Hetu-Phala
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「お姉ちゃん!」
私も確かに見た。理沙さんと同じ顔をした……全身赤黒く汚れたナース服に身を包んだ女の人の姿を……
《Hetu-Phala》
谷山 結衣
大字粗戸/バス停付近
昭和78年8月3日
AM 7:22
「(村だ……)」
吉村さんと出会ってから数時間。言われるがまま、従って後ろをついてきたのはいいけれど―……
赤い水を吸って湿った服が重い。だけど、それ以上に気分が重かった。
夜が明ければ―……
村に着けば―……
そんな私のたらればは残念な事に叶ってくれそうにない。有り難くないことにあの幻視が私に、私たちに不浄の化け物の存在をいまだ知らせているのだから。
「……!?」
「助けてッ!!」
「うっ……!」
突如生じた、後ろからの強い力に私の体が大きく傾く。不意をつかれた私はそのままバランスを崩し、前に立っていた吉村さんに頭からつっんのめった。
うわっ……やっちゃった。吉村さん、絶対不機嫌になる。
まだ、精々数時間しか吉村さんと一緒に行動していないけど、私には確信している事があった。
この人、絶対にナルと同じタイプだ。おまけに、ナルより厄介。
そんな厄介極まりない吉村さんに思いっきり背後から頭突きを食らわせたのだ、私は。どうなるかなんて目に見えてるじゃん。ろくなもんじゃない。
……仕方がない。とっとと謝るのが勝ちだよね?……って、私、今喋れないじゃん!
由々しき事態に私が頭を抱えたその時だった。
「……美奈?」
私の目に写った吉村さんの表情は、予想していたものとは違うものだった。
表面上はさっきまでの吉村さんと変わりがない。だけど―……吉村さんの顔色が今までより青白く見えたのは、この濃い朝靄のせいだけ?
「もしかして、宮田先生ッ?私、恩田美奈の妹です!理沙です!!」
「……妹?」
息を切らし、嗚咽混じりで、理沙と名乗った女性は矢継ぎ早に語る。
気が動転してるんだ。彼女が混乱しているという事が声だけでも伝わってくる。
……って!!この女の人ッ!!
「私、お姉ちゃんに会いにいこうとして……お姉ちゃんは無事なんですか!?お姉ちゃんはどこですか!?」
二つに緩く束ねられた女性の長い髪が揺れる。
「……ああ、双子か」
「……はい。私とお姉ちゃんは双子の姉妹です」
この女性は―……この顔は―……
「(いつか見た人だ)」
つい最近見た白昼夢の記憶が不気味に甦る。
匂いですらはっきり覚えてる。鼻を突く消毒用のエタノールの匂い。ほこりで薄汚れたくすんだ白い壁。その部屋の中心で向かい合う男女の姿。
そして―……
「私も美奈さんを探していたんだ」
「ヒック…は、はい……」
「取り敢えず、病院へ。ほら、どうしました?あなたも。行きますよ」
病院―……!?病院に行くって言ったの?吉村さん?
病院という単語に血の気が引いていくのがわかった。……確か、あの夢で見たはずの部屋も病院のようなところだった、よね……?
一瞬感じた寒気は濡れた服をのせいか、別の何かか―……杞憂で済めばいいけど……ぁあああ!!もう!こうなりゃどこにだって行ってやるわッ!!
私だってこんな化け物怪物妖怪より取り見取りな場所に一人で取り残されるのは嫌なんだから!
