中世編
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あなた次第―……でしょうね
《LIVE》
「ああ……それにしてもこいつぁは酷ぇ……」
体をあらぬ方向に曲げているジャッジの轢死体を引っ張り起こすとアイガはぼやき垂れた耳の後ろを掻いた。
屍が激突した壁面には臓物の破片や酸化し始めた血飛沫が至る所に爆発したように四散し、むせかえるような死の匂いが濃密に漂う。今だ色濃く残るジャッジの死臭は、私達にとってどんな極上の酒にも優る甘美の芳香だが、アイガにとってはやはり違うようだ。
「血から何から中身が全部噴き出しちまって……死体三つは始末するとしても、この痕はごまかしようがないですぜ」
深い深いため息を吐くと、アイガは暗い声で愚痴を漏らした。
“構わないさ”
まるで砂を噛んだようなザラザラとした音が返答する。音の主であるモーグリ族の青年は自分の喉元に付けた装置を手早く左手で操作すると、そう言葉を“発した”のだ。モーグリ族の青年―……チェルヴィは愉快と言う代わりに喉を鳴らしてせせら笑う。子供のように甲高く愛らしいモーグリ族の声とは真逆の感情の起伏がほとんどない機械音は、チェルヴィの声帯がもはや使い物になっていないという証拠だった。
“計画には少々狂いが生じタけど、ジャッジを仕留めタとあれば結果は上々さ。アルケイディアの者ドもは、死の痕跡にせいぜい怯えればいいんだ”
「でも―……」
愉しそうに表情を歪めるチェルヴィに異議を唱えたのはやはりアイガだった。
何も今夜がアイガにとっての初陣というわけではないのに……このシーク族の青年は狩りが始まる前も、最中も、終わった直後も、決まってアーモンド型の瞳を不安げに震わせる。
「帝国に裁きを。ジャッジどもに死を。それが俺達の―……マスティフの誓いだ。問題はない」
濁った朱色が舞う。血糊を飛ばし、拭き取った漆黒の二本の忍刀を鞘に滑り込ませて呟いたのはヒュム族の若い男―……フュージアだった。底無しに黒く暗い―……彼の愛刀と同じ色をした瞳がアイガに向けられる。
「旦那とフュージア兄さんが言うなら、オイラは別に、その―……」
そんなフュージアの瞳から逃れるように目を逸らすと、アイガは三人の骸を厚手の麻で出来た頭陀袋に詰め込む作業を再開した。鎧まで含めた死体の重量は尋常ではないだろう。しかし、アイガは一つ息を吸い込んだだけで易々と袋を背負い上げたのだ。いくら力が強いシーク族だからといって、私はアイガ以上の怪力を備えたものにあったことはない。
“―……新手は?聞きツけられテいないか?”
「サイレガが上手く効いてくれました。でも、際どいところでしたよ」
昔話を語る老婆のような落ち着いた声で、ン・モウ族の女性―……イフゲネイアはチェルヴィの質問に答える。そして、イフゲネイアの言葉に同意するように、今まで周囲の気配を探り続けていたヴィエラ族の巫女―……アロラは頷いた。
「悪いね……どうにも止まらなくて。でも、また一人ジャッジを殺せただけであたしは満足さ」
一番最初に動き、殺戮を始めたバンガ族の女性―……ジュノは、さっきかけた私の回復魔法で体力が回復したのか、緊張を維持していた胸筋を緩めて満足気に呟いた。
……さて、ジュノの体力も回復した。アイガの作業が終わればもはやこの街に用などない。私達―……クラン・マスティフの獲物はジャッジだけなのだから。
「クロト?いいって!クロトも疲れてるだろ?何も手伝わなくたってオイラが運ぶ―……」
「いいのよ。それに、私、今日の狩りであまり働いてないから。袋は?アイガのそれとこれで終わり?」
「あ……ああ、でも―……」
「……私が手伝いたいの」
アイガの背負っている袋に比べたら一回りも二回りも小さい袋を背負って、私は彼に背を向けた。
出来るのならもう少し持ってあげたいところだけど、残念ながらこれ以上の重量は容量を超えてしまうのだから勘弁してもらうしかない。
“すぐに、ナルビアを発トウ。ひトまずラバナスタに向かうよ”
チェルヴィの号令を合図に、七つの影法師が夜の街路に躍る。
まるで血の色のように赤く濁った月光の下、相反する汚れを知らぬ純白の雪がチラつく。
他種族同士の違い過ぎる輪郭が重なり合って駆ける私達の様は、さぞ、おぞましく不気味なものだろう、と、他人事のように考えた。まるで、百鬼夜行―……いや、破滅的な渇きに突き動かされて次の狩り場を目指す飢えた獣の群れ。今夜は獰猛な獣の行進にはあまりに不釣り合いな、静かな、静寂に満ちた夜だった。
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「……灯りが点いてたからもしかしてって思っていたけど、やっぱりまだ起きていたんだ」
「……あなたこそ。せっかく泊まれたんだから早く寝たらどう?」
ランプの仄かなオレンジ色の光が、私とは違うもう一つの影を浮かび上がらせる。読んでいる本から目を離さずに返事をすれば、少し時間をあけて向かい側の椅子が引かれる音がした。
「君と話がしたいんだ」
「……」
本を閉じて顔を上げれば、目の前にあったのは、やはり、あの一対の紅玉だった。一転の曇りも汚れもない綺麗な赤が不快で、私は青年の瞳から視線を逸らした。
「……でっ?」
「……えっ?」
