Hetu-Phala
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【人身御供(ひとみごくう)】
アニムズム文化を持つ地域に広く見られる儀式。
人間にとって最も重要と考えられる人身を供物として捧げる事は神などへの最上級の奉仕だと考えられていた。
《Hetu-Phala》
滝川 法生
田堀/廃屋
昭和78年8月3日
PM 5:40
「少年、どうだ?」
「……近くに奴らはいないみたいです。滝川さんは?終わったんですか?」
「ああ、もうすぐ終わるよ。」
飲まず食わず、休まずに化け物から逃げ続けてどこぞの廃村の外れまでやって来た俺達は、一件の東屋を見つけて、そこでようやく一息をつく事に決めた。
さっき須田にも確認を取ったが、少なくとも現時点でこの家の周囲に奴らの気配はない。いつまでも安全というわけではないだろうが、暫く休む事ぐらいは出来るだろう。
嫌な気配は相変わらずだが、これで封も終わる。と、俺は肩の力を少し抜いた。気休め程度かもしれないが、僅かの間でも気を休める事が出来るのなら恩の字である。
「うっし!封印完了。もう力抜いていいぞ」
俺の言葉を合図にして須田は大きなため息を吐いた。いっくら慣れてきたとはいえ、やっぱりこれキッツイからな~……張り詰めていたものが解けたんだろう。
俺が封じている間、見張りという大役をこなしてくれた須田の肩を労いの意味を込めて軽く叩けば、疲れたというもっとも過ぎる感想が返ってきた。
「本当にご苦労さん。おーい、美耶子だっけ?お前さんも楽にしていいぞ~」
「気安く名前を呼ぶなッ!!」
「ヘイヘイ。そりゃあ、悪うございました」
俺達三人は互いに力を合わせ危機を乗り越えた仲だ。今や三人の絆は固く―……なるはずもなく御覧のようにペラペラだ。下手したら豆腐より脆いかもしれん。現時点でそんな有様だ。いや、これでも俺と口を聞いてくれるようになっただけマシか。
「今、失礼な事考えただろう?」
「よく分かったなぁ~おっと、そんな睨むなって」
「プッ……仲いいですね」
「ッ……!!笑うなッ!!」
……こうして見てる分には普通の少女なんだが―……
くだらない事で口喧嘩を始めた美耶子をぼんやりと見つめながら、俺はそんな事を考えていた。
確かに口は悪いが、今、須田と舌戦を繰り広げている少女は年相応の子供だ。だが、初めてこの子を見た時のあの瞳は―……
「滝川さん!見てないでなんとかして下さ―……うわッ!イテッ!だから、叩くなって!」
「いいね~若いって。おじ様羨ましい~」
青い春とは、まったく、昔の人は上手い事を言ったもんだ。
もうすぐ西に日が沈む。そしていずれやって来るのは夜。結界はまだ大丈夫そうだ。
++++++++++++++++++++
谷山 麻衣
神代家
平成××年9月1日
PM 10:20
「う~ん……!」
天上に向かって思いっきり両手を上げれば、凝り固まっていた筋肉が伸びて少しほぐれる。正直、少し休みたい気持ちもあるが、でも、今はそれ以上に何か手がかりが欲しかった。少しでも前に進みたい。
「……少し休まれてはどうですか?」
「あっ、亜矢子さん!お盆運びますよ!」
「いいえ。皆さんはお客様ですから遠慮なさらないで下さい。それにあんな事になってしまって―……こんな事が罪滅ぼしになるとは思っていませんけれど―……」
背後から聞こえて来た音に振り返れば、そこには大きなお盆を持った亜矢子さんの姿。お盆の上には艶艶とした銀シャリのおむすびに黄色くてふわふわの卵焼き。美味しそうに色付いたトマトや胡瓜の夏野菜サラダ。お腹に悲鳴を上げさせるのには十分なご馳走が並んでいた。
「もしかしたらお腹を空かしていらっしゃるんじゃないかと思って夜食を持ってきたんです。……と、言いましても私にはこんなものぐらいしか用意できませんけれど」
「そんな事ないですよ!皆喜びます!」
