第二十七章『それは誰が為に―――――』
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―――――瑠璃―――――
―――――どうか覚えておいて欲しい―――――
―――――〝人と繋がる〟ということは〝自分と繋がる〟ことでもあるのだということを―――――
―――――その上で知っておいて欲しい―――――
『人を思うは身を思う、人を憎むは身を憎む』
―――――〝寂しさ〟〝痛み〟〝孤独〟憎〝しみ〟―――――
―――――人のことを思って行動することは、己自身の事を思っている事と同じであり、人のことを憎しみをもって行動すると、己自身の事を憎むことになる。
そして―――――
『情けは人の為ならず』
―――――〝思いやり〟〝情愛〟〝風情〟〝心〟―――――
―――――人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがては良い報いとなって自分に戻ってくる。
―――――だからこそ困難な状況に陥った時、それを打開するために本当に必要なのは〝力〟ではなく〝自分自身〟の、その〝想い〟なのだということを―――――
―――――これは昔、『私』が両親から言い聞かされた〝大切な言葉〟の記憶だ。
どうして今、それを思い出したのか―――――。
それはきっと知らず知らずのうちに、激情に駆られた状態で、只々〝力〟だけを行使しようとしてしまっていたからだ。
自身の意識の奔流に呑まれた中で瑠璃がそう理解した時―――――。
―――――もし彼が私の作った武器で復讐を成し遂げてしまったら―――――
―――――きっと私はもう二度と私を許すことが出来ない―――――
―――――だから私は・・・・・・――――――
父親の仇である吸血鬼を屠るべく、戦場に足を踏み入れてしまった大切な幼馴染を止める為に。
〝憤怒〟の真祖―――――〝母なるもの 〟と邂逅を果たした一人の少女がいた。
「ねぇ。力を貸してくれる? 止めたい人がいるの。私が行かなくちゃ。彼が彼でなくなってしまう前に」
―――――・・・どうかこの状況を打開する力を―――――
そして瞳から涙を零しながらそう嘆願してきた少女の姿を目にした〝母なるもの〟の中に過ぎったのは、過去に戦場に身を置いていた時に手に入れた『力』に溺れて、〝思いやる心〟を忘れてしまった、もう一人の少女の姿だった。
「力じゃないわ」
だからこそ、いま自分の目の前に居る少女には〝間違った道〟を進ませる訳にはいかない―――――きちんと〝正しい道〟を示さなければならない。
「絶対に忘れないで。状況を変えてくれるのはいつだってあなたのその気持ちだってこと」
そんな〝母なるもの〟の強い想いが宿ったその言葉を聞いた少女は―――――
―――――・・・思えば何かに本気で怒ったことも怒られたこともなかった気がする。
―――――それは本当に幸せなことだったのかな。
恐らくは生涯で初となるであろう『叱責』を受けたことに対して呆然とした面持ちになっていたのだが。
〝母なるもの〟はゆっくりと伸ばした左手の人差し指で目元に残っていた涙をそっと拭う仕草をした後に。
「・・・バカな男の子を叱るのは女の子の役目よね」
慈愛に満ちた眼差しで少女を見つめながら口元に微かに笑みを浮かべて、そう言い漏らすと。
「さあ〝名前〟を教えて。あなたの名前と。今はまだ何者でもない〝怒り 〟の名前を」
少女に向かって差し伸べた左手でそっと頬に触れながら、その心の内に語り掛けるようにそう告げたのだ。
そして―――――
―――――私はどうなりたかったんだろう―――――
―――――本当は彼の何になりたかったのだろう―――――
―――――彼を立ちあがらせるものは武器じゃなかったはずだ―――――
「―――――私は・・・」
そこで少女は己の心の内と再び向き合い。
「―――――・・・私の名前はイズナ。イズナ・ノーベル」
自らの名を口にした後に。
「あなたはすごく美しいね・・・」
そんな賞賛の言葉を〝母なるもの〟に対して紡ぎ出すと。
「あなたの名前は愛と豊穣と戦場の女神。フレイア・・・!!」
〝憤怒〟を司る存在でありながら『慈愛』と『高潔』に満ちた吸血鬼の『名前』としてイズナが定めたのは北欧神話における女神の人柱のものだった。
「―――――・・・・・・」
それから一瞬の瞬きの後に〝精神世界〟の狭間に置いて瑠璃が覚醒すると。
そこにはクロの一部である猫のような姿をした奇妙なぬいぐるみ『力』もまた居り。
『どうやら〝憤怒〟は新たな主人を見つけたみたいだね。でも、果たしてあの主人はその内に或る〝怒り〟を制御することが出来るのかな』
「・・・・・・イズナちゃんなら、きっと大丈夫よ」
小首を傾げる仕草をしつつ『力』が口にした台詞に対し、瑠璃は万感の想いを込めて答える。
その時、瑠璃が視ていたのは―――――イズナが幼い頃。
両親に連れられて来た露木家の葬儀式場で目にした、心の奥底に抱えることになった、〝後悔の想い〟の記憶で―――――。
それは同時に、どうして露木が〝吸血鬼〟を、あんなにも〝憎む〟のか。
その〝理由〟を知らしめるものでもあった。
―――――・・・ぼくはっ
―――――くやしいっ
―――――くやしい
―――――どうしてお父さんが・・・っ
―――――くやしい
―――――吸血鬼に殺されたんだ!!
