空即是色
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はじめに神は天地を創造された。
地は混沌にあって、闇が深遠の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。
「光あれ」
こうして光があった。
神は光を見て良しとされた。
神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
夕べがあり、朝があった。
第一の日である。
《空即是色》
アレフ……そしてテッドよ。君達もそうだが、私もセンターの計画に従って作られた人間だ。
ザインだった私がベスよりもダレスよりもギメルよりも、そして君達よりも優れていたのは何故か?
神はTOKYOミレニアムを見捨てられていた。今の人間がいる限り理想の世界は実現不可能だと知っていたんだ。
だから、メシア教徒や天使達が理想世界……千年王国を造ろうとしても神は救世主を使わさなかった。
センター元老院は現われない救世主を造り出そうとした。それがメシア・プロジェクト。
あの日―……方舟でザインだった者―神霊サタンと対峙したあの時……私の瞳からは涙の一つだって零れてこなかった。
……改めて突き付けられたような気がした。ああ……私には心がないのだ、と。
誰とは言わない。誰かは分からない。だけど―……確かにそう言われたような気がした。
「……」
「(ほう……目覚めたようじゃな)」
深海の底から一気に海面近くまで無理矢理引き上げられたかのような気持ち悪い浮遊感が私を襲う。少々痛む……いや、正直体を動かそうとするだけで刺すような激痛が走るが、痛覚が正常に脳に信号を送っているところから察するに、私の神経は無事だということだろう。
右手に力を込めれば、微かだが指はしっかりと動いた。神経が繋がっているという証拠だ。加えて、締め付けるように巻き付けられている白い包帯の感触。毛布の柔らかな感触―……どうやら触覚も正常のようだ。この分だと、幸いな事に他の手足も欠けることなく胴体とくっついている事だろう。
ただし、この焼けるような痛みと皮膚が突っ張る感覚から察するに包帯の下はお世辞にも綺麗な状態だとは言えないだろうけど。
「(……ここはホグワーツじゃ。そして、おぬしはこの城の周りを取り囲んでいる森の中に倒れていた)」
身体の状況把握を一通り済ませると次に気になるのは、やはり、自身を取り囲んでいる状況で―……しかし、怪我の影響からか首を動かす事すら今の私には億劫で、私の狭い視界に映る風景は殺風景な白い天井だけだった。
ただ、その状態でも嗅覚が働くには何ら不都合はないため、漂ってくる鼻を突くような薬品の匂いから、今、私がいる場所は治療施設かまたはそれに近しい施設だろうという仮説を立てるのは難しいことではなかった。
「(……大丈夫かの?)」
私の視界に天井以外の何かが映り込む。高い鉤鼻、流れるような銀色の髪。顎髭に口髭を生やした一人の老人。半月型をした眼鏡の奥では薄い青の瞳が輝いていた。
……結論。誰だ、こいつ。
「(ほほ……驚かせてすまんのう。わしの名はアルバス。アルバス・ダンブルドアと名乗っておる)」
唖然とする私の目の前で、先程の老人が何やらずっと喋り続けているが、生憎、私にはその意味を理解することが出来なかった。
当たり前だ。このような言語、私は聞いたことがない。
「……ッ!!」
痛みの波が再び私に襲い掛かる。生理反射的に苦悶の表情を浮かべれば、そんな私の様子に目の前の老人は顔を曇らせた。
「(やはり、そうすぐに治るものでもないようじゃな。おぬしの怪我はたいそう酷いものでのう。完治するまでに時間が―……)」
「……ディア」
白い殺風景な室内を白い光が包み込む。光の発信源は私だった。
ディア。細胞を活性化させ細胞の自己修復能を強化する初歩の回復呪文。体内に残存している魔力がごく僅かである事は、身体の異常な重さから想像可能だが、初歩の魔法程度であれば今の私にも行使出来る。生憎、全快というには程遠いが何もしないよりはマシというものだろう。
その証拠に先程まで波のように襲ってきていた焼けるような痛みは既に引いていて、そこまでして私は初めて深く息を吐いた。
「(校長……!これは一体……!)」
私でも老人でもない。突如、生まれた第三の音の源へと私は視線を注ぐ。そこには―……
