空即是色
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神は言われた。
「生き物は水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」
神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、蠢く生き物それぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。
神はこれを見て、良しとされた。
神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水よ満ちよ。鳥は地の上に増えよ」
夕べがあり、朝があった。
第5の日である。
《空即是色》
大丈夫ですか?それでは今度こそさようなら。
終業の鐘の音が古城内に鳴り響く。時を告げるその音に、いつの間にか今日一日が終わったのかと掃除用具を片手にぼんやりと考えた。
鐘の音に紛れて遠くから近づく音は、ここの生徒達のものだろう。
……さて、私も定時だ。さっさと帰宅しましょうか。生憎、私は同僚のアーガス・フィルチのように就労に対して勤勉ではないのだ。時間外に働く趣味も、ましてや彼のように鎖や手枷をピカピカに磨いて、生徒達の足首を縛って天井から逆さ吊りにさせて欲しいとダンブルドアに懇願する趣味もない。
「……定時ですので、私は帰ります。後はよろしくお願いしますね、フィルチ」
「ソフィア、お前は!まだあのガキ共を処罰するという重大な仕事が残っているだろうが!!」
鼻息と語気を強め、詰め寄ってくるフィルチに対して、思わずため息が零れる。どうやら私の同僚は、生徒を痛め付ける悦びの方が時間外労働の苦労に勝るらしい。
「ナーゴ」
「ほら!私の可愛いチビちゃんもそう言っているだろう!」
いつの間に現われたのだろうか、フィルチが“チビちゃん”と呼び溺愛している痩せっぽっちの猫は、私の足元に来ると主人の言葉に同意するように一鳴きした。
「……お二人にそう言われましても、私、夜勤もあるので」
もっともらしい理由を口にすれば、ようやく諦めたのか、フィルチは舌を一つ打ち、早く行けという代わりに手をヒラヒラと前後に動かした。その返答に私は一人胸を撫で下ろす。夜勤があるのは事実だが、私には今すぐここを離れたい別の理由があった。だから、フィルチが思ったよりも早く折れてくれたのは幸運だった。
「では、ミスター・フィルチ、ミセス・ノリス、また―……」
「ロコモーター・モルティス!転がれッ!!」
私がフィルチ達に対して別れの言葉を口にしたまさにその時だった。
派手な音が呪文とほぼ同時に廊下に響き渡る。
「……ああ!シリウス!フィルチに当たったら意味がないじゃないか!」
やけにうるさい足音が近づいてくるなと思えば―……やっぱりコイツらか。
たまたま窓ガラスにコイツらの姿が写ってたから咄嗟に上体を半身ズラしてみたけれど―……なるほど、この呪文を受けるとこうなるわけか。
「ポッターッ!ブラック!!お前ら、こっちに来い!!今日こそ吊してやるッ!!」
「ハンッ!誰がテメーみたいなボンクラに捕まるかってんだ!」
私の足元では、不運にも呪文をあびてしまったフィルチが転がっていた。
まるで見えない縄に縛られたかのようにピッタリと足がくっ付いてしまった彼は、憎々しげな声を上げ原因を作った相手を睨み付けている。対して、原因の方はと言えば、そんな哀れなフィルチを労るどころか鼻で笑い馬鹿にする始末だ。
二人組の一人であるしわくちゃ頭の眼鏡の言葉を聞く限り、コイツらの今日の標的も私だったのだろう。たまたま窓に写り込んでいたから避けられたが、気が付かなければ私がフィルチのようになっていたのだ。そう考えると気分がいいものではない。
現われては仕事の邪魔ばかりするコイツらを初めこそ物珍しく感じていたが、その頻度が連日ともなるといい加減腹立たしく感じるようにもなる。かと言って、反応すればするだけ体力を消耗するだけなので、極力無視をしていくという選択肢しかないわけだが―……
