第二十五章『千辛万苦』
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千辛万苦
憤怒の下位達との戦闘に敗れ、エレベーターの箱が無い暗闇の中の下層に作られた水底に吊戯が落下した直後。
「えっ・・・・・・!?」
バチッという音と共に瑠璃の首にあった漆黒の首輪が消失し。
さらに―――――
パン!! と身体を拘束していた漆黒の楔までもが弾け飛んで。
「・・・・・・吊戯さん・・・・・・っ!?」
―――――オレが死ぬまで外せないから♥―――――
クロと共に、吊戯の手によって枷をつけられた時に告げられた、〝最悪の可能性〟を示唆する言葉が瑠璃の中に浮かんできて。
―――――そんな、まさか・・・・・・っ!?
蒼白な面持ちでダッと吊戯が落とされたエレベーターの処まで走って行き。
「・・・・・・吊戯さんっ!! 私の声が聴こえたら〝答えて〟下さい!!」
胸元の『鍵』を握りしめた瑠璃が暗闇の中に向かって叫びながら飛び込もうとした瞬間。
「―――――おいおい、何考えてんだァ!? 〝ミストレス〟のお嬢ちゃん、危ねぇだろがァ」
ガシッと後ろからジルに右肩を掴まれて、阻止されてしまい。
「ジルさん、離してください!! 吊戯さんの処に行かないとっ!!」
そこで瑠璃は顔だけをジルの方に向けると、肩を掴んでいる手を振り解こうとしながら訴えるも。
「〝ミストレス〟のお嬢ちゃん。悪いがそれは容認できねぇ話だなァ。どうしてお嬢ちゃんが、C3の魔術師と行動を共にしていたのかその理由は、わからねぇが。敢えて挑発してみても、それに乗るどころか。オレ達の身までも案じてくれて、危険も知らせてくれた。そのお陰でオレ達はこうして今もここにいるんだぜェ」
眉を顰めながらそんな言葉をジルが口にしたのに続いて。
「そうだね、ジルの言う通りだ。それなのにも拘らず、見す見す〝ミストレス〟のレディを水底に行かせてしまったりしたら。・・・・・・オレ達は憤怒の姐さんに顔向けが出来なくなってしまう」
負傷した右手の痛みを堪えるように、左手で腕を掴みながら近づいて来たレイがこんこんと言い聞かせるようにそう告げてきて。
「・・・・・・っ」
そんな二人の言葉に瑠璃は呆然と目を見開くと、そのまま悄然とした面持ちで視線を俯けてしまう。
―――――・・・・・・出来る事なら今すぐにでも吊戯さんを助けに行きたい。
―――――・・・・・・でもジルさんとレイさんを相手に押し通るのは・・・・・・。
〝血〟の力を使えば、あるいは出来るかもしれない。
けれど、それはクロとの〝約束〟をまたも破ることになるうえに。一歩間違えれば〝憤怒〟の下位である二人を、今度は瑠璃自身が傷つけてしまうかもしれない・・・・・・。
「・・・・・・わかりました。一先ず、お二人と一緒にマザーさんの処に一緒に行きます」
そうして苦渋の決断をした瑠璃はその後にパンツのポケットからハンカチを取り出すと。
「でもその前に、レイさんの手のケガの応急処置をさせて下さい」
「ああ、そうだな。それなら〝ミストレス〟のお嬢ちゃん、これも使ってくれて構わないぜェ」
ジルが身に着けていたストールを差し出してきて。
「ありがとうございます、ジルさん」
瑠璃が礼を述べてから、スカーフを受け取ると。
「すまない、〝ミストレス〟のレディ・・・・・・」
「いえ・・・・・・私が言い出したことですから」
恐縮したレイに対してそう返答をした後に、まず始めに自分のハンカチで右掌のケガを巻いて覆い。さらにジルのストールを使って、手首の辺りからしっかりと固定をしたのだ。
そうして処置が完了した処で―――――
「行けるかァ? レイ」
「大丈夫だよ、ジル」
確認の言葉を口にしたジルに対してレイが頷くと。
「それじゃあ〝ミストレス〟のお嬢ちゃんは、オレが抱えて連れて行くぜェ。たしか3つ下だったよなァ」
―――――と、ジルが言ったのだが。
「―――――待って下さい。ジルさん、レイさん。私の『鍵』の力を使って、三人で一緒にマザーさんがいるフロアまで空間跳躍で移動しましょう」
胸元の『鍵』を右手に握りしめながら瑠璃が口にした提案に対し、
「なっ!? 〝ミストレス〟のお嬢ちゃんはそんなことが出来るのかァ!?」
「〝ミストレス〟のレディが持っているその『鍵』にはそんな力が宿っているのかい!?」
ジルとレイは揃って、驚愕した面持ちになったのだが。
「はい。ですのでお二人とも、私の肩に手を置いて貰えますか」
二人に目線を向けたまま、瑠璃が頷き返すと。
「そうかい。それなら〝ミストレス〟のお嬢ちゃんの言葉を信じて任せてみるかァ。なあ、レイ」
「そうだね、ジル。〝ミストレス〟のレディ、それじゃあ、失礼するよ」
瑠璃の言葉にジルとレイは揃って頷き合い、左右に並んで瑠璃の肩に手を乗せた後。
「・・・・・・じゃあ、行きます」
―――――・・・・・・ジルさんとレイさんを、マザーさんがいるフロアまで送り届けたら。今度こそ吊戯さんの処に・・・・・・っ。
そんな想いを瑠璃が心中に抱きながら、胸元の『鍵』をギュッと右手で握りしめると。
パアと白銀の閃光が瑠璃達の身体を包み込んで。やがて三人の姿はそこからフッと消失したのだ。
