中世編
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誰が決めたわけじゃない。
強要されたわけじゃない。
気付いた時には自然とそうなっていった。
だから、私は―……
《LIVE》
山肌から降りてきた乾き切った風が煩くマントの裾を棚引かせる。それと同様、いや、それ以上に煩い群衆のざわめきは前から後ろから……まるで、波のように次々打ち寄せ鼓膜を不愉快に擽っていった。
大理石で組まれた重厚かつ壮厳な王宮。その王宮と併設されるように建てられているこの円形闘技場は、王国中から集まった人々によって埋め尽くされ平時以上の歓声に包み込まれている。
いっそ狂気でも孕んでいるのではないかと思うような大歓声は、一歩一歩足を進めるたびに比例するように大きくなっていった。
「……まったく。どうして権力者はこういう娯楽に走りたがるのかしら」
王侯貴族に対してこんな物言いは、所詮、不敬と言うものだろうけれど、疑問に思った事を普通に口にしたところで熱気と狂気に塗りたくられた声に潰され、消える。
誰に聞かせるつもりも分かってもらうつもりも到底ないし、なによりこんな不敬な言葉を聞かれるわけにもいかないからその点だけはこの歓声に感謝しなくてはならないかもしれない。そこまで思考を巡らせて、私は再び若干どころか強烈な騒音の中を縫うように歩を進める。
始まる前からこれだけ煩いのだ。これから自分がやろうとしていることを実行に移せば、今以上の煩わしい騒音が頭上からそれこそ雨のように降り注いでくるだろう。
それは嫌だけれど、背に腹は代えられない。一応は目的があって来たのだから。それ以前に、何のメリットもなければこんな煩いだけの劣悪な場所にわざわざ好き好んで来るものか。
まあ、第一の面倒事はこの地の果てまで続いているのではないかと思いたくなるような行列の最後尾に今から並ばねばならないという現実なんだけれど……こんな大々的なイベントなんだったら、参加者の受け付けブース一ヶ所に絞らないでよ。
心の中で盛大に悪態を吐いて、私は限りなく近くて、そして限りなく遠い目的地を下から仰いだ。
++++++++++++++++++++
【sideオルステッド】
「……おい、オルステッド。お前、準備だけでどれだけ時間を掛けるつもりなんだよ?」
「ごめん、ごめん。だから、さっきから謝ってるじゃないか」
真上とまではいかないが、そのすぐ近くにまで上ってしまった太陽が、既に盛大に出遅れてしまったという事をはっきり語る。昼の光で眩しく輝く石畳の道を大の男が二人、息を切らせながら仲良く並走するという光景は中々おかしなものだ。
……なんて、他人事のように思えば自分が何を考えているのか悟ったのか、すぐに真横を走っている幼なじみ兼親友の男は呆れたと言わんばかりに大きく肩を落としていた。
「……あのな。誰のせいでこんな事になったんだと―……」
「俺」
自信満々にそう答えれば、一拍置いて後頭部に鈍い衝撃が帰ってくる。どうやら、言葉の代わりに軽くどつかれたらしい。
「……った―………!何も殴ることはないだろ?」
「お前、少しは―……はあ、そうだな。お前はそういう奴だよな。うん」
「人のこと、勝手にどついて勝手に納得する奴もどうかと思うけど?」
一体、何に納得したのか。うんうんと、自分の出した結論に満足した様子で親友……ストレイボウは一、二度首を縦に振った。
「あっ、やっと王宮見えてきた。ほら、ストレイボウ駆け足」
「……だから、さっきから走ってるって」
太陽は今度こそぴったり真上へと上りきり、優美な石造りの王宮を、武骨な闘技場を平等に照らしだしていた。
