Hetu-Phala
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……ごめん、結衣……」
彼がそう呟いた事も知らぬまま―……
《Hetu-Phala》
谷山 結衣
黄泉比良坂
平成××年 8月31日 AM9:30
「ふぁあああ……」
「……でっけーあくびだな、おい。女の子なんだろ?めっ!」
「その言い方、正直気持ち悪いわよ」
「や~ねぇ。おばさんの嫉妬って」
「なっ……!アタシはまだ23よ!23!それにアタシがおばさんなら、あんたもジジイよ!ジジイ!!」
鬱蒼とした森の隙間から薄く光の粒が零れている。今流行りかどうかは知らないけど、図らずしも森林浴を楽しむ事になった私達一行の周りは、もれなく大量のマイナスイオンが取り囲んでいることだろう。
もっとも、そんなマイナスイオンごときじゃ、ここにいる俗世の空気に塗れた人間達を浄化するなんて芸当、とてもじゃないけど無理なわけだけど。
国道九号線。松江方面から安来方面に向かう途中にその場所はあった。ひょっとしなくても見失いかねない、住宅地にポツンと立つ標識。
“黄泉比良坂まで、徒歩あと三分”
……そう。私達は、今、日本神話由来の土地―……“常世”と“現世”の端境。黄泉比良坂へとやって来ているのだ。
標識の案内に導かれるように足を進めると、流石、坂という名称が付くだけあり、そこは緩やかな上り坂になっていた。
人の気配をまるで感じさせない静かで薄暗い山道。漠然とした不安を無理矢理押さえながら進めば、今度は下り坂が現われて、そして―……少し開けたその場所には、まるで神社の鳥居のように二つ、古びた石柱が建てられていた。
二本の柱を結んでいる細い縄は、おそらく“あっち”と“こっち”の境界を表しているのだろう。石柱の更に先では、石組の質素な台座の上に石碑が鎮座しており、不思議な空気が辺りを取り巻いているような錯覚に陥る。
石柱同様、長い間風雨に曝されたのであろうその石碑は何やら凄く寂しいもののように私には思えた。
だけど―……
「本当にこんなところで人が消えるもんなのかなー?」
「……よりにもよってお前さんがそれを言うか。お前さんが」
つい口についてしまった本音に、すかさずぼーさんの鋭いツッコミが入る。いや、だってそう思ったんだもん。仕方がないじゃん?
「大体、俺達がこーんなスピリチュアルな場所に来る羽目になったのも元を正せば結衣が見た夢のせいだろ?」
「だーかーらー、最初に言ったじゃん。ただの夢かもしれないって。それに私は麻衣と違って“こっち”方面が得意じゃないのは、ぼーさんだって知ってるじゃん」
そうなのだ。何で人捜しもとい神隠し調査をしているはずの私達が、オカルトマニアのメッカに観光客よろしく来ているのには一応の理由がある。全ては私が今朝見た夢のせいなのだ。
私には麻衣程ではないがESP―……超感覚と呼ばれる能力があるらしい。
……らしいと言うのは、麻衣のそれと違い私のESPは本当に不安定でイマイチ役に立った試しがなく、私自身、自分のESPに関して半信半疑なのだ。何より本人の制御が不可能だし。
麻衣であれば、対象や場所の“過去”の姿をサイコメトリして知る事も、体外離脱をして霊魂と接触したり対話をすることだって出来る。でも、一方の姉はと言えば―……ここまで言ったのだから後は察してほしい。自分で言ってて悲しくなってきた。
私の場合、“未来視”……先に起きる事を夢で見ている可能性があると、いつか私の話を聞いたナルは言っていたけど―……まあ、確かに、後々考えてみると、もしかしたらあの時の夢はこのことを言ってたのかな―……とか思うことはあるけどさ。
「やっぱりただの夢だったんじゃない?」
「でもさ、綾子。ただの夢にしては妙に一致してるんだよね。石柱があるところとかボロい石碑なんかがありところとか―……でっ、夢の通りだとするなら―……ジョン、あそこの茂みの影に石とか―……」
そう言って、私からは死角の、石柱の更に奥の茂みを指差せばそこには―……
「ありますなぁ……」
「でしょー?ううん……でも、何かが何かが違う気もするんだよね……」
「何かって、何?」
「それが分かったら苦労はないと思うよ、ぼーさん」
肩を落としながらそう語れば、そりゃそうだとぼーさんは一つ頷いた。
「さて、話は終わったかしら?だったらもう行きましょう。結衣の夢だって、今日、自分がここに来る姿を見ただけかもしれないし。それに―……」
「それに―……って、綾子?」
いつものちゃらんぽらんな顔じゃない。巫女の顔をした綾子は言う。
こういう所は、みだりに立ち入っちゃいけない。
ここは霊魂と精霊の集う場所。“霊場”なのだから。
……と。
季節に似合わない冷たい風が一陣、吹き抜ける。振り返れば、さっきまでは何とも思わなかったのに、朽ちた石達が何故かとても不気味なものに思えた。
++++++++++++++++++++
谷山 結衣
羽生蛇村
平成××年 8月31日 PM0:00
「んで、それどーすんの?ぼーさん」
「……言うな。何も言うな」
「“三隅の地、羽生蛇の名産といえば羽生蛇蕎麦です。他に類を見ない、まるで輪ゴムのような弾力と強いコシの麺。また、スープも独特の味で甘さと辛さの絶妙なバランスがこの麺を更に美味しく引き立てます”
―…ですって」
時刻はお昼の12時。絶好のお昼時。腹が減ってはなんとやら。もう少し車を走らせれば神代家に着くのは分かってたんだけど―……
“どうせ、ここまで来たんだから地のものを食べたくないか?”