「大丈夫ですか?では、今度こそまた明日」
「一言目と二言目が繋がっていないぞ!そんな冗談を言う暇があるならさっさと私を助けるか、このクソガキ共を縛り上げるかのどちらかしろ!!」
「冗談とは心外です。それに先程も言ったように夜勤があるんです」
「テメー!逃げる気―……って、待てッ!!」
待てと言われて待つ人間がいるのだろうか?長い回廊を走り抜け、動く階段を飛び降りながらそんなことを考えた。ああ……明日からは終業の五分前には仕事を切り上げてしまおう。
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【sideシリウス】
「嘘だろ……な……なんで……あいつ……あんな……速いんだよ女だろ……一応………」
「今、話し掛けないでくれよ……シリウス……ウッ……昼に食べたものが口から出てきそう……」
渡り廊下をすっかり西に傾いた太陽が照らしている。逆光の遥か彼方に標的の女の小さくなった影があるが、俺にもジェームズにも、あの女を追う体力は残されていない。あの女―……ただのスクイブか何かだと思っていたのに、何なんだあの体力は―……
男二人が全力で追い掛けていたにも関わらず、差は縮まるどころか開く一方で、ついにはこっちがへばり情けない姿を曝す羽目になっている。
「フィルチとよく一緒に仕事をしているみたいだから、てっきりただのスクイブだと思ったんだけど……」
ジェームズもようやく息が整ったのだろう。ふう、と一つ息を吐くと、悔しそうに親友兼悪友は呟いた。
「スクイブだろ。証拠に俺達が魔法を使っても一度も魔法で反撃してこない」
「うーん……確かにそうなんだけど。何かが引っ掛かるんだよね」
そう言うと、ジェームズは考え込むように顔を伏せた。友人の色目抜きにしても、このジェームズという人間は優秀な魔法使いだった。普段は俺達と一緒に馬鹿をやっているが、本当は誰よりも賢く機転が利くと言う事を俺は知っている。そのジェームスが引っ掛かると言うのだから、あの女はまだまだ俺達が知らない化けの皮を着込んでいるのだろう。
「まあ、こんなに少ない情報しかないんじゃ考えたって答えは出ないか。今は……ね。それはそうとシリウス。さっき、彼女が口にした言葉を覚えてるかい?」
「……あ?あのクソ女が言ったことなんて覚えてるわけが―……あっ」
「うん。僕達、このホグワーツに何年もいるけど用務員が夜勤をするなんて話、聞いたことないんだよね。幸い、こっちには透明マントがある事だし」
ジェームズの口元が緩やかなカーブを描く。その意図を理解した俺も、釣られて口元が弛んだ。ああ、その先は言われなくても分かってるぜ、ジェームズ。
「なら、ジェームズ。今夜、消灯時間になったら―……」
「今夜は止めておいたほうがいい」
「……ッ!?誰だッ!!」
「やれやれ。随分な挨拶だな。ブラック、まずは杖を降ろせ。私は今、危害を加えようとしているわけじゃない」
黄昏の風が男の長い髪を梳く。朱と紫紺、黒が複雑に混ざり合い溶けた夕闇の向こうから現われたのは―……
「君は、確かスリザリンの―……」
「ふん。スリザリンの奴が俺達に何の用だ」
その男は、今、このホグワーツで1・2を争うぐらい有名な人物だった。あのクソ女同様、フラリとホグワーツに編入してきたこの男は、今や所属しているスリザリンばかりではなく、スリザリン以外の寮、グリフィンドールの人間ですらその名を知らぬ者がいないという有様だった。当然、俺達もコイツの存在は知っている。
「Mr.サイファー。スリザリンの君が僕達に一体何の用だい?」
親しげなジェームズの声が闇に広がる。一見すると友好的に思えるが、ジェームズがローブの下で杖を強く握り返したのが俺には分かった。それを知ってか知らずか、目の前の得体の知れない男は、独特の色彩を帯びた瞳を細めた。
「スリザリン?……ああ、そうか。お前達はくだらないコミュニティに拘っているんだったな。すまない、失念していた」
「なッ!?テメーッ!!!」
クックッ……と喉を鳴らし、笑みを殺す男に俺の中で何かが音を立てて切れた。今、コイツは何を否定した?今、何を馬鹿にしやがった?
