Hetu-Phala
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敬い 申し上げる
天に御わす 御神主
光り輝く 御姿
現われ給う
《Hetu-Phala》
谷山 結衣
平成××年 8月29日 PM 9:00
都内某所
「やっと着いたー……」
「ほんとー…結衣姉じゃないけど、やっとって感じ。あー……いくら明日から調査入るって言ってもこんなに遅くまでかかるんなら最初っから言ってくれればいいのに」
「……そーいう文句はナルに言え、ナルに」
暗い闇が支配するボロいアパートの一室に人工的な明かりが一つ灯る。部屋中に立ちこめる不愉快な真昼の残り香の熱に若干顔をしかめて窓を開け放てば、籠もり切った室内の暑い空気は外気と混ざり撹拌されて散り散りになっていった。
まあ、残暑厳しい8月のコンクリートジャングルの真っ只中にあるこの部屋に、窓を開けるだけで爽やかな凉がもたらされるかと言えばそれはNOなわけだけど……何もしないよりはマシというものである。
「まっ、ナルもリンさんもイギリスから日本に帰ってきたばっかりでろくに荷降も済んでなかったみたいだしね。そんな状況なら、バタバタしちゃうのも仕方ないっしょ?」
「……うっ。それはそうだけど」
「ほらほら。愚痴を言う元気があるんだったらさっさとお風呂の準備する。今日、麻衣の当番でしょ?私、今、有り得ないぐらい汗臭いんだよね」
家に着くなり盛大に床に突っ伏し、今尚、力なくだれついる妹に向かってそう言えば、彼女は非常に鈍重な動きで体を―……起こさなかった。
「……麻ー衣ー?」
「……もー、あと5―……いや、3分だけ!あたし、今日もうくたくた」
「ちょっとー、麻衣さーん?お姉さんは真夏の真っ昼間の土木工事現場で一日中働いてたのに元気に立ってますよー?」
「結衣姉は体力馬鹿だから大丈夫!その点、ほら!あたしはか弱いもん!夏ばて夏ばて」
「……ほう?じゃあ、夏ばてしちゃってる麻衣の今日の夕食は白がゆでいいよね?残念だな―……せっかく焼き鳥買ってきたの―……」
……食べ物でこうもあっさり釣られるあたり、やっぱり私達って姉妹なのだと実感する―……そんな夏の夜。
いいのかよ。それで?……と思わずにはいられないが逆の立場になった時、私も簡単に釣られるような気がするからそれは言わずに心に封印する。
さあ、妹君がお風呂を入れてくれている間に姉は夕食の準備でも始めますか。
うーんと……天井に向かって体を伸ばせば、少し遅れて勢い良く流れる水の音が届いた。
「あー……さっぱりした。ほら、麻衣もちゃっちゃと入っちゃいな」
熱いシャワーを全身に浴び体を洗えば、さっきまで自分の身を包んでいた不快な汗と皮脂の匂いは綺麗に流れ落ち、代わりに安っぽいボディーソープの甘ったるい香りが体を包み込む。
パジャマ代わりに中学時代に着ていたボロボロのジャージに袖を通せば……ああ、今日が終わるんだなって改めて実感することが出来た。
「……あのさ、結衣姉?」
「……ん?何?」
「……ナル達、きちんとジーンとお別れできたのかな?してきたのかな?」
カラン……と、グラスに入れた氷が涼しげな音を立てて崩れる。口に含んでいた麦茶を飲み干して声のする方へと視線を動かせば、部屋と廊下の敷居の上にじっと立っている麻衣の姿。
……こりゃ、もう一杯麦茶が必要になるかも、ね。
お風呂に行くわけでもない。こっちに自分から来るわけでもない。麻衣がこうやって自分から話を一旦切り出したにも関わらず言いごもって相手の言葉を待っている時は、大体この後に少し長い―……麻衣にとってちょっと重要な話が待っている。
ただ、黙ってこちらの台詞を待っている様子の妹に心の中で苦笑して、私はもう一つ、新しい空のグラスへと麦茶を注いだ。少しばかり長話になってもこれなら喉が渇く心配はないだろなんて……そんな事を考えながら。
「結衣姉はさ……」
「……何?」
「結衣姉は……その……ジーンに会ったことがあるのかなって―……」