**********
―――――誕生日おめでとう、吊戯―――――
火が灯された6本のロウソクが並んだケーキが置かれた食卓。
そのお祝いの席には、小さな子供の姿に変わった吊戯の姿が在った。
そこでまず初めに吊戯に対して柔らかな笑みを浮かべながらお祝いの言葉を口にしたのは眼鏡を掛けた黒髪の男性。
―――――露木修平の亡くなった父親である義正だった。
―――――吊戯ちゃんの大好きな苺のケーキにしたからね―――――
それから2番目に吊戯に対してそんな言葉を掛けてくれた温和な笑みを浮かべた中年女性。
―――――友人である車守盾一郎の母親だった。
そして―――――
―――――吊戯。誕生日プレゼントは何が欲しんだ?―――――
高校生の姿になった塔間が穏やかな眼差しで吊戯にそう尋ねかけてきて。
―――――お兄ちゃん何回も訊いてたのにねぇ―――――
―――――もう当日だよ―――――
両親役として登場した二人が微苦笑を浮かべながら口にした言葉に対して、吊戯は幼子らしい無邪気な笑顔で答える。
―――――・・・ううん。オレなんにもいらない―――――
―――――だからね、家族でいっしょにいたいな―――――
―――――オレね、それ以外は、ほんとはなんにもいらなかったんだよ―――――
―――――おもちゃも、お菓子も、お金も、力も―――――
―――――なんにもいらなかったんだよ―――――
それは生死の境をさまよう中で、吊戯が『切望』した〝泡沫の夢〟だった。
―――――おかあさん―――――
―――――おとうさん―――――
―――――お兄ちゃん―――――
―――――あのね、おれ、きょうね、がっこうでともだちとね・・・―――――
―――――それから瑠璃ちゃんっていう、女の子ともなかよくなったんだよ―――――
**********
カッと燦爛たる白銀の閃光がフロア内に満ちた中―――――
「すごいじゃねェか、お嬢ちゃん!!」
「あっという間に到着してしまったね」
〝憤怒〟が捕らわれているフロアに、瑠璃とともに空間跳躍をしてきたジルとレイが到着した直後。
「ん? アレッ・・・? 瑠璃ちゃん!?」
「・・・・・・ハイド君!! リヒト君!! それにマザーさんもっ!!!」
〝憤怒〟の救出を果たした強欲組と再会を果たすこととなり。
驚愕の面持ちになったロウレスに対し、瑠璃もまた呆然となりながら三人の名前を呼ぶと。
「―――――アンタらは誰っスか!?」
ロウレスは瑠璃の左右に立っていたジルとレイに対しては警戒する眼差しを向けてきたのだが。
「姐御ォ!!」
「姐さん!!」
二人はロウレスには目もくれることなく、己の真祖に向かって呼び掛けて。
「ジル。レイ」
「え!? こいつら姐 さんの下位 っスか!?」
ザ・マザーもまた彼らの名前を呼んだ事により。ロウレスは驚きの声を上げたのだが。
「心配&心配したぜェ、姐御ォ!! 捕まっちまったって聞いてよォ! なあレイ!」
「そうだね、ジル。心配だった」
ジルとレイは気にせず、ザ・マザーに対し、両手を掲げながら自分達の思いの丈を口にする。ザ・マザーはそんな二人の姿をジッと見つめていたのだが。
「レイ・・・そのケガは」
「ああ、大丈夫。〝ミストレス〟のレディが手当てをしてくれたからね」
ふと、ケガに気づき眉根を寄せたザ・マザーに、レイが口元に笑みを浮かべながらそう答えて。
「上でちょっと、強ェ兄ちゃんとバトってよォ!」
その後にジルが会話を引き継ぐ形で簡潔に事情説明をすると。
唖然とした面持ちで二人のことを見ていたロウレスが「バトル?」と眉を顰めて。
「瑠璃、お前が〝堕天使〟を止める為に一緒に行動していると天使見習いから聞いて。俺達はここまで来た。けれどお前の傍に、いま〝堕天使〟の姿が見当たらないのは何故なんだ?」
その時、黒い服のポケットに両手を入れた状態で、静観するようにロウレスの近くに立っていたリヒトが、ふと目線を瑠璃の方に滑らせるとそう尋ねかけてきて。
「リヒト君・・・・・・それが、吊戯さんは・・・・・・っ」
〝堕天使〟というのは、恐らく吊戯のことだろうと、すぐさま察した瑠璃がグッと胸元にある『鍵』を右手で握り締めながら答えようとすると。
「―――――あの兄ちゃんなら、オレとレイのコンビプレイで沈めてやったぜェ?」
リヒトと瑠璃の会話に気づいたジルが代わりに返答をして。
「はぁ!?」
その言葉を聞いたロウレスが絶句し。
「・・・あなたたちが助けたかった人間は、すでに水の底ってこと・・・?」
ロウレス達から事情を聞いていたザ・マザーもまた、ジルの発言に眉を顰めたのだが。
「でも、まだ間に合うはずです!! だから私が吊戯さんを助けに行きます・・・・・・っ!!」
そこで瑠璃が叫ぶようにそう言い放つと。
「やっぱりオレ達にはわからねーなァ!! 〝ミストレス〟のお嬢ちゃんもチャラメガネも!! なんであの兄ちゃんにそこまで肩入れするんだアァ!? 相手はC3の魔術師!! さんざん吸血鬼を殺してきた奴だせエェ!? 当然&当然の報いだろォ!? なあレイ!!」
「そうだねジル。当然の報いだ」
思い切り顔を顰めたジルが主張したその発言にレイもまた同調するように頷いたのだが。