申し訳なさそうに顔を歪めた亜矢子さんにあたしは慌てて首を横に振った。実際、小腹が空いていたし、何より亜矢子さんのあたし達に対するその気遣いが嬉しかった。
「……すごい量の資料と機械ですね……」
「ああ、これですか?いつもこんな感じですよ」
きっとこの光景が物珍しく写ったのだろう。疑うようなあるいは感心したような亜矢子さんの声に思わず苦笑いがこぼれた。
大体いつも依頼人は亜矢子さんみたいな反応をするけど、この反応にはまだ慣れそうにない。
「あっ…違うんです。疑っているわけではなくて―……私がイメージしていた霊能力者の方と随分異なっていたので―……」
「それもよく言われます」
慌てたように話す亜矢子さんに今度は苦みのない笑みで言葉を返す。誰だって霊能力云々を謳っている人間がこんなハイテク機器に埋もれながら作業している姿なんて考えもしないだろう。
渋谷サイキックリサーチ。通称SPR。
渋谷一也事ナルが率いるこの事務所の生業はゴーストハントであり、霊退治とは厳密に言えば異なる。ゴーストハントの目的はあくまで超自然的現象や心霊現象を調査し、データを集積することにあるからだ。
霊を払う事もあるけれど、それは調査の結果起きる副次的なもので払うこと自体を目的にしているわけではない。
データを集積するという事は科学的に調査をするということに他ならない。だから、SPRはハイテク機器をバンバン使って科学的に根拠を、データを徹底的に集める。
現に今間借りしているこの部屋だって、最長24時間録音可能なテープレコーダーや集音マイク。赤外線カメラや超高感度カメラにサーモグラフィーなとなどお高い機械が所狭しとひしめき合っている。
ああ……あの時ぶっ壊したカメラどうなったんだろう……
「少しお聞きしたいことがあるのですが―……よろしいでしょうか?」
「……なんでしょうか、渋谷さん?私で答えられる事ならいいのですが―……」
「この神代家についてです」
鈴虫の涼しげな鳴き声が部屋に響く。
少し部屋の温度が下がったように感じたのは、きっとそのせい。
++++++++++++++++++++
滝川 法生
田堀/廃屋
昭和78年8月3日
PM 6:03
「でも、なんなんだよ………この村もあいつらも……君も。あいつの言ってた“あっち側”になるってどういう事?」
「少年。休める時に休んどかないと次はいつ休めるか分からないぞ?」
「そんな事言ったって―……それに滝川さんだって全然休んでないじゃないですか」
「俺が休んだら結界解けちゃうの」
苛立たしげな須田の声が廃屋に響く。こんな状況じゃ無理もない。この極限の環境は須田の神経を磨り潰すには十分過ぎた。
いや、それは俺も同じか。お互いまだ最低限の冷静さを保っていられるのが奇跡のようなものだ。
「……変な奴だって思ってんでしょ?私の事」
「……思ってるよ」
「まあ、普通だとは思ってないな」
一種の諦めを含んだ冷たい美耶子の言葉に、俺と須田は思い思いに失礼で素直な感想を述べた。今更飾る必要もないだろう。……っというか、その余裕すら今の俺達にはない。
「私だって、こんな村大ッ嫌いッ!!……お前もあいつらの差し金で私を探しに来たんだろ?」
吐き捨てるように言い切ると、まるで射るような鋭い瞳で美耶子は強く睨んだ。彼女の視線の先にいるのは須田ではなく―……俺。
「まあな……と、言いたいところなんだが―……いくつか俺から質問していいか?」
「私が素直に答えると思ってるの?」
こりゃあ、手厳しいねえ……
どうしたもんかと後ろ手で自分の頭を二、三度掻いてみたが、俺としても答えてもらわなきゃ困るから聞く事を変えようがない。……しゃーない。こうなりゃ根比べだ。
「そう悪い話でもないと思うぜ?答えてもらう代わりに俺も知っている事をお前に話すし」
「……お前の言う事が嘘じゃないと誰が証明できる?」
「そりゃあ、お互い様だ。誰もお前さんの言う事が嘘じゃないと証明出来ないからな」
……さあ、どう出る?
