Hetu-Phala
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ねえ、どうしてそう平然としていられるの?
ねえ、どうして何の躊躇もなく殺せるの?
《Hetu-Phala》
谷山 結衣
蛇ノ首谷
昭和78年8月3日
AM 4:00
吉村さんの持っている懐中電灯の明かりが雨で湿りぬかるんだ地面をぼんやりと照らす。それはあまりに弱々しく頼りない燈で、逆に今置かれている異様な状況をまざまざと浮かび上がらせているようにさえ私には思えた。
さっきより少し弱くなった赤い雨が前を行く吉村さんの白衣を赤く浸食していく。血と泥で汚れた白衣に生理的嫌悪感を持たずにはいられなかった。
……って、違う違う!私が今考えなきゃいけないのはそれじゃない。そう、あの映像について考えなきゃ。
それは、妄想と呼ぶにはあまりに生々しい質量を持った、だけど、あまりに現実離れした光景だった。
朽ちかけ煤けた白いコンクリートの壁。所々錆付いたアルミ刷子の窓。狭く圧迫感すら感じたあの部屋は病室の一室か何かだったんだろうか?その狭い空間の中心にいたのは向かい合う二人の男女だった。
残念ながら私の方からは男性の背中こそ見えるものの顔を見ることは出来なかった。だけど、背格好と服装からその男性が、今、私の前を歩いている男性と同一人物であるという事は分かった。
対して女性はと言えば……その人は私の知らない人だった。低い位置で二つに束ねられた長い髪。年は、私よりも一つ、二つ上なのだろうか?可愛らしい顔をした女性だった。普段は……の話だろうけど。だって、今の女性の顔は般若と言ってしまっても差し支えのないぐらい恐ろしい表情だったから。
女性は男性に激しく詰め寄り、何かを叫んでいた。そして、次の瞬間、女性の細い首に男性の大きな両手がかかり―……叫びたくても、目を逸らしたくても、私は身動き一つ取れなくて、言葉も出てこなくて―……女性の白い肌が益々白く変色し、ついにダラリとだらしなく腕が落ちる。その間、男は一言も発する事なく、まるで単純作業をこなすかのように淡々と首を締め続けていた。彼女の息が完全に止まる―……その時まで。
不意に鳴り響いたサイレンの音がやけに耳に残り響いた。
……ここまでがさっき私が見た光景だった。
でも、改めて考えてると、あれは一体何だったんだろう?
“つまり、あんたら姉妹はカラダは人間でもココロは野生動物ってわけね!”
ナル達にこう馬鹿にされたのは、湯浅高校の事件が終わった直後だったろうか?
どうやら、私と麻衣のESP能力は害意のあるものに対して異常なまでに敏感で、いわゆる自己防衛本能として働いているようなのだ。……それを野生動物と同じだと言い切られたあの時の私達姉妹の怒りはぜひとも推して計ってほしい。くっ……思い出しただけで腹立たしいッ!
まあ、とにかく。私達の力は自分達に危険が迫れば迫るほど研ぎ澄まされる……らしい。
その法則を今回も適用するのなら、現時点で私は非常にひじょーにヤバい状況下にいると言わざる得ない。麻衣ならともかく、私があんなにはっきりしたものを見るなんて今までならありえなかったのだから。
だけど、と、同時に違う考えがブレーキを掛ける。そもそも、それがはたして当てになるのか?と、いう事だ。
自慢じゃないけど、私のESP能力は麻衣に比べてだいぶ劣っている。それは昨日の黄泉比良坂の件からも明白で―……って、大体この力が本当に当てになるならナンバー式宝くじでも買って一山当ててるわ。
……そーんな不安定中の不安定。キングオブ不安定な要素なのにそれを信用し過ぎるのはいかがなものだろうか?それこそ外れていたら目も当てられないし失礼極まりない。
「……そこ、段差がありますから注意してください。もう少し山を下れば県道に出られるはずです」
なのに―……
どこまでも無機質な吉村さんの声が静かに響く。
根拠のない不安は杞憂。
そう思いたいのに思えないのはこの声のせいなのかもしれない。
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谷山 結衣
蛇ノ首谷
昭和78年8月3日
AM 4:40
吉村さんが言った通り、あれから間もなく私達は鬱蒼とした獣道から人工的に舗装されたアスファルトの道路に抜け出る事が出来た。道の路肩には一台の乗用車が停まっていて、待つように指示を受けた私は一人じっと吉村さんの行動を見つめていた。
その吉村さんはと言えば、停まっている車のトランクを慣れた手つきで漁っている。言うまでもなく、この車の持ち主は吉村さんなのだろう。鍵持ってたし。
「……使えそうなものは―……これぐらいか」
そう一人呟いた吉村さんが手にしているのは、発煙筒と―……スパナ?いやいやいやいや。待て待て待て。いくら何でもおかしいでしょ!?