「だ―――――れが、チャラメガネっスか!! オレは5番目! 〝強欲〟の真祖 。偉いんスからね!?」
ジルが口にした呼び名に、ロウレスが噛みつかんばかりの勢いで文句を言い。
「あと、あんたらの言い分はわかるっスけど。だけど・・・・・・それでもオレは・・・・・・っ」
さらに反論を口にしようとした時。
「そいつらに構ってる場合か。バカネズミ。一刻を争う事態だろうが」
リヒトがロウレスに鋭い一瞥をくれて。
「瑠璃。俺が行くからお前はここで待ってろ」
「リヒト君っ!?」
「ちょっ、リヒト・・・・・・っ」
すぐさまぽっかりと空いたエレベーター通路に向かって行きかけたリヒトに対して、瑠璃とロウレスがギョッとした面持ちになった中。
「私が行くわ」
ザ・マザーがワンピースの裾を躊躇いなく、ザッとたくし上げて腰の処でリボンのように縛りながら名乗り出てきて。
「「なっ・・・!?」」
己の真祖のその言葉を聞いた下位二人が愕然とした面持ちになり。
「なんでだよォ姐御ォ!? オレ達っ、姐御を助けようと戦ったんだぜェ!?」
「そ、そうだよ姐さん。どうして・・・それじゃあオレたち・・・」
苦悩と嘆きが入り混じった声音で訴えた。
そんな下位達に目線を向けたザ・マザーはゆっくりと両腕を伸ばすと―――――慈しむように二人の身体を抱きしめて。
「あなた達のしたことを怒ってるわけじゃないわ。助けに来てくれてありがとう」
瞳を閉じながら、静かな声音でそう言ったのだ。
そうしてその抱擁に対してレイが言葉を失った様子になった一方で「・・・姐御ォ・・・」とジルが戸惑いの声を漏らすと。
「私は無事でこうして決着が着いたのだからもうおしまいでいいのよ」
二人から身体を離したザ・マザーはそう告げた後に、ヒールもその場で脱ぎ捨てて。
水底へ飛び下りる為の準備を整えた憤怒の真祖に対し、
「待って下さい、マザーさん。私も一緒に行きます!!」
胸元の『鍵』を握りしめたままでいた瑠璃が同行を申し出たのだが。
「いいえ、瑠璃さん。貴女が助けたいと望んだ人は私が必ず助けるわ。だから貴女は兄さん達の処へ行って」
ザ・マザーは首を横に振ると。
「―――――だって貴女は怠惰の真祖の〝ミストレス〟なのだから」
そう述べた処で、くるりと背を向けて。吊戯が沈んでしまった水底へ向かって飛び込んで行ってしまったのだ。
「マザーさんっ!!!」
「姐 さん・・・!!」
「姐御ォ!!」
そうして瑠璃とロウレスとジル。三人の声が響き渡った中。
ドボン!!―――――とザ・マザーが水の中に潜っていった直後。
ズズンと襲ってきた激しい揺れとともに、ガラガラと天井の崩壊が始まって。
「崩れそうだ・・・移動しよう」
「下に行った姐御に安全なルートを確保しねェとよォ!?」
レイとジルが、すぐさまそう結論を出すと。
「リヒト! こっち! 急いで!」
ロウレスもまたリヒトに向かってそう呼び掛けて。
「それなら私が・・・・・・っ」
そこで瑠璃は『鍵』の力を発動させようとしたのだが。
「瑠璃。俺達のことは気にせず、お前は定められた場所に向かえ!!」
しかし、リヒトがそう言い切って。
「チャラメガネの主人の言う通りだァ!! 姐御もミストレス〟のお嬢ちゃんが行くべき場所を口にして言っただろうがよオォ!!」
「そうだよ、〝ミストレス〟のレディ」
その声が聞こえたジルとレイもまた、きっぱりとした口調でそう言い放ってきて。
「―――――だから瑠璃ちゃん!! 兄さんと真昼のことは、頼んだっスよ!!」
最後の一押しと言わんばかりに、ロウレスもまた瑠璃に向かってそう叫ぶと。
「・・・・・・わかったわ。リヒト君もハイド君も。ジルさんもレイさんも。それからマザーさんも吊戯さんも。絶対に〝全員揃って〟また会いましょう!!」
―――――クロと真昼君の処へ!!!―――――
憤怒の下位二人と強欲組と別れて。怠惰組の処へ向かうことを決断した瑠璃の意志により。右掌に握りしめていた『鍵』の力が発動し、カッと白銀の閃光を放つと。
その光に包まれた瑠璃の身体は程なくしてその場から消え去ったのだ。
それから瑠璃に代わって、吊戯の救出に向かったザ・マザーが水底に沈んでいたその姿を発見し。左腕に抱えながら、扉を内側から押し開けて。浸水していなかったフロアに押し流される形で脱出を果たした処で―――――。息を吹き返した吊戯は激しく咽ながら、肺の中に取り込んでしまった水を吐き出して、何とか一命を取り留めたのだが。
もはやこの〝現実世界〟は、吊戯にとっては〝恐怖心〟を掻き立てるものでしかなく。
「・・・なんで? なんで? もういやだよ。生きるのはもういい。もういいよ。もう帰る。生まれる前に帰る!! かえして、かえしてよ・・・!!」
絶望に苛まれながら喚き声を上げた吊戯の口から出た〝悲鳴〟を聞いたザ・マザーが瞬間的に両腕を伸ばして吊戯の身体を掻き抱くと。
「えっ・・・? だれ・・・」
伝わってきた心音と温もりに、吊戯は茫然と目を見開いて。
「あっ、あっ・・・おかあさん。むかえにきてくれたの。おかあさん。どこにいたの。こわかったよ。さびしかったよ。ねぇ、だきしめて・・・」
いま自分は心の底から願った存在―――――〝母なるもの〟―――――の中に還ったのだと本能的に感じ取った刹那―――――