先はいまだ濃い霧に囲まれて見通せそうにない。
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宮田 司郎
大字粗戸/バス停付近
昭和78年8月3日
AM 7:47
凍った濡れ手ぬぐいの上に乗せた貯金箱が腐りかけた木張りの床に落ちる。続けて生じた騒音に釣られるように、食堂の主人と化していた警官は慌てて外へ飛び出していった。
こんな子供騙しに……と、内心馬鹿にしていたが―……
視線を化け物から同行者の少女に向ければ、この罠を仕掛けた本人である彼女は小さくガッツポーズを作り、誇らしげな表情で俺を見つめた。
……腹が立つ。
「……馬鹿な事をやってないで早く中を調べてきて下さい」
そう俺が口にした途端、少女の顔は憎らしげな顔から一転、俺に対して抗議するような表情に変わった。
「先程の民家はあなたではなく理沙さんが調べたのだから次はあなたの番です。ほら、早くしないとあの警官が戻って来ますよ」
「ファイトです!私でもなんとかなったしきっと大丈夫ですよ!」
理沙の追い打ちに観念したのか、俺達二人に恨みがましい視線を残して少女は食堂へと入っていく。色々と忙しい女だ。
……幻視をしたかぎりだと、あの警官が戻ってくるまでまだまだ余裕があるだろう。部屋の中は赤く荒らされているが、あれは血でなく、あのそばの付け合わせのジャムが壁にまで飛び散っているだけで危険はなさそうだ。
「……宮田先生?どうしたんですか?」
「今のうちにあちらの化け物を叩いてきます。幻視した限りだと銃を持っていたようですから。理沙さん、彼女が戻ってきたら私が戻ってくるまでこの店の裏に隠れていなさい」
美奈と同じ顔をした女は酷く怯えた表情でゆっくりと首を縦に振った。
その怯えた表情に否が応にも昨夜の出来事がよみがえる。握り締めたネイルハンマーに力が籠もった。
早く早く美奈の―……俺が殺した恋人の死体を探さなくては―……
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谷山 結衣
××××
××年××月××日
どこだろう―……ここ。
瞳を開ければそこは私が最初に目覚めた時と似たような鬱蒼とした森の中だった。もっとも、あの時と違って川は近くにないし、地形も違うから同じ場所じゃないって事はわかるけど。
「もう最悪ッ!顔もベトベトッ!シャワー浴びたい……何で誰もいないのよッ!!」
この声―……不意に人の声が聞こえてきて、私はその声に向かって足を進めた。そこにいたのは派手な格好の女の人で、彼女は苛々しているのかゴミを投げ捨て盛大に悪態を吐いている。
派手な花柄のノースリーブにローライズのパンツ。ヒールが高い靴。頭は、お前キャバ嬢かよ!……と、ツッコミたくなるぐらいにこんもりと盛られていて―……綾子のファッションも大概派手だが、この女性は綾子の比じゃないぐらいド派手なものだった。綾子越えする人間がいるとは―……世の中広いもんである。うん。
「誰ッ!?」
女性の短い叫び声が霧の中に響く。
ヤッバッ!?もしかして見つかったの!?
反射的とも言えるだろう。私は咄嗟に近くの茂みの中に屈んで身を隠した。足音がこっちに一歩一歩近づいてくるのが音で分かる。自分の心臓の音がうるさかった。
そして―……
あれ―……?
「……よそ者か。巻き込まれたようだ」
女性とは違う、枯れたしゃがれ声が私の鼓膜を揺らす。今までなかったその声に顔を上げれば、先程の女性と一人の老人が対峙している姿が目に入った。
「あ、あの―……私、道に迷っちゃったみたいで~……」
顔に似合わない甘ったるい声色を使って、まるで、しなだれかかるように女性が老人に言葉を掛ける。
ウォイ。さっきまでゴミポイ捨てして悪態吐いてた時とのこの変わりようはなんだ、この変わりっぷりは。
化け物を見た時とは違う種類の嫌な汗が、私の背中を流れていく。綾子もそうだけどさー……この人もせっかく顔は整ってるんだから、変に甘えたぶりっこするよりももっといい容姿の活用方法があると思うんだけどな、私。
「あの女のせいだ。昔と寸分と変わらない姿。“八尾比丘尼”だ。あれは―……化け物だ」
再び老人が口を開く。老人の口から出た言葉は前後が繋がらない言葉だった。
化け物―……?
あの女―……?
やおびくに―……?
憎々しげに顔を歪めて老人は語る。
「あの……?ちょっと話がよく分かんなくて―……それより!」
女性の声が甘いものから徐々に語気が強いものへと変わっていく。当然だ。女性と老人の会話は第三者である私から見ても全く噛み合っていない。
「あの女のようになりたいか?永遠に生きる女に」
最後に謎掛けのような言葉を残し、老人は山の奥へと姿を消していく。
「はあ?だから、田舎は嫌いなのよ」
そして、女性も老人が進んだ方向と逆の方向に消えていった。後に残ったのは、一面の白い霧と私だけだった。
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谷山 麻衣
宮田医院
平成××年9月1日
PM 4:44
「衣……麻衣!」
「ん……?あれ……ナル?どうしたの?」
開眼一番、あたしの目に飛び込んできたのは、眉間に深く皺を寄せたいつものナルの顔だった。不機嫌を隠していないナルの声を聞いて、ピントがズレていた意識が少しずつ戻ってきたのが分かる。
戻るまでの間、皮肉だか文句だかを言われたような気がするが、まっ、いい加減慣れてるからいいや。
それより、何でこんなに手が暖かいんだろう?
