中世編
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「生きにくいわね。あなたも」
神なんていない。
もし、仮にいるとするならその神は私達の事をそっと見守っているんでしょうね。
絶望の底にいようが怨嗟の渦に巻き込まれている人間がいようが構わず、ただ黙って手を差し伸べようともせず。
そんな神など死んでしまえばいい。
《LIVE》
叫ぶモーグリのすぐ隣の一角にいたのは、一人のン・モウ族の女性だった。耳を裂くような叫びが近くで上がっているにも関わらず、微動だにせず彼女は立ちすくんでいる。
ン・モウ族は、私達ヒュムの三倍以上の寿命を持ち、優れた知性と魔法技能を備えていることで知られている少数種族―……しかし、このン・モウ族の女性は、思考する術すら持たない愚鈍な大型獣のように私には見えた。
黒い冷たい雨滴を一身に受けて、見開かれた淀んだ瞳は瞬きさえしていない。だらしなく開いた口から漏れる白く濁る呼気と、黒く汚れた顔にふた筋の跡を刻む涙だけが、彼女がまだ死人でないことを示していた。
彼女の虚ろな瞳には、眼前に広がっている惨状は映っていないのかもしれない。……そう思わずにはいられなかった。
彼女が纏っているのは、黒く汚れた……聖職者のみが身に付ける事を許された白い法衣。恐らく聖職者であろう彼女が見つめているのは、自らの心の中で砕け散った信仰の残骸だ。
今まで一心に、祈りを捧げ信じてきたであろう光の神の存在。しかし、示されたのは底知れない破壊の力。もし、本当に神がいるのだとしたら決して赦されはしないだろう悪のみが顕現した。
災禍の真っ只中、満ちる絶望と怨嗟の叫びの中で、彼女の信仰は死んだのだ。―……私と同様に。
開き切った瞳孔の奥で、敬虔な聖職者は心の欠片を一つずつ磨り潰していく。邪悪を野放しにする神の、その姿が二度と心に浮かぶことのないように。
堪え難い肉体の痛みも、自らの精神を殺す痛みに比べれば造作もない事。
そう―……だから、私は何度も、何度も―……
++++++++++++++++++++
【sideオルステッド】
「浮かない顔だな。せっかくの優勝だっていうのに」
「ストレイボウ?……そんな事ないさ」
大広間の人の波を掻き分けるようにして現われたのは、見慣れた親友だった。
「でも、よく俺がここにいるって分かったな」
所狭しと並べられた、見たことをないような宮廷料理、古今東西、ありとあらゆる地方から集められた酒の数々。
それに群がる人々の数も推して計るべきというもので、あまりの熱気と香水や食べ物が混ざった臭いに早々に酔った俺は、一人人気の少ない入り口付近に陣取りけだるい熱を冷ましていた。
あまり目立たない場所にしたつもりだったが、どうやらそんな俺の考えは、長年付き添った腐れ縁とも言える親友に対しては筒抜けのようだ。
証拠に親友の顔に浮かんでいるのは不適な笑みで、この表情がさっきの問いの答えなのだろう。
「……すごい人だよなー」
「闘技大会に出場したお前が今さら何を」
「それとこれとは別だろ?まさか、優勝者ってだけでここまでもみくちゃにされるとは思わなかったんだから」
手に持ったグラスを傾けながら感じた事をそのまま呟けば、呆れを含んだストレイボウの言葉が返ってきて、反論しつつもそれもそうだと、おかしく感じる自分がいた。
「それにしても、だ。まさか、本当に優勝しちまうとわな」
「それを言ったらストレイボウだって準優勝だろ?お前と当たっていたら勝てたかどうか―……」
そこまで言うと、俺達二人は揃って口を閉ざした。恐らく、同じ人物の姿を思い浮べながら。
口の中にジワジワと広がるこの苦味ともえぐみとも言えない味は、強い酒によるものなのだろうか?殆ど空になったグラスに僅かに残っているのは、炎のような、血のような―……あの指輪と同じ色をしたワイン。
揺れる雫に、あの白い女性の影がちらついた。
「……あの子、どうなるんだろう」
「……さあな。女の参加は前代未聞らしいからな。俺にも分からねえよ」
あの時、女性―……名前はクロトと言っただろうか?あの人は驚くほど素直に兵士に連れられていった。
最初こそ少し動揺していたようだが、それもすぐに消えて―……観念したからか、自失茫然となった為か―……それは俺には分からない。