―――――さっき大人が話してた
―――――もともとお父さんの仲間だった人だって
―――――死んでお父さんを殺すために吸血鬼になったんだ
―――――死んだら人はおわりだ
―――――そこでおしまい
―――――だから大事に生きないとって
―――――お父さんがよく言ってた
―――――なのに吸血鬼がその仕組みをめちゃくちゃにしたんだ
涙を流しながら激情のままに声を荒げていた少年は、やがて拳を握り締めながら地に膝を突くと。
―――――母さんは悲しいけど仕方ないって言った
―――――けど
―――――おれは許せない
―――――絶対に許せない
―――――死んでからも復讐を果たす方法があるなら
―――――それが吸血鬼なら
―――――おれが父さんの復讐鬼になる
やがて憤怒に満ちた形相となった少年は―――――少女の目の前でそう宣言した。
その一方で―――――
―――――怒 りは人に似た獣のかたちをしている―――――
―――――怒 りはおまえのかたちをしている―――――
―――――何かを奪われて怒 る奴―――――
―――――容姿や能力をバカにされて怒 る奴―――――
―――――マナーの悪い他人に怒 る奴―――――
―――――友人が傷つけられて怒 る奴―――――
―――――不公平さに怒 る奴―――――
―――――怒 りとは『価値観 』だ―――――
―――――何が大事か?―――――
―――――何がどうでもいいものか?―――――
―――――〝何に怒 るか〟がその人間そのもの だ―――――
〝憤怒〟の内部に置いてイズナが対峙する事となった、もう一人の〝フレイア〟が口にした言葉がそれだった。
―――――露木さんが心に抱えていた〝痛み〟を本当の意味で知らなかった、私の〝言葉〟では露木さんを止めることは出来なかった。
―――――けれど今のイズナちゃんならきっと『答』に辿り着いた上で。
―――――露木さんのことを・・・・・・。
―――――それだけじゃなく『あの人』のことも・・・・・・きっと〝怒 り〟から解放してくれる・・・・・・。
―――――そうしたらもう一度、それぞれが抱えた〝後悔の想い〟をやり直すことができると思うから・・・・・・。
「・・・・・・」
そっと目を伏せた瑠璃が、ギュッと胸元の『鍵』を右手で握りしめると。
左腕にある〝誓約の証〟がフッと淡く瞬いて―――――。
―――――真昼も瑠璃も死んでねぇ。あいつらは必ずここに来る―――――
胸の奥に響き渡った〝思念〟が誰のモノであるのか。
すぐさま理解した瑠璃もまた―――――
―――――『クロ』―――――
声に出すことなく、心の中で想いを込めて、最愛の真祖の『名前』を呼ぶと。
「だから『私』も自分の〝信念〟を貫いて。今度こそ―――――吊戯さんを助ける為に―――――真昼君と一緒にクロの処に向かうわ」
顔を上げて、もう一度自ら選択したその〝答〟を口にした。
刹那―――――瑠璃が紡ぎ出したその言葉に共鳴するように、カッと真紅の閃光が瞬き『鍵』がロッドとなって具現化して。
『瑠璃。本当にキミは〝ミストレス〟に相応しい、勇猛果敢な性格だね』
しみじみとした口調でそう呟いた『力』の近くには、突如として以前にも夢の中で目にした【扉】と同じモノが出現したのだ。
「この【扉】って・・・・・・」
『この【扉】は瑠璃と同じ様に、今は精神世界の狭間にいる、真昼の処に繋がってるモノだ。だからこの【扉】を進んで行けば、真昼ともちゃんとまた逢える筈だよ』
目を瞠りながら【扉】を見つめていた瑠璃に『力』が告げてくる。
それを聞いた瑠璃は『力』と目線が合う距離まで膝を折ると、
「―――――『力』くん。真昼君と私の事を気に掛けてくれていてありがとう」
ふわと微笑みを浮かべながら左手で『力』の頭を撫でた。
それから立ち上がると、ドアノブに手をかけて【扉】を開いていく。
「クロ。必ず、真昼君と一緒に貴方の処に行くから。あと少しだけ待っていてね」
そうしてその言葉を口にするのと同時に瑠璃は【扉】の向こう側に足を踏み入れた。
一方、瑠璃の後姿をジッと見つめていた『力』は―――――
『でも、真昼が瑠璃と同じように、追い込まれた中でちゃんと〝答〟が出せるかどうか。―――――それはまだ解らないけどね』
そう呟いた後にその場から姿を消したのだ。
―――――・・・まひる―――――
―――――真昼。どこまで行っちゃったの?―――――
シンプルなワンピースにカーディガンを羽織って、足元はスニーカーを履いた女性が〝我が子〟の〝名前〟を呼びながら歩いて行く。
そして―――――
―――――・・・みつけた―――――
―――――帰ろう。真昼―――――
瞳に涙を浮かべながら蹲っていた〝我が子〟の姿を発見すると。
〝名前〟を呼びながら、優しく手を伸べたのだ。
―――――それは真昼の中に在った〝母親〟との大切な〝思い出の記憶〟の断片だった。
―――――灰塵とは視覚化に成功した最初の精神気体。
―――――精神的エネルギーを具象化し物質状に変化させた『灰塵』は精神を具現化させるための媒介になる。
―――――精神気体灰塵は他の物質に比べ、非常に寿命が長く、長期間世界に存在し続ける。
―――――この世界において吸血鬼とは灰塵を結合させ、人の形を成したものの総称である。
―――――そして〝ミストレス〟とは、吸血鬼という存在が、精神の均衡を保つために不可欠な、唯一無二の存在である。
ぼんやりとした意識の中で真昼の内に聴こえてきた言葉と、カツ、カカッ、カツと、いう音。
―――――それは板書に文字を記載する事によって出たものであり。
それを行っていたのは猫のような姿をした奇妙なぬいぐるみ『力』だった。
