中世編
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「えっ……君って……!?」
今思えば、その一言が不幸の始まりだったのかもしれない。
《LIVE》
降りしきる黒い雨が黒い水煙のヴェールとなり、美しいナブディスを覆い隠す。今が昼なの夜なのかも分からないけれど、喉の渇きと堪え難い餓えが無常な時の流れを教えている。
寒い……手がかじかむ。
いくら息を吐き掛けても、手を擦っても、身を切り裂くような痛みは変わらなかった。
「―……ア゙アアアアア゙……ッ!!」
淀んだ大気が震える。突如生じた慟哭にも似た悲しい咆哮に私は歩みを止めた。汚泥の中で転げ回って叫んでいたのは、一人のモーグリ族の青年だった。
小さな身体を覆う白い毛皮は、黒い汚れた水と泥で見るも無残な姿に変わり果てていた。
風が鳴く。断末魔の金切り声のように。それに合わせるかのように、モーグリは喉を震わせ続けていた。
モーグリ族の声はまるで小さな子供のように可愛らしく愛らしい。私を始め、ヒュム族は感覚としてモーグリ族の声をそのようにとらえていた。
しかし、このモーグリの声はもはや、ヒュムが知っているそれではなかった。
黒々とした闇を湛えた洞窟から鳴り響く、地の底より吹き込んでくる淀んだ空気の音。あるいは、砂漠の砂を噛んだ刄が鞘の中で不快に擦れ合っているような音。
叫びが途切れ、黒く染まった口元から鮮やかな血が溢れだす。限界を超えて酷使し続けた喉が裂けたのだ。
しかし、モーグリは慟哭を止めない。何故なら、痛みなど、今の彼には些細な事でしかないのだから。
彼は吠え続ける。 そうしなければ、無限に湧き出す苦しみを臓腑から搾り出さねば、この小さな身体は中から潰れてしまう。……そう知っているかのようだった。
正気と狂気の境目でたゆたう精神。声帯が千切れるまで、憎しみの絶叫は続いた。
++++++++++++++++++++
「それでは、ルクレチア国武闘大会、決勝戦を執り行う!オルステッド対クロト。両者、力の限り戦ってくれ!」
季節外れの白い光が、大理石で出来た白い闘技場を焼いていく。狂気を孕んだ観衆の熱気は相も変わらずそのままで、気持ち悪いぐらいの熱さに、一瞬、参加したことを心底後悔した。
しかし、だからと言って、この試合で負けたら元も子もない。
狙うは、この国の至宝ただ一つ。
その宝が、はたして私が思い描いているような宝玉か―……その確証はない。でも、今は藁にでも縋るしかないのも、また、紛れもない事実。所詮、私はこの世界にとって余分なパズルのピースでしかないのだから。
私の相手は、数日前、選手の詰め所であった青年の片割れだった。やや幼さを残した精悍な顔立ち。太陽のような豊かな金髪はそんな彼によく映えていた。逞しい四肢を革の軽装が包み込み、片刃のロングソードを帯刀している―……見るからに肉弾戦を得意とするタイプだろう。
正直、このような純粋な肉弾戦を得意とするタイプは苦手だった。これを相手にするくらいなら昨日戦った―……名前は失念したが、魔法使いの方がよっぽど楽に事を進められる。魔法使いなら、私と筋力において有為差が無いからだ。
女の身でいくら修練を積もうが、悔しいが男の筋力にはとてもじゃないが追い付けない。女性特有の利点である柔軟性やバネを使えば、いくらか衝撃を外へ逃がす事は可能だけど―……鍛え上げた戦士相手には焼け石に水に過ぎないのだから。