「シリウス!」
「止めんな!ジェームズ!!」
俺が男の胸ぐらに掴み掛かろうとしている事を察したのだろう、ジェームズは慌てて俺を羽交い締めにして押さえ付ける。そんな俺達の様子を見た男は、今度は笑みを殺さず声を上げて笑った。
「ハハハッ。やはり、面白いな、お前達人間は。そうそう、さっきの私の言葉は忠告だと思ってもらって構わない。今夜は止めておけ」
「……それは、彼女の“夜勤”と関係してるのかい?」
ジェームズの問いに返ってきたのは、やはり怪しい笑みだった。
「待て!テメーとあの女、一体どういう関係なんだ!」
「伴侶」
「……はっ?」
「……へっ?」
即答で返ってきた言葉に俺とジェームズの時が止まる。予想外過ぎる言葉に思考が凍り付いたのが分かった。
は、はんりょぉ?
「忠告はした。後はお前達の好きにすればいい」
絶句をし、動きが取れない俺達を尻目に、最後に言葉を残すと男は城内へと帰って行く。後に残ったのは、間抜けに口を開いた二人の人間だけだった。
++++++++++++++++++++
「新月―……前に悪魔が出現した時も満月でしたし、やはり月齢が関係しているんでしょうか」
「ちょっと、ソフィア~。アンタ、アタシの話聞いてるー?っうかー、今の旦那超ウザいんですけどー」
「聞いてますよ、フレイア。でっ、今度は誰と浮気するつもりなんですか?」
月明かりが届かない黒い森の奥を靄が包む。今し方討伐した悪魔の後処理をしながら、私は本日のパートナーであるフレイアに適当な答えを返した。適当でもいいから答えを返さないと面倒なのだ、この悪魔は。
フレイアは北欧において信奉される美や愛、豊饒を司る神の一柱で、先日召喚したアメノウズメ同様、私にとって前の世界からのかけがえのない仲魔の一人だった。確かに、頼りがいのある仲魔なのは間違いないのだけれど―……
「だってー、アタシが小人四人と寝た事今だに気にしてるしー。器ちっちゃいんだもん。っうか、こんな綺麗な首飾り持ってるの見たら身体売っても欲しいと思うじゃーん?」
「そうですね。同情します」
「でしょー?」
「……あなたではなく夫のオーズに」
フレイアは少々―……いや、かなり性に関して奔放なのだ。言い換えると非常にだらしない。彼女の神性が女性の美徳と、そして悪徳まで全て内包しているだけにこのフレイアの性格は当然なのかもしれないけれど―……そんな女神に振り回される夫―……流石に同情せずにはいられない。
そう答えれば、フレイアは私を口汚く罵った。この反応はいつもの事だし慣れたものである。ただ、人の事をよりにもよって“ビッチ”って……それは自分の自己紹介でしょうに……
「ちょっとー誰があたし達のあとを付けてた連中を眠らせたと思ってるわけー?そんな事言うならもう呼ばれてもこないし!あーあ……せっかくいい事教えてあげよう思ったのになーもういい。帰って女子会するしー」
「いい事……ですか?」
「そっ。この前、女子会の時にアメノウズメから話聞いてきたんだけど、その話を聞く限り、ここまで因果律が狂ってるとは思わなかったんだよねー。まっ、次に悪魔が出た時は注意しろって事でー。じゃね!」
「……因果律……か」
光の粒になり消えるフレイアを見送った後、私の頭では彼女の残した言葉が反芻していた。因果律が狂うも何も、次元軸も時間軸も異なる私やルイが存在しているだけで既に歪みきっているような気もするが―……
……止めよう。情報が少なすぎる。考えても答えが出ないのならこれ以上は思考の海に溺れるだけだ。
「そう言えば、明日はフィルチに謝らなければいけませんね。菓子折り代わりに鰺のフライでも持っていきましょうか」
ふっ…と、夕方の同僚の姿を思い出す。媚を売る事が目的ではないが、一緒に仕事をする以上、わざわざ波風を立てたままというのも得策ではないだろう。確かフィルチの猫の好物は魚のフライだったはずだ。一応、私の代わりにああなったわけだし、少々不本意ではあるが―……
「……非番が潰れる」
休みをくれ。
切実に思ったところでその願いを聞き届けてくれる神は、いない。