そうして目覚めた真昼は意識を失う直前に己の身に起った出来事の記憶を辿っていた中で―――――
ごく普通の高校生だった時、その日常を共に過ごしていた友人達とのやり取りもまた思い出し―――――
その後に―――――
―――――大丈夫だよ。ありがとな、がんばってくれて―――――
―――――・・・じゃあな―――――
吸血鬼達の兄弟戦争に巻き込まれた後に決別してしまった敵対勢力側の下位吸血鬼でありながら友人であった桜哉のこと。
―――――なんつーか・・・うまく・・・言えねーけど・・・悪かった・・・な・・・―――――
―――――いや・・・悪かったじゃ、すまねーか―――――
相棒である〝怠惰〟の吸血鬼のクロと―――――
―――――真昼君・・・・・・私の力不足で・・・・・・無理させちゃってごめんね・・・・・・―――――
血の繋がりはなくとも自分にとっては大切な『姉』である瑠璃―――――
三人の姿が浮かんできて―――――
―――――俺は何がしたかったんだっけ。
―――――どうなりたかったんだっけ・・・。
愕然となった真昼の中に、ふいに過ぎったのは―――――
―――――結局のところ、叔父さんの真似事だろ―――――
意識が飛ぶ直前まで、戦いを繰り広げていた塔間が自分に対して口にしたその台詞で。
―――――・・・そう。叔父さんみたいになりたかった。
―――――なりたくて・・・・・・。
消沈した面持ちで真昼は視線を俯けると―――――
―――――・・・・・・死んだのかな、俺―――――・・・。
これは走馬灯のようなものなのかという考えが思い浮かぶも―――――
―――――いや。
「違う。撃たれる直前に真紅の閃光に包まれて。その後に何か が俺を庇ったんだ。それに・・・お前がいる 。瑠璃姉も無事で。クロも近くにいるんじゃないのか!?」
刹那、蘇った記憶にハッと真昼は目を見開くと、姿を消すことなく存在していた『力』に訴え掛ける。
と―――――
『―――――勿論、瑠璃は無事だよ』真っ先に瑠璃に関わることは肯定をしてきたのだが。
『けど、残念ながら・・・クロは近くにはいないよ。ボクは今、キミの精神をベースに具現化してるだけ』
しかし、その後にクロに関してはすげない態度で否定をしてきて。
「でも・・・クロとはまだつながってるはずだ」
それでも真昼は希望を捨てることをせず、自身の右掌を見つめる。
『ここは灰塵の濃度が異常に高いからね。灰塵が濃いと、より強く精神が漏れ出すんだ。目に見えるくらいにね』
そんな真昼に対し、『力』はくるりと背を向けると、淡々とした口調で告げてくる。
『充満した灰塵は感情を映し出すスクリーンだ。キミも見た ことがあるはず。目に見えるほどの殺意を。触れられるほどの哀しみを』
目に見えるほどの殺意―――――それは以前、クロがロウレスと険悪な状態だったとき。
真昼は身を持って感じたことがあった。それから二度目は塔間と闘いを繰り広げた時、ぶつけられた具象化したモノ。
そして触れられるほどの哀しみ―――――椿が降らせていた昏く冷たい雨。
「・・・・・・!」
それらを思い出した真昼が眉を顰めながら『力』を見返すと。
『まひる。ここはきみの 世界だよ。ここは劇場。円形劇場。きみのすべてを映すスクリーン。360゜観客席。すべての角度から物語が丸わかり』
気づけば円形の闘技場の中に立っていて、剣と盾を構えた状態で、同様に剣を携えた『力』と対峙する状況となっていて。さらに周囲にも、無数の『力』の姿が在り。
『モットヤレー』『ソコダー』と野次を飛ばしてきていて。
『きみの奥底に眠っている恐怖も。きみを形作っている孤独も。すべてがここには曝け出される。誰も知らないきみの思想のすべて。きみの哲学や価値観のすべて』
真昼を完全に追い込もうとしてきたのだが―――――。
『・・・あ・・・っ。・・・なんでお前 が・・・っ』
ピッという音が響き渡ったその直後―――――真昼の居場所は元の空間に戻っていて。そこに忽然と現れた、白いフードが付いた上着を背中にマントのように羽織った〝幼子〟が、板書に星の絵を落書きし始めたのだ。
『あっ、コラ!!よそもの だ!! 誰かの思念が混線してる!』
『力』はその〝幼子〟を、この場から追い出そうとしたのだが。
〝幼子〟は無邪気な笑みを浮かべながら、くるりと身体を反転させると、縦横無尽に走り出して。『力』が必至に後ろから追いかけて行くこととなり。暫しの間、両者の鬼ごっこが繰り広げられることとなったのだが。結局、追い出すことは出来ず。〝幼子〟の上着の端っこを漸く『力』が掴んだ処で―――――空中で逆様の状態で立ち止まった〝幼子〟が真昼の前までやって来て。
「きみは・・・」
呆然と真昼は目を瞬かせながら〝幼子〟の顔を見つめる。
撃たれる直前―――――真紅の閃光に包まれた後。意識がない状態のままだった『吊戯』の身体から、白い靄のようなモノが立ち昇って。それが〝幼子〟の形を取るのを見た気がした。
「きみは・・・もしかして」
〝幼子〟の『名前』を真昼は口にしようとした。
「ねぇ。なつやすみのしゅくだいやった?」
―――――刹那、〝幼子〟と入れ替わるかのようにして顕現したのは、金色の瞳をした10歳くらいの〝少年〟だった。
そうして反転した常世界―――――テレビとベッドとソファー―――――最低限の家具だけが置かれているシンプルな部屋―――――そこで、真昼もまた10歳の頃の姿で〝少年〟と向き合って座っていて。
「なつやすみのにっき。何かいていいかわかんないよねぇ・・・。まいにちなんにも書くことがないよ。まいにち家でひとりでいるだけだもんねぇ・・・」
「・・・・・・きみも ?」
金色の瞳の〝少年〟の顔を真昼が呆然と見つめ返す。
しかしてまた世界は反転し―――――
