ニルヴァーナ
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よくある話だ。
《ニルヴァーナ》
……先ほど垣間見たあの光景はいったい何だったのか。右も左も分からない虚空にたゆたう身体。私の頭にその一文が反芻する。
私の記憶が見せた生前に経験した出来事だろうか?否。私はあの者達を見た事など一度もない。では、死して尚、私は夢を見たのだろうか?……しかし、それだけではあの情景の生々しさを説明できない。結局のところ、私には何も分からないのだ。何も知らないのだ。
生きている時も
死んでからも
「……今更過ぎるな」
何を今更、と、そう思わずにはいられなかった。もう何もかも遅いのだ。私が大切に想っていたものは壊れた。身体は潰れ、心の居場所は砕かれ、魂は千切れた。後は、仲間達と同様、地獄の窯の底に沈むのを待つばかり。
……怖れる事はない。皆、そこに還ったのだから。さあ、目を閉じよう。あとは、このまま流れるだけだ。
「……嘘吐き」
誰だ……?
私は再び深遠に沈みかけた意識を浮上させた。鉛のように重たい目蓋を開けば、世界の地平がぼやけて滲んだ。そして―……
「………?」
鈴虫の鳴き声が夜空に響く。頬をなぜる夜風。湿った土と草の匂いが鼻腔をくすぐる。幅広の広葉樹が立ち並んだ森の中。木々の隙間から零れる月と星の光を見て初めて、自分が仰向けで倒れているという事を理解した。
……生きているのか、私は?混乱する思考の中、かすかな希望が灯る。
私は生きている。もし、そうならば今までの出来事は全て夢であったに違いない。
そうだ……あれは夢。たちの悪い悪夢だ。ジュドーもピピンも生きていて、くだらない話をしながら皆でまた酒を煽って―……コルカスの野郎は相変わらずガッツの事でグダを巻いて―……ガッツ―……そうだ、あいつ遂にキャスカに手を出しやがったな。……でも、キャスカの幸せそうな顔が見られたから許してやるか。
二人が言わなくても、言われなくたって私には分かる。二人とも瞳が馬鹿正直だから―……だから、帰ってきた二人を見た時一目で分かったよ。
……また、鷹の団みんなで生きていくんだ。そして、グリフィスを助けて―……
「……ッう!!?」
ふっ……と翳した手の向こう、本来なら手の平に隠れて見る事が出来ない景色が透けて見える。
全身を悪寒が駆け巡る。柄にもなく震える身体を手で押さえ付けてみたが悪寒は治まる気配を見せない。それどころか違和感は増す一方だった。その違和感の正体を考えれば、私の思考は一つの仮説に行き着いた。それは最悪な仮説だった。
「……まさか、な」
そうだ。そんな馬鹿げた話あるわけがない。きっと、私はまだ寝惚けているのだろう。さっさと冷たい水でも被って目を覚まさねば―……幸いにして水場が近くにあるのだから。私は水を求めて立ち上がった。
青い水を讃えた湖面に風が風紋を描く。 透明で清明な水鏡には月と星の姿が映り込んでいた。
「………」
ヒュウ……と、喉が風を切る。失われる言葉。言葉になり損ねた乾いた空気ばかりが喉を通った。
波立つ湖面、さざ波が月と星の姿を滲ませる。しかし、そこに湖を覗き込んでいるはずの私の姿は映ってはいなかった。
そして、私は理解する。
亡者
亡霊
今の自分はそういった存在なのだ、と。
虫の声が煩わしい。哀しげなその声は、乾いた頭、渇いた心にはただの騒音に過ぎなかった。
もうどれだけ歩いただろうか?月と星の傾き具合から、目が覚めてから相当な時間が経っているということは分かる。しかし、これだけ歩いたというのに空腹感も倦怠感もいまだ訪れる気配がない。人間らしい欲が希薄になった身体は、不思議であると同時に薄気味悪いものだった。自分のものなのに自分ではないような、言葉に出来ない違和感があった。