チクタク……チクタク……と規則正しく時を刻む針の音がやけにクリアに耳をつく。
ちょっと前まで流れていた騒がしいバラエティ番組もいつの間にか夜のニュースへと移り変り、自称コメンテーターとかいううっさん臭いおっさんが身振り手振りで自説をさも一般大衆の総意であるかのように述べている姿が滑稽にも映されていた。
ブン……と音を立てて古いブラウン管テレビのディスプレイから映像が消える。黒い画面には、ニュースのキャスターやコメンテーターの代わりに、リモコンを持った私の姿と俯く麻衣の姿が鏡のように映り込んでいた。
ジーン。
ユージーン・ディヴィス。
超一流のESP能力者で、超一流の霊媒。同じく超能力者である弟が言うに、ジーンのサイキッカーとしての才能はまさに天武のもので……事、浄霊において彼の右に出る者はいない。……なーんて、彼の小生意気な弟がほざいたのはほんの一月前の出来事だ。
氷なんてすっかり溶けてしまってとうにぬるくなってしまった麦茶。ただでさえ薄味に調整してあるのに更に薄味になったものを一口口に含む。
するりと喉の奥へと流れ込んできた麦茶はやっぱりぬるくて薄味で……でも、それでもカラカラになっている喉を潤すには十分だった。
「……会ったっていうのは現実でって事?」
「な、何言ってんの!?現実でなんか無理に決まってるじゃん!だって、だってジーンは―……!」
まるで、ゴム鞠みたいに弾き上がった麻衣の顔に浮かんでいるのは驚愕と私に対する非難の表情。
うん。分かってる。それは有り得ないことだって事。分かっていてあえて聞くあたり私はもの凄く性格が悪い人間なんだと思う。
無理なのだ。私達がジーンに今、会うことは。……ううん。それは正しくない。最初っから無理だった。
だって、ジーンはもう……いや、私達に初めて会った時からすでに―……
死 ん で い た か ら 。
ひょんな出来事から、超常現象なんて胡散臭いものを調査研究しているSPRとかいう団体と関わり、あまつバイトまでするようになった私達。
どこにでもいるちょっと貧乏だけど普通の女子高生を自負していた私達にとって、SPRの活動で体験してしまったものはどれもこれも日常とはかけ離れたものばかりだった。
おまけに、これはSPRでバイトをしているうちに分かったことだけど……私達にはどうやらすこーしばかり妙ちきりんな性質が備わっていたそうで―……
私と麻衣。
それぞれ形は違うけれど、それは一般的にエスパーやらサイコキネシスとか呼ばれる霊的な素養だった。
放っておけば死ぬまでずっと眠っていたはずの素養。それを掘り起こし、引っ張り出し開花させたのが他ならぬジーンその人なのだ。
どうやら、ジーンは超常現象を調査している弟を少しでも手助けするために、私達の素養を伸ばす指導霊的な事をかって出ていたらしい。
自分が抜けてしまったために開いた穴を少しでも埋めるために。
私達姉妹とジーン。
何と言えば正解なのかは分からないけど、魂の波長が似たもの同士とでもいえばいいのか―……まるで、情報を伝える電波とそれを受信するラジオのような関係で…心霊事件に関わるたび、私達の力は少しずつではあるがジーンによって拡張されていった。
私は、麻衣と違って超感覚(ESPというらしい)の才能に恵まれていたわけじゃないからジーンの姿はおぼろ気……っというか声だけしか聞けなかったけど、麻衣はジーンの姿を見、話し、そして実際に触れることまで出来ていたそうだ。……彼女の夢の中で。
ボーンと一つ、柱にかかった時計が時が一つ進んだことを告げる音を奏でる。今だにじっとこちらを睨んでいる麻衣に心の中で少しだけ息を吐いて、私は再び彼女と向き合った。
「……会ったことはないよ。夢でもね。でも、声は聞こえてた。まあ、最初は頭どこかにぶつけて可笑しくなったのかなーとか思ったけど」
「……そっか。結衣姉はジーン、見た事なかったんだ」
「うん。あの写真を見るまでね」
私達の視線の先にある棚に飾られているのは古ぼけた写真立てが一つと、まだ真新しい写真立てが一つ。