「ああ・・・あああああああああ!!!!!!!!」
生まれてはじめて―――――滂沱の涙を溢れさせて―――――叫び声を上げたのだ。
―――――いま、自分の腕の中にいるのは、生まれたばかりの〝幼子〟だ。
―――――この子は、自分の『名前』を、果たして覚えているだろうか。
「・・・あなた名前はなんていうの」
顔を俯けた状態で、自分の腕の中に縋りついている、〝幼子〟に、ザ・マザーは優しく尋ねかける。
と―――――
「・・・・・・つるぎ・・・・・・」
暫しの沈黙の後に、答えが返ってきて。
「ツルギ。強い響きね」
それを聞いたザ・マザーは、『つるぎ』の頭を撫でながら、称賛の言葉を口にする。
けれど―――――
「いびつな字。おれは弱い。さびしい。こわい。かなしい。さびしい・・・」
声を震わせながら、自己を否定した『つるぎ』の内に或るものは、〝虚無感〟のみで。
その〝孤独な心〟に共鳴するように、ドン・・・・・・と建物が揺れて、ガラガラガラ・・・・・・と瓦礫が少しずつ頭上から降り注いでくる。
「ツルギ。顔を上げて。ここはおそらく崩れる・・・埋まってしまうわ」
そこでザ・マザーは危険が迫っているのだと『つるぎ』に言い聞かせるように話しかけて、この場からの避難を促すも。
「もういい・・・おれはいい。ここで生まれてここで死ぬ」
それを『つるぎ』が拒絶した瞬間―――――バゴンと一際大きな瓦礫が崩れ落ちてきて。
ハッとなったザ・マザーは、瞬時に自らの姿を人型から漆黒の獣に変えると。
『つるぎ』を我が身の下に庇いながら、そのままドッと背中で瓦礫を受け止めたのだ。
「・・・狼・・・!!」
呆然と目を見開いた『つるぎ』が金色の瞳にその姿を捉えると。
ガプッと上着の襟を狼に咥えられて。
「あっ? うわっ・・・!」
戸惑いの声を漏らした『つるぎ』の身体は、そのままダッと走り出した狼によって運ばれることになったのだが。ドドドッとその間も、無数の瓦礫が降り注いできていた。
「・・・!!」
しかし、それら全てが『つるぎ』の身体に当たらないよう、己の身で受け止めながら、狼は走り続けていて。
「な、なんで・・・っ。オレなんかいいから、オレなんか置いてキミだけ逃げて・・・!!」
それに気づき、愕然となった『つるぎ』がそう叫んだその直後―――――狼の身体では到底受け止めきれない程の巨大な瓦礫が降ってきて。
ドガッという音とともに、ザァッと吊戯の身体は勢いよく地面に投げ飛ばされて。
「―――――ッ」
「・・・・・・っ!」
バシュッ・・・と狼の姿から人型に戻ったザ・マザーもまた、瓦礫に脚を圧し潰された状態になってしまい。
「あ・・・っ、足が・・・。なんで・・・っ、なんでオレなんかさあ・・・!! キミだけ逃げれば良かったのに。オレなんかここで死んでいいのに・・・」
起き上がった『つるぎ』は色を失った様相でザ・マザーの傍に向かうと、自己の存在を否定する言葉を口にしかけたのだが―――――。
「だめよ」
眦を吊り上げたザ・マザーが、それを遮ったのだ。
―――――瑠璃さん。貴女が助けたいと望んだ人は私が必ず助けるわ。だから貴女は兄さん達の処へ行って―――――
―――――〝ミストレス〟である彼女に『私』はそう『約束』をしたのだから。
「私は・・・立てない」
そうしてその強い眼差しに怯んだ様子になった『つるぎ』に、ザ・マザーはそう言った後。
「・・・・立てるわね? ツルギ」
その言葉を口にすると。
「えっ?」
戸惑いの声を漏らした『つるぎ』に―――――
「行きなさい。走って。私なら大丈夫よ。私は吸血鬼 だもの。死なないわ。・・・だから一人で行くのよ、ツルギ」
ザ・マザーは淡々とした声音で、説き伏せるべく言葉を紡ぎ出す。
けれど―――――
「嫌だ・・・っ」
視線を俯けた『つるぎ』はそれを拒絶して。
「一人じゃ歩けないよ・・・嫌だ・・・一緒にいる・・・・・・」
膝に顔を埋めてしまった『つるぎ』のその姿を目にしたザ・マザーは―――――
「そうね・・・誰も一人では歩けない・・・」
そっと目を伏せながら、静かな声音でそう呟くと。
「二人で助かる方法もある・・・・・・」
一つの〝可能性〟を示唆する言葉を口にした。
「え・・・?」
耳朶に届いたその言葉に呆然と目を見開いた『つるぎ』が顔を上げると。
「あなたが私に・・・名前をつけてくれるなら」
ザ・マザーは自身の姿を映し出した金色の双眸をジッと見つめながらそう告げたのだ。
【本館/22・8/20/別館/22・8/21掲載】
★千辛万苦(せんしんばんく)⇒色々な苦しみや困難のこと。
憤怒の下位達との戦闘に敗れ、エレベーターの箱が無い暗闇の中の下層に作られた水底に吊戯が落下した直後。
「えっ・・・・・・!?」
バチッという音と共に瑠璃の首にあった漆黒の首輪が消失し。
さらに―――――
パン!! と身体を拘束していた漆黒の楔までもが弾け飛んで。
「・・・・・・吊戯さん・・・・・・っ!?」
―――――オレが死ぬまで外せないから♥―――――
クロと共に、吊戯の手によって枷をつけられた時に告げられた、〝最悪の可能性〟を示唆する言葉が瑠璃の中に浮かんできて。
―――――そんな、まさか・・・・・・っ!?