「お・・・おれ。おれ、本当は・・・」
表層世界での真昼が苦悩を滲ませながら言い淀むと金色の瞳の〝彼〟は―――――
「うん。・・・さびしいよ、きみと同じに 」
まるで合わせ鏡のように、その返答をしてきたのだが。
真昼はその言葉を否定するように、ゆるりと頭を振ると―――――
「・・・ううん。でも大丈夫だよ・・・叔父さん。俺、立派にやるよ。誰かのためになんでもできるよ。俺・・・・・・」
―――――よくやったなあ、真昼! 一番だったのか!―――――
体育の授業の徒競走で一番を獲得したと真昼が報告をすると、徹は満面の笑顔で真昼の頭を撫でながら褒めてくれて。真昼もまた得意気な笑みを浮かべていた。
そして―――――
―――――叔父さん。運動会来れそう?―――――
―――――あー・・・すまん。真昼。やっぱりその日はどうしても・・・―――――
―――――いいよ! メダル取ってくる!―――――
仕事で運動会を観覧できない徹に、さらに喜んで貰うべく、真昼は全力を尽くした。
さらにそれだけでなく―――――
―――――夕飯、真昼が作ってくれたのか!? 俺より上手だな!?―――――
11歳になってからは、本を見ながら、料理にも挑戦をするようになり。
その中で初めて作ったハンバーグは多少、焦げてしまったものの。達成感を得る事が出来た。
―――――そうだよ。話したろ? 俺の甥っ子。足が速いんだ。クラスじゃ学級委員もやってて―――――
そうして徹が友人との電話のやり取りで、自分のことを話している姿を見た時には自然と笑みが零れていた。
クラスの学級委員には自ら立候補することによって請け負い。家では料理だけでなく裁縫なども、本を見ながら、最初は針で指を刺してしまうという失敗はあったものの。経験を積むことで、様々なことが出来るようになって。
その結果、友人も含めて周囲から、厚い信頼を寄せられるようになり。
―――――ここはシンプルに考えて俺だろ!―――――
折に触れて、自ら率先して行動をするようになった。
「―――――本当は・・・俺、あれからずっと・・・・・・誰かの『誇り』になりたかったんだ・・・」
心の奥底に留置していた〝虚無感〟を埋めるため、ただひたすらに取り組んできた。
そんな自らの心の内と向き合った真昼の瞳からは、涙が溢れ出してきていて―――――。
―――――『自慢の甥っ子』に―――――
―――――『自慢の友達』に―――――
―――――『自慢の姉弟』に―――――
―――――『自慢の仲間』に―――――
―――――なりたいな・・・―――――
そうして真昼の口から零れ出した願いを聞いた〝彼〟は―――――
「なれるよ。きみはがんばりやだもんね。皆がきみを誇りに思う」
―――――真昼のその想いを肯定してきて。
「いつか・・・オレも『自慢の家族』になりたいな・・・」
自らもまた、心の内に抱いた〝望み〟を口にした。
―――――誰かの誇りになれたなら―――――
―――――あなたの誇りになれたなら―――――
―――――ここにいる意味を得られる気がしたんだ―――――
そうして〝二つの願い〟が重なり合ったことにより。
希望の星が瞬く世界が生まれて―――――。
飛行機が先端から埋まっている雲の上に二人の子供が並んで座っていた。
そして真昼が書いた日記の頁が星空に向かって舞い上がると―――――
「きみはえらいね。きみは・・・そうやって空っぽを『たのしいもの』に書き換えてきたんだね」
賞賛の言葉を漏らした〝彼〟に、今度は真昼が尋ねかける。
「きみはどうしたの?」
「オレ? オレはねぜーんぶ友達のを写しちゃった」
―――――お父さんとキャッチボールをしたのも―――――
―――――家族で海に行ったのもぜんぶ盾ちゃんの夏休み―――――
―――――まるっきり同じだからもちろんバレて怒られたっけ・・・―――――
「大人になったオレがこの日記を読んで。子供の頃、こんなに幸せだったんだなあって思えばいいな。夏休みの思い出がなんにもなかったって知ったら大人になったオレがかわいそうだから・・・なんてばかだなあ。こんな幸せな夏休みがオレのものなわけない。こうやって嘘ばかりだからオレ、大人になれなかったのかなあ・・・」
〝彼〟は幼い自分が書いた日記に目を通しながら、寂し気な笑みを浮かべて。
「・・・でもね、いいんだ。泰ちゃんがオレを呼んでくれるなら。誰だって何かひとつ、誰か一人。認めてもらえたらそれで生きていけるんだ。そうじゃなければ生きられないよ」
さらに自嘲めいた物言いをした〝彼〟の金色の瞳を真昼は真っすぐに見据えると。
「・・・あなたは認められてるよ。大事に思ってくれる友達がいる」
「うん。オレには いるね」
真昼の言葉を〝彼〟は肯定したものの。
「でも、彼にはいなかった。誰も知らない暗い地下でハイザラって呼ばれてた、あの子供を置いてはいけない。誰だって認めて欲しいだけなんだ。まるで誰にも見えてないみたいな自分を。それでも自分が今、ここにいる意味を。オレたちは誰も知らない窓のない部屋で生まれて。二人きりで必死に生き延びた」
実の両親から情など一切与えられることはなく。腕の中に抱えた小さな命だけが『彼』にとって唯一のものだった。
そしてそれは〝彼〟にもまた当てはまることで―――――
「二人だったから生きた。一人じゃ誰も生きられない・・・彼が名前を呼んでくれなきゃオレはそこに転がる汚い塊。汚い『何か』」
〝彼〟は悲哀に満ちた面持ちで、切々と訴え掛けてくる。
「呼んで・・・名前を呼んでよ。そしたらオレは誰より強い。誰かが名前を呼んでくれたなら。ここにいるオレを認めてくれたなら。何とだって戦えるんだ」
―――――ああ、そうか・・・・・・そうだったんだ―――――