俺と美耶子の間に緊張が糸を張る。互いに無言。視線の応酬。やけに時間の進みが遅いように感じた。
「……分かった。話す」
「やりぃ!あ―……疲れた」
ふう……と小さな吐息が美耶子の口から漏れ出る。どうやらこの根比べは俺の勝ちのようだ。
「滝川さんよくやりますね……なんだか見ているこっちも疲れましたよ」
……ったく、お前まで息を詰まらせる必要はないだろうに。俺と同じように大きく肩で息をしている須田があまりに滑稽で、そんな須田を見ているとこっちまでつい笑いたくなって―……
「フフッ……」
「え!?今、君もしかして―……」
今までにない明るい少女の声に俺も須田も目を丸くせずにはいられなかった。今、確かに美耶子は―……
「何、私が笑っちゃいけないのか?でっ、滝川、何が聞きたい?」
この子にもこんな表情が出せるんだと思えたのも一瞬で、すぐに美耶子の顔からは笑顔が消えた。あとに残ったのは底が見えない黒曜石の冷たい瞳だけ。
……さて、それじゃ、聞きたいことを聞くとしましょうか。
++++++++++++++++++++
谷山 麻衣
神代家
平成××年9月1日
PM 11:04
「……人身御供(ひとみごくう)ですね」
「……ええ。この神代家は代々その儀式の為に贄を差し出していたと聞いています。もっとも、それも明治維新以前の話だそうですけど―……」
回る扇風機が室内の空気を掻き混ぜる。そこまで亜矢子さんの話を聞くと、ナルは考えるように瞳を伏せた。
……うーん…ひとみごくうひとみごくうか―……
「……ねえ、真砂子。ひとみごくうって何?」
実は、さっきから思ってたんだけど―……まずい、用語が分からないからぜんっぜん話についていけない。今までは何とか黙っていたけど、これ以上知らない単語を話されたら頭がパンクしそうだ。
耳打ちするように真砂子に呟けば、真砂子の口からは大きなため息が一つ。
仕方ないじゃん。こちとら素人だい。
……と、開き直れば呆れたと一言言葉が返ってきた。まっ、なんだかんだ言って、最後には結局説明してくれるのは知ってるんだけどね。少しとっつきにくいけれど、真砂子が意外と付き合いがいい事をあたしは知っている。
人身御供(ひとみごくう)とは、言い換えれば人身供犠。
人間を神への生け贄として捧げる儀式の事。
「い、生け贄!?」
「麻衣、声が大きいですわ」
ピシャリと真砂子にたしなめられて慌てて口を塞いだところですでに後の祭りで―……安原さんと亜矢子さんはクスクス笑ってるし、ナルはまたかという顔してるし、リンさんは―……こっからじゃ背中を向けて作業してるから表情は分からないや。
「……無知な人間の為に話しておくが―……」
無知って……お前はいつも一言多いんじゃッ!!
いつものように始まったナルの皮肉。
いい加減に慣れれば?
……と、結衣姉にも言われたけれど……時と場合ってあるよね?限度ってあるよね?
