は、微かに吊戯の身体が震えていたのを見逃すことはしなかった。
それから此方に向かって飛び掛かってきた吊戯と闘争を再開した中で。
学生時代に紆余曲折を経て―――――吊戯と『親友』となるまでの過去を思い出していた。
―――――きっかけは三日月が輝く夜。幼い頃とは違い、自ら圧倒的な力を行使して下位との戦闘を繰り広げ。勝者となった吊戯が白い上着をはためかせてビルの上を跳躍していったその姿を送迎の車の中から見た日のことだった。
そして―――――
『・・・僕の護衛を頼みたい。来週の盾一郎の誕生日プレゼントにエロ本を買いに行く』
『五万円』の報酬を吊戯に払って依頼をし。それ以降も弓景は継続して報酬を支払い続けることで。吊戯から実践を通して、武器と魔術を使った戦い方を教わるようになり。
一人称が髪を金色に染めたのを機に『僕』から『俺』に変わった頃には。
吊戯に対する報酬額は『五千円』から『五百円』にまで下がり。
いつしか吊戯に渡すのは『お金』ではなく―――――『缶ジュース一本』から『飴玉一個』へと変わっていった。
そうして『トモダチ』から『親友』となった吊戯に対して弓景が借金を返済するための助力を申し出た時。
―――――きみが
―――――『お金がないから築けない友情がある』ってこと―――――
そう吊戯は弓景に対して告げてきた後に。
―――――弓ちゃんありがとね。でもオレの借金のことはこのままでいいよ―――――
―――――オレ、弓ちゃんとは対等な友達でいたいからさ―――――
その言葉を真っすぐ前を見つめながら言ったのだ
けれど―――――
―――――吊戯。あの日の約束を違えて俺は悔しい―――――
―――――テメエと対等になりたかったのは俺だ―――――
―――――俺のほうなんだよ―――――
塔間から吊戯を引き離すことを『決断』できぬままでいた為に。
―――――この最悪の事態が引き起こされてしまった。
―――――現状に満足しがちで―――――
―――――いつも何も踏み出さない
―――――人生で初めて自分でした『決断』は―――――
「あの日。テメエに声をかけたことだ。おかげでとんでもねぇよ。俺の順風満帆で穏やかなはずの人生はめちゃくちゃだ。あの日の気の迷いのおかげで、毎日騒がしくてひでぇもんだ。―――――聞こえてんだろ。吊戯!!」
吊戯に対して魔力の弾をぶつけて交戦をする中で、あらいざらい、その心中を吊戯の意識の内に語り掛けていた弓景がいきり立つ勢いで叫ぶ。
その時、がく・・・・・・と吊戯の足元がふらついて、倒れそうになったのだが。
それを目にした塔間が瞬時に右手を突き出すと、吊戯に向かって魔術で生み出した拘束ベルトをビッと放ち。それが吊戯の胴回りに巻き付いた処でぐんっと引っ張ると「えっ」と微かに戸惑いの声を漏らした吊戯の身体を自分と戦闘を繰り広げていたクロ目掛けてドッと衝突させたのだ。
「・・・!? な・・・」
吊戯が自分の元に投げ飛ばされてきた時点で、反射的にクロは右腕で防御しようとしたものの。防ぎ切れず、壁に吊戯ともども叩き付けられることとなり。
めり込んだ壁にず・・・とクロが背中を滑らせて座り込むと。
げほっげほっと、クロの手前に座り込んで、激しく咳き込んでいた吊戯の身体を、塔間は再び拘束ベルトを用いてブンッと引っ張り上げると。今度は弓景に向かってドカッとそのままぶつけてきたのだ。
「塔・・・テメ・・・ッ」
しかし、その吊戯の身体を弓景は壁に身体を打ち付けられながらも、何とか受け止める体制を取ることが出来たのだが―――――。
塔間が右手の人差し指をくんと曲げる仕草をすると。
トンと吊戯の身体は弓景の前に降り立って。その後に右脚を掲げる動作をすると、そこでゴッと弓景の上半身を勢いよく踏みつけてきたのだ。
「・・・ッ」
ミシッと骨が折れる感覚に弓景は苦悶の表情を浮かべてしまう。
―――――・・・ああくそ―――――
―――――強くなりてぇよ―――――
―――――嫉妬心に負けねぇくらいに―――――
―――――後悔しねぇくらいに―――――
―――――間違いそうな親友をぶん殴れるくらいに―――――
―――――強く―――――
そうして口に出すことが出来ないままの自らの感情を弓景が心の中で叫んだその時。
上着のポケットから、盾一郎が身に着けていた小さな車輪が地面に向かって落ちると。
キ―――――ンと音が鳴り響いて。
刹那、吊戯の目元を覆っていた塔間の魔術が消失し―――――。
「―――――弓ちゃん。起きてよ」
放心した面持ちになった吊戯は弓景に対してそんな言葉を紡ぎ出すと。
「・・・盾ちゃんは今日はむかえにこないよ・・・」
くしゃりと顔を歪ませて、金色の瞳から涙を流しながらそう告げてきたのだ。
その時、弓景もまた吊戯の顔を呆然とした面持ちで見返していて。
カラカラカランと地面で回って止まった小さな車輪にふと視線を向けると。
