Hetu-Phala
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黄泉比良坂。
黄泉とはつまり、死者の国。
《Hetu-Phala》
谷山 結衣
平成××年 8月30日 PM0:30
出雲空港
「……や、やっと着いた……」
目が覚めるような青一色の空とソフトクリームのような白い入道雲が見事なコントラストを描く。暦の上ではとっくに秋を迎えているはずなのに、真昼の日差しは盛夏の頃と何ら変わらない容赦のなさで―……つまり、ぶっちゃけてしまうと滅茶苦茶暑いわけである。
「やっと、って……空路使ったんだから、渋谷からここまでたかだか二時間半じゃないの」
人間だったら過労死するんじゃなかろうかという勢いで働く空調。そんな涼しい空港のロビーにて、一人盛大に肩を落とせば肩ごしにそんな声が聞こえてきた。
「そんな事言ったって綾子―……二時間半だよ!?二時間半!!」
「わかってるわよ。だから、さっきからそう言ってるじゃない」
「ぜん、ぜん分かってない!二時間半もあんな鉄の塊に乗って空飛んでたんだよ!?綾子は平気なの!?信じらんない!」
「はあ……あんたって子は……」
振り返れば今でも見える……。後ろの窓越しあの忌々しい白い鉄の塊が……!!あの鉄の塊がこっちを見てるのが分かる!あんなの!あんなの思い出しただけで全身の毛穴が開くでしょう!?普通は!なーんて力説すれば、さっきよりも三割増しの大きさでため息が返ってきた。
ため息の主の名前は松崎綾子。
綾子はいわゆる巫女さんというやつで―……SPRの正式メンバーではないけれど、協力者としてよく調査を手伝ってくれているのだ。
まあ、それはぼーさんやジョンも同じなんだけど―……細かい話は置いておくことにしよう。
さて、この綾子。さっきも言ったように巫女さんなわけです。いきなりだけど、巫女と言えばどのようなイメージが一般的であろうか。
清楚な外見?質素な服装?
……そんなイメージを持っている人がいるならば、あらかじめ言っておきます。そんなの幻想です。少なくともこの綾子という巫女はそうなのである。
じゃあ、どんな巫女かと言えば―……さっきのイメージをそっくりそのままひっくり返してみて下さい。
つまり、ド派手な服装でド派手な外見!
その身を包むは、やれC〇ANELだのPR〇DAなどの超が二個も三個も付くような高級ブランド品の数々なのである!
……くそ―……綾子のやつ……実家が大病院を経営するお金持ちだからって……!こっちはHo〇eysやしま〇らなのに……!世知辛い世の中だなぁ……本当。くぅ……!
「……いつまでも馬鹿な事言ってないで歩きなさい。ほら、あんたのキャリーケース。取っといたわよ」
「あっ…!ありがとう、綾子!」
巫女のくせにおよそ巫女らしくないし霊能力者のくせに怖がりで若干ワガママ。そんな綾子だけど、でも本当は料理上手で、誰よりも面倒見がよくて―……
まるで、お母さんみたいだ。
なーんて麻衣と二人で笑いながら話したのはいつの話だろう?
一応断っておくと、さすがに私達のお母さんはもう少し静かだった……はず。たぶん。
「ちょっとー?結衣ー?」
「はーい!今行きまーす!」
少しムカつく時もあるけれど……このちょっとうるさいくらいの綾子の小言が、私は何故か好きだった。
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谷山 結衣
平成××年 8月30日 PM1:00
車内
レンタカーのカーステレオからポップスの軽快なリズムが流れる。
まっとうなごく普通の女子高生である私からすれば、この系統の曲が聞けるのは大歓迎なんだけど、どうも“自称ミュージシャン”であるぼーさんはこの曲がお気に召さないようだ。何で分かるかって?そりゃあ、こんだけ顔を顰められればねぇ……って、あ、あれ?急にニュースになってない?もう少しであの曲サビ突入だよ!?
