Hetu-Phala
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……ヤバいことになってる。
《Hetu-Phala》
谷山 麻衣
???
??年??月??日
「……宮田です。神代の使いで来ました」
強烈な光の波があたしの視界を白い闇一色に塗り潰す。左右、上下すら分からない曖昧なこの世界で確かな輪郭を持っているのは声だけだった。
「……確かに」
同じ声色の二つの声が白い闇を震わせる。
「……二十七年ぶりですね。ご成功をお祈り申し上げます。では―……」
二つの声が消える。たった二つ、形を持っていたものが消える。後に残されたのは、当然、白い闇だけだった。
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谷山 麻衣
宮田医院
平成××年 9月1日
PM0:00
「……気が付いたようですね」
「……リンさん?ああ……そっか」
大きく開け放たれた窓から吹き込んだ晩夏の風が、少し日に焼けて黄ばんだ白いレースのカーテンを踊らせている。窓が切り取っている色は鮮やかな青と白で、白一色の世界から無事に帰ってこれたことを実感したあたしはそっと胸を撫で下ろした。
「もしかしなくても、あたし寝てましたよね?」
「ええ。気持ち良く―……ではなさそうでしたが」
そう言うとリンさんは少しだけ笑った。今でこそ分かるようになったけど、昔はこの表情がリンさんの笑顔だって分からなかったんだよねー。
……なんて、思い返す。だって、リンさん、ナルに負けず劣らずの鉄火面なんだもん。
しかも、二人とも黒ずくめだから威圧感が半端ないったらありゃしない。何もそこまで合わせんでも……と、思った回数プライスレス。
リンさんは中国の香港出身の道士で、ナルにとっては師匠とも秘書とも言えるなんとも妙な存在の人だ。生まれが中国だからイギリスや日本に本当はいい感情を持ってないんだけど―……少しずつだけどあたし達に柔らかくなっていくリンさんを見るのは何だか少し嬉しかった。以前のリンさんならこんな風にあたしに声を掛けることなんて絶対になかったもん。
うーん……でも、気持ち良さそうじゃなかった、か。言われてみれば、黒い合皮のソファーと背中の境界線が湿っていて気持ちが悪い。リンさんの言う通り、寝てたって言ってもやっぱり安眠は出来なかったみたいだ。
その証拠―……かは分からないけど、寝たはずなのにあたしの体を包んでいたのは、爽快感とは真逆の気持ち悪い倦怠感だった。
「ナル達はどうしたんですか?」
「ナルは今、医者の話を聞いています。原さんと安原さんは必要なものの買い出しですね。あの四人をあの状態で放っておくわけにはいきませんし、入院ともなればそれなりの準備が必要ですから」
入院。
その二文字が重くあたしにのしかかる。分かってはいたけれど、改めて言葉にされるとやっぱりちょっとキツかった。
「谷山さん」
「うん。分かってるよ、リンさん。だって、このままいつ目が覚めるか分からないのに何もしなかったら結衣姉達、衰弱死しちゃうもんね」
消毒用のエタノールの強い匂いが鼻を目を刺す。少しだけ涙が流れたのは、きっと、そのせい。
だって、結衣姉達は絶対に大丈夫だから。だから、あたしが泣く必要なんかないじゃない。
「麻衣、リン、部屋に入ってこい。医者から話があるそうだ」
「……うん」
蝶番が耳障りな悲鳴を上げ、それに合わせてどこにでもあるありふれた扉がゆっくりと開いていく。握ったドアのノブは氷よりも冷たいもののように思えた。
心臓の鼓動が五月蝿い。一度大きく息を吸って、あたしは部屋へと足を踏みいれた。
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滝川 法生
刈割/不入谷教会
昭和78年 8月3日
AM6:40
「……やっと、朝か。」
奇妙な模様をしたステンドグラスから僅かに光が差し込む。その真下にある窓から外の様子を伺えば、辺りは一面濃い霧に包まれていて10メートル先すら見渡せないような有様だった。
これじゃ、色が黒から白に変わっただけで闇の中にいる事に変わりがない。
「……チッ」
その絶望的な光景に不安とも焦りとも言えない感情が首をもたげる。
朝日が昇れば全部解決する。……―なーんて展開は当然だがなかった。
「……夢じゃないんだ。頭がおかしくなりそう。……滝川さん、俺達これからどうするんです?」
少し仮眠を取れたことで落ち着きを取り戻したのだろうか?須田少年は昨夜のように取り乱すということはなくなっていた。まあ、それでも十分に混乱の最中だろうが。こんな状況にいきなり巻き込まれて平然としていられる人間なんて早々―……いや、うちのナル坊ならやりかねない気もするぞ、うん。
因みに俺ことぼーさんですが、十二分に焦っていますとも。その証拠にいつもなら安全確保の為に真っ先に自分達がいる場所を封じにかかるのにも関わらず、今の今まで封じるのを忘れてたぐらいだからな!
