Hetu-Phala
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「あれは……何……」
「海還りだ。海から還って来んのは人間じゃない」
「……うみがえり?」
「海送りに海還り―……村の風習みたいなもんだ。山ん中で海もなんもねえと思っていたが―……」
「ふ~ん……そ~いうことだったんですね~」
「……この村はもう終わりだ。俺はせめて化け物になる前に逃げ出すとするか……」
《Hetu-Phala》
ジョン・ブラウン
蛭ノ塚/水蛭子神社
昭和78年 8月3日
PM 5:54
「怖いよ……お母さん……」
知子はんの啜り泣く声が朽ちて久しいであろう神社の室内に静かに響く。体を丸め膝を強く抱き締めて知子はんは泣き続けていた。
当然だ。大人である僕ですらこんな怖いんや……十代前半の子供にこの環境はあまりに酷すぎる。
硝子も障子も貼られていない隙間だらけの神社を生温い外気が吹き抜けていく。他者の視点を盗み見るあのESPを使って周囲の様子を伺えば、夜の闇が刻一刻刻一刻と迫ってきている事がよく分かった。……いや、それだけやない。あの化け物達の気配がさっきより多くなってきとる。もしや助けに来てくれるんやないかと思うて牧野はんを待っとったけど―……完全な悪手やった。
「……ジョンさん」
知子はんも周囲の異常に気付いたんやろう。僕の腕を離さんようにしがみ付く少女の体は可哀想なぐらい震えていた。
「大丈夫どす。知子はんを置いてきぼりにはせんですから」
……こんな異常な環境に置かれてるんにも関わらず冷静でいられるのは、知子はんのおかげかもしれんですし。 ……そう後ろ手で頭を掻きながら言えば、泣き腫らして真っ赤な目を丸くさせて知子はんは首を傾げた。
「ほんまは僕も怖いんですけど……知子はんと一緒なら一人やない。何とかなるかもしれんって思っとるんですよ」
「……怖いんですか?ジョンさんは神父さんなのに?」
「そりゃそうどす。神父やって大人やって怖いもんは怖いですよ」
「……大人?ジョンさんってまだ高校生ですよね?」
「……二十どす……」
結衣はんや麻衣はんにも言われたことありますけど、僕ってそんな落ち着きがない思われとるんでしゃろか……
「……話はここまでです。一気にここを抜けますさかい」
こちらに化け物どもが集まって来とるいう事は、僕らが元いた場所は手薄になっとるんに違いない。……仮にそうではないとしてもいつまでもこの神社にいるわけにはいかないだろう。
「……待ってください。普通に行ったらきっと危ない。私に考えがあります」
黄昏の闇が辺りに重く立ちこめ始める。
……必ず乗り切ってみせる。僕と知子はんはお互いに顔を見合わせて一つ頷いた。
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松崎 綾子
蛭ノ塚/水蛭子神社
昭和78年 8月3日
PM 11:44
「……見張り代わるわよ」
「だが―……」
「だが―……じゃないわよ。少しは自分の体を心配しなさい。若くないんだから」
夜半の風によって木々の葉が擦れ、ザワザワと微かな音を辺りに響かせる。神社の格子が区切る空は昨夜と同じように分厚い闇に覆われていて、生憎、星の姿を拝む事は出来そうにない。……にも関わらずやけに心が穏やかに感じるのは頭脳屍人を撃退したおかげだろうか?周囲を統率していた者がいなくなった影響か、今、この神社の周囲からは不浄な者達の気配は感じられない。
多聞は今のうちにここを離れたほうがいいと考えていたようだが、正直な話、アタシ達の体力は底つきかけている。いつまでも安全とはいかないだろうが、闇雲に動くよりは休めるうちに休んだほうがいいと多聞に進言したのはアタシだ。それで今晩はこの神社で休むことになったのだが―……
荒れ果てて腐りかけた木の匂いが鼻を突く。その匂いの中、アタシはこの神社の中で見たものについて考え始めた。
