Hetu-Phala
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……私が契約すれば、皆助かるのね?」
「それはあなた達次第」
《Hetu-Phala》
谷山 麻衣
神代家
平成××年 8月31日
AM 10:00
「暇だー……」
庭の木々に止まった蝉達が今日も今日とて土砂降りの蝉時雨を降らせている。いくら濡れやしないとは言え、あたしは人間だから、いい加減こんな土砂降りの音の雨にうんざりしていた。
世間一般の夏休みの最終日に当たる今日。世の中のまっとうな学生諸君は課題という憎き敵と戦っている事だろう。その憎き敵とあたしが無縁かと言えばそうではなく、例外中の例外という事でその決戦の日が先延ばしになっているというだけなんだけど。
本当にうちの学校は孤児のバイトとかそういうのに理解があるところで良かった。まあ、それを知っていたからあたしも結衣姉もあの高校に決めたわけだけど。
そんなわけで、束の間ですが、少しだけ延長した夏休みにあたしは優越感を噛み締めているというわけです。
「おや、谷山さん?花の女子高生が白昼堂々プー太郎ですかー?」
「そーいう安原さんこそ、花の大学生がこーんなところで油売ってていいんですかー?」
不意に聞こえてきたよく知っている声に、あたしは首を反らして声の主を仰ぎ見る。上下が反転したあたしの視界に現われたのは、予想通り、一人の青年の姿だった。
眼鏡を掛けたこの少年の名前は安原 修。
結衣姉より一つ年上の安原さんは、なんと過去にSPRに事件解明を依頼した元依頼主なのである。
ひょんな事件―……いや、全然“ひょん”ってレベルじゃなかったけど、そんな事件で知り合った安原さんはSPRのメンバーに負けず劣らずのとても濃い人間だった。
一見すると人当たりの良さそうな柔和な笑顔。穏やかな物言い、物腰。穏やかさと言えば、我がSPRには癒しのエクソシストの異名を持つジョンがいるが、ジョンと安原さんでは決定的な違いがあった!それはズバリ―……!
胡散臭いか臭くないか。……である。
確かに安原さんはいつも笑顔だ。だけど!故にむしろ胡散臭く見えるのである!本人曰く、あだ名は越後屋。普段はニコニコしているけど、腹の中では何を考えているか分からないかららしいですよ~。……と、安原さんが素晴らしい笑顔で自信満々に答えたのは、はて何時の事だろう。
知っていてあえてやるのが安原流なのである。
ちなみに安原さんに体よく丸め込まれからかわれるのは専らぼーさんの役割だ。
こんな灰汁が一味も二味も強い安原さんだが、あたしはそんな安原さんが好きだった。安原さんとぼーさんのやり取りは抱腹絶倒の漫才を見ているようで、二人の気の抜けるような会話にあたしも、そして他の皆も勇気づけられてきた。
どんなにキツくて辛い時だって二人の会話を聞いているだけで、何とかなるさと思えるようになるのだから不思議である。もはやそれは魔法のよう。
そんな隠れたムードメーカーの安原さんだけど、安原さんが凄いのはそれだけじゃなかった。
「……ところで安原さん。その手に持っている大量の紙束ってまさかー……?」
「谷山さんの予想通りのものですよ。まあ、吉見家の時とは違って人海戦術をまだ使っていませんからそれ程集まってはいませんが」
あっけらかんとそう言い退けた安原さんの両腕に抱えられていたのは、そりゃあもう大量の資料だった。
「ちなみにただの紙束じゃないですよー。亜矢子さんに頼んで神代家の家系図やらこの家に伝わる古い資料をお借りしたんです。過去に神代家から神隠しにあった人間がいないとも限らないですからね。何らかの手がかりになるかも知れませんし」
……そう。安原さんの真の能力はその情報収集能力の高さだ。
安原さんはSPR内でただ一人、ESPやPKといった力を持っていない。しかし、それを補うほどの情報収集能力と点と点でしかない情報を論理的に組み立て線にする力を持っている。安原さんがもたらした情報が状況を打開する突破口になった事は数知れず。
今や安原さんはSPRになくてはならない強力な助っ人だった。
―……って、あれ?ちょっと前に聞き捨てならない単語、なかった?
「ちょいと安原さん?今、今回は“まだ”人海戦術は使ってないとか言ってなかった?」
「はい。ですから、今“から”人海戦術を使うんですよー。……っと、言うわけで行きましょうか、谷山さん」
「だよねー」
昨日もフィールドワークやったのに今日もかい!