そんなあたしの心情を無視してナルは語る。人身御供は、特にアニミズム文化を持つ地域に多く見られる儀式。人間にとって、最も重要だと考えられる人身を供物として捧げる事は神などへの最上級の奉仕だと考えられていた。……と。
「……そんな酷い事が日本でもあったの?」
「今は個人の人権を尊重すべきという考えが一般的だが、古代社会では人命は天災や飢饉で簡単に失われるものだったんだ。日本でも河川による水害が度々起きたが、これは河川を管理している水神が贄を求めたためだと考えられていた。神の怒りを防ぐために河川に生け贄となる人間を投げ入れたり、人柱として水源の近くに埋めた。当然、神隠しと関連付けて語られることも多い」
夜半のぬるい風が頬をなぜる。
神隠し―……人身御供―……なんなのこの村……
―……この村は呪われていますから……―
吉村さんの言葉が蘇る。嫌な―……とても嫌な事に巻き込まれてしまったのだと改めて思い知らされた。
アニムズム文化を持つ地域に広く見られる儀式。
人間にとって最も重要と考えられる人身を供物として捧げる事は神などへの最上級の奉仕だと考えられていた。
《Hetu-Phala》
滝川 法生
田堀/廃屋
昭和78年8月3日
PM 5:40
「少年、どうだ?」
「……近くに奴らはいないみたいです。滝川さんは?終わったんですか?」
「ああ、もうすぐ終わるよ。」
飲まず食わず、休まずに化け物から逃げ続けてどこぞの廃村の外れまでやって来た俺達は、一件の東屋を見つけて、そこでようやく一息をつく事に決めた。
さっき須田にも確認を取ったが、少なくとも現時点でこの家の周囲に奴らの気配はない。いつまでも安全というわけではないだろうが、暫く休む事ぐらいは出来るだろう。
嫌な気配は相変わらずだが、これで封も終わる。と、俺は肩の力を少し抜いた。気休め程度かもしれないが、僅かの間でも気を休める事が出来るのなら恩の字である。
「うっし!封印完了。もう力抜いていいぞ」
俺の言葉を合図にして須田は大きなため息を吐いた。いっくら慣れてきたとはいえ、やっぱりこれキッツイからな~……張り詰めていたものが解けたんだろう。
俺が封じている間、見張りという大役をこなしてくれた須田の肩を労いの意味を込めて軽く叩けば、疲れたというもっとも過ぎる感想が返ってきた。
「本当にご苦労さん。おーい、美耶子だっけ?お前さんも楽にしていいぞ~」
「気安く名前を呼ぶなッ!!」
「ヘイヘイ。そりゃあ、悪うございました」
俺達三人は互いに力を合わせ危機を乗り越えた仲だ。今や三人の絆は固く―……なるはずもなく御覧のようにペラペラだ。下手したら豆腐より脆いかもしれん。現時点でそんな有様だ。いや、これでも俺と口を聞いてくれるようになっただけマシか。
「今、失礼な事考えただろう?」
「よく分かったなぁ~おっと、そんな睨むなって」
「プッ……仲いいですね」
「ッ……!!笑うなッ!!」
……こうして見てる分には普通の少女なんだが―……
くだらない事で口喧嘩を始めた美耶子をぼんやりと見つめながら、俺はそんな事を考えていた。
確かに口は悪いが、今、須田と舌戦を繰り広げている少女は年相応の子供だ。だが、初めてこの子を見た時のあの瞳は―……
「滝川さん!見てないでなんとかして下さ―……うわッ!イテッ!だから、叩くなって!」
「いいね~若いって。おじ様羨ましい~」
青い春とは、まったく、昔の人は上手い事を言ったもんだ。
もうすぐ西に日が沈む。そしていずれやって来るのは夜。結界はまだ大丈夫そうだ。
++++++++++++++++++++
谷山 麻衣
神代家
平成××年9月1日
PM 10:20
「う~ん……!」
天上に向かって思いっきり両手を上げれば、凝り固まっていた筋肉が伸びて少しほぐれる。正直、少し休みたい気持ちもあるが、でも、今はそれ以上に何か手がかりが欲しかった。少しでも前に進みたい。
「……少し休まれてはどうですか?」
「あっ、亜矢子さん!お盆運びますよ!」
「いいえ。皆さんはお客様ですから遠慮なさらないで下さい。それにあんな事になってしまって―……こんな事が罪滅ぼしになるとは思っていませんけれど―……」
背後から聞こえて来た音に振り返れば、そこには大きなお盆を持った亜矢子さんの姿。お盆の上には艶艶とした銀シャリのおむすびに黄色くてふわふわの卵焼き。美味しそうに色付いたトマトや胡瓜の夏野菜サラダ。お腹に悲鳴を上げさせるのには十分なご馳走が並んでいた。