男にしては随分線が細いから子供なのかと思っていたけれど、女性なのだからそれは当然のことだった。女性―……そうだ、女だったんだよな……
「だっさいな―……俺達」
「……お前は勝っただろう?」
「じゃあ、聞くけど、あのままあの子と戦い続けていたとしたら、ストレイボウはどっちが勝ったと思う?」
「あの女」
「……そこは少し遠慮しろよ」
寸分の隙もなく返ってきた答えに、思わず肩が落ちる。だけど、これが正論なのだから余計に悔しさばかりが心に積もった。
確かに、腕力は彼女よりも俺のほうが上だった。しかし、戦術、戦局を読む力、戦略―……実戦でほぼ必須であろう項目で、彼女は俺の遥か上を行っていた。
俺もストレイボウも今日の為にずっと修練を積んできたけど、それは所詮、訓練で実戦ではない。彼女が体得していたそれら―……戦闘センスというのは訓練だけでは決して身に付ける事の出来ないものだ。
もし、それを身に付けようとするなら―……
「あの子、どれだけ剣を振るってきたんだろう?」
それは、今までに数多の死線をくぐり抜けてきたという証拠に他ならない。
「……さなあ」
ストレイボウはそれ以上、何も言わなかった。
「……それにしても、やっぱり入り口の近くは冷える―……あっ」
「何当たり前なことを、って、オルステッド、お前その指輪―……!」
少しでも暖を取ろうと、ポケットの中に手を伸ばしたその時だった。金属のような、石のような硬い感触が俺の指先に伝わったのは。
まさかと思ってそれを取り出せば―……やっぱり。
「おいおい。今更どうすんだ?それ」
ストレイボウの言葉はもっともだった。
ただの選手同士だった時ならいざ知らず、今や彼女は牢の中。
血の繋がりも、それどころか縁も何もない俺が牢の中の彼女に会う事など―……出来る、な。
「俺、会いに行ってくる。でっ、これ返してくるよ」
「おい!お前、わざわざ罪人に会いに行くのか?」
「大丈夫、大丈夫。それにほら、見てみろよ。さっきまで俺やお前の周りに集まってた人達すら、宴に夢中さ。だから、俺もお前もこうして漸く一息つけてるわけだし」
改めて周囲を見渡せば、そこは酔っ払いの楽園とも言える有様だった。
王侯貴族を初め、兵達ですら酒をあおぎ、豪華な料理に舌鼓を打ち、誰一人俺達に注目している人間などいないだろう。
それに、仮に見つかったとしても―……
「もし、見咎められた時は恩赦を使うよ」
「はぁ!?お前、そんなくっだらない事の為にせっかくの恩赦使うのかよ?」
「くだらなくなんかないさ。俺は恩赦なんか初めから気にも止めてないし、今のままで幸せだから。それに―……俺は―……」
アリシア様に会えるなら、それでいい。
「あ―……たくッ!分かった、分かったよ」
そう観念したように言葉を洩らすと、ストレイボウは二、三度頭を掻いた。ストレイボウは、こういうところは本当に律儀だ。
「それじゃ、とっとと行くぞ。まだお姿を見せてないが、早くしないとアリシア様も来ちまうからな」
「ああ!ありがとう、ストレイボウ!」
大広間から長い回廊に足を踏み出せば、ピンと張り詰めた冷気が体を包み込む。外を伺えば蒼白い月の光は冴え渡り、闇を照らしていた。
++++++++++++++++++++
闇の中で松明に宿った燈がゆらゆらと揺らめく。私達二人の影は不規則に伸び、あるいは縮み、夜の闇に新しい影を落としていた。
コツコツと、影とは対称的に規則正しく刻まれる足音。闇の中の唯一の音は、頼りない松明の光とともに、同行者の存在を私に教えていた。
「……やっぱり、お城ってどこにでもこういうものが作ってあるのね」
「そうですね。いつ戦火に巻き込まれるかわからない、そんな時代もあったと聞いています」
先に沈黙を破ったのは私の方だった。
このまま終始無言ならそれはそれで構わないけれど、この静寂と闇の空間ではあまりに手持ちぶたさだ。
……だけど、“聞いていた”、か。
アリシアが何気なく漏らした言葉が私の頭の中を反芻する。それは、いつ自分もそうなるかもしれないという可能性が、彼女の中で完全に除外されている証拠だった。
この少女は戦火知らないのだ。いいえ、ひょっとしたら今まで想像したことすらないのかもしれない。
だけど、それならそれで構わないとも思う。
辛い経験をした分だけ、優しくなれると言う人がいる。強くなれると言う人がいる。でも、それは全ての人に当てはまる真実なのだろうか?
