Hetu-Phala
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あの時、消えてた人々はどこに行ってしまったのか
もしかすると―……私達は
《Hetu-Phala》
谷山 結衣
宮田医院/第一病棟診療室
昭和78年8月3日
PM 10:31
目蓋が鉛のように重い。今日一日で色んな事が起こり過ぎた。
疲労が体全体に現われていて、いつ夢の世界に旅立ってもおかしくないようなそんな気さえする。
牧野さん―……恐らく宮田さんの双子の兄弟だと思われる男の人が現われてからというもの、この診療室の空気は更に重たいものに変わっていた。そりゃあ、牧野さんが来る前も皆無言だったけれど―……何がどう変わったかと問われれば、具体的に答えることは出来ないが、直感的に感じるのだ。嫌なものを。
……改めて考えてみると、こんな嫌な重っ苦しい空気の中でよく眠気が来たよな―……私。
ナルに見られたら、バカだの無駄に図太いだのって言われるんだろうけど、人間生理現象にはあらがえないように出来てるのよ。うん。
こんな風に自分に都合がいい理由を考えて納得させる作業は私の十八番だ。いい性質とは言えないだろうけどね。
―……チリン……―
「……?」
「……どうかしましたか?」
突如顔を上げた私を不審に思ったのだろうか?私の隣に腰掛けていた理沙さんが訝しげに尋ねる。そんな理沙さんに私は首を横に振る事で答えを返した。……気のせいだよね。だって、理沙さんには聞こえてなかったみたいだし、そもそも鈴なんていったい何処に―……
「――――ッ!!!!」
「だ、大丈夫ですか!?汗びっしょりですよ!?」
理沙さんの白い手が私の背中を優しくさする。理沙さんが言う通り、私の背中は嫌な汗で湿っていて、心臓はまるで自分の物じゃないみたいに脈打って気持ちが悪かった。頭が割れるように痛む。
今……私、何を見たの?
それは、白昼夢と呼ぶにはあまりに鮮明だった。
首を絞められ事切れたかと思えば、その刹那、絶叫を上げ息を吹き返す理沙さんの姿。
火のなかに沈む黒い女の子。
自身のこめかみに銃を突き付ける宮田さんと酷く怯えた顔でそれを見つめる牧野さん。
何かの首を持つ赤い女。
決壊したダムに立つ一人の男性。
そして―……泣き崩れる真っ白な雪のような子供の姿―……違う!あれは……わた……し?
思考の容量を軽く凌駕する情報の海―……波。
それが一気に流れ込んできたみたいで―……胃酸が食道を遡る。込み上げる吐き気を堪えるので私は精一杯だった。
「……顔色が良くありませんね。脈も……早い」
私達が騒ぎが嫌でも耳に入ったのだろう。重たい腰を上げた宮田さんは私の脈を計ると淡々とそう答えた。
そういや、医者だったんだっけ、宮田さん。ネイルハンマーで敵を薙ぎ倒す様があまりに似合ってたからうっかり忘れてたよ。猟奇的な医者なんて映画や漫画の世界だけだと思ってたんだけどなあ……なんて、くだらない事を考えられるぐらいには回復してきたみたい。
でも、本当に何だったんだろう。あの光景は?あの人達は?何が―……何が起ころうとしているの?