「もしかしたらお腹を空かしていらっしゃるんじゃないかと思って夜食を持ってきたんです。……と、言いましても私にはこんなものぐらいしか用意できませんけれど」
「そんな事ないですよ!皆喜びます!」
申し訳なさそうに顔を歪めた亜矢子さんにあたしは慌てて首を横に振った。実際、小腹が空いていたし、何より亜矢子さんのあたし達に対するその気遣いが嬉しかった。
「……すごい量の資料と機械ですね……」
「ああ、これですか?いつもこんな感じですよ」
きっとこの光景が物珍しく写ったのだろう。疑うようなあるいは感心したような亜矢子さんの声に思わず苦笑いがこぼれた。
大体いつも依頼人は亜矢子さんみたいな反応をするけど、この反応にはまだ慣れそうにない。
「あっ…違うんです。疑っているわけではなくて―……私がイメージしていた霊能力者の方と随分異なっていたので―……」
「それもよく言われます」
慌てたように話す亜矢子さんに今度は苦みのない笑みで言葉を返す。誰だって霊能力云々を謳っている人間がこんなハイテク機器に埋もれながら作業している姿なんて考えもしないだろう。
渋谷サイキックリサーチ。通称SPR。
渋谷一也事ナルが率いるこの事務所の生業はゴーストハントであり、霊退治とは厳密に言えば異なる。ゴーストハントの目的はあくまで超自然的現象や心霊現象を調査し、データを集積することにあるからだ。
霊を払う事もあるけれど、それは調査の結果起きる副次的なもので払うこと自体を目的にしているわけではない。
データを集積するという事は科学的に調査をするということに他ならない。だから、SPRはハイテク機器をバンバン使って科学的に根拠を、データを徹底的に集める。
現に今間借りしているこの部屋だって、最長24時間録音可能なテープレコーダーや集音マイク。赤外線カメラや超高感度カメラにサーモグラフィーなとなどお高い機械が所狭しとひしめき合っている。
ああ……あの時ぶっ壊したカメラどうなったんだろう……
「少しお聞きしたいことがあるのですが―……よろしいでしょうか?」
「……なんでしょうか、渋谷さん?私で答えられる事ならいいのですが―……」
「この神代家についてです」
鈴虫の涼しげな鳴き声が部屋に響く。
少し部屋の温度が下がったように感じたのは、きっとそのせい。
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滝川 法生
田堀/廃屋
昭和78年8月3日
PM 6:03
「でも、なんなんだよ………この村もあいつらも……君も。あいつの言ってた“あっち側”になるってどういう事?」
「少年。休める時に休んどかないと次はいつ休めるか分からないぞ?」
「そんな事言ったって―……それに滝川さんだって全然休んでないじゃないですか」
「俺が休んだら結界解けちゃうの」
苛立たしげな須田の声が廃屋に響く。こんな状況じゃ無理もない。この極限の環境は須田の神経を磨り潰すには十分過ぎた。
いや、それは俺も同じか。お互いまだ最低限の冷静さを保っていられるのが奇跡のようなものだ。
「……変な奴だって思ってんでしょ?私の事」
「……思ってるよ」
「まあ、普通だとは思ってないな」
一種の諦めを含んだ冷たい美耶子の言葉に、俺と須田は思い思いに失礼で素直な感想を述べた。今更飾る必要もないだろう。……っというか、その余裕すら今の俺達にはない。
「私だって、こんな村大ッ嫌いッ!!……お前もあいつらの差し金で私を探しに来たんだろ?」
吐き捨てるように言い切ると、まるで射るような鋭い瞳で美耶子は強く睨んだ。彼女の視線の先にいるのは須田ではなく―……俺。
「まあな……と、言いたいところなんだが―……いくつか俺から質問していいか?」
「私が素直に答えると思ってるの?」
こりゃあ、手厳しいねえ……
どうしたもんかと後ろ手で自分の頭を二、三度掻いてみたが、俺としても答えてもらわなきゃ困るから聞く事を変えようがない。……しゃーない。こうなりゃ根比べだ。
「そう悪い話でもないと思うぜ?答えてもらう代わりに俺も知っている事をお前に話すし」
「……お前の言う事が嘘じゃないと誰が証明できる?」
「そりゃあ、お互い様だ。誰もお前さんの言う事が嘘じゃないと証明出来ないからな」
……さあ、どう出る?