準決勝と違い、生憎、対戦相手の情報がなかったから、どんな相手でも幅広く対応できるように物理攻撃と魔法攻撃のダメージを軽減させる緑魔法―……プロテスとシェルは既に発動させてあるけれど、さて、苦手なタイプの相手にどこまで通用するだろう。
「……やっぱり、決勝の相手は君か―……君が子供だろうと容赦はしないよ。君に負けたストレイボウの分まで勝たなくちゃいけないからね」
人が攻め手を考えてるって言うのにゴッチャゴチャゴッチャゴチャ五月蝿いわね。少しは黙れないのかしら、この男は。
……待って。試合の前にわざわざ相手にこんな事を宣言するということは……
「では、オルステッド対クロト!決勝戦始めッ!!」
試合の開始を告げるファンファーレがけたたましく鳴り響く。それと、ほぼ同時に相手が石畳を強く蹴り、こちらに向かって一直線に飛び出し、真っすぐな太刀筋で私に斬り掛かった。
開始前にわざわざ宣戦布告したからそうだとは思ったけど……この人きっと正直者だわ。おそらく、バカっていう形容詞が付くくらいの。
もし、そうなら―……苦手なタイプなのは変わりないけれど、いくらでも対処のしようがある。私は内心ほくそ笑んだ。
とは言え、私の武器は細身のレイピア。標的を叩き折る事を目的に作られた西洋剣と真っ正面で打ち合うのは得策とは言えない。
受けるという選択肢はない。ならば、残る選択肢は回避のみ。私は緊急回避でバックステップをし、空振りを誘発させた。突きの動作に比べて払いの動作は、範囲に優れるが、いかんせん出が遅い。
しかも、相手の剣は綺麗な太刀筋―……言い換えれば、読みやすい太刀筋だから避けるのはそう難しい事ではなかった。
予め行動を読んでいた私には余裕が生まれるが、相手はそうはいかない。どんな達人だろうが初手が悪手となれば、大なり小なり隙が生じる。
「……ッ!!」
そして生まれた僅かなタイムラグが私を優位に立たせる。
私の放った力ある言葉、火の呪―……ファイアが具現化し、かの者の身を焼き焦がさんと降り注いだ。
相手に隙があったとは言え、何故、こんなに早く魔法を発動させることが出来たかと言えば……昔の人は本当にいい事を言ったわよね。手持ちのカードで最善を尽くせ、って。
別に反則じゃないわ。予め詠唱準備してようが何をしてようが。だって、大会規則にそんな文言、一行たりともなかったもの。
「……そんな魔法ぐらい……ッ!!」
……まあ、そうなるとは思ったけど……
結論から言えば、私の放った炎は避けられた。焦げたものといえば、石畳と寸前で避けた当のターゲットの鎧の端ぐらいなもの。あわよくば―……とは思ったけど、この程度で沈むような相手なら、まず、決勝まで残れない、か。
「……もらった!!カットワンウェイッ!!」
再び、若い剣士の放った斬撃が唸りを上げて私に襲い掛かる。彼が纏う気迫―……これが先程までとは違う一撃であるということがそれだけでありありと分かった。
だが、しかし、故に初手よりも読みやすい。過剰な力が入った攻撃とはそういうものだから。
風圧と避けた衝撃で被っていたフードが飛ぶ。粉々に砕けた石畳の残骸が技の威力を無言で告げてい―……って、えっ?そりゃあ、今の攻撃を避けたけど、何でそこまで狼狽えているの?
