ニルヴァーナ
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そっちの方がずっといいわよ。
ソロも、それから見えないけどあんたもね。
《ニルヴァーナ》
【sideソロ】
「……右」
「……ッ!!」
「ソロッ!?」
冷たい声が頭の中に響く。その声から少し遅れて、右側の死角から飛んできたのは魔物が放った毒矢だった。とっさに重心を左に移動していなかったら―……冷たい汗が一筋背中を伝った。
「にゃろッ!!調子に乗るのも大概にしなさい、よッ!イオッ!!」
仲間の一人であるマーニャの髪が踊る。彼女の口から紡がれる力ある言葉。それと同時に魔物を取り囲むように大気が次々と爆発を起こした。
「ソロさん!大丈夫ですか!?今、傷を治します。……ホイミ」
再び唱えられた力ある言葉。だが、その結果起きたのは爆発ではない。俺の体を白い光が包み込む。暖かな治癒魔法の光―……体の芯からじんわりと癒されていくのがよく分かった。
「これでもう大丈夫なはずです」
そう言うと術者である女性―……ミネアは柔らかく頬笑んだ。
爆発の余波で舞い上がった土煙が風に流され徐々に薄れていく。
「このマーニャ様に逆らおうなんて十年早いのよ」
褐色の健康的な肌に張りついた髪をかきあげながら、マーニャは挑発的な笑みを浮かべる。完全に晴れ渡った時、そこには魔物の姿どころか、一片の肉片すら残されていなかった。
「……にしても、洞窟の宝ねえ……それを持って来たらあのホフマンって奴、馬車を譲ってくれるのかしら?」
「それは分からないけど……でも、あの砂漠を越えたいのならなんとしても馬車を手に入れるしか他に手はないと思うわ。」
やっと東の空から顔を出した下弦の月が頼りない燈で空の暗幕を照らし始めた。熱せられ弾けた焚き木の乾いた悲鳴が耳をつく。
火の強さを調節しながら、俺はそんな二人のやり取りをぼんやりと聞いていた。
「……ロッ!ソロッ!!あんた話聞いてるの!?」
「うわッ!!?」
名前を呼ばれた気がして焚き火に向いていた視線を上げれば、眼前にあったのはマーニャの不機嫌そうな顔だった。マーニャの眉間には深々とした皺が数本刻まれていて―……ここ数日で嫌というほど学習したが、マーニャがこの顔をする時は大抵ろくなことが起こらないのだ。……嫌な予感がじわじわジワジワ広がった。
「……じゃあ、質問。あたし達はブランカの更に南に行きたい。だけど、行けない。何故でしょうか?」
「さ、砂漠があるから?」
「ピンポ~ン。砂漠をただ徒歩で越えようなんてしたら途中でひからびるのがオチよね。じゃあ、第2問。砂漠を越えるためには最低でも馬車が必要です。でっ、ラッキーな事に馬車も引く馬も見つかった。でも、問題が発生。さて、その問題とは?」
長くしなやかな指で真っ直ぐ指差すとマーニャはまるで教師のような口調で俺にそう問いただした。
有無を言わせないマーニャの強い口調。彼女の熱い口調を反映するように指先にも熱が集まっているかのようで―……って!?