ああ、そうか、あたし―……
「また、寝てたんだ」
あたしの手は結衣姉と繋がっていて、その手を見てそういえば看病をしようと思って来てたんだっけ、と、今更ながらに思い出した自分が滑稽だった。
「……何か見たか?」
「えっ?何って何?ナル」
まだ眠り続けている結衣姉を一瞥すると、壁に寄り掛かりながらナルはあたしにそう尋ねた。
「……結衣の事だ」
部屋に掛けられている時計の秒針が時を刻む音がやけに耳をつく。
「……結衣姉?」
「そう。前にも話したと思うが僕とジーンの間にはホット・ラインがあった。意識と意識直通のテレパシーのような、な。そして、お前達姉妹にもおそらく先天的に霊的な才能がある。僕達同様、二人がどこかでリンクしていてもおかしくないだろう」
そんな事を急に言われたって、こちとらあんた達兄弟と違ってそんな便利に―………
「やおびくに―……」
「やおびくに?」
そうだ!思い出した!!
「夢の中で結衣姉の姿を見たよ!どこかの森の茂みの中に結衣姉が隠れていて、確かに結衣姉は“やおびくに”って口にしてたよ!ナルッ!」
「やお……八尾―……あの“八尾比丘尼”か?」
あたしの話を聞いた途端、考え込むようにナルは“やお“という単語を繰り返して口にして、そして一つの単語にたどり着く。
「この村についてもう一度調べ直す必要がありそうだな……麻衣、お前はどうする?」
「あたしもいく!このまま何もしないでいるのなんて絶対に嫌だからねッ!」
夢の中で見た姉の姿が脳裏によみがえる。結衣姉はあんな薄気味悪いところにいるんだ。助けを待ってる。だったら、妹のあたしが頑張らないでどうするの?
「……行ってくるね。結衣姉―……みんな」
結衣姉達はまだ目を覚まさないけれど、結衣姉の手は暖かくて、まだ手遅れじゃないって分かったから。だから、もう少しだけ待ってて。
「行こう、ナル」
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谷山 結衣
宮田医院/第一病棟診療室
昭和78年8月3日
AM 10:48
「………?」
「あっ、気が付きましたか?」
ここは―……病院?ああ、そっか。
「随分お疲れだったみたいですね。無理もないです。でも、十分ぐらいしか時間は経っていないみたいですからもう少し休んだらどうですか?」
優しく声をかける理沙さんに私は否定の意味を込めて首を横に振る。声が出ないと分かってからも変わらず私に接してくれる理沙さんは、やっぱり優しい人なんだと思う。もしかしたら、この特異な環境がそうさせているのかもしれないけれど―……今は理沙さんのこの優しさが嬉しい。
ふんわりと笑う理沙さんの顔は本当に綺麗だった。
次に私はもう一人の同行者へと意識の先を移した。
吉村―……いいや、理沙さんの言動から考えるにこの人の名は“宮田”というのだろう。私の視線の先にいる宮田さんは、忙しそうにカルテの山を崩して読んでいるようだった。
今は邪魔をしない方がいいだろう。もっとも、私は喋れないから邪魔も何もないけど。
それより、やおびくに―……か。
さっき見た夢が頭に張りついて離れない。ううん。夢というにはあまりにリアルで、とても夢には思えない光景だった。
やおびくに―……やおびくに―……
なーんか、夢以外でもどこかで聞いたことがあるような―……しっかし、毎度のことながら記憶の引き出しをいくら開けても答えが出てこなくて―……小骨が引っ掛かったような感覚がひどく煩わしかった。
―…理沙…―
「……?」
不意に聞こえてきた鈴やかな女性の声。その声に私は首を傾げた。理沙さんの耳にもその声は届いたのだろう。
私が理沙さんの方を向けば、彼女は違うと否定の意味で首を横に振った。
私は声を出せないし、理沙さんでもない。宮田さん―……だったら、それはどんなホラーよりホラーである。うっわっ、考えただけで鳥肌が立ってきた。
「あなたでもないなら一体、誰が私を―……」
声の出所を探そうとしたのだろう。そう呟くと理沙さんは鉄格子のはまった窓へとふらふらと近付いていった。確かに、私でも理沙さんでもないなら外から誰かが呼んだと考えるのが一番自然だ。私も慌てて理沙さんの後に続いて窓に近付く。
背伸びをして外を伺えば、外は相変わらずの靄。それ以外は何も変わったところは―……
「……ッ!!!」
「お姉ちゃん!?」
理沙さんの悲鳴に似た声が病院内にこだまする。その声に、今まで一人黙々とデスクワークに励んでいた宮田さんも立ち上がった。
部屋の温度が下がったのが分かる。
私も……見た。理沙さんと同じ顔をした―……全身赤黒く汚れたナース服に身を包んだ女性の姿を。今まで見てきた化け物と同じ、血の涙を流す女の姿を―……
お願いッ!夢なら、夢ならどうか覚めて……ッ!!