俺と美耶子の間に緊張が糸を張る。互いに無言。視線の応酬。やけに時間の進みが遅いように感じた。
「……分かった。話す」
「やりぃ!あ―……疲れた」
ふう……と小さな吐息が美耶子の口から漏れ出る。どうやらこの根比べは俺の勝ちのようだ。
「滝川さんよくやりますね……なんだか見ているこっちも疲れましたよ」
……ったく、お前まで息を詰まらせる必要はないだろうに。俺と同じように大きく肩で息をしている須田があまりに滑稽で、そんな須田を見ているとこっちまでつい笑いたくなって―……
「フフッ……」
「え!?今、君もしかして―……」
今までにない明るい少女の声に俺も須田も目を丸くせずにはいられなかった。今、確かに美耶子は―……
「何、私が笑っちゃいけないのか?でっ、滝川、何が聞きたい?」
この子にもこんな表情が出せるんだと思えたのも一瞬で、すぐに美耶子の顔からは笑顔が消えた。あとに残ったのは底が見えない黒曜石の冷たい瞳だけ。
……さて、それじゃ、聞きたいことを聞くとしましょうか。
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谷山 麻衣
神代家
平成××年9月1日
PM 11:04
「……人身御供(ひとみごくう)ですね」
「……ええ。この神代家は代々その儀式の為に贄を差し出していたと聞いています。もっとも、それも明治維新以前の話だそうですけど―……」
回る扇風機が室内の空気を掻き混ぜる。そこまで亜矢子さんの話を聞くと、ナルは考えるように瞳を伏せた。
……うーん…ひとみごくうひとみごくうか―……
「……ねえ、真砂子。ひとみごくうって何?」
実は、さっきから思ってたんだけど―……まずい、用語が分からないからぜんっぜん話についていけない。今までは何とか黙っていたけど、これ以上知らない単語を話されたら頭がパンクしそうだ。
耳打ちするように真砂子に呟けば、真砂子の口からは大きなため息が一つ。
仕方ないじゃん。こちとら素人だい。
……と、開き直れば呆れたと一言言葉が返ってきた。まっ、なんだかんだ言って、最後には結局説明してくれるのは知ってるんだけどね。少しとっつきにくいけれど、真砂子が意外と付き合いがいい事をあたしは知っている。
人身御供(ひとみごくう)とは、言い換えれば人身供犠。
人間を神への生け贄として捧げる儀式の事。
「い、生け贄!?」
「麻衣、声が大きいですわ」
ピシャリと真砂子にたしなめられて慌てて口を塞いだところですでに後の祭りで―……安原さんと亜矢子さんはクスクス笑ってるし、ナルはまたかという顔してるし、リンさんは―……こっからじゃ背中を向けて作業してるから表情は分からないや。
「……無知な人間の為に話しておくが―……」
無知って……お前はいつも一言多いんじゃッ!!
いつものように始まったナルの皮肉。
いい加減に慣れれば?
……と、結衣姉にも言われたけれど……時と場合ってあるよね?限度ってあるよね?
そんなあたしの心情を無視してナルは語る。人身御供は、特にアニミズム文化を持つ地域に多く見られる儀式。人間にとって、最も重要だと考えられる人身を供物として捧げる事は神などへの最上級の奉仕だと考えられていた。……と。
「……そんな酷い事が日本でもあったの?」
「今は個人の人権を尊重すべきという考えが一般的だが、古代社会では人命は天災や飢饉で簡単に失われるものだったんだ。日本でも河川による水害が度々起きたが、これは河川を管理している水神が贄を求めたためだと考えられていた。神の怒りを防ぐために河川に生け贄となる人間を投げ入れたり、人柱として水源の近くに埋めた。当然、神隠しと関連付けて語られることも多い」
夜半のぬるい風が頬をなぜる。
神隠し―……人身御供―……なんなのこの村……
―……この村は呪われていますから……―
吉村さんの言葉が蘇る。嫌な―……とても嫌な事に巻き込まれてしまったのだと改めて思い知らされた。