壁にはここの神社の名前だろうか、水蛭子と書かれた札が貼られ、奥にはここの御神体だろうか、人間の下半身と魚を組み合わせたような悪趣味な骨が掲げられていた。
水蛭子―……日本神話におけるヒルコ神を祭った神社なのだろうか?いや、それにしては妙ね。ヒルコ神は四肢が欠損していたという言い伝えが一般的だ。御神体が四肢欠損の動物の骨ではなく、魚というのはおかしい。そう……あの御神体はヒルコ神というよりはむしろ―……
「……ま……君、松崎君」
「……あっ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてたわ。何かしら?」
アタシの返事を聞いた多聞が呆れたように笑う。この様子だと何度も呼ばせてしまったのだろう。
「……いや、安野はどうしたかと思ってな」
「心配しなくても奥でグースカ寝てるわよ。一見すると能天気そのものだけど……堪えないわけないわよね」
「……そうだな」
冷たく腐りかけた床板の上だが、今のアタシ達にとって体を休める場所があるというだけで恩の字だ。アタシは死んだように眠っていた依子の体に掛けられていた男物のジャケットを思い出す。ついさっき見たばかりの光景だが、ジャケットの元の持ち主を前にすると苦笑いをせずにはいられなかった。
何だかんだ言っているが多聞は多聞なりに依子の事を気遣っている。それが全然素直じゃないもんだから、見ているほうからすれば呆れるというかむず痒いというか―……
「……何か言いたそうだな」
「フフ……そうね」
含みを持たせて笑って答えれば、多聞はバツが悪そうにアタシから顔を背けた。……ホント、いい年なのに素直じゃないんだから。
「……休む前に一つ聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
「……海送りと海還り―……アンタは知ってるわね」
コクリ……と、鳴った多聞の喉の音が暗闇に溶ける。その後に訪れたのは暫しの沈黙だった。
「……何も言わないって事は肯定と思っていいわね」
「……何故、その言葉を君が―……」
「依子が教えてくれたの。実はアンタがいない時、一度あの子がアタシと離れて周囲の様子を勝手に見に行っちゃったのよ」
あの時は何やからしてくれるんだと苛立ちしかなかったが、今思えばその行動にも意味があったと言わざるえない。
「その時、あの子が見たそうよ。こんな山の中にも関わらず辺り一面を赤い海が取り囲んでいたことを。その海の沖から沢山の人間じゃないものが列をなしてこっちに還ってくるところを」
そして、その現象を“海還り”“海送り”と一緒にいた老人が依子に話したことも。
「……その話を聞いて確信したわ。ここは異界ね。いいえ、正確に言えば現世と常世の境目―……黄泉比良坂。そして、アンタはこの村がこうなるんじゃないかと最初から予測していた。じゃなきゃ、わざわざ銃なんて用意するわけないし、まして黄泉戸喫なんて単語が咄嗟に出るわけない」
多聞は口を開かない。……いや、答えないのではなく否定する必要がないのだろう。そして―……
「……君の言った通りだ。私はこの村で生まれ育ったんだよ」
沈黙が破られる。観念したように呟かれたその言葉がやけに耳に残った。
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谷山 ##NAME1##
××××
××年××月××日
「……アンタは……」
「あなたは?」
気が付けば、私はまた病院とは違う場所に立っていた。
……おかしいな。私はたしか宮田さんと理沙さんと牧野さんと一緒に不気味な病院の中にいて―……それで、どこかに行った宮田さんを三人で待っていた―……
ゾクリ……と、私の体を悪寒が一瞬にして駆け巡る。意識がはっきりするに従って、自分を取り巻く環境の異様さも鮮明になっていった。
……何……これ!?赤い水―……じゃない、赤い海だ!!