それは違う。それは、私自身よく分かっていた。
無知で無垢で純粋なお姫さま。
その無邪気さを好ましくも憎々しくも感じる私は、やっぱり歪んでいるのかもしれない。
「クロト様は―……」
「呼び捨てで構いません。私は、そんな身分ではありませんから」
「それでは、クロト。あなたも敬語は止めてください。始めて会った時のあなたでお願いします」
「ですが―……」
「王女命令です」
……いい性格してるわ。このお姫さま。
肩で息を吐く私を見つめるアリシアの瞳は、先程までの張り詰めたようなものから一転、まるで悪戯を成功させた子供のように輝いていた。
「……じゃあ、アリシア。さっきは何を言い掛けたの?」
「あっ。えっと……クロトはどうして武闘大会なんかに出場しようと思ったのかな、って……」
やっぱり来たか。この質問。
聞く前に少し言い淀んだから、まさかとは思ったけど―……覚悟をしていたとは言え、私は内心頭を抱えたい思いで一杯だった。
恩赦目当て?ダメだ。私は別にこの国の人間じゃないから恩赦の意味はない。そんなの、入国管理記録を見れば一発で分かる。
力試し?却下。いくらなんでもそこまで馬鹿だと思われたくない。
優勝景品目当て?まあ、そうなんだけど、それで勘違いされてるわけだし―……
「……景品目当て。だけど、この国の至宝があなたの事だとは思わなかったのよ」
悩んだ結果、私が選んだ答えは真実を告げる事だった。
「……けいひん?どうして?」
「……お金が必要なのよ」
だけど、何も全て話すわけじゃない。
少しの真実と大きな嘘。
“人を騙す時は、少しの真実を大きな嘘で隠して語るといい。僅かとは言え真実があるだけで嘘はバレにくくなる。”
そう私に悪どい手法を教えたあのモーグリはもういない。
別に、アリシアに対して悪意はないが、異世界から来たという与太話を一体誰が信じるというのだろうか?まして、元の世界に帰るための手段を求めて大会に出場したなどと―……そんな話、信じてもらえなかったら私はただの狂人だし、信じてもらえたところで今度はアリシアが狂人になるだけだ。
「……そうだったんですね。民であるあなたにそんな思いをさせていたなんて……」
少し考える素振りをすると、アリシアはそう呟き口を閉ざした。
どうやらアリシアはさっきの答えで納得してくれたようだ。何だか誤解もある気もするけど……私は彼女の中でどれだけ貧困にあえでいる庶民の設定になっているんだろう?……まあ、いいでしょう。うん。
私は少しだけ湧き出た疑問に蓋をした。
「……私、実は少し嬉しかったんです。神様に感謝したぐらいに」
「神さま?」
不意に先を進むアリシアの足が止まった。今までの無邪気な彼女とは違う声に私の歩みも止まる。
「クロトが大会に参加してるって分かった時、私、本当に嬉しかったんです。だって―……」
”もし、女のクロトが優勝すれば、私は望まない結婚をしなくてすむ”
「……」
「……一瞬、ほんの一瞬だけどそう考えてしまったんです。最低ですよね、私」
暗い通路を流れる埃を纏った夜風がアリシアの藤色の髪を優しく梳く。自嘲気味に笑うアリシアが、私には泣いているように見えた。
「……でも、こうしてまたあなたに会えて、やっと私も決心が付きました。私、結婚します」
「……アリシア」
背を向けたまま私にそう言うと、再びアリシアは歩き出した。小さな背中からは、残念ながらアリシアの表情は窺い知れない。そして、彼女は言葉を続ける。
このまま、男子の継承者がいなければ王家は衰退する。国が乱れれば、傷付くのは民だ、と。
「……私、そんなの嫌です。クロト達のような方々が苦しむなんて耐えられません。私は、王女です。私は、私は―……」
”誰でもない。国家と、愛する祖国と結婚するんです”
静かに宣言するかのように告げられた言葉に、私は思わず瞳を閉じた。
私は間違っていたのかもしれない。この王女は無知でも無垢でもない。
さっき、アリシアは神に感謝していると言ったが―……ほら、所詮神なんて―……
「……生きにくいわね。あなたも」
「……それはお互い様です」
再び無邪気にアリシアはそう語る。それが彼ら王族の義務とは言え、苦い思いがジワジワと染みのように広がっていった。
「……こんな私だけど……クロト……私と友達になってくれますか?クロト――ッ!?」
祈るように手を組み振り返る少女の髪を先程よりも大きな風が棚引かせる。そして、私は―……
「姿を見せなさい。そこにいるのは分かっています!」
アリシアの持っている松明の光が、私のレイピアの刀身を鈍色に輝かせ、そのもの達の姿を闇にぼんやりと浮かび上がらせる。
「……随分な挨拶だな」
「アリシア様!?どうして、君とアリシア様が……?」
ああ……今日は本当に厄日だ。
今日何度目か―……もはや、数える事を諦めた悪態を心の中で吐き捨てて柄を握る。
夜は、まだ続くようだ。