中世編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……悪いわね。人質にしちゃって」
「いいえ。ちょっと怖かったけど楽しかったですから。それになんだか物語の登場人物の一人になったみたい。ほら、よくありますよね?身分違いの男女の逃避行って」
……私は女なんだけどな。一応。
《LIVE》
あの爆発が起きてからもうどれぐらいの時間が経ったのだろう。空は深い魔の霧に覆われ太陽も月も星の光さえ地上には届かない。ただそれでも確実に時間が経過している事だけは分かった。
何層にも重なり合った瓦礫の山の間からかすかに漏れていた声が消えていく。一つ、一つと確実に消えていく声。何とか瓦礫を持ち上げようと思ったけれど、冷たい瓦礫の塊は私一人の力では僅かも動かない。
寒さと黒い雨から逃れたくて、私は熱で焼け焦げひしゃげた建物の隙間に身を潜らせ体を抱えた。原型をまるで留めていないが、飴細工のように溶け残ったステンドグラスがこの建物が私の家の成れの果てだと私に教えていた。
両親の姿は……ない。
「……ゲホッ……ゴホッ……」
知り合いの、両親の名前を叫び続け酷使したせいが喉がヒリヒリと痛む。足ももう動かない。手の平からは瓦礫で切ったためか血が滲み黒ずみ、鈍い痛みが走った。
寒い
痛い
ひもじい
寂しい……寂しい
そんな気持ちばかりが頭の中を巡っていく。
何故
どうして
誰が
霧のせいでただでさえ境界が曖昧な世界が滲んでいく。徐々にぼやけて霞んでいく世界を見つめながら私は瞳を閉じた。
もしかしてこの世界は現実ではなく夢なんじゃないか。夢でないとしても私は実は既に死んでいて、ここは死後の世界なんじゃないか、と、そんな考えが頭を過る。
でも、絶え間なく襲う飢えと渇きと寒さが私の命の燈がまだ消えていない事を教えていた。
「……ッ!!」
そんな時だった。彼女と―……彼女と彼が私の前に現われたのは。黒い水煙のヴェールに包まれたその向こう。まだはっきりと顔は見えないけれど間違えるはずがない。
もう動かないと思っていた足を気力で動かし立ち上がる。黒い空から降る黒い雨が体を濡らすがもうそんな事はどうでもよかった。
あちらも近づく人影に気が付いたのだろう。彼女―……ヴィエラ族の女性は信じられないものを見たというように切れ長の瞳を見開いた。
「……クロト……?」
彼女の少し低い落ち着いたアルトの声が私の心に染み込むように広がっていく。
ああ……まだ私の名を呼んでくれる人がいる。
私を知っている人が生きている。
「……アロラッ!!!」
いく筋もいく筋も頬を涙が伝っていく。まるで子供のように泣きじゃくる私を、ヴィエラの巫女はただ黙って抱き締めてくれた。
++++++++++++++++++++
「アリシア様!早くその女から離れて下さい!!」
二人組のうちの一人。青みがかった長髪の魔道士の声が狭い通路に反響する。
「……ッ!!」
それを聞いたアリシアはまるで声を拒むかのように私の背中に小さな体を隠した。
「……やっぱり、君は罪人なんだね」
金髪の剣士の静かな声が黴臭い湿った空気を震わせる。声色こそ静かだがその裏には隠れきれないほどの闘志が透けている。魔道士もそれは同様だろう。私を逃す気などないと言外に物語っていた。
極力無駄な消耗は避けたかったのに……私は心の中で悪態を吐いた。この様子では、アリシアを引き渡したところでこの二人は確実に私を追ってくる。私は二人からすれば罪人。斬る事に一切の躊躇もしないだろう。
……それなら―……
「(……ごめん。絶対に危害は加えないわ。だから、私と一緒に安全な所まで来て)」
背のすぐ後ろにいるアリシアにだけ聞こえるように私は言葉を紡いだ。
「……えっ?」
アリシアの口から漏れた短い言葉が私の鼓膜を揺すったその時―……
