Hetu-Phala
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―……何か一つ大切なものを……―
あんのジャリガキ……ッ!
《Hetu-Phala》
滝川 法生
大字粗戸/眞魚川
昭和78年 8月3日
AM2:20
「―……っう、おいおい一体何がおっ始まったって言うんだ?」
目が覚めたら、そこは雪国じゃなくて黄泉の国でした。
「なーんてオチじゃないよな?―……っててて」
酷く古典的な方法だと思うが、思いっきり頬をつねればヒリヒリとした痛みが走った。実は黄泉の国ではなくただの夢でしたという展開を個人的に強く所望するが、痛みを感じているにも関わらず一向に場面が変わらないところから察するに―……
「現実―……か」
とんでもない状況になったと自分でも思っているにも関わらず、俺がやけに落ち着いているのは、無理にでも冷静にならなければこの状況を受け止めきれないと頭のどこかで悟っているからだろう。
いや、じゃあ、お前は既に全て飲み込んで把握できたのかと問われれば否なわけだが。
「にしても―……」
深い黒い森の木々の間を生臭い風が抜けていく。生温いではない。生臭いのだ。それもそのはず。俺のすぐ横を流れている小川らしきものは一面血のような赤黒い色に染まり、空から延々と降り注いでいる雨粒さえ赤一色に染まっていた。
「さながら血河漂処(けつがひょうしょ)だな、こりゃ」
いつぞやの寺で見た地獄絵図を彷彿とさせるような光景に、一筋冷たい汗が背中を伝っていった。
「……ん?おい!」
夏にも関わらず降り続く赤い氷雨が木々の葉を濡らす。不気味な静寂を切り裂くように響き渡った鈍い重い大きな音に、俺は反射的に耳を塞いだ。
音の正体は人間だった。一体、今、何が起きたのか?
たった今起きた状況を整理し終えると同時に、俺は音の主の元へと慌てて駆け寄った。当たり前だ。崖から真っ逆さまに落ちてきて無事なはずがあるわけない。
「……おい!しっかりしろ!」
男は身動き一つしなかった。改めて仰ぎ見る崖の高さに“死”という一文字が頭を掠める。この高さでは……俺がそう思ったその時だった……ッ!
「ウワァアアアアア!?う、動きやがっ―……って、お前まさか須田か?」
「待ってください!……俺……俺……さっき警官に胸を射たれて……!傷……傷が!?う、ウワァアアアアア!」
大の男二人の噛み合わない絶叫が虚しく黒い闇に吸い込まれていく。いや、お前、俺に詰め寄る前にちょっと落ち着けよ。
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松崎 綾子
大字浪羅宿/取辺集落
昭和78年 8月3日
AM 2:10
「いたた……っ。ここ一体どこよ?」
瞼を開くと同時に全身を鈍い痛みアタシを襲う。それもそのはず。アタシは固い地面の上に変な体勢で突っ伏していたのだ。だから、この痛みの説明は簡単に出来る。おかしいのはそこではない。じゃあ、痛みではなく何がおかしいのだと言われれば―……
「……どうして、アタシ、こんなところで寝てんのよ?」
そう。そもそも自分がこんな所で突っ伏している事自体、不思議を通り越しておかしかった。っというか、いつの間にか服も寝巻から普段着になってるし……。昨夜、アタシは確かに神代家の布団で眠りに就いたはず―……その証拠に、自分の隣にいた結衣のアホな寝顔もはっきりと覚えている。にも関わらず、起きてみれば―……
後ろを振り返れば闇一色に潰れた不気味な森。一方、前を見れば朽ちて久しいボロボロな廃村が広がっている。どこのB級ホラーのセットよ。
悪い冗談。悪い夢。
自分を騙そうとする都合の良い言葉が何度も脳裏を過る。
だけど、全身を襲う鈍い痛みに否が応でもここが現実なのだと思い知らされた。
「せんせーい。どうなっちゃってんですか?ここどこなんですか?何かもう滅茶苦茶ですよぉ。訳分かんなすぎい」
「車にいろと言ったはずだ」
「そぉんな事より何が起きてるんですかぁ?何なんですかぁ、これぇ~」
不意に耳に飛び込んできた今までなかった二つの声に心臓が一つ強く脈打った。
人がいる!
間違いない。アタシ以外に誰かが近くにいるんだわ!巫女のくせして情けないなんて、ここにあの姉妹がいたら言われるかもしれないが、生憎、こんな意味不明な状況にいきなり巻き込まれて平然といられるほど、アタシは図太く出来ていない。体は―……動く!よし……!
軋む体に力を入れて立ち上がろうとした、まさにその時だった。
「えっ……?」
生温い風が一陣、アタシの横を吹き抜ける。風が吹き抜けた先に、今、一瞬見えたあの子供は一体……。
「……誰だ!そこにいるのは!!」
「……キャアア!!」
「せんせえ?それっ……!って、本物の拳銃ですかぁ~?」
男の怒声とアタシの悲鳴。そして、若い女の間の抜けた声が辺りに響く。
本物云々の前に見ず知らずの他人に銃口突き付けられるってどういう状況よ!?
