空即是色
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神は言われた。
「天と大空に光るものがあって、昼と夜を分け、季節の印、日や年の印となれ。天の大空に光るものがあって、地を照らせ」
そのようになった。
神は二つの大きな光るものと星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。
神はこれを見て、良しとされた。
夕べがあり、朝があった。
第4の日である。
《空即是色》
やっぱり……ありえない。
「おーい、ソフィアー!起きとるかー?」
「また、あなたですか……ハグリット。今日は非番なんですからもう少し寝かせて下さい」
この世界ではプライバシーという概念が希薄あるいは欠如している。それが、この短い間に私が確信した事だった。
「何を言っちょるか。とっくに太陽は真上まで上がっとる。人間、日が出ている時は起き、日が沈んだら寝るもんだろ?」
「否定はしません」
コンロにかけた金属性のヤカンから白い湯気が立ち上る。もうしばらくすれば、お湯が沸いた事を知らせるけたたましい笛の音が、この狭い部屋中に鳴り響くだろう。
私がホグワーツに来てから早十日。ここでの生活は今まで私の暮らしと全く異なるものだった。
「しっかし、その湯沸器は便利だな。湯が沸くと鳴いて知らせる。ちぃいとばかりうるさいのが難点だが」
「口笛と原理は同じです。水から姿を変えた水蒸気が、狭い注ぎ口から逃げる時に音が鳴るんです。ちなみに、きちんと密閉された蓋があるものでないと音は出ません。蓋が軽くて浮いてしまうと笛のあるところから逃げるよりも蓋を持ち上げる方が楽ですからそこから逃げてしまうんです」
「魔法じゃないのか!?」
「ええ。魔法ではありません。科学です。あなた方のいう“マグル”の間では常識だと思いますよ」
甲高い音の笛が鳴る。沸いたお湯を湯呑みに注ぎながら答えれば、大男―……ハグリットはずんぐりと窪んだ瞳を大きく見開き感嘆の声を漏らした。
ここに来てもう一つ感じた事は、ここの人間―……魔法族の科学に対する白痴さだ。ダンブルドアに聞いてみたが、何もこの世界に科学が存在しないというわけではないらしい。
私がいた世界同様、この世界には魔法と科学の二つが確かに存在しているのだ。にも関わらず、魔法族は科学に関して無知なのだ。
魔法族が“マグル”と呼び蔑んでいる魔力を持たない人間達も魔の力に対して無知だが、魔法族とマグルでは決定的に事情が違うと私は感じている。
マグルは魔法の存在自体、“知らない”。しかし、魔法族は科学という学問があるという事を知りながら、それを“知ろうとしない”。
「“知らない”事と“知ろうともしない”事は明確に違うはずなのに―……」
「……何の話だ?」
「いえ……何でもありません。それより、お茶、冷めますよ」
「おっと!いかんいかん!」
そう指摘すれば、ハグリットは大慌てで湯呑みを手に取り、音を立てて緑茶を啜る。大きな体のハグリットに、やっぱりこの湯呑みは小さいかもしれないな、と、その姿を見ながらぼんやりと考えた。
ホグワーツの庭番のハグリットと私は、互いが暇な時にはお茶を飲み合い、こうやって他愛もない話をするのが日課になりかけていた。
「しっかし、前から思っちょったが、どうしてこんな所に小屋を建てて住む事にしたんだ?俺としてはお前さんと気軽に話せるからこっちの方が有り難いが……ダンブルドアの話だと城の中に部屋を用意するって事だったろ?」
「……こっちの方が落ち着きますから」
畳が敷かれた小さな居間。小さなちゃぶ台をハグリットと囲みながら共にお茶を啜る。
ハグリットの言う通り、ダンブルドアからそういった提案があったのは事実だ。私も最初は手っ取り早くその提案を飲もうと考えた―……がっ。
「……今更な質問かもしれませんが、一つお聞きしてもいいですか?」
「おお!俺のこの小さな可愛い脳みそで答えられる事ならな」
「食事の時に食卓の上を飛んでいた、あのおびただしい数の梟は一体何なんですか?」
「……何って……ありゃ、梟便の梟だが―……ああやって手紙や荷物を運んでくる。それがどうした?」