威張れることじゃないじゃん。
……と、いうツッコミが恋しい今日この頃。あっ、刺した独鈷杵(とつこしょ)倒れてやがる。そうか、お前がツッコんでくれのか。……んじゃなくて、と。
「さあな~。俺もお前さんと同じでさーっぱり分からん」
「威張れることじゃないっしょ?」
「おっ?そのツッコミ待ってたんだよな。……と、まあ、ふざけるのはここまでとして、だ。きっと、そういうのは俺じゃなくてあっちに聞いた方が早いと思うぞ」
俺はそう言うと、須田の目の前に座っている人物を指差した。それに合わせて須田の視線も動いていく。その先には―……
「……求導師様が来るまでここに避難してくる人を待つつもり。あなた達もここに来る途中で見たと思うけど、今、村は危険だから」
妙齢の赤い法衣を身に纏った女は神妙な面持ちでそう答えると再び口を閉ざした。
女の名は、八尾 比沙子というらしい。
昨日、あの赤い雨が降りしきる中、俺達の前に突如として現われた女がこの八尾だった。
「待つのは構わないんだが―……八尾さんって言ったよな?暇潰し代わりに俺から少し質問してもいいか?」
「……ええ、私で答えられる事なら」
「……んじゃ、遠慮なく」
奇妙な内装の教会に、これまた奇妙な取り合わせの俺達の声が響く。横目で再び外を伺えば白い闇は相変わらず重く立ちこめていて―……どうやら霧が晴れるのはまだまだ先になりそうだ。
「……つまり、須田少年は本当に撃たれていて、その傷が治ったのは昨夜降ってた赤い雨のせい、って言いたいのか?」
「きっとそうだと思う。昨夜、私、須田くんが撃たれたのを確かに見たから。血痕もあったし……それで、私も慌てて崖を降りたの」
ゆらゆらと揺らめく蝋燭が教会に飾られた見たこともない十字架や鉄格子を淡く照らし出す。少し不気味なこの教会で八尾さんが俺達に語った話は、それに負けず劣らず不気味なものだった。
内容はこうだ。八尾さん曰く、昨夜空から降っていたあの赤い雨には傷を癒す力があり、須田が撃たれて流した血の分だけあの水が体内に入り込み傷を治した―……そうな。
「……んな、どこぞのゲームや漫画じゃあるまいし―……」
「でも、滝川さん。俺、やっぱり撃たれたんだと思います。ほら、俺のTシャツ……左胸のところに穴が開いてますし―……」
昨夜は暗くて気が付かなかったが、確かに言われてみれば、須田少年の左胸部分には小さな穴が開いていて、その穴の回りに付着している赤黒い汚れは見ようによっては血のようにも見えた。だが―……
「んじゃ、傷を癒すあの赤い水は錬金術か何かで作られた霊薬だとでも言うつもりか?」
「それは―……そうですけど……」
「それに八尾さんよ。昨夜、俺達が見たあの奇妙な映像はなんだ?だれか他の奴の視点を借りたような、あの映像だ。それだけじゃない。俺達を襲ってきたあの化け物のようなもんは―……」
―……キャアアアアアアアアッ!!!!
突如、耳をつんざくような悲鳴が俺達を襲った!半ば反射的に声のする方へと顔を向ければ、どうやらそれは教会の外から聞こえてきたもののようだった。
「……俺、見てきますよ!」
「ちょ……!バカ……!……すまん、八尾さん、あの馬鹿連れ戻してくるわ!あんたは―……」
「ええ。どの道、求導師様を待つつもりだったから。私はここにいるわ」
「わりい!」
結界を作るために突き刺していた独鈷杵を乱暴に引き抜く。
丸腰ではまずい。理由はないが何となくそう思わずにはいられなかったからだ。
独鈷杵がなくなれば俺の結界は弱くなるが、綾子の札があるから暫くは持つだろう。そう算段を付け終えると、俺は微笑む赤い女に背を向けて白い闇の中へと飛び出した。
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谷山 麻衣
宮田医院
平成××年 9月1日
PM1:00
「じゃあ、なんで皆がこうなったかは分からないんですね……」
「ええ。先程、渋谷さんにもお話いたしましたが、四人とも脳のCT画像や検査データ上にも異常はありません。脳波の測定もしてみましたが、これといって変わった点は見受けられませんでした」
蝉達が奏でる騒音がただただ煩わしい。診察室で先生が告げた言葉が、あたしにはやけに遠いもののように思えてならなかった。
鈍い光を放つ台のうえに並べられた四人の脳と思われる白黒の写真。それと同時に提示される検査データの羅列。ちゃんと理解しなくちゃいけないと思いつつも、その内容はちっともあたしの頭の中に入って来てはくれなかった。
「……となると、現時点ではなんの対応も出来ない、と」
「渋谷さんが今仰った通りです。原因が分からない以上、そうとしか言えませんから。いつ目覚めるのかも分からない状況です。大病院で検査しても恐らく結果は同じでしょう。このまま放っておけば衰弱してしまいますし、やはり、四人とも暫く入院するのが最善かと」
ナルの淡々とした問いに答える吉村さんの声は酷く事務的なもので、処方箋らしき紙にボールペンを走らせながら彼はそう口にした。
……そう。結衣姉達を見てくれたお医者さんは他でもない。昨日の昼、あぜ道で会ったあの吉村さんだったのだ。
「……美奈、この処方で点滴をミキシングしてくれ」
「分かりました。……谷山さん、大丈夫ですか?」
「えっ?あっ、は……はい!」
「お姉さんがこんなことになって心配ですよね?大丈夫です。私も先生も全力を尽くしますから」
そう優しく微笑む看護師さんに背中を押されて、あたしたちは診察室をあとにした。一抹……ううん、大きな不安を抱えたまま。
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宮田 司郎
蛇ノ首谷
昭和78年 8月3日
AM3:42
「……あなたは」
懐中電灯が照らす先にいたのは、どこにでもいるような普通の少女だった。
……いや、それは違う。普通の少女がこんな夜中の山道に一人でいる事などあるはずがない。
少女の栗色の癖毛が少女の動きに合わせて揺れている。カタカタと歯を震わせる少女に、先程、己がした事を目撃された可能性を考えた。
殺してしまおうか?