古ぼけた写真立てに写っているのはごく普通の幸せそうに笑っている四人家族の姿。そして、真新しい写真立てに写っているのは不機嫌そうに顔をしかめた男の子と、それとは真逆に穏やかな笑顔を浮かべている……同じ顔をした男の子の姿。
「……あの時も思ったけど、まさか双子だったなんてね。ナルとジーン」
「……うん。あたしも最初聞いた時は驚いちゃった」
でも、結衣姉にも驚くような事があるってことにも驚いたけど。
……なんて言って麻衣は笑うけれどその笑顔はとっても頼りなくって、みるみる萎んで消えていく。
「……あのね。ジーンってあたしと少しだけ似てたんだって」
「……ナルがそう言った?」
「……うん。すぐ依頼人に同情して一緒に泣いたり笑ったりするところとか……でも、もう少し静かだったって嫌味もしっかり言われた」
「プッ……なぁにそれ?まあ、確かにあやつならそれくらい言うだろうねー」
全身黒づくめで無表情。たまに口を開いたかと思えば、どこからそんなに沸いてくんだよと思わず突っ込みたくなるような辛辣な嫌味の数々。
無礼千万。実力は確かだけど、その分超が二個も三個も付く自信家でナルシスト。そんなもんだから付いたあだ名がナルシストのナルちゃん。(麻衣命名)
それが、SPRを率いる若き所長・渋谷一也(偽名)の正体だった。
温和で日溜まりのような兄とは正反対の仏頂面の弟。その姿を思い出した私は、一人こみあげてくる笑いを噛み締めた。
「……あのね。最初に見えたのは山だった。昼間の山で、道路で。そこを歩いていると後ろから車が来る音が聞こえるの。振り返るとカーブを曲がった車が真っすぐ突っ込んでくる」
不意に何の脈絡もなく始まった麻衣の言葉。前後の話とまるで繋がらない麻衣の話に私は息を呑んだ。
理由を知らなければ流していたと思う。ちょっと前までの私なら寝呆けた事言ってないでさっさとお風呂に入って来いって、そう言っていたはずだ。
だけど……だけど……この話―……麻衣が今話そうとしているこの話って……!
「麻衣!?まさか……あんた―……」
私がこの後、何を言うのか、何を言おうとしているのか……麻衣にはすでに分かっていたんだろう。返事の代わりに彼女は一度首を縦に振り、そして―……
「……“見た”の。昨日。夢で」
開け放たれた窓から漏れ聞こえるトラックのクラクションの音がやけに……やけに強く大きく鼓膜にこびりついた気がした。
「……次に強い衝撃があって、倒れて……アスファルトに伏せっていると停まった車から人が降りてくる。足しか見えなかったけど、たぶん女の人」
私でも誰でもない。遠く。ここではないずっと遠いどこかを麻衣の瞳は虚ろに映していた。
「すぐに女の人の悲鳴が聞こえて……バタン……って強く車のドアが閉まる音がする。そして、車が発車する音がして、それが背後から凄い勢いで近づいてくる。ジーンは―……」
刺されたんだ。とどめを。
「……そこから、映像がモノクロになるの。ナルが見た時はグリーンのハレーションが起こったみたいだけど―……ナルはそれをサイコメトリした対象が死んだ時に見る癖って言ってたから、きっとこれがあたしの癖なんだと思う」
「……もういい。もういいよ。麻衣」
私のその言葉に返ってきたのは否定の意味を含んだジャスチャーで。ふうと一つ息を吐いて麻衣は再び口を開く。
「地面を引きずられて、車のトランクに積まれて、ガレージみたいな場所で変なシートに包まれて、ボートの上から湖の中へ投げ込まれて―……ナルが言ってたのと同じだった。だから、ナルはイギリスからわざわざ日本まで来て探してたんだね。ジーンの―……お兄さんの遺体を」
サイコメトリの能力者は、全てのサイ能力者の中でもっとも不自由だ。
いつだったか、リンさん―……リンさんっていうのはSPRのメンバーの一人なんだけど、その人が話してくれたことを思い出す。