「あれは……」
突如、私の目の前の視界が開ける。森と森の狭間に現われたその空間は、明らかに人の手が加わった土地だった。整備され刈り取られた草。粗末ながらもしっかりと踏み固められた土の道が細くそこに向かってのびていた。
「……これは、村、か?」
ぐずぐすと燻る火の手。そこから立ち上る黒い煙は、澄んだ夜空に醜い染みを作っていた。立ち込めているのは、焼け落ちた木々の臭いと肉と人の髪が焼ける不快な臭気。黒い墨へと変わり果てた木の門をくぐった私は、あまりの臭気に自分の鼻を透ける手で押さえ付けずにはいられなかった。
青白い清明な月光。その光の下、暴かれた光景は“穢れ”そのものだった。
それは、私にとってごく有りふれた光景だった。硫黄の臭いと死臭、灰が舞う廃村を歩きながら、私はミッドガルドに思いを馳せる。血と汚泥に塗れ、破壊尽くされた村―……恐らく、野盗にでも襲われ滅びたのだろう。
はたまた、黒死病でも蔓延し、外への拡散防止のために焼き払われたか―……どちらにしろよくある話だ。そして、私はそんな村を幾度となく見てきた。今更、この村一つに何の感慨も沸き起こらなかった。
視線を崩れ落ちた瓦礫の山へと向ければ、その隙間からは今だに赤い炎が蛇の舌のように見え隠れし、誰のものとも知れない屍を焼いていた。この様子だと、村が滅んでからまだあまり時間は経っていないのだろう。
「……」
徹底的に踏み躙られ、早くも廃墟と化している―……おそらく生き残りはいないだろう。あたりに散乱する屍の山。飛び散った血痕が模様を描く。私は、変形し、原型を止めていない肉塊に目を馳せ、そう結論付けた。
……その直後だった。
「あれは……人……か?」
視界の先に現われたのは小高い丘のような場所だった。まわりとの位置関係から考えるに、この丘は村の中心部なのだろう。踏み躙られ、焼かれ、それでも辛うじて残った名もなき白い花が夜風に揺れる。そして、その白い花達の中心には―……蹲り、膝を抱えた一人の少年がいた。
「誰だッ!!」
少年の声が夜半の風と共に舞う。思いがけない少年の言動に私の思考が僅かの間止まった。
真っ直ぐこちらを見つめながら少年はその手に剣を取る。美しい蒼穹がそのまま溶け込んだ瞳。深緑を思わせる肩まで伸びた髪。不思議な色彩を持った少年だった。
「……見えるのか?私が」
思わず口からそんな言葉が漏れたのは予想外の行動に対する驚愕か、はたまた自分が認識された事による歓喜の声か―……そして、そんな私の言葉を聞いた少年は大きく蒼穹の瞳を見開いた。だが―……
「……やっぱり、そこに誰かいるんだな。見えやしない。だが、今、声ははっきり聞こえた。聞いた事がない声だ。村の者じゃないな。お前は何者だ?魔族の者か?姿を見せろ!!」
猜疑に塗れた少年の声が私の鼓膜を揺さ振った。片手に剣を構え、片手には煤けた小さな帽子を大切そうに抱えて少年は吠える。
……迂闊だった。私は、自分の軽率な言動に心の中で舌を打つ。一体、どう説明しろというのだ。少年が言うような魔族―……化け物ではない。かと言え、今の私は人でもない。おそらく、私はその狭間に位置している。
「お前達のせいでこの村は……父さんや母さん、シンシアはッ……!!」
中々答えない私に業を煮やしたのだろう。憤努、憎悪―……蒼穹の瞳にそんな黒い感情が見え隠れし、影を落とす。そして、少年は私がいる空間をでたらめに切り裂いた。
大振りな剣撃―……見えないというのは本当なのだろう。もし見えているならこんな雑な攻撃にはならないはずだ。それでも切っ先で私の腕を捕らえたのは見事としか言い様がなかった。気配だけでこの少年は私を捕らえたのだ。それは並大抵の事ではない。私はそれを知っている。