「……時を知る精霊よ、因果司る神の手から我を隠したまえ!時魔法ストップ!!!」
「……なっ!?」
「……くっ!?」
「アリシア、走るわよッ!!」
剣士が帯刀している白刃が鞘を走り、魔道士が呪文の一説を唱えようと口を開こうとしたその刹那―……私の放った力ある言葉が二人に襲いかかり体を蝕んだ。
……思った通り。アリシアが私の近くにいるため奴らは下手にこちらに手出し出来ないようだ。
攻撃の余波でアリシアが傷付くかもしれない。いや、それ以前にいつ私がアリシアを盾にするかも分からない。下手に攻められないのは当然だ。勿論、それが狙いなわけだが。……助けてもらった恩を仇で返すような真似だが安全な所までアリシアを人質に逃げるしかない。
私はアリシアの手を引き、闇の中へと駆け出した。
「……悪いわね。人質にしちゃって」
「いいえ。ちょっと怖かったけど楽しかったですから。それに、なんだか物語の登場人物の一人になったみたいです。ほら、よくありますよね?身分違いの男女の逃避行って」
東の山々の稜線が藤色から乳白色に染まっていく。黴臭く土臭い通路から一歩外へと飛び出せば、冷たく刺すような新鮮な空気が私の肺を綺麗に洗ってくれた。
後ろを振り返れば、ここまで一緒に来てくれた同行者の少女が少し上気した顔で私に微笑んだ。汗で張り付いた長い髪を煩わしそうに耳に掛け、楽しそうに語る王女に思わず苦笑いが浮かぶ。心配させまいと彼女が吐いた優しい嘘だと手に取るように分かったからだ。
アリシアはつい先日誘拐されかけたばかりだ。今度は女の私とはいえ怖くないはずなどない。現に私が握った手は微かに震えていたのだ。
自分の身が可愛いのは確かだが、怖い思いをさせてしまったという罪悪感が拭えないのも事実だった。
だが、いつまでも気にしているわけにもいかなかった。解けない魔法などない。まだ余裕はあるだろうが、いつまたあの二人組がやって来るか分からないのだから。
「……じゃあ、ここでお別れね」
「……そうですね。寂しいですが……ここから北へ真っすぐ進めば街の外へ出られるはずです」
昨夜の婚礼パーティーの影響で街に配置されている兵士の数は少ないはずだとアリシアは語った。
「……でもアリシアが城からいなくなったって知れ渡っていたら戒厳令がしかれていてもおかしくないんじゃ……」
「それなら大丈夫ですよ。私、朝が弱い上に寝起きは手が付けられないぐらいに不機嫌なので、メイド達は重要な公務の時ぐらいしか起こしにこないんです。それに明日は昼まで寝るから部屋に近づくなと言ってありますし。だから、私がいなくなったと知ってるわけがないんです。……さっきは例外がありましたけれど」
悪戯を成功させた子供のように楽しそうに語るアリシアを見ていると呆れるというか感心するというか―……一見儚げな少女だが、中々食えない王女様だと思わずには―……
「……アリシアッ!!」
私の叫び声が冷たい空気を震わせる。その存在に気付いて咄嗟にアリシアを思い切り突き飛ばせば、左腕と左頬に鋭い痛みが走った。
パックリと斬られた皮膚から流れる濁った赤い雫が、次から次へと重力に負けて地面へと落ちていく。血の色を見る限り、幸い表面を傷つけられただけで大事な血管は傷つけられていないようだ。動脈を斬られたならもっと鮮やかな血が噴水のように吹き出していただろう。
私はレイピアを抜き、攻撃が飛んできた方向を睨み付けた。誰がやったのかなんて決まっている。
逆光のせいで私とアリシアを間違えたようだが―……斬撃を利用して離れた相手に真空の刄を飛ばすなんて芸当が出来るのは決勝で当たったあの金髪だけだ。
「追い詰めたぞ……!!アリシア様を解放しろッ!!」
青年の怒声が鼓膜を激しく揺する。
思った通り。漆黒の地下通路から出てきたのは怒りで染まったあの金髪の青年だった。
「……さっきはよくも……ッ!!」