「えっ……君って……!?」
相手の顔に浮かんだのは明らかな動揺だった。わなわなと震える彼の指先は、私を真っ直ぐ指していた。
彼の動揺が伝染したのか否か―……まるで、波打つように闘技場全体にどよめきが走る。
いったい、何が……確かに、今の攻撃を避けた弾みでローブのフードが取れたけど。
「君……まさか、女の子……!?」
……今、思えば、彼のその一言が不幸の始まりだったのかもしれない。
あー……あー……どうしよう。
++++++++++++++++++++
「……よお、嬢ちゃん。また会ったな」
「先日はどうも。……っと、言っても今の私は大会の選手じゃなくて国家反逆者ですけど」
採光目的に取り付けられた申し訳程度の天窓から、薄明るい月光が零れ、暗く寒い罪人部屋に光の橋を掛かる。私は当然だが、その橋を登れるわけがないから、この橋はただただ憎々しいものでしかない。
「……まさか、優勝景品が“この国の王女様に求婚できる権利”だとは思いませんでしたから。知っていたら、参加をするわけないじゃないですか」
「そりゃ、嬢ちゃん。“ルクレチア国の至宝”と言えば、アリシア姫しかいないだろう?副賞の恩赦目当ての輩もいるだろうが、参加者ならみんな周知の事実だぞ?……嬢ちゃんを除いて」
他人に対していつにも饒舌になっているのは、宝玉の当てが外れた落胆から、罪人の烙印を押された怒りからか―……両方ね。ええ、両方だわ。
「……しかし、そうなると……嬢ちゃんは、あっちの趣味じゃないってわけか」
そう呟くと、監守の兵士は、何かに納得したように一度頷いた。
……この人が準決の前に私に意味深な事を言った理由はこれか。単に女の身で血生臭い剣闘大会に参加する事を珍しがっているだけだと思ってたのに。そう言えば、あの酒場のマスターも言ってたわよね……“女”なのが惜しいって。
……ああ、でも、そっちの趣味があると一瞬でも思われていたなんて……考えただけで頭が痛くなる。
「これからどうしましょうか……」
遠くから宮廷楽士達が奏でる優雅なワルツが聞こえてくる。優雅や優美さとは真逆の牢獄に身を置いている私にとって、その美しい音楽は残念なことに騒音でしかないけれど。
「えらく他人事みたいな口振りで話すなー、嬢ちゃん」
「十分焦ってますよ?」
王主催の武術大会で不敬なんて顔に泥を塗る行為―……意図しない事で処刑になんてなったら目も当てられない。
「……にしても、やっぱり、アリシア姫はお綺麗だったな―……」
「……ああ、貴賓席で王の隣に座していた?」
「おう。普段は宮殿の奥深くで暮らしてらっしゃるから俺達みたいな下々の者は姿を見る事すら叶わないがな。いやー、あそこまでお美しく成長なされているとはッ!」
あまりに恍惚とした声が聞こえてきたから手を止めて様子を伺えば、壮年の兵士は何やら声を震わせ、悶えていた。
……無視。無視よ。
こういう風に自分の世界に旅立ってしまった相手に何を言おうが効果はないのだから。
でも、あの独特の藤色の緩くウェーブのかかった髪、空を思わせる青い大きな瞳―……町で会ったあの子よね?やっぱり。いいとこ出のお嬢様だろうとは思っていたけど、まさか、王族だったなんて……運命なんて信じてないけど、不思議な事もあるのだと思わずにはいられなかった。
それにしたって、彼女が秘宝、ね。
確かに、この兵士が言うように、次代の国を背負うアリシア姫は唯一無二かつ絶対の宝石だろう。……にも関わらず、どこの馬の骨とも分からない相手が求婚する可能性を考慮しないなんて―……ここの王様、頭が沸いてるんじゃないの?