私の疑問に答えてくれる人は……当然いない。
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谷山 結衣
×××
××年××月××日
―……じゃあ、結衣に麻衣。お留守番出来るかしら?……―
―……うん!麻衣出来るよ!ねっ?結衣お姉ちゃん!……―
―……いっちゃ……ダメ……―
―……もう。結衣はお姉ちゃんでしょ?そんな事言ってると麻衣に笑われちゃうわよ?それともまた怖い夢のお話?……―
―……だけど……ッ……―
―……フフッ。早く帰ってくるからいい子にして待っていてね……―
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恩田 理沙
宮田医院/第二病棟一階廊下
昭和78年8月3日
PM 22:55
私が今日出会った女の子は不思議な女の子だった。
私が彼女と宮田先生に出会ってからまだ半日あまり。でも、こんなに短い時間しか関わっていないにも関わらず、私は彼女に対してそんな評価を下している。
年は私よりほんの少しだけ下なのだろうか?羽生蛇村では見かけた事がない学校の制服を身に纏っている彼女は、どこにでもいるありふれた女子高生だった。……外見だけなら。
彼女は言葉を話す事が出来ない。最初はからかっているのかと思ったけれど、宮田先生が言っていたように本当に喋れないのだろう。この半日の間、私は彼女の言葉は疎か悲鳴すらただの一度も聞いていないのが証拠だった。あんな化け物の間を縫って逃げてきたんですもの―……演技で悲鳴を出さずにいられるような人間がいるとは到底思えない。
だけど、同時にこの女の子はお喋りな子でもあった。随分矛盾した物言いだけど、事実としてそうなのだ。勿論、彼女は喋れないのだから実際に言葉を発しているわけじゃない。
彼女は表情があまりに豊かだった。私と同じように不安げに瞳を揺らしている時もあれば、宮田先生の命令に反抗し、抗議するように不満げに顔を顰める時もある。そして、ホッとしたように明るい安堵の笑顔を見せる時も。
言葉で気持ちを伝えることに慣れている私にとって、彼女なりのコミュニケーションの取り方は魅力的で、同時に不思議なものだった。
そして、何よりも不思議なのが彼女が持っている力だった。私も宮田先生も幻視と言えばいいのだろうか―……化け物の視界を盗み見る事は出来るが、彼女のように遠くの化け物を手を触れずに吹き飛ばす力はない。
それに―……これはまだ宮田先生にも言っていないけれど、もう一つ、彼女には私達にはない力があった。
彼女は人の傷を治す事が出来る。そう仮定しなければ、昼間の事も今まさに起きている事も説明がつかない。昼間―……一度目は気のせいだと思った。傷も大きくなかったし…自然に治ったのだと自分に言い聞かせた。
だけど、今、こうしてお姉ちゃんに付けられた傷がみるみる塞がっていく光景を目の当たりにすると、そんな馬鹿げた仮定を信じざるえなかった。
ふう……と、彼女は肩で息を一つ吐く。私と目が合った事が分かると、困ったような誤魔化すかのような笑顔を彼女は浮かべた。傷は……綺麗に塞がり、もうない。
彼女も化け物なんだ。
そんな考えが一瞬頭をよぎる。
だって、普通の人間にそんな芸当出来るはずがない。
「……あなたは一体?」
ヒリヒリと痛む喉から声を絞り出す。やっと思いで出した私の言葉に、年がほぼ変わらない少女は、困ったように眉を潜めるだけだった。
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宮田 司郎
医院/第一病棟診察室
昭和78年8月3日
PM 10:31
「村が消えた……?赤い海……?何を言ってるんですか?牧野さん」
「前田さんのところの娘さんと見たんです。村の周囲は海に飲み込まれています。私達だけが取り残されたんです」
「信じられない。まさか、そんな事が」
「あの奇妙なサイレンの音もあの海の向こうから聞こえてくるようでした。それに村人達が海に向かっていくのも見ました。まるで、“海送り”みたいだった」