シトシト冷たい赤い雨は降り続く。
ああ……結衣に麻衣。今は無償にあんた達姉妹の平和な間抜け面が恋しいわ。
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滝川 法生
大字粗戸/眞魚川
昭和78年 8月3日
AM 2:30
「……ったくよー。いきなり足首掴みやがって。一瞬、心臓止まるかと思ったんだからな?」
「すみません……!じゃ、なくて!!俺、射たれたんですよ!ついさっき!なんか変な警官に追い掛けられて―!そうしたら弾みで崖から転がり落ちて!」
「へぇ―……んじゃ、射たれたってどこを?」
「だから、左胸を―……!えっ……?」
赤い雨が俺と須田に降り注ぎ容赦なく濡らしていく。
俺が何を言いたいか分かったのだろう。俺の前に突如、文字通り降ってきた男は、唖然とした面持ちで自身の胸元を見つめ、何度も何度も確認するように擦っていた。
「嘘だろ……確かに左胸を射たれたはずなのに……なんで俺―……」
「そういう事。まあ、銃云々は置いておくとして、だ。よくもまあ、この崖から滑り落ちてきて平気だったな、須田少年。案外、お前本当は死んでたりして?」
「はあ?」
「冗談、冗談」
どこか抜けた俺の言葉は、このおどろおどろしい世界でやけに場違いなものだったことだろう。こんな軽口が口から飛び出したのは、見知った顔に出会えた安心感からだろうか?
しかし、須田少年はそんな俺とは対照的に表情を曇らせる。
「どうして俺の名前を知ってるんですか……?っつーか、あなた誰ですか?うっ……頭がまた……」
「ちょ―……!そりゃあ、お前と会ったのは昨日が初めてだったけどよ。っう……!?」
俺と須田の間に生じている奇妙で不気味なズレに漠然とした不安が募る。
雨は止む気配をみせない。
……その時だった。強い痛みが俺を襲ったのは。
視界にノイズが走る。今、見えた白い子供は―……
「……今、私と共感したでしょ?あなた……それともそちらの方かしら?まあ、いいわ。あなた達“幻視”が出来るのね」
「……―!?」
背後から聞こえてきた声に反射的に印を結んで振り返れば、そこにいたのは赤い法衣で身を包んだ妙齢の一人の女だった。
「……あなたは誰ですか?」
「とにかく、私の言うことを聞いて一緒に来て?ここ……危ない感じがする。ついて来て」
「……」
俺の質問の答えを女は返さなかった。
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松崎 綾子
大字浪羅宿/取辺集落
昭和78年 8月3日
AM 2:40
「では、気が付いたらここにいただと?そんな馬鹿げた話……一体、誰が信じる?」
「そんな事言われても事実なんだから仕方ないでしょ?それこそこっちが聞きたいくらいよ。……お言葉ですけど、そういうあんた達こそどうしてこんな場所に?しかも、わざわざこんな時間」
雨垂れが木々の葉を叩く音だけが静かに響く。見方を変えれば風流なはずのその音も、状況が状況なだけに今はただ、不快なだけだった。
「私達は羽生蛇村に伝わる民話や風土記を調査しにきたんですよぉ~。ここって、その手のマニアや民族学者の間じゃ、今、一番ホットなスポットなんです。ねえ~先生」
「……はっ?」
アタシと男の間でピンと張り詰めていた緊張の糸が、突如ブツりとブッた切られる。思わずその原因となった人物へと視線を向ければ、緊張感も緊迫感の欠片もない笑顔が返ってきた。
「えっと~……私の名前は安野依子って言います!でっ、こっちの渋いイケメン!な先生の名前は竹内多聞先生で~すぅ!」
よく言えば屈託のない笑顔。悪く言えばアホ面。
自分のみならず連れの分まで自己紹介をすませると、依子と名乗った少女は、多聞と呼んだ男性の腕に楽しそうに自分の腕を絡めた。
一方、多聞の方はと言えば―……ああ、可哀想なぐらいため息付いてるわね。
このまま行くと多聞は苦労のあまりハゲてしまうかもしれない。……と、思わず他人事ながら同情をしてしまった。いや、ハゲる云々については根拠がないけど。
「はあ……君、名前は?」
「えっ?アタシ?」
「不本意だが、私達は名乗ったんだ。そちらも名乗るのが筋だろう」
不本意っていうか勝手にそっちが名乗ったんでしょうが。……って、思ったところで始まらないわね。下手に機嫌を損ねて銃で射たれたんじゃたまったものじゃないし。
そこまで思考を巡らせて、アタシは口を開く。名乗りはするわ。だけど、今は―……
「分かった。名乗るわ。でも―……」
アタシ達の周りを取り囲んでいた空気が変わる。……目覚めた時から気付いてはいたけど、不気味な気配がはっきりとした形を取って近づいて来たのがわかる。
「……えっ……?やだ……これ……なに……?……これ……」
「これは……!」
「……っう……!!」
ザザッ……とまるで砂嵐のようなノイズが頭をよぎる。それに伴って現われた眩暈にフラフラと体がぐらついた。頭を押さえて横を伺えば、アタシと同じように頭を抱え込んだ二人の姿があった。
「―……分かった」
「……そういう事。ここを無事に抜けられたら名前でも何でも話すわ」
「せんせぇ~?それって、どういう事ですかぁ?」
「いいか、今度こそ私の言う通りにしろ」
「えっ?わ、分かりました!」
はあ……。とは、言ったもののアタシ一人でどこまで―……いいえ、弱音を吐いている場合じゃないわね。
崩れてボロボロになった通りを三人連れ立って歩く。細いライトに照らし出されたその道は地獄かどこかに通じているように思えてならなかった。
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ジョン・ブラウン
大字粗戸/眞魚川
昭和78年 8月3日
AM 5:07
「あんたはんは―……?」
まるで長い間ぬるま湯にでも浸かっていたような気持ち悪い感覚が押し寄せる。僕が目覚めた時、僕を待っていたのは滝川はんの少し面白い寝相や渋谷はんの仏頂面ではなく、にわかに信じがたい光景だった。
まだまだ闇の色が色濃く残る空に身の毛もよだつ唸り声が響いている。
獣―……いや、違う。
無意識にいつも首から下げているロザリオへと手が伸びる。冷たい銀の感触―……どうやら、悲しい事にこれは夢ではなさそうだ。
それにしたって、目覚める瞬間に見たあの白い子は一体どこに消えたのだろうか?