〝彼〟の〝思いの限り〟を聞いた真昼は―――――『存在意義』―――――その言葉に込められた〝真の意味〟を理解する。
―――――俺達はみんな誰かに名前を呼ばれて―――――
―――――はじめて何者かになれるのか―――――
―――――『真昼』君―――――
―――――〝俺〟の『名前』―――――
―――――『吊戯』さん―――――
―――――〝彼〟の『名前』―――――
―――――誰もが名前を呼ばれるのを待っている―――――
―――――誰もがただ、ここにいるって叫んでる―――――
【本館/23・9/30/別館/23・10/4掲載】
―――――どうか覚えておいて欲しい―――――
―――――〝人と繋がる〟ということは〝自分と繋がる〟ことでもあるのだということを―――――
―――――その上で知っておいて欲しい―――――
『人を思うは身を思う、人を憎むは身を憎む』
―――――〝寂しさ〟〝痛み〟〝孤独〟憎〝しみ〟―――――
―――――人のことを思って行動することは、己自身の事を思っている事と同じであり、人のことを憎しみをもって行動すると、己自身の事を憎むことになる。
そして―――――
『情けは人の為ならず』
―――――〝思いやり〟〝情愛〟〝風情〟〝心〟―――――
―――――人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがては良い報いとなって自分に戻ってくる。
―――――だからこそ困難な状況に陥った時、それを打開するために本当に必要なのは〝力〟ではなく〝自分自身〟の、その〝想い〟なのだということを―――――
―――――これは昔、『私』が両親から言い聞かされた〝大切な言葉〟の記憶だ。
どうして今、それを思い出したのか―――――。
それはきっと知らず知らずのうちに、激情に駆られた状態で、只々〝力〟だけを行使しようとしてしまっていたからだ。
自身の意識の奔流に呑まれた中で瑠璃がそう理解した時―――――。
―――――もし彼が私の作った武器で復讐を成し遂げてしまったら―――――
―――――きっと私はもう二度と私を許すことが出来ない―――――
―――――だから私は・・・・・・――――――
父親の仇である吸血鬼を屠るべく、戦場に足を踏み入れてしまった大切な幼馴染を止める為に。
〝憤怒〟の真祖―――――〝
「ねぇ。力を貸してくれる? 止めたい人がいるの。私が行かなくちゃ。彼が彼でなくなってしまう前に」
―――――・・・どうかこの状況を打開する力を―――――
そして瞳から涙を零しながらそう嘆願してきた少女の姿を目にした〝母なるもの〟の中に過ぎったのは、過去に戦場に身を置いていた時に手に入れた『力』に溺れて、〝思いやる心〟を忘れてしまった、もう一人の少女の姿だった。
「力じゃないわ」
だからこそ、いま自分の目の前に居る少女には〝間違った道〟を進ませる訳にはいかない―――――きちんと〝正しい道〟を示さなければならない。
「絶対に忘れないで。状況を変えてくれるのはいつだってあなたのその気持ちだってこと」
そんな〝母なるもの〟の強い想いが宿ったその言葉を聞いた少女は―――――
―――――・・・思えば何かに本気で怒ったことも怒られたこともなかった気がする。
―――――それは本当に幸せなことだったのかな。
恐らくは生涯で初となるであろう『叱責』を受けたことに対して呆然とした面持ちになっていたのだが。
〝母なるもの〟はゆっくりと伸ばした左手の人差し指で目元に残っていた涙をそっと拭う仕草をした後に。
「・・・バカな男の子を叱るのは女の子の役目よね」
慈愛に満ちた眼差しで少女を見つめながら口元に微かに笑みを浮かべて、そう言い漏らすと。
「さあ〝名前〟を教えて。あなたの名前と。今はまだ何者でもない〝
少女に向かって差し伸べた左手でそっと頬に触れながら、その心の内に語り掛けるようにそう告げたのだ。
そして―――――
―――――私はどうなりたかったんだろう―――――
―――――本当は彼の何になりたかったのだろう―――――
―――――彼を立ちあがらせるものは武器じゃなかったはずだ―――――
「―――――私は・・・」
そこで少女は己の心の内と再び向き合い。
「―――――・・・私の名前はイズナ。イズナ・ノーベル」
自らの名を口にした後に。
「あなたはすごく美しいね・・・」
そんな賞賛の言葉を〝母なるもの〟に対して紡ぎ出すと。
「あなたの名前は愛と豊穣と戦場の女神。フレイア・・・!!」
〝憤怒〟を司る存在でありながら『慈愛』と『高潔』に満ちた吸血鬼の『名前』としてイズナが定めたのは北欧神話における女神の人柱のものだった。
「―――――・・・・・・」
それから一瞬の瞬きの後に〝精神世界〟の狭間に置いて瑠璃が覚醒すると。
そこにはクロの一部である猫のような姿をした奇妙なぬいぐるみ『力』もまた居り。
『どうやら〝憤怒〟は新たな主人を見つけたみたいだね。でも、果たしてあの主人はその内に或る〝怒り〟を制御することが出来るのかな』
「・・・・・・イズナちゃんなら、きっと大丈夫よ」
小首を傾げる仕草をしつつ『力』が口にした台詞に対し、瑠璃は万感の想いを込めて答える。
その時、瑠璃が視ていたのは―――――イズナが幼い頃。
両親に連れられて来た露木家の葬儀式場で目にした、心の奥底に抱えることになった、〝後悔の想い〟の記憶で―――――。
それは同時に、どうして露木が〝吸血鬼〟を、あんなにも〝憎む〟のか。
その〝理由〟を知らしめるものでもあった。
―――――・・・ぼくはっ
―――――くやしいっ
―――――くやしい
―――――どうしてお父さんが・・・っ
―――――くやしい
―――――吸血鬼に殺されたんだ!!