「正確に言えば、フィールドワーク半分、デスクワーク半分ですね」
「嫌だー!もうちょこっと涼んでたい!」
そんな乙女の儚い祈りは、当然ながら露と消えるのでした。
++++++++++++++++++++
谷山 麻衣
羽生蛇村/バス停
平成××年 8月31日
PM 1:00
「あづーーい」
「谷山さん。アイスー……」
「くれるの!?」
「……は、あそこの駄菓子屋で安く売っているみたいですから、谷山さんも一本買ってきたらどうですか?生き返りますよー」
真上からもそして地面からも照り返す真夏の日差しがやる気を奪う。フィールドワークでヘトヘトになりながら、やっとの事で朽ちたプレハブのバス停に辿り着き、ようやく一息付けた矢先のこの仕打ちである。
もしかしなくても安原さんはナルよりずっと意地悪なのかもしれない。なんて、60円のアイスを美味しそうに目の前で頬張る少年を見ながら心底思った。
「……そんな恨めしそうな目で見ないで下さいよー。絶対こうなると思ってもう一本買っておきましたから」
訂正。安原さんはやっぱり超いい人だ。
今日の空の色と同じ色をしたアイスを齧れば、たちまち、爽やかなソーダの甘味が口の中一杯に広がり、体に籠もった熱を逃がしてくれる。その心地好さにあたしは自然と目を細めた。
「……結衣姉達、今頃神代家に帰ってきてんのかなー?」
「さあ。案外、滝川さんあたりの提案で外で道草をくってまだ帰ってきてないかもしれませんよ。この村は蕎麦で有名みたいですから」
安原さんのその言葉に姉達を羨んだのも束の間の話。蕎麦―……と言うにはおぞまし過ぎる食べ物の説明に開いた口が塞がらなくなった事は言うまでもない。
「あっ。でも、結衣さんは大丈夫なんじゃないでしょうか?」
「なんで言い切れるの?」
結衣さんの性格から考えるに、どう考えても一番安い掛け蕎麦以外を注文するとは思えない。と、ケラケラと安原さんはそう笑い飛ばす。
妹として姉の事を庇ってあげたいところだけど―……
「あははは!だよねー!」
姉の貧乏性をよく知っているあたしが庇えるわけがないのでした。
++++++++++++++++++++
谷山 麻衣
羽生蛇村/田舎道
平成××年 8月31日
PM 1:30
「……谷山さん……ですね」
「……誰ですか?」
田舎のあぜ道を湿気を帯びた南風が渡って行く。その風に今が盛りとばかりに大きく伸びた緑の稲達が踊っていた。
「……谷山さんの知り合いですか?」
「ううん……知らない人」
日中の焼けるような日差しがジリジリと照りつける。こんな暑い日の、一日のうちで一番暑い時間に外に出て黙って立っている人なんて、余程の変り者か狂人しかいないだろう。
その人は、それにも関わらず、田舎道の真ん中でポツンとたたずんでいたのだ。
短い黒髪。ナルとは違うけど、ナルと同じくらいに整った精悍な顔。年はリンさんやぼーさんとほぼ同じぐらいだろうか?切れ長の瞳。右頬の黒子が特徴的だ。綺麗な男の人。だけど―……
怖い。
初対面の見ず知らずの人にこんな感情を持つこと自体、失礼な事だということは分かっている。だけど、あたしの心が確かに警告するのだ。関わってはならない、と。理由は分からない。だけど、分かるのだ。この人は怖い人だ、と。
「……失礼ですが、あなたは誰ですか?」
「……吉村と申します。失礼ですが、あなたは谷山さんで間違いないですか?」
氷のように冷たくて射ぬくような眼光に、一筋、あたしの背を今までかいていた汗とは違う種類の汗が流れる。やっとの事で頷いたあたしを安原さんは不審そうに見ていた。
「……谷山さん。あなたには家族がいらっしゃいませんか?妹か―……姉か―……」
「結衣姉を知っているんですか?」
「……結衣―……」
吉村と名乗ったその人は姉の名を一度、あたしに続いて繰り返し呟いた。
無表情なこの人がどういう思いで姉の名を呟いたのか、あたしに窺い知る術はない。
「―……では、その結衣さんにお伝え下さい。一刻も早くこの村から立ち去るように、と」
「ちょっと、それってどういう……!!」
白い強い光が肌を焼く。
「そのままの意味ですよ。それにあなた方も早くこの村から出た方がいい。何故なら―……」
この村は呪われているから。
そう言い残すと、青年はあたし達の前から去っていった。後には唖然と立ち尽くすあたし達とむせ返るような強い草の匂いだけが残った。