スコップを持つ手に自然と力がこもる。俺は人を一人殺し、そしてその遺体をたった今遺棄した。首を絞めた感触、事切れた表情、死体を始末するため掘り返した土の感触―……全て鮮明に覚えている。この手に残る縄の跡こそ何よりの証拠だ。
しかし、あのけたたましいサイレンのような音を聞いた後、気を失った俺が気が付いた時には遺体―……美奈の姿はなかった。
もし、この少女が遺体消失に関わっているのだとしたら―……しかし、それは杞憂だった。
確かに少女は震えている。しかし、俺を見て震えているのではない。むしろ、その逆で自分自身の体を見て震えているのだ。自分の喉元を押さえながら。
「……声が出せないのか」
その言葉を聞くや否や、少女はまるで電気の刺激を受けたかのように肩を跳ねさせた。そして―……
「……」
一度、二度と少女は首を縦に振る。なるほど……言葉話せないが聴覚は正常というわけか。
聴覚障害と言語障害は二つ合わさる場合があるが、この少女の場合は違うようだ。もしかしたら、読唇術を使って俺の口の動きを読んでいるのかもしれないが―……どちらにせよ喋れないのならばそれでいい。
殺人の後に起こる一番の弊害―……それは死体の処理だ。どんなに地中深く埋めようが、切り刻もうが、酸やアルカリで溶かそうが、数十キロにも及ぶ肉塊を跡形もなく消すということは容易なことではない。
ましてやこの少女は、おそらく外部の人間だ。この村内の人間ならば教会と神代家の力を使えばいくらでも握り潰すことが可能だが―……外部の人間の場合、そうはいかない。他の県警が動くからだ。いかに神代と言えど他県の警察にまで影響力は持っていないだろう。
それに、消えてしまったとはいえ、俺は既に死体を一つ抱えている。また一つ死体が増えるとなると手間まで増えてしまう。おまけに今日は神代の儀式が執り行われる日―……少女が遺棄現場を見たというはっきりとした確証がない以上、下手に手を下すのは悪手なのかもしれない。
「……?」
幸いにしてこの少女は口が聞けないのだ。伝えるには筆談等の行動が伴わねばならない。何か怪しい動きがあった時―……その時になってどう処理するのか考えればいい。そのために監視の意味もかねて今は行動を共にした方がいいだろう。
「……立てますか?」
再び少女は頷く。俺の言葉に従って立ち上がった少女は思いの外小柄だった。
「今はここを降りることを考えましょう。俺について来られますね」
赤い雨は止む気配を見せない。
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谷山 結衣
蛇ノ首谷
昭和78年 8月3日
AM4:00
ヤバい事になってる。
さっきより少し冷静になれた気がするけど、冷静になればなるほど頭を抱えたくなる現状が明確に見えてきて―……沈むよね、心が。
第一、ついて来いと言ったきり吉村さんはひとっつつことも喋らないし。昨日の蕎麦屋での明るさはどうした?あの悪趣味な味覚はどこにいった?やる気?やる気の問題?
ったく……。だったら、昨日のウザいぐらい馬鹿高いテンションと今のテンションを足して割ればちょうどいいのに。大体、今の吉村さんと昨日の吉村さんまるで別人みた―……
「……」
「……どうかしましたか?」
急に立ち止まった私を吉村さんが訝しげに見つめている。右の頬には黒子が一つ―……そうだ!吉村さんに黒子なんてなかった。じゃあ、この人って―……
「……ッ!?」
「……何もないようでしたら早くついて来なさい。」
壊れたテレビのような荒い画像が一瞬頭を掠める。誰かが首を絞められている?絞めているのは―……吉村……さん?
淀んだ風が淀んだ大気を撹拌していく。生臭い風に撫でられて踊る木々の梢の音が別世界のもののように思えた。
もしかしなくてもこれかなりヤバいんじゃ……ぁあああああ!もう!それもこれも皆あのガキのせいだ!今度見つけたら絶対問い詰めてやるんだから!
私の絶叫は、絶叫にも関わらず少しも広がりもしなかった。