蒼白な面持ちでダッと吊戯が落とされたエレベーターの処まで走って行き。
「・・・・・・吊戯さんっ!! 私の声が聴こえたら〝答えて〟下さい!!」
胸元の『鍵』を握りしめた瑠璃が暗闇の中に向かって叫びながら飛び込もうとした瞬間。
「―――――おいおい、何考えてんだァ!? 〝ミストレス〟のお嬢ちゃん、危ねぇだろがァ」
ガシッと後ろからジルに右肩を掴まれて、阻止されてしまい。
「ジルさん、離してください!! 吊戯さんの処に行かないとっ!!」
そこで瑠璃は顔だけをジルの方に向けると、肩を掴んでいる手を振り解こうとしながら訴えるも。
「〝ミストレス〟のお嬢ちゃん。悪いがそれは容認できねぇ話だなァ。どうしてお嬢ちゃんが、C3の魔術師と行動を共にしていたのかその理由は、わからねぇが。敢えて挑発してみても、それに乗るどころか。オレ達の身までも案じてくれて、危険も知らせてくれた。そのお陰でオレ達はこうして今もここにいるんだぜェ」
眉を顰めながらそんな言葉をジルが口にしたのに続いて。
「そうだね、ジルの言う通りだ。それなのにも拘らず、見す見す〝ミストレス〟のレディを水底に行かせてしまったりしたら。・・・・・・オレ達は憤怒の姐さんに顔向けが出来なくなってしまう」
負傷した右手の痛みを堪えるように、左手で腕を掴みながら近づいて来たレイがこんこんと言い聞かせるようにそう告げてきて。
「・・・・・・っ」
そんな二人の言葉に瑠璃は呆然と目を見開くと、そのまま悄然とした面持ちで視線を俯けてしまう。
―――――・・・・・・出来る事なら今すぐにでも吊戯さんを助けに行きたい。
―――――・・・・・・でもジルさんとレイさんを相手に押し通るのは・・・・・・。
〝血〟の力を使えば、あるいは出来るかもしれない。
けれど、それはクロとの〝約束〟をまたも破ることになるうえに。一歩間違えれば〝憤怒〟の下位である二人を、今度は瑠璃自身が傷つけてしまうかもしれない・・・・・・。
「・・・・・・わかりました。一先ず、お二人と一緒にマザーさんの処に一緒に行きます」
そうして苦渋の決断をした瑠璃はその後にパンツのポケットからハンカチを取り出すと。
「でもその前に、レイさんの手のケガの応急処置をさせて下さい」
「ああ、そうだな。それなら〝ミストレス〟のお嬢ちゃん、これも使ってくれて構わないぜェ」
ジルが身に着けていたストールを差し出してきて。
「ありがとうございます、ジルさん」
瑠璃が礼を述べてから、スカーフを受け取ると。
「すまない、〝ミストレス〟のレディ・・・・・・」
「いえ・・・・・・私が言い出したことですから」
恐縮したレイに対してそう返答をした後に、まず始めに自分のハンカチで右掌のケガを巻いて覆い。さらにジルのストールを使って、手首の辺りからしっかりと固定をしたのだ。
そうして処置が完了した処で―――――
「行けるかァ? レイ」
「大丈夫だよ、ジル」
確認の言葉を口にしたジルに対してレイが頷くと。
「それじゃあ〝ミストレス〟のお嬢ちゃんは、オレが抱えて連れて行くぜェ。たしか3つ下だったよなァ」
―――――と、ジルが言ったのだが。
「―――――待って下さい。ジルさん、レイさん。私の『鍵』の力を使って、三人で一緒にマザーさんがいるフロアまで空間跳躍で移動しましょう」
胸元の『鍵』を右手に握りしめながら瑠璃が口にした提案に対し、
「なっ!? 〝ミストレス〟のお嬢ちゃんはそんなことが出来るのかァ!?」
「〝ミストレス〟のレディが持っているその『鍵』にはそんな力が宿っているのかい!?」
ジルとレイは揃って、驚愕した面持ちになったのだが。
「はい。ですのでお二人とも、私の肩に手を置いて貰えますか」
二人に目線を向けたまま、瑠璃が頷き返すと。
「そうかい。それなら〝ミストレス〟のお嬢ちゃんの言葉を信じて任せてみるかァ。なあ、レイ」
「そうだね、ジル。〝ミストレス〟のレディ、それじゃあ、失礼するよ」
瑠璃の言葉にジルとレイは揃って頷き合い、左右に並んで瑠璃の肩に手を乗せた後。
「・・・・・・じゃあ、行きます」
―――――・・・・・・ジルさんとレイさんを、マザーさんがいるフロアまで送り届けたら。今度こそ吊戯さんの処に・・・・・・っ。
そんな想いを瑠璃が心中に抱きながら、胸元の『鍵』をギュッと右手で握りしめると。
パアと白銀の閃光が瑠璃達の身体を包み込んで。やがて三人の姿はそこからフッと消失したのだ。
**********
―――――誕生日おめでとう、吊戯―――――
火が灯された6本のロウソクが並んだケーキが置かれた食卓。
そのお祝いの席には、小さな子供の姿に変わった吊戯の姿が在った。
そこでまず初めに吊戯に対して柔らかな笑みを浮かべながらお祝いの言葉を口にしたのは眼鏡を掛けた黒髪の男性。
―――――露木修平の亡くなった父親である義正だった。