「八尾さん……皆、何処に……あ、あなたは!!」
「待っと下さい!僕は怪しい人間じゃ―……あれ?あんたはんは―たしか―……」
闇色に塗り潰された世界に新しい黒が継ぎ足される。
普段、僕がミサで身に纏うのと同じような夜のように濃い色をした牧師服。真ん中で綺麗に分けられた少し長めの短髪。髪型や着ているものは昨日と違うけれど、間違えるはずがない。
「吉村はんでっしゃろ?吉村はんこそどうしてこんなところにおるんですか?」
「あなたは……!どうしてその名前を……!?」
僕のその言葉を聞くや、吉村はんは一度目を見開いたかと思うと、カタカタと歯を震わせ始めた。もしかしたら失礼な事を言ってしまったのかもしれない。だけど、そう考えてみても吉村はんのこの尋常じゃない取り乱し方は説明が付かなかった。
「……うっ!?」
「……Ohッ!?」
突如、強い眩暈と頭痛が襲う。耳鳴りするような感覚に酔いそうになった。隣から漏れ出た声にまさかと思えば、吉村はんも僕と同じように頭を抱えているのが分かった。
―……ァアアアア゙……―!!
「ひぃ……!!」
再び獣に似た声が響き渡る。その声を聞いた吉村はんの口から蚊の鳴くような悲鳴が漏れた。
「取り敢えず、今は逃げんと!はよ!こっちです!」
「えっ……!?ま、待ってください!」
僕は半ば強引に吉村はんの手を掴み駆け出した。結衣はんや麻衣はんみたいな強引な手だけれど、今は吉村はんとゆっくり話している時間はないのだから。
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谷山 結衣
蛇ノ首谷
昭和78年 8月3日
AM 3:20
「……」
ジャリジャリとした石と砂が容赦なく肌を突き刺す。まだ覚醒しきっていない頭を持ち上げて回りを見回せば―……そこは……どこだ、ここ。
鬱蒼とした森は変わらず。赤い雨も変わらず。ただ、地形が変わりさっきまであったはずの赤い川が消えていた。
もう一度目が覚めたら、次はふかふかな白い布団の中で美味しそうな朝ご飯の香りがして―……なんてことはやっぱりなかったわけだけど―……でも、それにしたってどう考えてみたって、ここはさっき私が警官に襲われた時にいた場所じゃなかった。
順当に考えれば、私が気を失っている間に誰かが運んだって所なんだろうけど、既に一度、幸せな布団の中から不気味な森の中への移動を経験しているのだ。今更、知らないうちに場所が少し変わったぐらいで騒ぐ程のことではないのかも―……いいや、やっぱりおかしいでしょ!?この状況!
じゃなくて!っうか、そうだ!その前に夢、夢だよ!あの夢は―……
「……!?」
「……あなたは」
不意に生じた強い白い光が闇に慣れた私の目を焼いていく。あまりの眩しさに薄目で光源の方を見れば、その光が人工の懐中電灯のものだと言うことが分かった。
……えっ?でも、待って……。この人、確か、昨日のお蕎麦屋さんで会った―……!
「――……!!」
音の代わりに虚しく空気だけが通り抜ける。
吉村さん!!
確かに、私はそう言葉を発したはずなのに―……!
「……」
「――……!」
もう一度、今度は一文字一文字、はっきり区切るように発声した―……つもりだった。
冷たい赤い雨が肌を刺す。自分の体に起きた異変。ようやくそれに気付いた私は、震える手で自分の喉を押さえた。
「……声が出せないのか」
どこまでも無機質な吉村さんの言葉が私の心臓に杭を打ち込む。
―……何か一つ大切なものを……―
あのジャリガキ……!!こういう事か!!って、これ、どーすんのよ!?