「・・・なあ。なんで盾一郎がテメエと仲良くなりたがったか知ってるか? たまたま席が後ろだっただけとか。同情とか救世主願望とかそんなんじゃねぇ」
―――――『狼谷くんとはあまり仲よくしないほうがいい』―――――
幼い頃、弓景は家の人間からそう言い聞かされていた。
だから盾一郎にも〝吊戯と関わるとろくなことにならない〟と弓景は忠告をしたのだが。
―――――『でも紙ヒコーキ折るのうまいんだ』―――――
吊戯が家で兄に教わったのだという、その紙飛行機の折り方を自分も教わりたい。
純粋な子供らしい理由で吊戯と仲良くなりたいのだと言った盾一郎に自分だってそれくらいできると弓景は反論するも。盾一郎は納得することなく、終いには叩き合いのケンカに発展してしまう結果となった。
「・・・塔間がテメエに教えた紙飛行機が一番遠くまで飛ぶからだとよ」
―――――吊戯が知らなかった盾一郎との思い出を語った弓景の面差しは〝憧憬の念〟を抱いたものになっていて。
その刹那、弓景の中に駆け巡ったのは―――――
―――――吊戯と盾一郎と弓景が〝三人で一緒に〟過ごす事になるまでの過去の出来事で―――――
「・・・あ―――――・・・そうか。なんだ。そーゆーことかよ・・・。テメエの全部の原点に塔間がいるんだな。そりゃあ誰に何言われたって見捨てられねぇよな。見放せねぇよな」
―――――そこで弓景は漸く理解することが出来たその思いを言葉にする。
「じゃあそれでいいわ。塔間も一緒でいいから。塔間が生かしたお前のまんまでいいからよ。テメエから塔間に教えてやれよ。テメエの声なら届くだろ。外に出て紙飛行機でも飛ばしたら。案外あいつヒーローになれるって」
その弓景の『言葉』が〝引き金〟となり、吊戯の身体を拘束していた塔間の魔術がパキンと解呪されて身に纏っていた上着がその背に広がった瞬間。
―――――迫りくる殺気を感じ取った吊戯が金色の瞳に鋭さを宿しながらそちらに目を向けると。弓景目掛けて三発の銃弾が放たれてきたのだが―――――。
「―――――!」
左手を翳した吊戯が魔術の障壁を作り上げたことにより、塔間が撃った銃弾はガガガガッと弓景に着弾することなく防がれたのだ。
「・・・吊戯」
その様を目にした弓景は呆気に取られた面持ちになりながら『親友』の〝名前〟を呼ぶと。
そこで弓景の中でずっと張り詰めていた緊張の糸が切れ、左手の中にあった魔力球体がプシュ・・・と消失し始めて。
「・・・は。バカ、遅ぇよ」
弓景は口元に笑みを浮かべながら吊戯に向かって悪態をつくと、そこで意識を保つことに限界を迎えて床に倒れ込んでしまう。
「・・・弓ちゃん。ありがとう」
―――――オレはずっと誰かに―――――
―――――彼を肯定してほしかった―――――
そこで吊戯が弓景に向かって心からの感謝の言葉を紡ぎ出した。
―――――刹那のことだった。
たた、と〝幼子〟が何処からともなく走ってきて。
―――――それは塔間にはとてもよく見知った存在で。
微かに驚いた様子で目を瞠った塔間は忽然と現れた〝幼子〟の後姿を目で追跡する。
実態ではなく〝精神体〟であるその〝幼子〟の身体から伸びた細い〝標の繋がり〟は吊戯へと続いていて。
吊戯の傍らに辿り着いた〝幼子〟は意識を失っている弓景の傍に膝を突くと、ぽろぽろと涙を溢れさせて。
―――――ごめんね、弓ちゃん―――――
―――――それからオレを止めてくれてありがとう―――――
そんな〝幼子〟の声が聞こえた気がした。
スウ・・・と〝幼子〟の姿が吊戯の中に溶け込んでいく。
その様子を目にした塔間が神妙な面持ちで目を伏せる。
と―――――
片膝を立てた吊戯がゆっくりと立ち上がる。
自我を取り戻した吊戯の面差しは決意を固めたものになっていて。
その吊戯の顔を塔間は無表情に見返すと―――――。
吊戯は喉元にある黒いチョーカーに右手で触れて。そこから漆黒の剣をズと引き出すと。
その身に纏っていた拘束服となる上着の襟筋の端を左手で掴みながら、右手に握りしめた剣の刃を当てて。
―――――そのままビッと勢いよく切り裂いたのだ。
パサと上着が吊戯の身体から離れて落ちていく。
吊戯は右手に刃を構えたまま塔間の顔をジッと見据える。
その一連の出来事を、固唾を飲んで見ていたクロは、ふと感じた感覚にハッと目を瞬かせる。
他ならぬ―――――〝主人〟と〝ミストレス〟―――――二人の気配。
―――――『クロ』―――――
そして自分の『名前』を呼ぶ二人の声が、クロの意識の内に聴こえてくる。
此方に向かって歩いてくる二人の気配に気づいた塔間もまた、眉を顰めながらゆっくりと視線を後ろに向ける。
―――――真昼と瑠璃は必ずここに来る―――――
かくして〝怠惰の真祖〟の言葉通り、〝不屈の精神〟を宿した真昼と瑠璃が塔間の前に再び姿を現したのだ。
【本館/24・6/15/別館/24・6/28掲載】