探している人物……その情報を単に“情報”として知るだけならいい。だけど、対象との同調が激しければ激しいほどあたかも自分が体験しているかのように感じるのだと―……酷い時には、透視によって同調している人物が怪我をした同じ場所に痣を作ったり、強い麻痺が残ったり―……私には麻衣やナルのようなサイコメトリ能力はないから、麻衣やナルがその体験をどんな気持ちで見ているのか……私は本当の意味で分かってあげることは出来なかった。
「嫌だなー!結衣姉!そんな顔しないでってば。それにあたし、今、少しホッとしてるんだよ?」
「……えっ?」
「……だって、やっと、ジーンはいないんだって。本当に……やっと分かったから」
吹き込んでくる生暖かい風がカーテンを棚引かせ、踊らせていく。そんな光景を一度見やって、麻衣はいつも通りの彼女特有の人懐っこい笑みを浮かべた。
「あのね……結衣姉。綺麗で好きだったの。……本当に……本当に……綺麗だったんだよ?ジーンの笑顔」
麻衣はそう言うと、お風呂場へと向かってゆっくり歩いていった。
残ったのは、空のグラス一つと、ほとんど量が減っていない……むしろ氷が溶けて最初より量が増えたグラスが一つ。
誰に聞かせるわけでもない。自然と漏れ出た自分のため息。
私の視線の先にはさっきまでとなんら変わらない―……不機嫌そうなナルと優しく笑うジーンの、似ているのに全然違う二人の小さい頃の写真が飾られていた。
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谷山 結衣
××年 ××月××日 PM ××:××
不明
……走らなきゃ。
―……何故?……ー
だって、間に合わなくなる。
―……何に?……ー
助けたいから!
―……誰を?……ー
……駄目……今、行かなきゃ手遅れに……!
―……何が?……ー
あの場所に、あの場所に!
―……どこに?……ー
―……約束したんだ。全部終わらせるって……―
―……絶対、先生が守ってあげるから……―
―……私は惨めな道化だった……―
―……終わらせて。何もかも……―
―……さよなら……―
敬い 申し上げる
天に御わす 御神主
光り輝く 御姿
現れ 給う
耳にこびり付いて反響する不気味な唄。足元に広がるのは人の血ではない別の何か。鉄錆の匂いはない―……でも、ドロドロとした腐臭を纏った赤い水。空からは曇ってもいないのに赤い雨が引っきりなしに降り注いで……波紋を描いて流れていく。
―……ねえ、あなた達なら本当に本当に終わらせられるから。常世ではない。現世の人間のあなたなら……―
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谷山 結衣
平成××年 8月30日
AM 8:00
「……うわっ!!びっくりした!もう!結衣姉、目を開けるんならもっと普通に開けてよ!」
夜の間、締め切っていたはずのカーテンはすでに大きく開け放たれ、家から吹く風は既に太陽に熱されて……ぬるい。
カラカラに乾いた喉を押さえて声のする方へと顔を向ければ、すでに身仕度を終えて呆れたようにこちらを見下ろしている麻衣と視線がかち合った。
「……もう。今日からまたSPRの調査入るって、昨日、オフィスで話してた事を忘れたの?」
まだ覚醒仕切っていない頭に麻衣の声がやけに響いて……私は自然と俯く頭を手で支えた。
ああ……そうだった。今日からまたSPRで調査のバイトしなきゃいけなかったんだっけ。
理解はしていてもどこか芯がピリピリして、いまいち正常に思考が回転してくれない。
何か……とても大切な……でも、すごく嫌な事があったはず。
だけど、それが何だか分からなくて。もやもやとつっかえて気持ち悪かった。
「ほーら!さっさと顔洗う!じゃなきゃ、ナルの嫌味朝一でくらう事になるよ?」
「あははー……それは勘弁」
ひどく鈍重な動きで床に足をつけば、さっきまでの不快な感情はいつの間にか消えてなくなっていた。
―……ねえ、常世って信じる?……―
だけど、一つだけ。
あの言葉が……染みのように広がっていくあの感覚だけは消せなかった。