「(……あの光……!そして……我々がエピスキーをかけても全く癒える気配を見せなかった傷が何故、このような短時間でこれほどまで綺麗に……!)」
「(落ち着くのじゃ、ミネルバ)」
そこにいたのは、一人の妙齢の女性だった。黒い髪をきつく後ろでまとめ、背は高く四角い眼鏡をかけている。常時であれば、彼女はさぞ厳格な人間に見えることだろう。……あくまで、常時であればだが。
今の彼女からはその厳格さは見受けられなかった。
パリン……と音を立てて砕け散るガラスの瓶。彼女の手から零れ落ちたガラス瓶が鉱質な音を部屋中に響き渡らせる。
彼女の瞳に浮かぶ色は、驚愕とそして僅かばかりの恐怖の色。その瞳は私一人へと、確かに向けられていた。
老人と女性―……二人の話し合いとも言い争いともつかない声がひっきりなしに私の耳をつく。言葉の意味こそ分からないが、おそらく話の争点になっているのは私なのだろう。証拠に二人の視線はいつの間にか私へと向けられている。
「……あの」
今まで黙っていた私が急に言葉を紡いだためか、二人の肩(特に女性の方)が一度縦に跳ね上がる。
……うん。今まで喋る事すら面倒だと思って黙っていたのだが―……これ以上黙秘を続けるのはもっと面倒……というより厄介な事になりそうだ。
「助けて下さったことにはお礼を申し上げます。しかし、一体、ここはどこでしょうか?拝見したところ方舟でも東京でもないようですし―……それに私はYHVH達と共にいたはずなのですが―……」
「YHVH!?」
「YHVH!?」
老人と女性の声がピタリと重なる。その声には明らかな動揺の色が見え隠れしていた。
どうやら向こうもこちらの言語は分からないようだが、YHVH―……私にとって忌々しくて仕方がないその単語だけは二人に通じたらしい。
しかし、その単語だけが通じたところで、現在、私が置かれている状況がどうとなるわけでもない。どうしたものかと、私は再び思案すべく自身の視線を下へと向け―……
「……えっ?」
―……状況。何だか件の老人が私に向かって細い棒切れを突き付けています。以上。
いきなり何を言いだすのかと問われれば少々困るが、仕方がない。だって、実際にそうなのだから。他に言い様がないのだ。まったく意味が分からない。この老人はこれで私を脅しているつもりなのだろうか?もしそうであるのなら、この老人には頭の治療を強くお薦めする。
「……ッ!!」
……かと思えば次の瞬間、暖かな風が私の周りを取り囲んで―……
「……どうじゃ?これで言葉が通じるようになったじゃろ?」
「……はあ。確かに」
老人の反応を見るかぎり、確かに私の言葉は通じているようだ。満足気に頷く老人を横目に、私は今自身の身に起きたことを考えていた。……どういう原理だ、これは。
「さて、おしゃべりも出来るようになった。改めて自己紹介するとしようかのう。わしの名はアルバス。アルバス・ダンブルドアと名乗っておる。そして、こちらがMsミネルバ。二人ともここホグワーツで教鞭を取っている者じゃ」
老人はダンブルドアと名乗った。いかにも人の良さそうな笑顔を作ってはいるが、半月型の眼鏡の奥にある瞳には射ぬくような鋭利な光が宿っている。私を信用していない証拠だろう。
有り難いんだか有り難くないんだか、この手の表情は腐るほど天使どもで見てきたのだ。笑顔の裏に何かがあるくらい手に取るように分かる。
「はあ……私はソフィアといいます。先程と同じ質問になりますがここは方舟でも東京でもないのですか?」
しかし、裏に何があるかまでは分かってもそれが何かまでは私には分からない。結局のところ、今の私が現在の状況を知るにはこの二人に尋ねるしか手段がないのだ。本当に面倒だ。
「それなんじゃがのう……おぬしは森の中にいきなり現われたんじゃ。酷い怪我を負ってな。マダムポンフリーの薬を毎日使っても数か月は身体を動かすことも叶わぬというほどのそれは凄惨な有様じゃった。しかし、おぬしは我々の前で一瞬にしてその傷を癒してみせた。これは並々ならぬ事じゃ。結論から言おう。おぬしは―……」
「……何者か?ですよね」
今までまったく動じる気配を見せなかった老人が、ここに来て初めて目を大きく見開いたのを私は見逃さなかった。
何者か―……ねえ……
お前は何者だと問われて直ぐ様万人が納得できる答えを返せる人間は、この世界に一体どれほどいるだろうか?