++++++++++++++++++++
「……へえ。坊主、いっちょ前に参加でもするつもりか?」
「……」
……また、これか。
つい数時間前に起こったばかりの、全く同じ種類の厄介事を思い出し軽く眩暈を覚えた気がするのはきっと気のせいじゃない。……今日は本当に厄日。
自分の肩に置かれているこの浅黒い臭い手を手っ取り早くかき斬ってしまおうかという物騒な考えが一瞬脳裏をよぎったけれど、流石に実行に移すような浅はかさは持ち合わせていない。……たぶん。
行列という苦行をなんとか終えたばかりだというのに間髪入れず起きた、所詮、厄介ごとに思わず心の中で吐いた悪態は本日何度目のものだろうか?もう、一々数えてはいられない。ここまでくると。
……当たり前といえば当たり前のことだけれど―……参加者の控え室だという部屋は、私の予想通りガラも頭も悪そうな男たちの巣窟となっていた。
なんでも、優勝したものには秘宝の贈呈の他に恩赦で一つだけ望むものが与えられるらしく、そして、それは罪人といえども例外ではないそうだ。
つまり、仮に囚人や死刑囚がこの大会で優勝すれば自分の罪状の減刑、いや、罪自体をなくすことだってできる。 ……それだったら、集まるわけよね。こういう奴ら。
「おい、坊主!テメエ俺達の話聞いてるのか!?」
……聞いてるわよ。聞きたくなくたって大声を耳元で何回も出されたら、嫌でも、不本意でも聞かなければならないのだから。
「いいんだぜ?ここでテメエをやっちまっても。どうせ、優勝さえすりゃあ恩赦でどんな罪だって消せるんだからな!」
そう言い放つと、男は自身の手に携えた赤黒く錆付いた大斧の刃を舌なめずりしながらニタッとした非常に気持ち悪い笑みを浮かべて、そして、酷く下卑た笑い声を薄暗い室内中に轟かせた。
……本当に叩き斬ってやろうかしら?この手。
……そもそも、それ以前に私、男じゃないんだけど。まあ、ほんの数刻前にも酒場で迂闊にもフードを取ったおかげで面倒事に巻き込まれたわけだから今ここでフードを取るつもりは更々ないが。女と分かったら分かったでさらに面倒になるだけなのだ。こういうタイプは。だったら自衛のために脱がないほうが正しいし、このまま男だと思わせておくほうが何かと懸命だろう。
私は、目深に被ったフードを更に下へと引き下げた。
「なんとか言ったらどうだ坊主?俺様は寛大な男だからな。ここで命乞いをしたら許してやってもいいんだぜ?“ママー助けて!!”ってな」
そして、再び広がる下卑た笑い声とどよめき。どうやら、この下品な笑い声は感染するようで、嘲笑と呼ばれるその笑い声は男を中心に脈打ち波紋のように伝染していった。
……限界。
いいわよね?別にすこーし火傷させるぐらいなら。そりゃあ、水ぶくれぐらいは出来ると思うけど、少しだし。
口の中で小さく、本当にごく小さな呪を紡ぎあとは魔を放つ。……それだけだったのに。
「控え室がどうにも騒がしいと思えば……何をしてるんですか?」
「……あっ?なんだ、テメエらは?」
キイ……キイ……と不愉快な音で蝶番が悲鳴を上げ、私の思考を一瞬だけ奪う。不意に開け放たれた扉からは風が流れ込み、停滞し、淀みきった空気を一気に洗って押し流していった。
右ならえではないが、他の人達と同じように反射的に声の出所になった人物へと視線を向ければ―……そこにいたのは、二人組の青年だった。……いや、もしかしたらまだ少年とも言える歳かもしれないけれど。
とにかく、歳は私と大差がないように見受けられるその二人は他と比べると異質だった。
「……また、後先考えずにお前は……ちょっとは付き合う俺の身にもなってくれ」