ただでさえ重量がある鉄剣に体重を乗せて青年は剣を振り下ろす。頭に血が昇っているのか太刀筋は決勝で闘った時以上に直線的で読みやすい。
しかし、その分一度食らったら肉どころか骨まで持っていかれるのを覚悟しなければならないような剣撃だ。
「……違うんです!私の話を聞いてくださいッ!!」
「安心してくださいッ!!アリシア様は俺が必ず助けます!!」
私の言葉に耳を貸さないのは当然として、この口振りからすると青年の耳にはアリシアの言葉もあまり入っていないようだ。青年の中では私は憎き悪漢以外の何者でもないのだろう。
自分の正義に実直といえばいいのか、頑なだと言えばいいのか―……どちらにせよ厄介な事この上ない。……今はどうやってここを切り抜けるかそれを考えなければ。
もう一度時魔法を使って動きを封じる手を考えてみたが安全性と確実性に事を欠く。さっき、私が使ったストップは間違いなく二人にかかった。
しかし、この青年は時の呪縛を私の予想よりずっと早くに抜け出してここまで追ってきたのだ。
時魔法だけでなくどの系統の魔法にも言えることだが、イヴァリースの魔法は黄道十二宮の影響を強く受ける。術者の宿星と対象となる者の宿星によって魔法の効力は増減するのだ。……つまり、私とこの青年の相性は良くないという事になる。
宿星同士が最悪の位置関係であると仮定すれば、こんなにも早く魔法が解けた理由の説明がつくのだ。
そうなると魔法で攻めるのは正解ではない。相性が悪ければ、妨害魔法のみならず攻撃魔法の威力も減弱してしまうのだ。
上級魔法を使えば話は別だろうが、前衛がいない状況でそんな大技の詠唱を始めたら魔法の発動前に私が肉塊へと変貌しているだろう。
……結局のところ肉弾戦を受けてゴリ押すしかないのだ。
私は覚悟を決めてレイピアの柄を強く握り直した。
「……クッ!!」
私がつい先程まで立っていた空間が真一文字に斬られる。金髪の青年の剣は私の髪の先をほんの少し斬り落としたが、それだけだ。
空振りになったと同時に私は一歩踏み出し、わざと青年との間合いを詰めた。
「何……ッ!」
慌てて崩れた体勢を立て直そうとしているようだがもう遅い。リーチの長いその剣では自分の懐深くまで入ってきた相手を素早く捕らえることなど出来やしない。対して私はレイピアの他にローブの裾に仕込みんであった短剣を抜き、既にそれを握っている。
……もらった。
一瞬―……刹那とも言える時間、空でかち合う私と青年の瞳。怖いぐらい澄んだ青年の紅玉の瞳には、醜悪な、悪鬼のような自分の姿が映っていた。
「……ァアアアアアアア!!!」
「……クロトッ!!!」
突如生じた雷光が私を貫き左に出来たばかりの傷口を焼いていく。焼けるような激しい痛みが私を襲う。痛みのあまり私は絶叫を上げ、持っていた武器を両方地面へと落とした。
……剣士の攻撃じゃない……じゃあ、誰が―……
朝の風を受けて棚引く赤いマントと青い髪―……そして驚愕のあまり見開かれた一対の紅玉。それが意識を失う前に私が見た最後の光景だった。
++++++++++++++++++++
「……アロラ……その人は?」
「……私にも分からない……ただ、この人も―……」
アロラはそれだけ言うと眉を寄せ堅く口を閉ざした。アロラと一緒に現われた人間は、私と同じヒュム族の男性だった。顔は黒く汚れ、虚ろな瞳には一辺の光もなく混濁している。魂が抜け落ちているという表現そのものだった。
……それも無理ない。無駄な肉のない鍛え上げられた体に纏っているのは原型を留めぬ程ひしゃげ、雑巾のようになった甲冑の残骸。彼もまたこの惨劇の被害者なのだと、その姿を見れば嫌でもわかった。
「……行きましょう。クロトも」
「……でも、どこへ?」
「……分からない。けど、ここにいるわけにもいかない」
神経を刺すような稲光が漆黒の空を白く染める。まるで、同胞を弔うことすらせず、殺戮と破壊の爪痕から逃げ出す私達を咎めるかのようだった。