その質問が来る事までは容易に想像できていたが問題はここからだ。答えを探すために私は再び口を閉ざした。
別に生まれも生い立ちも隠すつもりは更々ないが、私の生い立ちや経歴は自分で言うのもあれだが、正直、特殊でそれを一から説明するとなるとそれなりに労力が必要になる。……結論。面倒だ。
お前の思考基準は面倒であるかないかの二進法しかないのか?……と、尋ねられれば私は胸を張ってこう答える。それ以外に何がある、と。
「……やはり、答えてはくれぬか。しかし、そうなるとわしはおぬしに対して開心術を使わねばならなくなる」
「……校長!いくらなんでもそれは……!」
「……聞くのじゃ、ミネルバ。おぬしも教師なのじゃから分かるじゃろう?わしらがせねばならぬ事は、第一にここにいる生徒達の安全の確保じゃ。人助けではない。それに今は時期が悪い。この少女があちらが送り込んできた間者だという可能性も捨てきれん。先程、彼女の言ったYHVHという言葉も引っ掛かる」
「……しかし、そんな!だって、彼女はここで学んでいる者達と同じ年頃なのですよ!それをよりにもよって開心術なんて!」
私が質問の答えを考えあぐねているうちに、どうやら再び二人の言い争いが勃発したようだ。まあ、先程までの言い争いと異なる点を上げるとするならば、今度は私もその内容を理解できるようになった点だろうか。
さて、二人の話を聞くかぎり(盗み聞きするまでもなく聞こえてくる)、老人の言う開心術というのは人の記憶を他者が覗き見するための術のようだ。対象の大脳や海馬に流れる電気信号を自身の脳内で再現して術者が読み取るのだろうか?そもそも記憶は曖昧で不確かなもの。単純に信号として読み取ることなど出来ないはずだが―……先程の翻訳技術といい原理は私には分からなかった。
……話を戻そう。どうやら、老人はその開心術とやらを私にかけたがっているようで、一方、女性はその術を私にかけることに難色を示していた。
あちらからすれば私は得体の知れない人間だ。老人の反応はある意味当然といえる。私からすれば得体の知れない私をかばう女性のほうが理解できない。
……しかし、開心術か。まあ、確かに他者に記憶を覗かれるというのは気分のいいものではないのだろう。普通は。だが、私の場合―……と、言うより、今、私が置かれている状況を客観的に考えた末の結論だが……
「……すみません。その開心術というのは、受け手は怪我を負ったり、死ぬ危険性があるのでしょうか?」
「いや、その心配はないが―……」
私の質問に対する言葉の歯切れは悪くない。……どうやら身体に悪影響がないというのは事実のようだ。最終確認はOK。
「じゃあ、いいですよ。どうぞ」
当然とばかりにそう返せば二人の動きがピタリと止まった。いや、そっちが言い出したんだろうが。
「いいのですか?開心術というのは―……」
「……怪我の危険も死の危険もないんですよね?えっと……ミネルバさん?」
おずおずと尋ねるミネルバと呼ばれた女性に先程と同じ質問を繰り返せば、彼女は一度だけだがしっかりと頷いた。
この人達に記憶を知られたとして、私が困ることは一つもない。まあ、私を生み出したミカエルをはじめとしたセンターの四大天使どもは、私の記憶が外へ漏洩することを良としないだろうが……あいつらの事情など私が知るところではない。
第一、奴らは既に滅びている。私と兄達の手によって。
「……本当にいいんじゃな?」
「ええ。一からしゃべるのも面倒ですし、どうぞ、お好きなように」
「……面倒って……あなた」
不安で歪んでいたミネルバの顔が一種の呆れを含んだものへと変化する。いかにも厳格な女性といった印象を受けるが、こうしてみると彼女は意外と感情が豊かな人なのかもしれない。
「……おぬしは変わった人間じゃのう」
「そういう性分ですので。それにこれは対価だと思っていただければ結構です」
「……対価とな?」
「……こちらの質問にお答えしていただくための対価です。ここがどこで、いつで、あなた達が何者であるか。等価交換―……これは真理です。言っておきますが、私の記憶、楽しいものではないと思うので―……あしからず」
しかし、これからどうなるんだろうか?
“レジリメンズ”という老人の言葉を合図に、私の意識は過去へ過去へと記憶の濁流を遡っていった。