「えっ?だって、この子困ってるみたいだし。大丈夫?」
「……」
呆れたようにため息を肩で大きく吐いたのは紫紺の髪の青年の方。そんな青年に対して、もう一人の金の髪の青年はさも当然とばかりに答えを返し、そのまま続け様に私へと言葉を掛けた。
人なっこい笑顔を浮かべている青年と、呆れたといいつつ、でも、こちらを心配するように見つめる青年。
こんな犯罪者より取り見取りの中で彼らが異質であることを説明するにはこれだけあれば事足りるだろう。
そんな二人の態度は、目の前のこの悪漢を苛立たせるには十分だったようで。
「ああ?このアームストロング様に一体何の用だって聞いてんだよ!!それにテメエら一体何者だ!?」
「えっ?ああ……俺達も武術大会の参加者ですよ。ほら、これ参加証」
金の髪の青年はそう言うと、懐から一枚の紙切れを取り出し文面が私たちによく見えるように広げた。……なるほど。確かに押してある花印は王家のもの。私が受付けで渡された書状と同じものだった。どうやら彼らも参加者ということは嘘ではなさそうだ。
「……ところで、アームストロングさん……でしたか?あなたの名前、先程呼ばれていましたよ。いつまで経っても来ないので呼びに来たところです」
「……何!?テメエ、そういうことは早く言いやがれ!対戦相手は!?まさか、不戦敗なんてこたーねえよな!?」
アームストロングと呼ばれた―……反応から察するに恐らく囚人であろう悪漢は、語気を強めると金の髪の青年の襟首を掴み上げ鬼の形相で詰め寄った。どうやら、不戦敗だとそうとうまずいらしい。……一体、何やらかしたんだか。まあ、考える義理もないけれど。
一方、青年の方はと言えば、対照的に涼しい顔。それどころか、自分の体よりも遥かに大きな悪漢を軽く払い除け、笑みを浮かべているくらいだ。
これには、流石の悪漢も驚いたようで間抜けな顔をして目を見開く。……少しは腕が立つって事ね。
「落ち着いてください。不戦敗にはなっていませんから。だって、あなたの対戦相手今ここにいますし。ね、ストレイボウ」
「……そこで俺に話を振るか、普通?……まあ、そういう事何で一回戦よろしく」
「……はっ!俺様の相手はこんなもやしみたいなひょろい兄ちゃんかよ!安心しな、すぐにその首叩き落としてやるからよ」
一度は納まったはずの嘲笑の波が再び部屋中に広がる。しかし、彼ら二人の表情には怒りも憤りも感じられない。あるのは好戦的に煌めく双眸だけ。
「……という事だ。それじゃ、オルステッドまた後で」
「うん。じゃあ、決勝でね」
最後にそう言い残すと、ストレイボウと呼ばれた紫紺の髪の青年はその長い髪とローブを翻し、振り返ることなく一度手をヒラヒラさせて地上へと繋がる階段をゆっくりと上っていった。
「……大丈夫?災難だったね。でも、君みたいな子供がどうしてこんなところに?」
「……」
自分の、恐らく友人を見送った後、一人控え室に残された金の髪の青年は再び私へと興味の対象を移し、そう口火を切る。……私に話し掛けたのは、心配半分興味半分といったところだろうか。
一応、助けて貰った身ではあるけれど今話し掛けるのは非常に遠慮してもらいたかった。それもわりと切実に。
実は結構限界まで―……って、もう無理!!流石にこれ以上押さえ付けられない!
「……えっ?ちょっと、君!?」
慌てたように伸ばされた青年の腕を擦り抜けるようにして私は部屋を飛び出した。
脇目もふらずに暗い廊下を疾走する。途中ぶつかった人が怪訝そうに眉を潜めたようだけど今はかまっていられない。
あと、数十メートル。……数メートル。あった!!裏口!!