―――――さっき大人が話してた
―――――もともとお父さんの仲間だった人だって
―――――死んでお父さんを殺すために吸血鬼になったんだ
―――――死んだら人はおわりだ
―――――そこでおしまい
―――――だから大事に生きないとって
―――――お父さんがよく言ってた
―――――なのに吸血鬼がその仕組みをめちゃくちゃにしたんだ
涙を流しながら激情のままに声を荒げていた少年は、やがて拳を握り締めながら地に膝を突くと。
―――――母さんは悲しいけど仕方ないって言った
―――――けど
―――――おれは許せない
―――――絶対に許せない
―――――死んでからも復讐を果たす方法があるなら
―――――それが吸血鬼なら
―――――おれが父さんの復讐鬼になる
やがて憤怒に満ちた形相となった少年は―――――少女の目の前でそう宣言した。
その一方で―――――
―――――
―――――
―――――何かを奪われて
―――――容姿や能力をバカにされて
―――――マナーの悪い他人に
―――――友人が傷つけられて
―――――不公平さに
―――――
―――――何が大事か?―――――
―――――何がどうでもいいものか?―――――
―――――〝何に
〝憤怒〟の内部に置いてイズナが対峙する事となった、もう一人の〝フレイア〟が口にした言葉がそれだった。
―――――露木さんが心に抱えていた〝痛み〟を本当の意味で知らなかった、私の〝言葉〟では露木さんを止めることは出来なかった。
―――――けれど今のイズナちゃんならきっと『答』に辿り着いた上で。
―――――露木さんのことを・・・・・・。
―――――それだけじゃなく『あの人』のことも・・・・・・きっと〝
―――――そうしたらもう一度、それぞれが抱えた〝後悔の想い〟をやり直すことができると思うから・・・・・・。
「・・・・・・」
そっと目を伏せた瑠璃が、ギュッと胸元の『鍵』を右手で握りしめると。
左腕にある〝誓約の証〟がフッと淡く瞬いて―――――。
―――――真昼も瑠璃も死んでねぇ。あいつらは必ずここに来る―――――
胸の奥に響き渡った〝思念〟が誰のモノであるのか。
すぐさま理解した瑠璃もまた―――――
―――――『クロ』―――――
声に出すことなく、心の中で想いを込めて、最愛の真祖の『名前』を呼ぶと。
「だから『私』も自分の〝信念〟を貫いて。今度こそ―――――吊戯さんを助ける為に―――――真昼君と一緒にクロの処に向かうわ」
顔を上げて、もう一度自ら選択したその〝答〟を口にした。
刹那―――――瑠璃が紡ぎ出したその言葉に共鳴するように、カッと真紅の閃光が瞬き『鍵』がロッドとなって具現化して。
『瑠璃。本当にキミは〝ミストレス〟に相応しい、勇猛果敢な性格だね』
しみじみとした口調でそう呟いた『力』の近くには、突如として以前にも夢の中で目にした【扉】と同じモノが出現したのだ。
「この【扉】って・・・・・・」
『この【扉】は瑠璃と同じ様に、今は精神世界の狭間にいる、真昼の処に繋がってるモノだ。だからこの【扉】を進んで行けば、真昼ともちゃんとまた逢える筈だよ』
目を瞠りながら【扉】を見つめていた瑠璃に『力』が告げてくる。
それを聞いた瑠璃は『力』と目線が合う距離まで膝を折ると、
「―――――『力』くん。真昼君と私の事を気に掛けてくれていてありがとう」
ふわと微笑みを浮かべながら左手で『力』の頭を撫でた。
それから立ち上がると、ドアノブに手をかけて【扉】を開いていく。
「クロ。必ず、真昼君と一緒に貴方の処に行くから。あと少しだけ待っていてね」
そうしてその言葉を口にするのと同時に瑠璃は【扉】の向こう側に足を踏み入れた。
一方、瑠璃の後姿をジッと見つめていた『力』は―――――
『でも、真昼が瑠璃と同じように、追い込まれた中でちゃんと〝答〟が出せるかどうか。―――――それはまだ解らないけどね』
そう呟いた後にその場から姿を消したのだ。
―――――・・・まひる―――――
―――――真昼。どこまで行っちゃったの?―――――
シンプルなワンピースにカーディガンを羽織って、足元はスニーカーを履いた女性が〝我が子〟の〝名前〟を呼びながら歩いて行く。
そして―――――
―――――・・・みつけた―――――
―――――帰ろう。真昼―――――
瞳に涙を浮かべながら蹲っていた〝我が子〟の姿を発見すると。
〝名前〟を呼びながら、優しく手を伸べたのだ。
―――――それは真昼の中に在った〝母親〟との大切な〝思い出の記憶〟の断片だった。
―――――灰塵とは視覚化に成功した最初の精神気体。
―――――精神的エネルギーを具象化し物質状に変化させた『灰塵』は精神を具現化させるための媒介になる。
―――――精神気体灰塵は他の物質に比べ、非常に寿命が長く、長期間世界に存在し続ける。
―――――この世界において吸血鬼とは灰塵を結合させ、人の形を成したものの総称である。
―――――そして〝ミストレス〟とは、吸血鬼という存在が、精神の均衡を保つために不可欠な、唯一無二の存在である。
ぼんやりとした意識の中で真昼の内に聴こえてきた言葉と、カツ、カカッ、カツと、いう音。
―――――それは板書に文字を記載する事によって出たものであり。
それを行っていたのは猫のような姿をした奇妙なぬいぐるみ『力』だった。
そうして目覚めた真昼は意識を失う直前に己の身に起った出来事の記憶を辿っていた中で―――――
ごく普通の高校生だった時、その日常を共に過ごしていた友人達とのやり取りもまた思い出し―――――
その後に―――――
―――――大丈夫だよ。ありがとな、がんばってくれて―――――