発煙筒はわかる。おおいに分かる。だって、いくら舗装された道に出られたとは言え、まだ人が住む地区から離れた場所にいるのだから、万が一に備えて、自分達の居場所を他の人に知らせることが出来る発煙筒は持っていてもいいかもしれない。
だけどスパナってどうよ?何に使うの、それ?どこかのボルトでも締めに行く気なの?吉村さん?
ああ!口が聞けないこの状況がもどかしいし焦れったい!!普段なら絶対ツッコむのに!ツッコミどころなのに!
「……!?」
「……ッ!また……!」
突如、現われた頭痛とノイズ音。それと共に私の視界までもブレてぼやけ始めた。
さっきの―……とは違う……?さっき見た映像はもっと鮮明だったし何より私の視点からだった。けど、これは違う。まるで……そうだ。これってもしかして誰か違う人の視点なんじゃ……今度は意図的に、私は意識を集中させた。もしかしたらこのまま見続ければこの現象について分かるかもしれない。
あれは……廃屋?錆付いて酸化したプレハブのトタン壁が見える。それから―……何この手ッ!!?
気付いた瞬間、声にならない悲鳴が私の体全体を一気に駆け巡る。慌てて自分の手を、腕を見れば、そこにあったのは血の通った見慣れた自分の手で―……私はホッと胸を撫で下ろした。だけど、それも束の間で、だったら、と、不気味な疑問がザワザワと音を立てながら浮かび上がる。
じゃあ、私がさっき見た、あの血の気の全くない土色に変色した腐りかけの手は一体誰のものだったのか、と。
「……行きますよ」
横を見れば、スパナを強く握り直した吉村さんの姿があって―……スパナ持っていくの理にかなってるのかも。
そんな有り難くない予感は残念ながら当たってしまった……
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谷山 結衣
蛇ノ首谷
昭和78年8月3日
AM 5:02
吉村さんの手にしたスパナが、ゾンビと言っても差し支えのない化け物の頭蓋骨を粉々に砕き陥没させる。肉の塊や血が吹き出し、腐臭にも似た不快な臭いが充満して、私は込み上げる吐き気を堪えるので精一杯だった。
後にも先にも声が出せないことを感謝するなんて恐らくもうないだろう。じゃなきゃ、私は絶対、恐怖のあまり悲鳴を上げて泣き叫んでいたはずだ。
骨と金属のぶつかり合う鈍い音。それから少し遅れるようにして化け物は自身が作り出した血溜りにぐじゃぐじゃに潰されて倒れこんだ。
「何をしているんですか?またいつ奴らが襲ってくるか分からないんですよ?早く付いてきなさい」
……やっぱり、この人……おかしい。
失礼だけど、そう思わずにいられる人がいるのなら、私は是非ともその人の顔を拝みたい。
懐中電灯の光が反射して、化け物の脂と血で汚れたスパナが濡れ塗れと不気味に光る。
ねえ、どうしてそう平然としていられるの?こんな凄惨な光景を目の当たりにして。
ねえ、どうして何の躊躇もないの?確かに今あなたが殺したのは化け物だったし、殺さなければ私達が逆に殺されていたかもしれないけど、だけどどうしてためらいも迷いもないの?
何故、そんなに殺すことに手慣れているの?
そう思った時、例えようのない嫌悪感が私の体を蝕み侵食した。
「……さっき見た小屋、か」
目の前にはついさっき私が映像で見たボロボロに崩れかけた廃屋。口振りからするに吉村さんも私と同じ映像を見たのかもしれない。
嫌な……とてつもなく嫌な事に巻き込まれてしまったのだと、今更ながら強烈に突き付けられた気がした。
……って、またあの視点!再び私を襲ったあの現象に思わず顔が強張る。この土色の手―……あの化け物のだったんだ。じゃあ、今、私が見てるこの視界は化け物のものって事?
私は更に意識を沈める。もうさっきみたいに驚いたりしない。もし、これが化け物のものだとしたら……!
「……!?」
動いたッ!
私が垣間見ている化け物が、不意に動き、猟銃らしきものを構えどこかに標準を定めたのが分かる。こいつの視線の先にいるのは……私達!?そうか、私達のところからあの位置は死角で普通なら見えないんだ!吉村さんは気付いてない。このままじゃ私達……ッ!でも、これだけ離れてたら間に合わない!
“呪文や道具を使うのは気力を効率よく高めるためってわけ。なきゃ出来ないってもんでもないのよ”
綾子の言葉がよみがえる。今から離れたところに攻撃するならあれに頼るしかない。もし、綾子の言葉が本当なら声が出せない今の状態でも―……!!