壁に掛けられた古びた時計の針が時を刻む音が、静寂の中で大きく響く。自分と同じ顔を持った男が語った話は、現実味を著しく欠いていて、この男によって創作された物語なんじゃないかと考えずにはいられないような代物だった。
しかし、今日一日、あの化け物達を相手にした後では、法螺話だと一蹴する事も出来ない。
「いったい、何が起こっているんですか?」
「分からない。分からないんです、私も」
俺がそう尋ねると、同じ顔をした男は両の手で顔を覆い、首を横に振った。
この男はいつもそうだ。与えられる事を待つばかりで、自分で動くどころか考えようとさえしない。いつだって甘い蜜を啜るのはこの人で、苦汁を舐めるのは俺で―……いいや。今考えるべきはそこではない。この異様な状態を打破するためには何が何でもこの男から情報を引き出さねば―……
「幻視にしろ赤く染まった水にしろ……こんな事が現実になるなんて。何をしたんですか?」
「分からない。全部父と八尾さんの言う通りにやったはずなんです」
……ほら、やはり。この人はいつも自分の責任を擦り付けられる誰かを探している。
しかし、八尾―……あの女狐か。
「八尾さんは?」
「行方が分かりません。神代の家の人達も……皆消えてしまいました」
「奴らのようになってしまった―……のかもしれませんね」
「そんな……ッ!いや、まさか……」
俺が語った仮定に抗議するかのように男は顔を上げた。しかし、それも束の間の事。男はすぐに青白い顔を伏せた。否定できないと、この男自身そう感じたのだろう。
「何故、私達は無事で彼らはああなってしまったのか……気が付きましたか?彼らは何度でも生き返ってくるんですよ?」
そう。奴らは頭を砕こうが胸を潰そうが一定時間が過ぎると息を吹き返した。……たった一つの例外を除いて。
「これも神の御業なのでしょうか……?」
「あれが神の御業だとでも?あんな化け物になる事がですか?」
「分かりません……私には」
男のその言葉に浮かんだのは嘲笑だった。これが神の仕業というのなら、とんだ邪神だ。まだ、鬼や悪魔の仕業と言われたほうがよっぽどしっくりくる。
アルミ刷子にはまったガラス窓に一雫、赤い水が落ちた。窓を叩く水滴の数は徐々に増え、今夜もまたあの赤い雨が降り続くのだろうと考える事は容易だった。
「27年前のあの日も、こんな雨が降っていたんでしょうね」
「そう……私も聞きました」
「あの時、消えた人々は何処に行ってしまったのか。もしかすると―……私達は」
「止めてくださいッ!!」
先程までとは異なる強い否定の言葉が診察室にこだました。
「そう考えるのが自然なんです。ここだって、あの時、消えた建物なんですから」
「私は失敗なんてしていないんです!!」
「……すみません」
恐怖に震えていた様子から一転、激しく顔を歪め語気を強める男に、今度は俺が口を閉じる番だった。
儀式の失敗―……それはこの人にとって今までの生き方すべてを否定するものに他ならない。だからこそ、全身で拒絶をしているのだろう。
「とにかく八尾さんと美耶子様を探さなくては……」
「美耶子様が無事であれば儀式はやり直せるんですか?」
「あんなに強い“御印”を持った方です。今回の幻視だって、あの方の御印が何かの影響に……」
震える体を押さえ付けながら男は絞り出すように言葉を紡ぐ。確かに、この人が言うようにこの異様な事態を終息させるためには儀式の再開が必要不可欠だろう。だが―……
「逃げたのかもしれませんよ。27年前と同じに」
「まさか……」
「亜矢子様と違って美耶子様は“神の花嫁”ですからね。逃げ出したとしてもおかしくない」
「それ以上は何も言わないでください。それは、神代の家が決めた事です」
「そうですね。私が口を挟める事じゃありませんね。神代と教会は絶対ですから」
……そう。他人の生き死に、生き方ですら。
臓腑から湧き出るその言葉を俺は飲み込んだ。
「さあ……それよりこれからどうするかですよ。牧野さん」