++++++++++++++++++++
谷山 結衣
××××
××年 ××月××日
「……ここは……」
フワフワとした浮遊感が真綿のように体を包み込む。やけに重たい目蓋。このままずっと閉じていたいという欲求に狩られるが、気力を絞って私は目を開いた。そして、私の目の前に広がっていたのは―……
「……真っ白」
どこまでも広がる白の世界。自分が今どこにいるのか、この空間の上下すら分からない。ただただ何もない白い闇に、言い様のない不安が襲った。
「やっと、起きた。ずっと待っていたのよ」
「……あなたは?」
何もないはずの世界に不意に現われた新しい音。慌てて振り返れば、そこには―……
「こども……?」
「……かもしれないし、そうじゃないかもしれないわね」
そこにいたのは、この空間と同じ真っ白な姿をした一人の少女だった。
着ている着物だけじゃない。髪も瞳も全てが白一色で統一された少女。真砂子と同じように肩口で切り揃えられた髪が、少女の動きに合わせてユラユラと揺れている。
「ようやくあなたを見つけられた。待っていたわ。……ずっとね。……さあ、結衣。私と取引をしましょう」
「はあ?一体、あなた何を言ってるわけ?」
目の前の得体の知れない存在に、恐怖の感情がなくなったわけじゃない。
だけど、このまま―……こんなどう見ても10歳前後にしか見えない女の子に終始ペースを乱されるというのも癪で、気が付けば私はそんな事を口走っていた。
「……うん。あなたで良かった。こんなに度胸がある人間、彼以来よ」
「だから!彼とか以前にここどこ!?あなたは何!?それとも何?これただの夢なの!?」
慌てない、慌てない。そう言いたげに少女はひらひらと手を振る。
「夢ではないわね、残念ながら。ちなみにここがどこかとか私が誰かについては教えられない。……それで、取引だけど、あなたにとっても有益よ。この契約を結べば、あなたもあなたの仲間達もあちらで血の影響は受けなくなる。本来なら幻視は血の影響を受けなければ使えないのだけれど―……あなた達には元々霊的素養があるから大丈夫。ただ、血の影響を受けなくするために条件はあるけど」
少女の顔から先程までの笑みが消える。束の間の静寂に私の喉がコクりと鳴った。
「条件は二つ。一つはあなたの大切なものを一つ私に差し出すこと。これで一時的に呪からあなた達を解放することができる。ただし、これは一時的なもの。あなた達が現世に戻るためにはもう一つの条件を達成してもらう必要がある」
「……嫌だと言ったら?」
「あなたは二度と現世に帰れない。ううん、あなただけじゃないわ。見て―……」
音を立てずに少女が横に動く。少女の影の先にいたのは―……
「ぼーさん!?綾子!?ジョン!?」
「今は大丈夫。あなたと同じように眠っているだけ。あの方々もあなた同様に選ばせていただきました。あなた1人では条件を達成するのは難しいでしょうし……それに……もう私も疲れたんです」
そう語る少女の顔に浮かんでいるのは悲壮の表情だった。その表情に、私の中で沸々と沸き上がっていた彼女の理不尽な言動に対する怒りが急速に萎んでいくのが分かった。
「……私が契約すれば、皆助かるのね?」
「それはあなた達次第」
「言っておくけど、私、自分も助かる気満々だから。……皆揃って帰る。出来るのね?」
「……ええ」
「それじゃあ、さっさとやってよ。早く帰らないと。麻衣やナル達が待ってるんだから」
私の言葉が終わると同時に、何かが体を這いずり回るような気持ち悪い感覚が襲う。そして、また、目蓋が鉛のように重くなり―……
「……待って……もうひとつ……条件―……」
意識が自分の意志に反して遠退いていく。駄目。まだ、まだ聞かなくちゃいけないことが―……
「もう一つの条件それは―……」
”堕辰子を殺す事”
++++++++++++++++++++
谷山 麻衣
神代家
平成××年 9月1日
AM 8:00
「ナル!結衣姉が!結衣姉達が……!」
「……起きないんだな?」
「!?ナル、どうして知って……!」
「滝川さんとジョンも同じだ。息はあるが……今、リンと安原さんが淳さんと一緒に医者を呼んでいる」
言い様のない焦燥感と喪失感があたしを襲う。ガラガラと音を立てて世界が崩れるような気さえした。
蝉の声がただ不快で煩わしかった。