―――――・・・じゃあな―――――
吸血鬼達の兄弟戦争に巻き込まれた後に決別してしまった敵対勢力側の下位吸血鬼でありながら友人であった桜哉のこと。
―――――なんつーか・・・うまく・・・言えねーけど・・・悪かった・・・な・・・―――――
―――――いや・・・悪かったじゃ、すまねーか―――――
相棒である〝怠惰〟の吸血鬼のクロと―――――
―――――真昼君・・・・・・私の力不足で・・・・・・無理させちゃってごめんね・・・・・・―――――
血の繋がりはなくとも自分にとっては大切な『姉』である瑠璃―――――
三人の姿が浮かんできて―――――
―――――俺は何がしたかったんだっけ。
―――――どうなりたかったんだっけ・・・。
愕然となった真昼の中に、ふいに過ぎったのは―――――
―――――結局のところ、叔父さんの真似事だろ―――――
意識が飛ぶ直前まで、戦いを繰り広げていた塔間が自分に対して口にしたその台詞で。
―――――・・・そう。叔父さんみたいになりたかった。
―――――なりたくて・・・・・・。
消沈した面持ちで真昼は視線を俯けると―――――
―――――・・・・・・死んだのかな、俺―――――・・・。
これは走馬灯のようなものなのかという考えが思い浮かぶも―――――
―――――いや。
「違う。撃たれる直前に真紅の閃光に包まれて。その後に
刹那、蘇った記憶にハッと真昼は目を見開くと、姿を消すことなく存在していた『力』に訴え掛ける。
と―――――
『―――――勿論、瑠璃は無事だよ』真っ先に瑠璃に関わることは肯定をしてきたのだが。
『けど、残念ながら・・・クロは近くにはいないよ。ボクは今、キミの精神をベースに具現化してるだけ』
しかし、その後にクロに関してはすげない態度で否定をしてきて。
「でも・・・クロとはまだつながってるはずだ」
それでも真昼は希望を捨てることをせず、自身の右掌を見つめる。
『ここは灰塵の濃度が異常に高いからね。灰塵が濃いと、より強く精神が漏れ出すんだ。目に見えるくらいにね』
そんな真昼に対し、『力』はくるりと背を向けると、淡々とした口調で告げてくる。
『充満した灰塵は感情を映し出すスクリーンだ。キミも
目に見えるほどの殺意―――――それは以前、クロがロウレスと険悪な状態だったとき。
真昼は身を持って感じたことがあった。それから二度目は塔間と闘いを繰り広げた時、ぶつけられた具象化したモノ。
そして触れられるほどの哀しみ―――――椿が降らせていた昏く冷たい雨。
「・・・・・・!」
それらを思い出した真昼が眉を顰めながら『力』を見返すと。
『まひる。ここは
気づけば円形の闘技場の中に立っていて、剣と盾を構えた状態で、同様に剣を携えた『力』と対峙する状況となっていて。さらに周囲にも、無数の『力』の姿が在り。
『モットヤレー』『ソコダー』と野次を飛ばしてきていて。
『きみの奥底に眠っている恐怖も。きみを形作っている孤独も。すべてがここには曝け出される。誰も知らないきみの思想のすべて。きみの哲学や価値観のすべて』
真昼を完全に追い込もうとしてきたのだが―――――。
『・・・あ・・・っ。・・・なんで
ピッという音が響き渡ったその直後―――――真昼の居場所は元の空間に戻っていて。そこに忽然と現れた、白いフードが付いた上着を背中にマントのように羽織った〝幼子〟が、板書に星の絵を落書きし始めたのだ。
『あっ、コラ!!
『力』はその〝幼子〟を、この場から追い出そうとしたのだが。
〝幼子〟は無邪気な笑みを浮かべながら、くるりと身体を反転させると、縦横無尽に走り出して。『力』が必至に後ろから追いかけて行くこととなり。暫しの間、両者の鬼ごっこが繰り広げられることとなったのだが。結局、追い出すことは出来ず。〝幼子〟の上着の端っこを漸く『力』が掴んだ処で―――――空中で逆様の状態で立ち止まった〝幼子〟が真昼の前までやって来て。
「きみは・・・」
呆然と真昼は目を瞬かせながら〝幼子〟の顔を見つめる。
撃たれる直前―――――真紅の閃光に包まれた後。意識がない状態のままだった『吊戯』の身体から、白い靄のようなモノが立ち昇って。それが〝幼子〟の形を取るのを見た気がした。
「きみは・・・もしかして」
〝幼子〟の『名前』を真昼は口にしようとした。
「ねぇ。なつやすみのしゅくだいやった?」
―――――刹那、〝幼子〟と入れ替わるかのようにして顕現したのは、金色の瞳をした10歳くらいの〝少年〟だった。
そうして反転した常世界―――――テレビとベッドとソファー―――――最低限の家具だけが置かれているシンプルな部屋―――――そこで、真昼もまた10歳の頃の姿で〝少年〟と向き合って座っていて。
「なつやすみのにっき。何かいていいかわかんないよねぇ・・・。まいにちなんにも書くことがないよ。まいにち家でひとりでいるだけだもんねぇ・・・」
「・・・・・・
金色の瞳の〝少年〟の顔を真昼が呆然と見つめ返す。
しかしてまた世界は反転し―――――
「お・・・おれ。おれ、本当は・・・」
表層世界での真昼が苦悩を滲ませながら言い淀むと金色の瞳の〝彼〟は―――――
「うん。・・・さびしいよ、
まるで合わせ鏡のように、その返答をしてきたのだが。
真昼はその言葉を否定するように、ゆるりと頭を振ると―――――
「・・・ううん。でも大丈夫だよ・・・叔父さん。俺、立派にやるよ。誰かのためになんでもできるよ。俺・・・・・・」
―――――よくやったなあ、真昼! 一番だったのか!―――――
体育の授業の徒競走で一番を獲得したと真昼が報告をすると、徹は満面の笑顔で真昼の頭を撫でながら褒めてくれて。真昼もまた得意気な笑みを浮かべていた。