「……ファイア!!」
予想はしていたけれど、案の定と言えばいいのか―……今まで蓄めに蓄めてしまったその魔法は、もはや初歩の火炎魔法とは思えないほどの大きさと熱量を持った火球へと変貌しており―……間一髪のところで力ある言葉を叫べば、蒼穹の空へとコントラストを描いて飛び立っていった。……ㇻ系にまで威力上がっちゃってたわよね……どうみても……
「……ま、間に合った、わ……」
魔法は急に止められない。一度、呪を紡いでしまったのならば、具現化させるまで止める手段がないのだから。
別にこんな大きくするつもりはなかった。それこそ最初は手の甲に煙草でも押しつけたような火傷を負わせるぐらいの火力に調節するつもりだったのに―……予想もしていなかった人達の登場に発露の機会を失った魔の力は膨張を始めて―……本当、間に合ってよかった。
あんな狭い室内でこんなファイアを軽く通り越してファイラ並みの炎を放してしまったら―……それこそ、こっちだって焼けてしまい、ミディアムどころかこんがりウェルダンになってしまう。……そんなの願い下げだ。
そして、もう一つ思ったこと。
「……大会、始まっててよかった」
一人そう呟いて火灰岩で作られた円形闘技場を再びあおぐ。もう大会は始まっているから、闘技場の外、ましてや裏口なんかには人の姿なんてなかった。
傷つけるつもりはないとかそんな綺麗事を言うつもりは更々ないが、余計なことをして万が一にも恨みを買うようなことはしない主義だ。
……恨みが、憎しみが―……人の怨嗟がどれだけ強いものかそれは骨身に染みて分かっている。
消えない。消せない。それに―……
「……民間人には手を出さない。……だったよね?」
無意識に口を突いて出た言葉に瞳を閉じて、今ではもう半数になってしまった共犯者達をそっと思う。それは、修羅に成り果てた私達に最後に残された絶対の、不文律の掟。
誰が決めたわけじゃない。
強要されたわけじゃない。
気付いた時には自然とそうなっていった。
ジュノもイフゲネイアもチェルヴィも……もういない。……フュージアだって……壊れてしまった。
だけど、だけど……私は今でもその掟を破りたくなかった。
自己満足の慰めにしかならないけれど、誓いが繋いでくれてるって、そう思っていたかった。
「……みんな」
そっとつぶやいた声は今度は塗り潰されることなく風に乗って遠くへと運ばれていったような―……そう感じた。
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【sideオルステッド】
「一回戦突破おめでとう」
「……ああ。お前とあたるまで負けるわけにはいかないからな。……あのガキは、どうした?姿が見えないようだが」
「……うん。ストレイボウがいなくなった後、すぐに出てった」
カツカツ……と規則正しく鳴る足音が俺の思考を現実へと引き戻す。石の階段から降りてきたのはやっぱり自分の親友で。マントに僅かばかり埃が着いた程度で他になんら外傷がないことから察するに、一回戦はストレイボウにとって楽勝だったということだろう。
彼の普段の努力と力を知っている身としてはこれは当然の結果なのだけれど。
「……そうか。なんだったんだろうな。あのガキ」
「そうだね。……結局、一言も喋らないままだった」
「はあ?礼の一つもなかったのか?」
そう言うと、信じられないと言外に含ませてストレイボウは目を軽く見開いた。妙なところで律儀なストレイボウにしてみればそれは信じられないことなのだろう。
「……あっ。でも、あの子もこの控え室にいたって事は参加者って事だから、また、会えるよ。きっと。それに―……」
「……ん?どうしたんだ?その指輪。お前、そんなもの持っていたか?」
「あの子の落とし物。走って出ていったからその時に落としたんだろうね。……綺麗だなって思って見てたんだ。柘榴石―……かな?松明に翳すと炎が燃えてるみたいに見える」
そう言って松明に翳してみせれば、さっきと同じように明々と指輪は煌めいた。
「……そうか?炎というより血の色のように見えるがな」
「……そうかな?まあ、どのみちこれを返さなきゃいけないから後から探してみるよ」
俺に言わせれば煌めく焔。
ストレイボウに言わせれば血。
どちらにも取れる色に煌めく柘榴石はただ静かに輝いていた。