「……いえ。ありがとうございます」
当然だろう?と、言外に隠れているハグリットの返答に私はため息を吐かずにはいられなかった。つまり、あれがここでの常識なのだ。
あの―……料理の上に梟の羽毛がへばり付き、ゴブレットの中に梟の落とし物が落ち、スープ皿にスライディング着地を決めるあの光景が。
「やっぱり、ありえない」
思わず漏れてしまった心の声。元いた環境が劣悪だっただけに、ここでの生活はぬるま湯と言えばいいのか―……まあ、随分改善されたと思うが、アレはいただけないし、理解できない。アレを文化の違いと片付けられるのは、私の心情的に受け入れがたいのだ。
「変な奴だな、ソフィアは。しかし、畳だったか?始めは違和感があったが慣れるとこの部屋もいいもんだな。特に匂いが良い」
「気に入っていただけてなによりです」
そう言って畳みを撫でるハグリットの顔は穏やかだった。本当に気に入ってくれているのだろう。
このホグワーツは、センターと同様の土足の文化圏のようで、初めは部屋に上がる時に靴を脱ぐという行為に戸惑いを隠せない様子だったハグリットだが、この短い期間の間に十二分過ぎる程、適応していた。私も洋室よりも和室の方が好きなので、そう言われると悪い気はしない。
……まあ、自分好みの小屋を作る弊害で、ここの建築費用が来月分の給料から天引きされてしまうけれど―……あんな所で毎日食事をしなきゃいけなくなるぐらいなら、少しぐらいの出費は痛くも痒くもない。これは無駄遣いではなく豊かな生活を送るための立派な投資なのだから。
「……そう言えば、ソフィア、仕事には慣れたか?何やらお前さん派手にやらかしとるそうだが―……」
「……派手?」
ニヤリと楽しそうに尋ねるハグリットの意図を計りかねて、私は首を傾げた。
仕事―……と、言っても昼の仕事は単純労働で難しいものではないから失態は起こしていない。肝心の夜の仕事―……悪魔狩りだが、最初の満月の日以降、悪魔は出現していないから、こっちの線もなしだ。
「あのグリフィンドールの悪戯小僧共だ」
「……ああ。あの」
ハグリットに言われてようやく思い出したのは、自己顕示欲がやけに高いあの四人組の姿だった。
何の因果か、あの四人は私の仕事を邪魔する事にご執心なようで、私が掃除をすればそのそばから床を汚していく。昨日は何やら臭いのするものを私に向けて投げてきた―……ので、持っていたモップで野球よろしく打ち返したような気がする。そのあとすぐに違う部屋に移動したから、どうなったかは知らないが。
「あいつらも悪い奴らじゃないんだが―……少しばかりやり過ぎるきらいがある」
「質の悪い話ですね」
自覚のない悪意ほど厄介なものはない。
そう答えれば、ハグリットは苦い笑みを浮かべた。つまり、ハグリットも何らかの被害を受けた事があるということだろう。
「……話は変わるが、この菓子は何だ?中はぐにゃぐにゃとした米なのにやけに甘い」
「今は九月ですから、それはおはぎですね。うるち米やもち米を餡で包んだ菓子です」
「不味くはないが―……変な食いもんだな」
「原色に色付いたバターケーキを美味しそうに食べられるあなた方にだけは、言われたくないですけれど」
食に関する壁もまた、大きいようだ。
++++++++++++++++++++
【sideジェームズ】
「……ッたくッ!!何なんだよ、あのクソ生意気な女はッ!!」
「少し落ち着きたまえ、パッドフット。……と、いうか静かにしてくれよ。いい案も浮かばない」
ランプの光が談話室を淡いオレンジ色に仄かに照らす。壁に掛けられた古びた時計は間もなく夕食が始まる事を知らせていて、そんな時間にも関わらず、まだ、談話室に残っている物好きは僕達ぐらいなものだろう。まあ、食べ物ならいくらでもあるから食堂に行かなくても困る事はないけれど。
「お前は、糞爆弾が当たらなかったからそんな悠長にしていられるんだよ、ジェームズ!!あの後、へばり付いた糞と染み付いた臭いを落とすの大変だったんだからな!」
顔を真っ赤にして怒鳴る親友―……シリウスは言っちゃ悪いが傍から見る分には面白い。言えば絶対怒るだろうから言わないけれど。