「とにかく、もう一度、儀式をやり直します」
「何もかもが手遅れになる前になんとかしなくては。ここが、あの消えたはずの病院なら……私には調べたい事があるんです」
「何ですか?何の事?」
「いや、まだ、なんとも言えないですが……牧野さんは牧野さんにしか出来ない事をして下さい」
それは、どうあがいたところで俺には絶対に出来ない事なのだから。
目の前の男は返事をする代わりに一つ縦に首を振った。
「ところで、さっき出ていった彼女達は大丈夫なんですか?」
「そう言えば、遅いですね。どうしたんだろう」
その言葉に同行者である二人の女の姿を思い出す。確かに、あの二人が出て行ってから既に結構な時間が経っていた。
……理沙は少し様子を見てくると言っていたが―……いくらなんでもこれは遅過ぎる。俺が調べたいものがこの病院にある以上、必要以上にあの二人に動かれるのは都合が悪いのだ。
……いや、危惧すべきはそこではないな。昼間に見たあの女は間違いなく殺したはずの美奈だった。もし、美奈と理沙が接触したら―……考えるだけで気が滅入る。
「……あの宮田さん。一緒にいたあの見慣れない女の子はいったい―……」
「私も詳しい事は分かりません。彼女とはここに来る途中で初めて会いました」
男の言う女とは、理沙ではなくもう一人の人間の事だろう。思えば、あの少女も不可解な存在だった。真夜中の山中に一人でいた事もさる事ながら、一番不可解なのがあの九字の力だ。利用価値があると踏んで同行させてきたが、理沙同様潮時か―……いや、だが―……
ジリリリリリリリッ!!!
「な、何ですか!?」
突如、生じたけたたましいベルの音。闇を切り裂き響き渡る異常な音に緊張が走る。考えるまでもない。異変が起こったのだ。
「クッ……!!」
「う、うわッ!!」
思わず舌打ちがこぼれる。この音は一階からか?
暗く湿った廊下に慌ただしい足音が二つ、響いた。
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谷山 結衣
宮田医院/第一病棟一階廊下
昭和78年8月3日
PM 23:01
「……ッ!!」
「お姉ちゃん……!お姉ちゃん!!」
理沙さんが伸ばした手が空を切る。彼女はこの化け物を姉と呼び、懇願するかのように訴え続けていた。
理沙さんと化け物の間に入って、九字の構えを取れば、化け物は楽しそうに色褪せた唇を歪めた。
これが人間?嘘でしょ?こんなのが?
すっかり生気の失せた土気色をした顔に張り付いているのは何かの内蔵で、辺り一帯に生臭い臭気と腐臭をばら蒔いている。
理沙さんの悲痛な声が耳を突く。
お姉ちゃん?これが?これが人間のはずがない。
空気に触れて黒く酸化したおびただしい数の血痕。そして、それがこびり付いたナース服。これは、この生き物はまさに化け物だった。
ジリジリと縮まる私達と化け物の距離。さっき、理沙さんが非常ベルを押してくれたけど、あの二人が来てくれる保障はない。
私達の背後にあるのは冷たいコンクリートの壁で―……逃げ道はない。なら―……取るべき行動は一つだ。
これは人間じゃない。理沙さんのお姉ちゃんじゃない。倒すべき敵だ。
私の指の軌跡を辿り、見えない線が空を切る。一つ目の線が引かれたその時だった。
―……ギャァアアアアアアッ!!!……―
「……ッ!!」
ガラスが割れる固い音が暗い廊下に響く。そして、音と同時に広がったのは、鼻を突く薬液の匂いと肉が焦げるような不快な臭いだった。
くぐもった化け物の悲鳴が闇にこだまする。化け物が去った後、そこにいたのは宮田さんと牧野さんで、二人に助けられたのだと理解するまでに少し時間が掛かった。
「すみません……助かりました」
「仕方がないですよ。慣れてないんだから。こういう事に、牧野さんは。
……後を追ってきます」
そう言い残すと宮田さんは、先が見えない暗闇の中へと消えてしまった。
薬瓶の残骸から白い煙が立ち上る。放心状態の私達三人は、宮田さんの背中をただ黙って見送る事しか出来なかった。
今夜も赤い雨は止みそうにない。