ぼーさんのその一言が悲劇の始まりだった。
「なんで、オススメを頼むとそれが出てくるんだろ?」
「言うな……知らん。考えたくもない」
でん!と、ぼーさんの目の前に置かれた一杯の蕎麦。いいや、蕎麦と呼ぶにはおこがましい汚物は、あり得ない臭気を湯気と一緒に立ち上らせ、私達四人の食欲を綺麗に削ぎ落としていった。
少し考えてみてほしい。盛岡冷麺を彷彿とさせる無駄に……ほんっとぉおおおおに無駄な弾力を持った麺。出汁こそ普通の鰹だしと言うことだが、酢、酒、唐辛子、そして大量の砂糖をぶち込み味を整えたというキチガイスープ。そのスープの上では肉と苺ジャムが仲良く味の世界大戦を繰り広げているのだ。……冒涜だ。完全に食に対する冒涜である。
「ま、まあ、意外とイケる口かもしれへんですし……」
いつもなら癒しのはずのジョンのフォローが今はただ虚しい。
ってか、イケるって逝けるの間違いじゃないの、これ?
ちなみに、意を決して一口口に含んだぼーさんは、私が今まで見たこともない素早さでトイレへと駆け込んでいった。
合掌。
お金がないからと、一番安いかけ蕎麦を選んどいて良かった。本当に良かった!!
「んん!やっぱり、これを食べると羽生蛇に帰ってきたって気がしますね!」
「……吉村さん。よくそれ食べれますね」
「須田君もどうです?これを食べなきゃ羽生蛇に来たとは言えませんよ?」
「いや、俺、お腹減ってないんで……」
そんなとんでもない会話が私達の耳に飛び込んできたのは、心なしかげっそりとやつれたぼーさんが席に戻って来た、まさにその時だった。
当然のように隣のテーブルへと向けられる私達の視線。そこにいたのは二人組の若い男性達だった。
一人はぼーさんと同じくらいの年の男性で、とても整った顔をした青年だった。上品で穏やかな顔をして、あのゲテモノ麺を美味しそうにすすっている姿は、そりゃあえげつないもので、何もかもぶち壊しである。
そして、もう一人。その人は青年と言うには少しばかり若く―……そうだな、私や麻衣と同い年ぐらいの男の子だった。綺麗に染められた茶色の髪。少年のあどけなさが残る顔は、今は私達と同様、盛大に顰められていた。そりゃそうだ。あんなものを目の前で食べられたら誰だってそうなる。私もそうなる。
「美味しいッスか?それ……」
あまりの光景に呆気を取られたぼーさんが、ついにそんな言葉を口にする。
こら、ぼーさん!そんなのに話し掛けるんじゃありません!
「慣れですね」
その一言に時が止まる。ただ、一人。事の発端になったゲテモノ食いのお兄さんは、太陽のように眩しい笑顔を浮かべて汚物を食べ続けていた。……慣れって、マジっすか、それ。
「自己紹介が遅れました。私の名前は吉村孝昭と言います。そして、こっちの彼は須田恭也君。旅の途中で知り合って、彼もここ島根に用があると言う事だったので一緒にここまで来ちゃいました」
どうやら、ゲテモノ食いのお兄さんの名は吉村さんというらしい。んで、こっちの少年が須田君―……よし、覚えた。
吉村さん曰く、二人は同じバックパッカーで旅の途中で意気投合。互いの目的地が同じだと言うことも相まって一緒に旅をしてきたと言う事だ。
「そうなんですかー。じゃあ、吉村さんたちはここまで観光に?」
「いいえ。彼は違いますが、私はこの村の出身でして。本当は家業の教会を継がなくてはいけなかったんですが、親に決められた道を歩くのが嫌で逃げちゃいました」
てへペロ。
今の吉村さんを表すのにこれ以上相応しい擬音はない。
本当は私も家を捨てて逃げるのは忍びなかったのですが―……とか、なんとか言ってるけど絶対嘘だ!だって、吉村さん、ウルトラホームラン級のとびっきりの笑顔で話してるもん!