「マ、マ、マーニャ?その指先にある火の玉は……?」
「ん?これ?極小のメラよ。やっぱクイズには罰ゲームが必要よね。ほら、答えは?」
マーニャの口元が綺麗な弧を描く。男なら誰でも見惚れるような艶やかな笑みだが、俺には魔王か悪魔の微笑にしか見えなかった。
「はい、5秒前ー。ごーよーんーさ……」
「馬車の持ち主であるホフマンさんが人間不信で貸してもらえそうにないから、その原因になった洞窟を調査する途中です!」
唐突に始まったカウントダウンに肝が冷える。……このままだとマズイ。そう考えて、一気に答えを言えば「正解ー」と、間延びした声が返ってきて、俺は一人胸を撫で下ろす。どうやら、火傷の危機は回避出来たようだ。
つまんないの。……と、いう言葉は気のせいだったと思うようにしよう。
「……まったく、姉さんったら。容赦しないんだから。地図の距離から考えれば、明日の昼にはその洞窟に着くはずです」
呆れたようにため息を吐いてはいたが、姉の暴挙を止めもしない辺り、妹も根はやっぱり同じかもしれない。地図を指差しながら行程を話すミネアに俺は何度も首を縦にして頷いた。
この姉妹には逆らわないほうがいい。
これがここ数日で俺が学習した真理だった。
「さあて。話もまとまった事だしあたしはそろそろ寝るわ」
「もう、姉さん……と、言いたいところですが私もそろそろ限界です」
大きなあくびを隠すことなく、代わりに大きく伸びをするマーニャの気怠そうな声が響く。いつもなら姉の行動を咎めるミネアだが、彼女も限界なのだろう。重たい目蓋を手でこすっている。
「いいよ。俺が代わりに見張りをするから。昼間は、ほら……俺あまり役に立たなかったし」
二人と出会って思い知らされたのは自分の腑甲斐なさと無力さだった。魔法の力量の差は当然で、それどころか肝心の剣の腕ですら俺は女性であるミネアに劣っていたのだ。今日だって二人がいなければどうなっていたか―……いや、それ以前に―……
そっと、同行者である幽霊を横目で見やる。コイツのおかげで危機を回避できたのは、何も今日だけじゃない。
死角から攻撃がくる時、野営をしていて夜襲を受けそうになった時―……コイツは俺に危険が迫っている時は必ず教えてくれた。
俺一人では二人に会う前にとうに倒れていたに違いない。
……その程度なのだ俺の力は。
「……自虐?今時流行らないわよ」
「……事実だろ?」
「じゃあ、聞くけどあの時矢を避けたのは?あれはあたしもミネアも関与していない。あんたが自分の力で避けたんじゃないの」
「あれはアイツが教えてくれたから……」
自分一人じゃないも出来ない。誰かを救うどころか自分の身一つ守る事すら出来な―……
「うわッ!?ッウ!?」
不意に額に生じた痛み。条件反射的にマーニャの手を払っても後から後から鈍い痛みと熱さが波のようにやって来る。先程、マーニャが言っていた極小のメラを額に食らったのだと気付くまでに時間が掛かった。
「いきなり何すんだよッ!!」
理不尽な……あまりに理不尽な暴力にふつふつ沸き上がるのは憤りだった。
「……へえ。そんな顔も出来るんじゃん」
「マーニャッ!!」
だが、俺の怒声を聞いてもマーニャはどこ吹く風で、動揺するどころか逆に感心したように満足気に頷く始末だ。そんなマーニャの反応は、俺の神経を逆撫でするには十分で、不快でたまらない。
俺が更に非難の声を上げようとした、その時だった―……
「……ちゃんと感情があるんだなって感心したのよ。あんたいっつも暗いんだもの。うんうん。こっちの方がずっといいわよ。ソロも、あたしには見えないけどあんたもね」
「……はっ?」
まるで悪戯を成功させた子供のようにウインクをすると勝ち気な踊り子は楽しげな笑みを浮かべた。その表情に俺の中の憤りがみるみる萎えてしぼんでいく。
「ふあ……あ。ちょっと遊びすぎちゃったわね。んじゃ、何かあったら声をかけること。ほら、ミネアも」
「……ソロさん。あなたはこれからもっともっと強くなります。私達が追い付きもしない高みへと。それに、何も私達はソロさんが足手纏いだから助けてるわけじゃないんですよ?……きっと、あの人も。それを忘れないで下さい」
「……」
赤々と燃える焚き火の炎が夜を照らす。あの日と同じ炎なのに―……この日の炎は優しいものに思えた。
++++++++++++++++++++
「……ここは?」
湿った天井から落ちる雫が私の頬をすり抜け、床を湿らせる。落ちた拍子に少しの間気を失ってしまったのだろう。実体もないのに穴に落ちてなおかつ気を失うとは―……我ながら奇妙なものだと思わずにはいられなかった。
ざっと辺りを見回してみたが……どうやら自分の他に近くには誰もいないようだ。盗掘防止用の罠に引っ掛かったあの時にはぐれてしまったのだろう。