―――――吊戯ちゃんの大好きな苺のケーキにしたからね―――――
それから2番目に吊戯に対してそんな言葉を掛けてくれた温和な笑みを浮かべた中年女性。
―――――友人である車守盾一郎の母親だった。
そして―――――
―――――吊戯。誕生日プレゼントは何が欲しんだ?―――――
高校生の姿になった塔間が穏やかな眼差しで吊戯にそう尋ねかけてきて。
―――――お兄ちゃん何回も訊いてたのにねぇ―――――
―――――もう当日だよ―――――
両親役として登場した二人が微苦笑を浮かべながら口にした言葉に対して、吊戯は幼子らしい無邪気な笑顔で答える。
―――――・・・ううん。オレなんにもいらない―――――
―――――だからね、家族でいっしょにいたいな―――――
―――――オレね、それ以外は、ほんとはなんにもいらなかったんだよ―――――
―――――おもちゃも、お菓子も、お金も、力も―――――
―――――なんにもいらなかったんだよ―――――
それは生死の境をさまよう中で、吊戯が『切望』した〝泡沫の夢〟だった。
―――――おかあさん―――――
―――――おとうさん―――――
―――――お兄ちゃん―――――
―――――あのね、おれ、きょうね、がっこうでともだちとね・・・―――――
―――――それから瑠璃ちゃんっていう、女の子ともなかよくなったんだよ―――――
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カッと燦爛たる白銀の閃光がフロア内に満ちた中―――――
「すごいじゃねェか、お嬢ちゃん!!」
「あっという間に到着してしまったね」
〝憤怒〟が捕らわれているフロアに、瑠璃とともに空間跳躍をしてきたジルとレイが到着した直後。
「ん? アレッ・・・? 瑠璃ちゃん!?」
「・・・・・・ハイド君!! リヒト君!! それにマザーさんもっ!!!」
〝憤怒〟の救出を果たした強欲組と再会を果たすこととなり。
驚愕の面持ちになったロウレスに対し、瑠璃もまた呆然となりながら三人の名前を呼ぶと。
「―――――アンタらは誰っスか!?」
ロウレスは瑠璃の左右に立っていたジルとレイに対しては警戒する眼差しを向けてきたのだが。
「姐御ォ!!」
「姐さん!!」
二人はロウレスには目もくれることなく、己の真祖に向かって呼び掛けて。
「ジル。レイ」
「え!? こいつら
ザ・マザーもまた彼らの名前を呼んだ事により。ロウレスは驚きの声を上げたのだが。
「心配&心配したぜェ、姐御ォ!! 捕まっちまったって聞いてよォ! なあレイ!」
「そうだね、ジル。心配だった」
ジルとレイは気にせず、ザ・マザーに対し、両手を掲げながら自分達の思いの丈を口にする。ザ・マザーはそんな二人の姿をジッと見つめていたのだが。
「レイ・・・そのケガは」
「ああ、大丈夫。〝ミストレス〟のレディが手当てをしてくれたからね」
ふと、ケガに気づき眉根を寄せたザ・マザーに、レイが口元に笑みを浮かべながらそう答えて。
「上でちょっと、強ェ兄ちゃんとバトってよォ!」
その後にジルが会話を引き継ぐ形で簡潔に事情説明をすると。
唖然とした面持ちで二人のことを見ていたロウレスが「バトル?」と眉を顰めて。
「瑠璃、お前が〝堕天使〟を止める為に一緒に行動していると天使見習いから聞いて。俺達はここまで来た。けれどお前の傍に、いま〝堕天使〟の姿が見当たらないのは何故なんだ?」
その時、黒い服のポケットに両手を入れた状態で、静観するようにロウレスの近くに立っていたリヒトが、ふと目線を瑠璃の方に滑らせるとそう尋ねかけてきて。
「リヒト君・・・・・・それが、吊戯さんは・・・・・・っ」
〝堕天使〟というのは、恐らく吊戯のことだろうと、すぐさま察した瑠璃がグッと胸元にある『鍵』を右手で握り締めながら答えようとすると。
「―――――あの兄ちゃんなら、オレとレイのコンビプレイで沈めてやったぜェ?」
リヒトと瑠璃の会話に気づいたジルが代わりに返答をして。
「はぁ!?」
その言葉を聞いたロウレスが絶句し。
「・・・あなたたちが助けたかった人間は、すでに水の底ってこと・・・?」
ロウレス達から事情を聞いていたザ・マザーもまた、ジルの発言に眉を顰めたのだが。
「でも、まだ間に合うはずです!! だから私が吊戯さんを助けに行きます・・・・・・っ!!」
そこで瑠璃が叫ぶようにそう言い放つと。
「やっぱりオレ達にはわからねーなァ!! 〝ミストレス〟のお嬢ちゃんもチャラメガネも!! なんであの兄ちゃんにそこまで肩入れするんだアァ!? 相手はC3の魔術師!! さんざん吸血鬼を殺してきた奴だせエェ!? 当然&当然の報いだろォ!? なあレイ!!」
「そうだねジル。当然の報いだ」
思い切り顔を顰めたジルが主張したその発言にレイもまた同調するように頷いたのだが。