「あー!せっかくのサビなの!ほらほら!さっさとチャンネルさっきのに戻す!」
「……あのね?結衣ちゃん。俺、ミュージシャンなの。……って、ちょいと聞いてます?ミュージシャンとして言わせてもらうとだな、今のJ-POPってやつは―……」
「ジョン!今がチャンス!ラジオのボタンいじって!」
「わかりましたです!」
もしこの車内の様子を文字で表すなら、ギャーギャーという擬音文字とてもお似合いだろう。このやかましくて騒がしい空気が心地よくて、楽しくて―……だから私はいつも決まって頬をゆるめてしまう。
……やっぱり、こっちに乗るという私の選択は間違っちゃいなかったわけだ。
「だぁああ!ジョン!お前さんまで合わせんでもよろしい!……っと、そーいえば、結衣。お前、どうしてこっちの車選んだんだ?」
「……よく考えてみなよ、ぼーさん。あっちにいるのはナルとリンさんだよ?」
ぼーさんの視線の先が一瞬だけカーミラーに移る。カーミラーの小さい鏡に写し出されている像は、勿論後方車両の姿なわけで―……
「ああ―……そーいう事、ね」
「……そういうわけ」
無表情でハンドルを握っているリンさん。そして、腕を組み、ぶすっと眉をひそめているナル。安原さんと麻衣のおかげで後部座席は少しは明るいのかもしれないけど―……前があれじゃ空気はさぞ重かろう。あれじゃ。
「……あの時は大変だったわ。東京から延々三時間あの密閉空間にリンと二人っきり。……針のむしろって現実であるのよね」
経験者かく語りき。
そう語る綾子に浮かぶ表情はとても達観したものでした。……マジ、あっちじゃなくてよかった。
「……ところで滝川はん?この車はどこに向こうてるんでっしゃろ?」
「ん―……なんでも今回の依頼主との落ち合い場所がこの先の松江にあるって話しでな。取り敢えず、そこに向かってる途中。依頼主の名前はたしか―……“神代”だったっけかな?」
「……かじろ?珍しい名前だね」
「まあなー」
神の代と書いて、かじろ。ぼーさんはそう説明を付け加えた。
「……神のヨリシロ、か。場所柄も相まってすっごい名字ね」
「そうなの、綾子?まあ、確かに中々いない名字だとは思うけど―……」
私としてはごく自然と出てきた感想を述べたわけなんだけど、この感想に返ってきたのは何故か言葉ではなくため息だった。しかも、二人分。って、なーんで、ぼーさんと綾子にため息吐かれなきゃいけないわけ?
「……おい、結衣……お前、ここがどこだか分かってらっしゃいます?」
「出雲でしょ?そばしかない」
「それどこのすごろく鉄道ゲーム―……はあ……綾子、お前さんが説明してくれ」
「……はぁ?なんでアタシが?」
「俺、高野山の坊主。つまり密教。お前は神道の巫女。ドゥユーアンダースターンドゥ?」
うん。何だかよく分からないけど、馬鹿にされているっていうのは分かった。
ドヤ顔で語るぼーさん。
あきれ顔の綾子。
そして、一応笑ってはいるがどこか顔を引きつらせている私。
そんな中、ジョンだけは先程までと変わらない癒し系の笑顔を浮かべているのでした。
「分かったわよ。……じゃあ、まず、始めに一つ聞くけど、十月の旧暦をなんて言うのかは知ってるわよね?」
「神無月。さすがにそれぐらいは知ってるよ」
「そう、神無月ね。でも、ここ出雲だけは別。ここではね、旧暦の十月を神在月って言うのよ」
綾子いわく、ここ島根県の出雲には出雲大社っていう大層格式の高いお社があって、年に一度、日本中の神々がそこに集結するのだそうだ。
「ああー……だから、出雲だけ神“在”月なのか」
「……そう言うこと。つまり、この出雲ってところは日本神話とか神道と関わりが深い土地なのよ」
「あー…ジョン。そんな不思議そうな顔すんなって。まあ、あれだ。ここでいう“神”っていうのはヘブライ系の唯一神じゃなくてだなぁ……そう、スピリット!お前さん達で言うところの精霊みたいなもんだ」
さっきから首を傾げていたから不思議に思ってたんだけど―……なるほど、ジョンが首を傾げてた理由はそれか。
日本語ぺらぺらで変な関西弁なんか使ってはいるけど、ジョンはれっきとしたキリスト教のエクソシストだ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。そう呼ばれている宗教の神様は全知全能の神ただ一人。
対して、日本は福の神やら貧乏神。はてはトイレの神様まで多種多様な神様がいるわけで―……いくらジョンが日本にいるのが長いって言ったって、根本的なところで文化が違うのだから彼が不思議がるのも仕方がない、か。
こーゆうのって中々慣れるもんでもないだろうし。……と心の中で結論づける。
しかし、それにしても―……
「……うーん。たしかにここで神のヨリシロって名字は意味深かも」
「……すみませんです。さっきから言うてはります“ヨリシロ”とは一体なんのことでっしゃろか?」
そう新しい疑問を口にしたのは私ではなくジョンだった。
ヨリシロとはつまり、何かの代わりとなるもの。
「……つまり、神の代行者っていう事でおますか?」
「おますって……ジョン……お前、まだその妙ちきりんな関西弁抜けてないのかよ―……」
ジョンの身に染み付いた関西弁が消えるのはいつの日か。変わらないジョンの口調に綾子と私は顔を見合わせて笑うのだった。
「……ゴホン。と、まあ、出雲大社とヨリシロの話はそこまでとして、だ。それだけじゃないんだなー。この場所は。“黄泉比良坂”って知ってるか?」
よもつひらさか?