……しかし、やはり、痛覚はなし、か。予想はしていたが、私は既に肉を失っている。当然、斬られたところで痛みも何も存在しなかった。
ふう……と私は一つ息を吐く。改めて、私は思い知らされたのだ。
「……亡霊だ。おそらく、な」
自分がすでに人にあらざる存在だということを。
「……亡霊?……どういう意味だ?」
「どうも何も、そのままの意味だ。私は既に肉体を失っている。死者―……亡者―……そういった存在だろう」
今だ剣をこちらに向け続ける少年に自身のことをそう説明すれば、私に対する少年の猜疑心は益々強くなったようだった。当然の結果だ。自分が逆の立場なら私もそうするだろう。
「……そんなデタラメ……信じると思うか?」
「いや、思わない。だが、私としてもこうとしか言えないんだ。信じる信じないは勝手にしろ」
少年の口から一つ息が零れる。冷たい空気を深く吸うと少年は革で出来た鞘へと銅製の剣を滑らせた。
「……お前があいつらの仲間ならこんな回りくどい事をせず、有無を言わず俺の首を刎ねている、か」
まるで自分に言い聞かせるように呟くと、少年は私に背を向け再び地面へと腰を下ろし、遠くを見つめ始めた。
夜はまだ明けそうにない。
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あれから何時間経ったのだろうか?……にも関わらず、少年は一向にその場から動こうとしなかった。村の中心に腰を下ろし、虚空をぼんやりと眺めている。そんな少年の行動は、私にある事を悟らせるには十分だった。
この少年は村の唯一の生き残りだ。そして、少年が大切そうに抱えているあの薄汚れた帽子は誰かの形見なのだろう。
少年は、見ているのだ。過去を。もしかしたら、辛い記憶を一つ一つ磨り潰しているのかもしれない。
その姿は、見ず知らずの人間である私からしても痛々しいものだった。
「……まだ、そこにいたのか?」
「……ああ」
「……馬鹿にしているのか?」
「……お前は泣かないのか?」
「……ッ!!!」
いつだったか、キャスカが私に話した言葉がよぎる。悲しい時に人が涙を流すのは、悲しみを洗い流すためなのだ、と。
「……失言だったな。忘れろ。私ももう消える」
自分の失言に対し浮かんだのは自嘲の笑みだった。私がこの少年の何について知っているというのか。下手な慰めは毒にしかならないというのに。
憐れみ……同情?いや、そんな感情が今会ったばかりの人間に対してあろうはずがない。だが、少年の背中に、私は今誰の背中を重ねた?
……もう行こう。ここにいても仕方がない。私は踵を返し、少年に背を向け再び歩きだす。背中越しに微かな嗚咽が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。
++++++++++++++++++++
東の空が乳白色に染まる。白くまばゆい陽光が眼前の景色を照らし出すが、私の心にある影は暗さを増す一方だった。
私がこの村を経って、少年と別れてどれぐらい時間が経った?
確かに、私は夜のうちに門から村を出たはずだ―……だが―……墨に変わり果てた木の門、壊れた家々、小高い丘―……そして、立ち並ぶ真新しい墓。墓こそなかったとは言え、そこは私が昨夜訪れたはずの村だった。
「……何故だ……私は確かに村から離れて―……」
「……この声は……?お前、確か昨夜村から出ていったんじゃ……」
聞き覚えのある声に後ろを振り返れば、やはり、声の主は昨夜の少年だった。
……分からない。何が、何が起こった?何が始まったと言うの?
混乱し迷走する思考の渦。そんな私を嘲笑うかのように一羽の鵯が朝を謳歌するように囀った。