……まあ、はぐれたと言ってもあの少年とはあまり距離は離れていないはずだ。少年と私の距離が離れすぎた時、強制的に少年の下へと戻されるのは既に身を持って何度も経験している。少年が私を見つけようが、置いて外へと出ようがどちらにせよ遅かれ早かれ合流は出来る。
……それに、と、私は自身の隣にある青銅製の箱を見る。繊細かつ優美なレリーフが刻まれた青銅製の箱、部屋を囲む見事なモザイク画―……おそらくこの部屋が洞窟の宝物庫で、この箱の中身が少年達が探しているものなのだろう。少年達の目的が変わらないかぎり、彼らは必ずこの部屋を訪れるはずだ。
こっちは空腹も疲労も感じない体だ。待つのに支障があるわけじゃない。ここで待つことを決めた私は、透ける体をそっとモザイク画に預けて瞳を閉じた。
『これでも昔はあんたらみたいに旅をしていたのさ。ある時、世界で一番大切な宝物が隠されているという洞窟の噂を聞いたんだ。俺は友達と二人で洞窟に入ったよ。でも、一番の友達と思っていたのに突然俺を裏切って……ッ!!』
私の頭を、ホフマンと名乗った若者の言葉がよぎる。
一滴、また天井から雫が落ち、床を濡らした。真新しい染みを見つめながら、私は裏切りによって人間不信になってしまった若者の言葉を思い出す。
「……裏切り、ね」
彼が一体どんな裏切り方をされたのか、私には分からないし興味もない。だが―……
「……グリフィス」
不意に口から出た名前。それに気付いて慌てて口を閉ざしたところで、一度出した言葉をなかった事には出来ない。
「……くそッ!!」
行くあてのない感情。波立つ思考の海。それをぶつけるように透ける手で、こぶしで、湿った壁を叩く。何も感じない手では、痛みで感情を紛らわすことさえ、慰めることすら叶わない。
……どうして、どうしてこんな。
乾かないはずの喉が乾わいて痛んだ。
「……ッ!?この気配……お前は……本物か!?」
湿りきりじっとりとした空気が動き、撹拌されていく。重い音を立てて開かれた石扉から松明の光が漏れる。そして、何より聞き知った声と見知った顔を見て、やっと少年達がたどり着いたのだと分かった。
「遅かったな。……どうした?」
だが、どうも様子がおかしい。少年は剣の柄に手をかけ、双子の姉妹は魔法を唱える体勢を取っている。
再びどうしたのだと問えば、あちらももう一度、同じ問いで私に問い返した。
「……本物も何も……頭、大丈夫か?」
「ソロさん、大丈夫です。この人は―……」
「ああ、本物だな」
「ちょっと、あたしはあんた達みたいに声が聞こえないんだから説明しなさいよ!」
次々と返ってくる様々な反応に事情を知らない私はただただ首を傾げることしか出来なかった。
++++++++++++++++++++
暗く湿った洞窟から一歩外に出れば既に星達は朝の眠りにつき、空は乳白色に白み始めていた。洞窟に眠っていた紫水晶と同じように輝く地平線。今日もおそらく晴れるのだろう。
「……それぞれの偽物に化けた魔物に襲われた、ね」
「他人事みたいに言うんだな」
「他人事だからな」
しばらく小休止を取ることになった私達の頭上をつがいの鳥が飛んでいく。今回も番をすることになった少年と話をしながら私はそう言葉を返した。
「こっちは大変だったっていうのに……お前は何もなかったのか?」
「ああ、なにも」
「……本当に?」
「くどい」
「……そっ、か」
そう最後に言うと、少年は口を閉ざした。少年の顔に一瞬、影がよぎったように見えたのは……きっと光の関係だろう。
++++++++++++++++++++
【sideソロ】
『私思うんです。あの洞窟はその人が信じたいと願った者が敵として現われるんじゃないかって』
洞窟内でミネアに言われた言葉がよぎる。
“信じる心”と、名付けられた宝石を見るたびに、逆に心が騒ついた。
あの洞窟で姉妹は俺と、もう一つ感じた気配に襲われたと言っていた。俺も、姉妹と……ある影に襲われた。影の顔は見えなかったが―……あの気配は間違いなく俺の隣にいるこいつの気配と似ていた。
だが、こいつはそんな洞窟で“何もなかった”と言う。ミネアの言った仮説が真実ならこいつは―……
「……なあ。聞いてもいいか?」
「なんだ急に」
「……お前の名前は?」
「……聞いてどうする?」
「知りたいんだ」
紫色から乳白色へ、そして青に空が移ろいでいく。
「……ミコトだ」
「……ミコト……」
鸚鵡返しでその名を呟く。お互い信用とか信頼なんて感情には程遠いが……
「……俺の名前はソロ。よろしくなミコト」
差し出した手のひらが一瞬暖かく感じたのは朝日のせいだけだろうか……俺にその答えを知るすべはない。
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