聞き慣れない単語のはずなのに、ぼーさんの言葉が喉に刺さった小骨みたいに引っ掛かる。
最近―……本当にごく最近……その単語をどこかで聞いたような気がするけど―……だけど、記憶の引き出しをいくら引っ繰り返しても答えは見つからない。それどころか思い出そうとすればするほど、霞がかかっていくような気がした。絶対に聞いたことはあるはずなんだけど……
知ってるはずなのに、思い出せない。それがむず痒くて不快だった。
黄泉比良坂。
黄泉とはつまり、死者の国。
ぼーさん曰く、聖書で言うところの黄泉とは死者が最後の審判まで待つとされる中間の場所だが、日本神話において黄泉とは、現世と常世との境界線でもあるということだ。
「……常世と現世―……」
「……そう。ちなみにこんな話もあるな―……」
まるでお経を読んでいる時みたいに低いぼーさんの声が鼓膜を揺する。ぼーさんが語ってくれたのはお経でも説法でもなく、一つの古いふるい言い伝えだった。
この日本を作ったのはイザナギという男の神とイザナミという女の神だった。二柱の神は次々と新しい神々を産み落とした。ところが、イザナミ神は火の神を産み落とした際、その炎に体を焼かれて死んでしまう。
それを嘆き悲しんだイザナギ神は、亡くなった最愛の妻イザナミに逢いたくて跡を追い死者の国である黄泉に行った。
イザナミ神と無事に再会できたイザナギ神。
イザナギが妻を呼ぶと、イザナミ神は、“黄泉の国の神に会って帰れるかどうか相談してくるからその間は決して自分の姿を見ないでほしい”……そう言い残して消えていった。
でも、いくら待ってもイザナミ神からの返事はない。痺れを切らしたイザナギ神はその禁を破り、櫛に火を灯して辺りを見てしまった。
灯りに照らしだされた先―……そこにいたのは体中に蛆がわき、ふた目とは見れない醜い姿に変わり果てたイザナミ神だった。
そして、イザナギ神は妻のあまりの恐ろしさに思わず逃げ出してまう。
それを怒ったイザナミ神は自分の夫を追い掛けた。
そして―……黄泉の出口である坂を下り、そこにあった大岩で道を塞ぐ事によってイザナギ神は現世への帰還を果たした。
「……つまり、その坂が黄泉比良坂―……?」
「……そっ。そしてその黄泉比良坂があるとされているのもここ出雲。
つまり、常世と現世の境界としても有名なんだよ。これ、日本人なら知っておこうな、結衣。かんなりメジャーな神話だぞ?」
「私はナルと違って心霊オタクじゃないもん。……あっ!ジョン!今がチャンス!ラジオのチャンネル変えちゃえ!」
「……ちょっ!?お前、まだ諦めてなかったのかよ!?」
再び戻ってきた暖かな空気。そんな空気に私は一人そっと胸を撫で下ろす。
どうも昨日から何かが不快でたまらない。まるで墨でも零したみたいに、黒くざわざわとした感覚が胸を侵食していっているような気がする。
……だけど、根拠のない不安はただの杞憂。……少なくとも今はそう思っておこう。
フッ……と車の外へと視線を移せば、青いくすんだ道路標識が目的地まであと僅かだと如実に知らせていた。