私の国の王家の方々も自由な婚姻を結んでいたとはとても言えなかった。ナブディスの王子だったラスラ様と同盟国であるダルマスカの王女アーシェ様の結婚―……誰がどう見ても政略結婚でしかなかった。だけど、この国の惨状を思えばお二人の結婚は、まだ幸せなものだったのだと思えてならない。
「……逃げ出すのも当然、か。……やっぱり、ここが一番壁が薄いわね」
「……ん?嬢ちゃん何を言って―……って、待ちな。さっきからやけに壁ばっかり調べてると思ったが、何をしてるんだ?」
出来れば聞きたくない、関わりたくない。だけど、仕事だから聞かなければならない。兵士の顔に浮かんだ表情はまさにそう物語っていた。
「……実家が左官屋なんです」
「嘘つけ!嬢ちゃん脱獄する気だろう?」
「……しませんよ。でも、一応聞きますが、このままじっとしていたら私はどうなりますか?」
「そりゃあ、お前―……この国は絶対君主制だからな。下手したら王の面子を潰したって事で最悪極刑―……」
「それは困りますね。私は十字架を担いで磔刑になる趣味はないですから」
ついでに言うと、斬首される趣味も絞首刑になる趣味もない。やっぱり、今すぐ外に散策に出かけるべきだろう。期間は一生で。
「ホント、勘弁してくれよ……そんな事やられたら今度は俺が牢屋行きになっちまう」
「安心してください。決行するならあなたが非番の日にしますから」
「ならいいか」
「……こういう事言いたくありませんけど、いいんですか?それで」
この兵士が緩いのか、それともこの国の兵全体が緩いのか―……ああ、王からして頭が沸いてるんだったわね。
この話を聞いて、他人事ながら心配になってしまうのは、私だけではないはずだ。いや、それならそれで逃げやすくなるからいいんだけど……
「……って、何だか外がガヤガヤとやけに騒がしいな」
「そう言われてみればそうですね。王女の婚礼の晩餐会が開かれているとは言え、こんな離れた牢獄まで宴のガヤが聞こえてくるなんておかしい―……」
私がそう言葉を口にした、まさにその時だった。青銅造りの重く冷たい扉が耳障りな音を立ててゆっくりと開いていく。その扉の隙間から身をくぐらせて入ってきたのは―……
「あ、アリシア様!?」
「……!?」
「こんばんは、クロト様。三日ぶりですね?……私のことを覚えておいでですか?」
ふわりと微笑む王女は、やはり、私が町で出会ったあの少女だった。
「説明している時間はありません。鍵はここに。脱出経路ならば王族が非常時に使うものがあります。そこを通りましょう」
カチャリ……という音を立てて、私の自由を奪っていた牢の鍵が外れる。あまりに予想外な来訪者と展開に、私も見張りの兵士もしばし固まって王女の行動を見つめていた。
「どうしましたか?早く!」
「ちょ……ちょっと、待って。どうしてあなたが私を?」
と、言いつつも、しっかりと兵士の横にあった自分の剣を装備し終えたけれど、私も混乱しているのには変わりがない。
一体、彼女は何のために―……?
「あ、アリシア様、お待ちください!た、確かにこのお嬢ちゃんがあれしきの事で牢屋行きになったのはおかしいかも知れません。ですが、お嬢ちゃんに脱獄されたら今度は私が―……」
兵士の言い分はもっともだった。誰だって、会ってたかだか一日二日の小娘の為に好き好んで咎を受けたいとは思わない。仮に逆の立場だとして―……私も同じ事を思うし、言うだろう。
「……忘れたのですか?今日は私の婚礼が決まった特別な夜。大会が閉幕した今、兵士達は一人残らず安息日のはずです。そして、安息日に起きたことで咎を受ける者はいない」
兵士の瞳を見据えると、静かに、しかし、力強い言葉でアリシア姫はそう語った。
「愚かな考えで試合に参加した罪人が一人、安息日に“たまたま”逃げ出した。罪人は幸運だった。……それだけです。あなたも他の兵達と同様に今から起こる事は忘れるのです。これは懇願ではありません。命令です」
……凄い展開になってきたわね。監守の兵士、豆鉄砲を当てられた鳩みたいな顔してるじゃないの。
「……御心のままに」
漸く自体が飲み込めたのか、少しの間思案すると、兵士はうやうやしく一礼をし、そう言葉を口にした。
……私と目が合ったほんの瞬間、似合いもしないウインクを飛ばして―……いくら、王女の命令とはいえ、少し話しただけの罪人をこうも容易く見逃すとは……この人、本当に兵士に向いていないわ。……お人好しすぎるもの。
「さあ、早くッ!」
「……わかったわ。あの……」
「……俺は何も見てないし、何も知らない。……だろ?」
ニヤリとした不適なその笑みは、不思議なことに全く不快なものではなかった。
さて……こんなところにもう用はない。今夜は生憎の満月―……脱獄するのに絶好とは言い難いけれど、四の五の言ってはいられない。
「アリシア、お願い」
蝶番が再び耳障りな音を立てて擦れ合う。一つ息を吐いて、私は一歩、薄暗い廊下へと足を踏みだす。夜が明けるのはまだまだ先になりそうだった。