ちなみに、ここ羽生蛇に寄ったのはただの冷やかしだということで―……なんて自由な人なんだ……この人。
そして、そんな自由過ぎる人と呼応するのは、やっぱり、我が家の自由な人だった。
「分かる!分かります!吉村さん!大体、寺とか教会ってやつは、やれ戒律がどうこう教義がどうこう煩くて仕方ない!」
「おお、あなたは!!」
「ああ、俺、滝川法生って言います。俺も実家が寺なもんで小さい頃から親が煩いのなんの……!」
破壊僧が二人に増えおった……いや、吉村さんは牧師だから、破壊牧師?
ますます熱くなる二人の姿に、私を含めた周りの人間が生温い視線で見つめていたことは言うまでもない。
「えっと―……須田はんでええでっしゃろか?須田はんはどうしてこの村に?」
いつまでも埒があかない二人に最初に見切りを付けたのはジョンだった。ナイス、ジョン。ジョンの空気を読むスキルの高さにはいつも関心させられっぱなしである。外人なのに日本人以上なのだから素晴らしい。
突如、話を振られた須田君はと言えば、頭の切り換えがまだ終わっていないのか、キョトンとした顔でこちらを見つめていた。
「俺―……俺ですか?そうですね―……友達との約束があるからですね」
そう答える須田君の顔はどこか怖いぐらい大人びていて―……ん?どうして私の方を見てるんだろ―……って、それは流石に自己意識過剰か。
「……あっ、俺、まだ聞いてなかった!皆さんの名前は?」
「私は、谷山結衣。んでもって―……まあ、ぼーさんはさっき自分で言ってたからいいでしよ?んで、こっちの少しケバいのが松崎綾子。それで、こっちがジョン・ブラウン。私達、もうしばらくこの村にいるから、また会えると思うよ」
さっきの大人びた顔はきっと気のせい。
少年のように人懐っこい顔をして尋ねる須田君に軽く自己紹介をして、私は席を立った。そう、睨まないでよ、綾子~。
少し腹ごしらえをするつもりが、もうこんな時間。いい加減、神代家に帰らないと、麻衣の説教とナルの絶対零度の視線を浴びることになるだろう。それだけは勘弁願いたい。
「……結衣さん、ですか?」
「ん?何、須田君?」
「……いや、何でもないです。ほ~ら、吉村さん!俺達もそろそろ出ますよ!」
「ぇえー。まだ滝川さんと語り尽くしてないんだけどー……」
いい年した大人が駄々をこねる姿が可笑しいの何のって―……吉村さんそれは卑怯!
私達の馬鹿笑いが狭い店内にこだまする。この際、店のおばさんの冷ややかな視線は無視だ、無視。
「じゃあ、またね。須田君、吉村さん!」
二人に別れを告げて車に乗り込む。後部座席からガラス越しに二人に手を振れば、二人も私に手を振り返してくれた。二人の姿が徐々に遠くなり、私からは見えなくなる。
「……ごめん、結衣」
そう、彼が呟いた事を私は知らなかった。
++++++++++++++++++++
谷山 結衣
上粗戸/眞魚川
昭和78年 8月2日 PM11:59
「(どうして―……!!)」
足がもつれる。それでも倒れずに走っていられるのは、今まで感じたことのない死の恐怖が私の体を突き動かすから。
似たような、鬱蒼とした森が続く。横に川が流れるいるから河川添いに進んでいればいつか集落に出られるはず。……淡い期待を込めて走っているけど、地獄のようなこの光景にすでに私の心はボロボロだった。
「(もう―……ダメ……)」
木の影に身を潜らせて乱れた息を整える。心臓は早鐘のように脈打っていて、気分が悪くて仕方なかった。
……あの警官はどこか遠くに去ったのだろうか?いや、さっき聞こえてきた発砲音から考えるにまだ遠くには行っていない。
「(……ッ!?地震!?)」
突如、大地が大きくうなり出す!
「(……キャアアアアアッ!!)」
立っていられないほどの衝撃に、私の体は地面に倒れこみ張りついた。
そして―……何処かから鳴り響くサイレンの音が私の鼓膜を激しく揺さ振る。
「(誰か―……助け―……)」
私の意識は―……そこで途切れた。