「だ―――――れが、チャラメガネっスか!! オレは5番目! 〝強欲〟の
ジルが口にした呼び名に、ロウレスが噛みつかんばかりの勢いで文句を言い。
「あと、あんたらの言い分はわかるっスけど。だけど・・・・・・それでもオレは・・・・・・っ」
さらに反論を口にしようとした時。
「そいつらに構ってる場合か。バカネズミ。一刻を争う事態だろうが」
リヒトがロウレスに鋭い一瞥をくれて。
「瑠璃。俺が行くからお前はここで待ってろ」
「リヒト君っ!?」
「ちょっ、リヒト・・・・・・っ」
すぐさまぽっかりと空いたエレベーター通路に向かって行きかけたリヒトに対して、瑠璃とロウレスがギョッとした面持ちになった中。
「私が行くわ」
ザ・マザーがワンピースの裾を躊躇いなく、ザッとたくし上げて腰の処でリボンのように縛りながら名乗り出てきて。
「「なっ・・・!?」」
己の真祖のその言葉を聞いた下位二人が愕然とした面持ちになり。
「なんでだよォ姐御ォ!? オレ達っ、姐御を助けようと戦ったんだぜェ!?」
「そ、そうだよ姐さん。どうして・・・それじゃあオレたち・・・」
苦悩と嘆きが入り混じった声音で訴えた。
そんな下位達に目線を向けたザ・マザーはゆっくりと両腕を伸ばすと―――――慈しむように二人の身体を抱きしめて。
「あなた達のしたことを怒ってるわけじゃないわ。助けに来てくれてありがとう」
瞳を閉じながら、静かな声音でそう言ったのだ。
そうしてその抱擁に対してレイが言葉を失った様子になった一方で「・・・姐御ォ・・・」とジルが戸惑いの声を漏らすと。
「私は無事でこうして決着が着いたのだからもうおしまいでいいのよ」
二人から身体を離したザ・マザーはそう告げた後に、ヒールもその場で脱ぎ捨てて。
水底へ飛び下りる為の準備を整えた憤怒の真祖に対し、
「待って下さい、マザーさん。私も一緒に行きます!!」
胸元の『鍵』を握りしめたままでいた瑠璃が同行を申し出たのだが。
「いいえ、瑠璃さん。貴女が助けたいと望んだ人は私が必ず助けるわ。だから貴女は兄さん達の処へ行って」
ザ・マザーは首を横に振ると。
「―――――だって貴女は怠惰の真祖の〝ミストレス〟なのだから」
そう述べた処で、くるりと背を向けて。吊戯が沈んでしまった水底へ向かって飛び込んで行ってしまったのだ。
「マザーさんっ!!!」
「
「姐御ォ!!」
そうして瑠璃とロウレスとジル。三人の声が響き渡った中。
ドボン!!―――――とザ・マザーが水の中に潜っていった直後。
ズズンと襲ってきた激しい揺れとともに、ガラガラと天井の崩壊が始まって。
「崩れそうだ・・・移動しよう」
「下に行った姐御に安全なルートを確保しねェとよォ!?」
レイとジルが、すぐさまそう結論を出すと。
「リヒト! こっち! 急いで!」
ロウレスもまたリヒトに向かってそう呼び掛けて。
「それなら私が・・・・・・っ」
そこで瑠璃は『鍵』の力を発動させようとしたのだが。
「瑠璃。俺達のことは気にせず、お前は定められた場所に向かえ!!」
しかし、リヒトがそう言い切って。
「チャラメガネの主人の言う通りだァ!! 姐御もミストレス〟のお嬢ちゃんが行くべき場所を口にして言っただろうがよオォ!!」
「そうだよ、〝ミストレス〟のレディ」
その声が聞こえたジルとレイもまた、きっぱりとした口調でそう言い放ってきて。
「―――――だから瑠璃ちゃん!! 兄さんと真昼のことは、頼んだっスよ!!」
最後の一押しと言わんばかりに、ロウレスもまた瑠璃に向かってそう叫ぶと。
「・・・・・・わかったわ。リヒト君もハイド君も。ジルさんもレイさんも。それからマザーさんも吊戯さんも。絶対に〝全員揃って〟また会いましょう!!」
―――――クロと真昼君の処へ!!!―――――
憤怒の下位二人と強欲組と別れて。怠惰組の処へ向かうことを決断した瑠璃の意志により。右掌に握りしめていた『鍵』の力が発動し、カッと白銀の閃光を放つと。
その光に包まれた瑠璃の身体は程なくしてその場から消え去ったのだ。
それから瑠璃に代わって、吊戯の救出に向かったザ・マザーが水底に沈んでいたその姿を発見し。左腕に抱えながら、扉を内側から押し開けて。浸水していなかったフロアに押し流される形で脱出を果たした処で―――――。息を吹き返した吊戯は激しく咽ながら、肺の中に取り込んでしまった水を吐き出して、何とか一命を取り留めたのだが。
もはやこの〝現実世界〟は、吊戯にとっては〝恐怖心〟を掻き立てるものでしかなく。
「・・・なんで? なんで? もういやだよ。生きるのはもういい。もういいよ。もう帰る。生まれる前に帰る!! かえして、かえしてよ・・・!!」
絶望に苛まれながら喚き声を上げた吊戯の口から出た〝悲鳴〟を聞いたザ・マザーが瞬間的に両腕を伸ばして吊戯の身体を掻き抱くと。
「えっ・・・? だれ・・・」