「……海送りだ。あそこで死んだ連中は浄土ではなく海へと還る」
「……海送り?」
私にそう語り掛けたのは見たこともない一人の老人だった。年のわりには逞しい体幹―……まるで猟師のような服を着て猟銃を肩に提げている。そして、改めて赤い海の遥か彼方を目を凝らして見つめれば、生気が失せた人々が列をなしてここへ向かって来ていることが分かった。
「……せめて化け物になるまいと殺される前に自害してみたが―……ここにいるという事はどうやら無駄だったようだな」
「……自害!?おじいちゃん……まさか……!?」
私の言葉に老人は一つ頷く。それは肯定を意味する行動だった。
「なんで生きているアンタがここにいるのかは知らんが……悪いことは言わん。戻れ。ここはアンタがいるべきところじゃない」
「……でも……」
赤い海面が風もないのにザワザワと波立っていく。水平線の彼方から聞こえてくるサイレンの音が堪らなく耳障りだ。
「……神を貶めた人間への罰だ。これがこの村にかけられた呪い―……宿命だ。27年前に息子を失った時から覚悟はしていた」
怖いぐらい穏やかな表情を浮かべて、老人はまるで諭すかのように私に語る。……だけど、その穏やかな表情の仮面の裏には隠せないぐらいの悲壮が透けていた。
―……ジーンが言ってたの。天国があって地獄があるっていう考え方は、ある意味正しいんじゃないか、て……―
不意に麻衣が教えてくれた言葉が、私の脳裏によみがえる。人は「身体」と「霊」で出来ていて、更に霊は「魂」と「自我」で構成されていて、また、魂はプラスとマイナスの粒子で出来ていると麻衣は私に語った。
プラスは光。マイナスは闇。魂の活動によってこの二つの粒子が絶えず作られては、自我という膜の外へ放射されている。これは生きている人間も変わらないとあの子は言っていた。
プラスの粒子はマイナスの粒子よりも軽いから上へと昇っていける。だが、マイナスの粒子が多ければ多いほど逆に沈んでいく。そして、光どうし、闇どうしが集まって大きな場を作る。それが、天国と地獄。
人は死ぬと身体を失って霊だけになる。その時、魂がマイナスの粒子を沢山含んでいると霊は重いから沈む。沈めば沈むほど残っていたプラスの粒子は逆に上へ昇ろうとして、霊の外に弾き出される。すると、その分更に重くなり沈むからプラスの粒子は益々弾き出されやすくなって―……やがては闇一色に―……「悪霊」に変貌してしまう。
この老人の魂に一番含まれているのは悲壮だ。このままではこの人の魂は沈んでしまう―……でも……!!
「アンタはいい人だ。初めて会ったばかりの人間のために涙を流せる……」
「……えっ?ち、違う……んです。これは―……」
―……じゃあ、霊を救うにはどうすればいいの……―
―……光を―……プラスの気持ちを吹き込んであげるの。その分、軽くなるから昇っていけるでしょ?そうすれば昇った分だけ更にプラスの粒子を取り込みやすくなる……―
―……でも、どうやって……―
―……それはね……―
一筋、私の頬を涙が伝っていく。涙の雫は重力導かれるように零れ落ち、赤い海に溶けていった。そして、その瞬間―……
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谷山 結衣
宮田医院/第一病棟診察室
昭和78年 8月4日
AM 0:21
「結衣さんッ!!お姉ちゃんッ!!」
誰かの呼び声によって、沈みかけていた意識が一気に浮上していくのが分かる。自分の喉元には血の通っていない土気色をした手がまとわりつき、私の喉を締めあげている。
……そうだ。宮田さんを待っていたら理沙さんのお姉さんがまた襲ってきて―……私は咄嗟に理沙さんの身体を突き飛ばしたんだ。
そして、自分が捕まった。……思い出した。だけど……!!
「……か……ハッ……」
空気の泡がまた一つ、私の口から零れて逃げていく。なんとか引き離そうと動かしてたけど、両手にももう力が入らない。だらりと下がった私の手。それを見た理沙さんは大きな悲鳴をあげた。
ダメだ……このままじゃ私……死んじゃ―……そんなの嫌だッ!!
咄嗟に強く思ったその時だった。鈍い鈍器で何かを殴った音が鼓膜に響く。耳をつんざくような悲鳴とともに私の身体を蝕んでいた圧迫感も消えていった。
「……大丈夫ですか?」
……みや……た……さん?
その声を最後に私の意識は闇へと沈んでいった。
―……でも、どうやって……―
―……それはね……―
まず、自分自身が光になるの。
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