そして―――――
―――――叔父さん。運動会来れそう?―――――
―――――あー・・・すまん。真昼。やっぱりその日はどうしても・・・―――――
―――――いいよ! メダル取ってくる!―――――
仕事で運動会を観覧できない徹に、さらに喜んで貰うべく、真昼は全力を尽くした。
さらにそれだけでなく―――――
―――――夕飯、真昼が作ってくれたのか!? 俺より上手だな!?―――――
11歳になってからは、本を見ながら、料理にも挑戦をするようになり。
その中で初めて作ったハンバーグは多少、焦げてしまったものの。達成感を得る事が出来た。
―――――そうだよ。話したろ? 俺の甥っ子。足が速いんだ。クラスじゃ学級委員もやってて―――――
そうして徹が友人との電話のやり取りで、自分のことを話している姿を見た時には自然と笑みが零れていた。
クラスの学級委員には自ら立候補することによって請け負い。家では料理だけでなく裁縫なども、本を見ながら、最初は針で指を刺してしまうという失敗はあったものの。経験を積むことで、様々なことが出来るようになって。
その結果、友人も含めて周囲から、厚い信頼を寄せられるようになり。
―――――ここはシンプルに考えて俺だろ!―――――
折に触れて、自ら率先して行動をするようになった。
「―――――本当は・・・俺、あれからずっと・・・・・・誰かの『誇り』になりたかったんだ・・・」
心の奥底に留置していた〝虚無感〟を埋めるため、ただひたすらに取り組んできた。
そんな自らの心の内と向き合った真昼の瞳からは、涙が溢れ出してきていて―――――。
―――――『自慢の甥っ子』に―――――
―――――『自慢の友達』に―――――
―――――『自慢の姉弟』に―――――
―――――『自慢の仲間』に―――――
―――――なりたいな・・・―――――
そうして真昼の口から零れ出した願いを聞いた〝彼〟は―――――
「なれるよ。きみはがんばりやだもんね。皆がきみを誇りに思う」
―――――真昼のその想いを肯定してきて。
「いつか・・・オレも『自慢の家族』になりたいな・・・」
自らもまた、心の内に抱いた〝望み〟を口にした。
―――――誰かの誇りになれたなら―――――
―――――あなたの誇りになれたなら―――――
―――――ここにいる意味を得られる気がしたんだ―――――
そうして〝二つの願い〟が重なり合ったことにより。
希望の星が瞬く世界が生まれて―――――。
飛行機が先端から埋まっている雲の上に二人の子供が並んで座っていた。
そして真昼が書いた日記の頁が星空に向かって舞い上がると―――――
「きみはえらいね。きみは・・・そうやって空っぽを『たのしいもの』に書き換えてきたんだね」
賞賛の言葉を漏らした〝彼〟に、今度は真昼が尋ねかける。
「きみはどうしたの?」
「オレ? オレはねぜーんぶ友達のを写しちゃった」
―――――お父さんとキャッチボールをしたのも―――――
―――――家族で海に行ったのもぜんぶ盾ちゃんの夏休み―――――
―――――まるっきり同じだからもちろんバレて怒られたっけ・・・―――――
「大人になったオレがこの日記を読んで。子供の頃、こんなに幸せだったんだなあって思えばいいな。夏休みの思い出がなんにもなかったって知ったら大人になったオレがかわいそうだから・・・なんてばかだなあ。こんな幸せな夏休みがオレのものなわけない。こうやって嘘ばかりだからオレ、大人になれなかったのかなあ・・・」
〝彼〟は幼い自分が書いた日記に目を通しながら、寂し気な笑みを浮かべて。
「・・・でもね、いいんだ。泰ちゃんがオレを呼んでくれるなら。誰だって何かひとつ、誰か一人。認めてもらえたらそれで生きていけるんだ。そうじゃなければ生きられないよ」
さらに自嘲めいた物言いをした〝彼〟の金色の瞳を真昼は真っすぐに見据えると。
「・・・あなたは認められてるよ。大事に思ってくれる友達がいる」
「うん。
真昼の言葉を〝彼〟は肯定したものの。
「でも、彼にはいなかった。誰も知らない暗い地下でハイザラって呼ばれてた、あの子供を置いてはいけない。誰だって認めて欲しいだけなんだ。まるで誰にも見えてないみたいな自分を。それでも自分が今、ここにいる意味を。オレたちは誰も知らない窓のない部屋で生まれて。二人きりで必死に生き延びた」
実の両親から情など一切与えられることはなく。腕の中に抱えた小さな命だけが『彼』にとって唯一のものだった。
そしてそれは〝彼〟にもまた当てはまることで―――――
「二人だったから生きた。一人じゃ誰も生きられない・・・彼が名前を呼んでくれなきゃオレはそこに転がる汚い塊。汚い『何か』」
〝彼〟は悲哀に満ちた面持ちで、切々と訴え掛けてくる。
「呼んで・・・名前を呼んでよ。そしたらオレは誰より強い。誰かが名前を呼んでくれたなら。ここにいるオレを認めてくれたなら。何とだって戦えるんだ」
―――――ああ、そうか・・・・・・そうだったんだ―――――
〝彼〟の〝思いの限り〟を聞いた真昼は―――――『存在意義』―――――その言葉に込められた〝真の意味〟を理解する。
―――――俺達はみんな誰かに名前を呼ばれて―――――
―――――はじめて何者かになれるのか―――――
―――――『真昼』君―――――
―――――〝俺〟の『名前』―――――
―――――『吊戯』さん―――――
―――――〝彼〟の『名前』―――――
―――――誰もが名前を呼ばれるのを待っている―――――
―――――誰もがただ、ここにいるって叫んでる―――――
【本館/23・9/30/別館/23・10/4掲載】