「顔にべったりだったもんね。シリウス」
「分かってくれるのか!?リーマスッ!!」
「自業自得」
リーマスにあっさりあしらわれたシリウスをピーターが笑って、シリウスの怒鳴り声がピーターに向かうまでがいつもの流れで―……どうやら、その例に漏れず今夜の作戦会議も良案が出ずに終わりそうだ。
「……でも、本当に彼女は何者なんだろうね。新学期が始まったばかりだっていうのに少しズレて用務員が入ってくるなんて」
「そうなんだよ、リーマス。僕もそれが気になっていたんだ。シリウス、ピーター、君達はどう思う?」
「クソムカつく女」
「うん。シリウス、君なら絶対そう言うと思った」
顔に似合わず頭に血が上りやすいシリウスは、彼女の素性よりもいかにして彼女に報復するか、それに重点を置いているようだ。こうなるとシリウスから建設的な意見を引き出す事が出来ないという事を、長年の経験から僕達は知っている。
「……やけに無表情な子だな……って、僕は思ったけど。ジェームズやシリウスが目の前で花火を上げても、一切表情を変えなかったよね?」
おずおずと控え目にそう発言したのはピーターだった。ピーターの意見に、確かにそうだったと、あの時を思い出して頷く。
普段は、頼りないピーターだが、時々僕達が見逃した事を鋭く指摘する事がある。それが思わぬ突破口やアイディアに繋がる事もあるから、ピーターの意見もけして侮れない。
ピーターが言うように、彼女の歓迎会が開かれたあの日―……僕達が派手に花火や爆竹を炸裂させた時も、昨日の糞爆弾事件の時も彼女は無表情で、僕達の存在を無視して淡々と行動をしていた。
それは腹立たしくもあり、同時に不気味だった。今までそんな反応をする人間は一人もいなかったからだ。泣くにしろ、笑うにしろ、怒るにしろ―……そこには何かしら感情の動きがあった。しかし、彼女―……ソフィアにはそれがない。
“人形”
その表現がしっくりくるような人間だった。
「……あのポーカーフェイス、いつか必ず剥いでやる。なあ、ジェームズ?」
形の整った薄い唇を歪めて好戦的に語る親友に、勿論、と僕も笑みを深めた。不気味だが面白いおもちゃを見付けた。僕達全員がそう思わずにはいられなかった。
++++++++++++++++++++
「……でっ?どうして、あなたが私の部屋にいるんですか?ルイ?」
「いや、我が伴侶の新居がどんな所か気になってね」
……一体、どこからこの場所を嗅ぎ付けて来た。
夕食の準備で忙しいこの時間帯に現われやがった魔王に対して、沸き上がってくる感情は当然苛立ちである。……って、ここの生徒は夜間外出禁止だったはずで―……何考えてるんだ、コイツ。
「テッド。お前のそのMAGはとても美味だが、今日はMAGではなくお前の手料理を食べたい気分なんだよ」
大根の切れ端が派手に吹き飛ぶ。どうやら、切る時に余分な力が入り過ぎたようだ。原因は当然奴の一言である。
「危ないな。愛する私が来て緊張しているのは分かるが―……」
ヒュン……!と、空気が音を立てる。私の投げた大根の切れ端は、ルイの顔面ど真ん中にいい音を立ててぶつかった。
「―……それ食べたらとっとと出ていって下さい」
何の因果でルイにご飯を作らなきゃいけなかったのか―……これで料理の文句を一言でも言おうものなら即刻叩きだしてやるのに、美味しそうに食べるから逆に始末が悪い。
「……ふむ。和食も悪くはないな。テッド、もう一杯くれないか」
「乞食ですか?あなたは」
呆れて口が塞がらないが、MAGを食べられるよりはマシか。人間と同じ満腹という概念が悪魔にもあるかは分からないけれど、とっとと食わせて帰らせてしまおう。強く、そう思った。
「……お前が和食や和室にこだわるのはあの人間の影響か?」
ルイの一言に、おひつからご飯をすくう手が一瞬止まる。
「……はい。よそいましたよ」
茶わんを乱暴に差し出せば、ニコニコと楽しそうに笑みを浮かべたルイと目が合った。
「まったく……、お前ほど分かりやすい人間はいないよ。テッド」
非番の日だったにも関わらず余計に疲れた。込み上げてきた疲れを、私は白米と一緒に咀嚼した。
ああ……明日こそ楽できますように。