手印はこう。私は素早く空を九字切り、声にならない声で真言の一説を唱えた。
「……何を始めるつもり―……クッ……なっ……!!」
乾いた銃声と爆音が闇に響き渡った。
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宮田 司郎
蛇ノ首谷
昭和78年8月3日
AM 5:21
突如、生じた銃声と爆音に暫し自分の思考が止まった。今、この一瞬に何が起きたのか、と。
俺は、今、確かに射たれたはずだ。
俺が敵の存在に気付いた時には、既に奴の銃の引き金に指が掛けられていて、俺はそのまま射たれて死ぬ……はずだった。
だが、実際はどうだ。
俺はこうして生きていて、俺の死角から銃弾を放ったあの化け物の方が倒れている。仰向けに倒れたそれが持っていた猟銃の銃口は空へと向けられていて、引き金が引かれるまでのわずかの間に体勢を崩され銃弾が外れたのだと理解するまで時間が掛かった。
一体、誰があの化け物を―……
……あの少女しか考えられない。
同行者の少女に化け物から視線を移せば、彼女は大きく瞳を見開き、唖然とした表情で化け物の慣れの果てを見つめていた。彼女のその表情に、一瞬、彼女がやったわけではないのではないか、という考えがよぎる。
だが、紛れもない。あの化け物を倒したのはこの少女だ。
あの時、俺は確かに見た。彼女が虚空に九本の線を描き、声にならないまでも確かに何かを叫んでいる姿を。
俺の記憶が正しいなら、あれは密教真言の九字の印のはずだ。眞魚教が支配するこの村では異教の邪法とされている密教真言。彼女が見せたあの動きは九字の法に他ならない。
……この女、使える。
そう思うと同時に今すぐに始末せずともよいのかと、警鐘が鳴り響く。数メートル離れた場所にいる対象を触れる事なく吹き飛ばし、切り裂くまでの法力。……利用価値はあれど末恐ろしくもある。
だが、まだ今は利用価値の方が遥かに不利益に勝る。利用価値が消失した時、その時に始末をすればいいだろう。
「……歩けますね?行きますよ。あと数十分もすれば村に辿り着くはずです」
俺の考えを知ってか知らずか―……もの言わぬ少女は青ざめた顔でゆっくりと頷いた。
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松崎 綾子
大字浪羅宿
昭和78年8月3日
AM 3:15
嘘でしょ……?
アタシはまさにたった今起こった事を理解できずにいた。
同行者の多聞と名乗った男と安野と名乗った女が驚愕の表情でアタシを見つめているけど、正直、アタシの方がその顔をしたいぐらいよ。
確かに、アタシは今、襲ってきた化け物に対して九字を切った。だけど、あの生臭坊主やリンならいざ知らず、アタシの九字にはここまでの力はないはずよ。
でも、現実はどうよ。
アタシの九字を受けた化け物は遥か後方に向かって吹き飛び、その体はアタシが切った九字と同様に九つに切り裂かれていた。
じとっ……とした脂汗が背中をいく筋もいく筋も流れる。いくら、最後に手印で払って攻撃に流用しているとは言え、九字はそもそも護身九字であり、空間を清め邪を払う法術―……ここまでの力、普通ではありえない。
「……君が使ったのは九字か?」
「ええ……そのはず、なんだけど……」
「なるほど。術者の君でも分からないということか」
思わず返答に言い淀んだ、その理由を察したのだろう。多聞はそう言うと何かを考えるように顔を伏せた。
「現実では起こり得ない―……か」
「せんせ~い。あやこさ~ん。どーいう事ですかー?ぜんっぜん分からないですよ~。ってか、そもそもあのゾンビみたいな奴ら一体何なんですか~?」
どこか間の抜けた安野の声がいい加減少し煩わしい。この子はちょっとは自分で物事を考えた方がいいような気がするわ。
「……少しは自分でも考えたらどうだ?」
「考えても分からないからこうやって聞いてるんじゃないですかぁ~。先生の意地悪~」
ブー、いけず~。と、続いたその言葉に多聞の口からまた一つ大きなため息が零れる。やっぱり、多聞は禿げるわね。しかも、近い将来。
「はあ……話は後でだ。この先に恐らく村があるだろう。だが、またいつ奴らが襲ってくるかも分からない。注意は怠るなよ。……分かったか安野」
「キャー!せんせっ!私のこと心配してくれるんですね!?それって、もしや愛ですか~?」
闇に潰れた空から落ちる雨はやっぱり赤のまま。それは、むなしく天を仰ぐアタシを嘲笑っているかのようだった。
はあ……アタシ、無事に帰れるのかしら。
アタシの問いに答えてくれる存在は勿論いなかった。