伝わってきた心音と温もりに、吊戯は茫然と目を見開いて。
「あっ、あっ・・・おかあさん。むかえにきてくれたの。おかあさん。どこにいたの。こわかったよ。さびしかったよ。ねぇ、だきしめて・・・」
いま自分は心の底から願った存在―――――〝母なるもの〟―――――の中に還ったのだと本能的に感じ取った刹那―――――
「ああ・・・あああああああああ!!!!!!!!」
生まれてはじめて―――――滂沱の涙を溢れさせて―――――叫び声を上げたのだ。
―――――いま、自分の腕の中にいるのは、生まれたばかりの〝幼子〟だ。
―――――この子は、自分の『名前』を、果たして覚えているだろうか。
「・・・あなた名前はなんていうの」
顔を俯けた状態で、自分の腕の中に縋りついている、〝幼子〟に、ザ・マザーは優しく尋ねかける。
と―――――
「・・・・・・つるぎ・・・・・・」
暫しの沈黙の後に、答えが返ってきて。
「ツルギ。強い響きね」
それを聞いたザ・マザーは、『つるぎ』の頭を撫でながら、称賛の言葉を口にする。
けれど―――――
「いびつな字。おれは弱い。さびしい。こわい。かなしい。さびしい・・・」
声を震わせながら、自己を否定した『つるぎ』の内に或るものは、〝虚無感〟のみで。
その〝孤独な心〟に共鳴するように、ドン・・・・・・と建物が揺れて、ガラガラガラ・・・・・・と瓦礫が少しずつ頭上から降り注いでくる。
「ツルギ。顔を上げて。ここはおそらく崩れる・・・埋まってしまうわ」
そこでザ・マザーは危険が迫っているのだと『つるぎ』に言い聞かせるように話しかけて、この場からの避難を促すも。
「もういい・・・おれはいい。ここで生まれてここで死ぬ」
それを『つるぎ』が拒絶した瞬間―――――バゴンと一際大きな瓦礫が崩れ落ちてきて。
ハッとなったザ・マザーは、瞬時に自らの姿を人型から漆黒の獣に変えると。
『つるぎ』を我が身の下に庇いながら、そのままドッと背中で瓦礫を受け止めたのだ。
「・・・狼・・・!!」
呆然と目を見開いた『つるぎ』が金色の瞳にその姿を捉えると。
ガプッと上着の襟を狼に咥えられて。
「あっ? うわっ・・・!」
戸惑いの声を漏らした『つるぎ』の身体は、そのままダッと走り出した狼によって運ばれることになったのだが。ドドドッとその間も、無数の瓦礫が降り注いできていた。
「・・・!!」
しかし、それら全てが『つるぎ』の身体に当たらないよう、己の身で受け止めながら、狼は走り続けていて。
「な、なんで・・・っ。オレなんかいいから、オレなんか置いてキミだけ逃げて・・・!!」
それに気づき、愕然となった『つるぎ』がそう叫んだその直後―――――狼の身体では到底受け止めきれない程の巨大な瓦礫が降ってきて。
ドガッという音とともに、ザァッと吊戯の身体は勢いよく地面に投げ飛ばされて。
「―――――ッ」
「・・・・・・っ!」
バシュッ・・・と狼の姿から人型に戻ったザ・マザーもまた、瓦礫に脚を圧し潰された状態になってしまい。
「あ・・・っ、足が・・・。なんで・・・っ、なんでオレなんかさあ・・・!! キミだけ逃げれば良かったのに。オレなんかここで死んでいいのに・・・」
起き上がった『つるぎ』は色を失った様相でザ・マザーの傍に向かうと、自己の存在を否定する言葉を口にしかけたのだが―――――。
「だめよ」
眦を吊り上げたザ・マザーが、それを遮ったのだ。
―――――瑠璃さん。貴女が助けたいと望んだ人は私が必ず助けるわ。だから貴女は兄さん達の処へ行って―――――
―――――〝ミストレス〟である彼女に『私』はそう『約束』をしたのだから。
「私は・・・立てない」
そうしてその強い眼差しに怯んだ様子になった『つるぎ』に、ザ・マザーはそう言った後。
「・・・・立てるわね? ツルギ」
その言葉を口にすると。
「えっ?」
戸惑いの声を漏らした『つるぎ』に―――――
「行きなさい。走って。私なら大丈夫よ。私は
ザ・マザーは淡々とした声音で、説き伏せるべく言葉を紡ぎ出す。
けれど―――――
「嫌だ・・・っ」
視線を俯けた『つるぎ』はそれを拒絶して。
「一人じゃ歩けないよ・・・嫌だ・・・一緒にいる・・・・・・」
膝に顔を埋めてしまった『つるぎ』のその姿を目にしたザ・マザーは―――――
「そうね・・・誰も一人では歩けない・・・」
そっと目を伏せながら、静かな声音でそう呟くと。
「二人で助かる方法もある・・・・・・」
一つの〝可能性〟を示唆する言葉を口にした。
「え・・・?」
耳朶に届いたその言葉に呆然と目を見開いた『つるぎ』が顔を上げると。
「あなたが私に・・・名前をつけてくれるなら」
ザ・マザーは自身の姿を映し出した金色の双眸をジッと見つめながらそう告げたのだ。
【本館/22・8/20/別館/22・8/21掲載】
★千辛万苦(せんしんばんく)⇒色々な苦しみや困難のこと。