「話。あなたが言ったんでしょう?」
この青年が一度思い込んだら中々曲げないという事を、私は数日前の一件で骨身に染みて思い知らされている。正直、この青年にもあの魔道士にも関わりたくないというのが本音だが、避けられないのなら無駄な労力は使わずに相手に満足させてしまったほうがいい。
どうせ、この青年が私に聞きたい事など一つしかないだろうから。
「君と―……アリシアのことだ」
やっぱりね。
静かに紡がれた予想通りの言葉に心でため息を吐く。下手をすれば喉から漏れそうな音を誤魔化すために、私はカップに僅かに残っていた冷め切った紅茶を飲み干した。
「待って……!話は……ッ!」
「聞くわよ。お茶がなくなったから入れ直そうと思っただけ」
万人を納得させるような話術があるなら違うだろうが、生憎、私にはそのような技術は備わっていない。むしろ、苦手な分類であるとさえ思う。
気心知れた仲間と話すならいざ知らず、先日会ったばかりの―……おまけに殺し合いモドキをした相手と今から話をしなければいけない……これが苦行でなければ何が苦行だろうか。
苦肉過ぎるというのは十二分に承知だが、紅茶で喉を潤している間は、少なくとも喋らなくても間は繋がる。
加湿もかねてお湯は常に沸かしているし、この間の買い出しで茶葉は無駄に揃っている。材料に困ることはない。
「……あなたも?」
「……俺?」
「飲むかって聞いているの。砂糖は?少なめ?」
青年に背を向け、白い陶器のポットに茶葉を詰めながら問えば、少なめでという小さな返事が返ってきた。……本当に素直な男だ。普通もっと警戒してもいいだろうに。
私がこの紅茶に毒を盛る可能性を考えていないのだろうか?……入れないが。
時間が経つにつれてジワジワと紅茶の芳しい仄かな香りが部屋を包んでいく。そろそろ頃合いだろうか?……砂糖は少なくと言っていたから、これぐらいでいいだろう。
「……はい。熱いから少し冷ました方がいいわよ」
「……ありがとう」
差し出されたカップを受け取ると、青年は瞳を細め柔らかく微笑む。私には絶対出来ない表情―……とうに忘れた表情に心が軋みを上げた気がした。
「アリシアから聞いたんだ。君はアリシアを助けてくれた恩人だったって」
「……そう」
アリシア“様”ではなく、アリシア―……ね。
青年の言葉は私がある事を想像するには十分だった。こんな短期間で敬称が取れるなんて―……大会の誓約通り、アリシアはこの男と婚約したのだろう。
いや、せざるえなかった……と言うべきか。
「君はアリシアの恩人だっていうのに……俺は―……すなかった」
ここまでは大方予想した流れだったのだが、次に青年の口から飛び出した言葉はそれとは外れた謝罪の意味が込められたものだった。折り目正しく頭を垂らして発せられた言葉には嘘偽りは聞いてとれない。
「なにもそんな顔をしなくても……俺、変な事言ったかな?」
「……顔?」
「凄く瞬きしてるよ。さっきから」
「……」
困ったような、でもどこか楽しそうな青年の瞳、声。なんとなく癪で、私は眉間に少し皺を寄せながら入れ直した紅茶を一口口に含んだ。
「……別に気にしてないわ。疎まれるのは……慣れてるし」
「……えっ?」
青年の視線から逃れようと窓へと目を逸らせば、シンシンと積もる雪が映った。吹雪ではなく、まるで羽毛のような雪が降る夜はいつだって静かだ。
今日も、あの砂漠の夜も変わらない。
「……話は、それだけ?」
「……あ、ああ。そうだけど―……」
「そう。じゃあ、今度こそそれを飲んで休む事ね。あなたの連れも明日の朝には目を覚ますと思うから」
窓の上に掛けられた木製の質素な時計は、もう少しで新しい今日が始まる事を告げている。私はまだ起きているつもりだが、青年達は明日、山を下りるという行程が待っているはずだ。登山は往々にして下山時の危険の方が登りに比べて増す。
まあ、私には関係のない話だが。
「……君は―……」
「……あなた達がここに来た理由ならさっき聞いたわ。ここには勇者なんていないわよ」
私の言葉に、青年は首を横に振る。どうやら言いたいことは違うようだ。
「……話していて思ったんだ。君の瞳は分かり辛い。確かに君はアリシアを助けてくれた恩人だ。だけど、俺と戦った時の君はとても人を助けるような人間には思えなかった。君は善人なのか?それとも悪人なのか?」
新しい今日を告げる鐘が鳴る。時を告げる音を聞きながら、私は口を開いた。
「……あなた次第でしょうね」
……と。
「……ごめん。変なことを聞いた。君が言う通り、これを飲んだら休ませてもらう―……ブッ!?!」
「……?どうかした?」
「……俺、確か砂糖の量は少なくって言ったはずじゃ―……」
「……?だから、少ないわよ。角砂糖五個」
「……一つ聞きたいんだけど、君のにはいくつ入ってるんだ……?」
「十個」
そう答えてカップに口をつければ、青年は青ざめた顔に手を当てて、信じられないものを見たとでも言いたげに目を見開いた。……変な人。
++++++++++++++++++++
「……クロトは優しいよ」
「急にどうしたの?アイガ」
雪はすでに止んでいるが、それでも砂漠の夜は恐ろしいぐらいに冷え込む。モンスター避けのためにも、暖を取るためにも火の番は欠かせない。
今日の野営のパートナーであるアイガは、突如、突拍子もない事を言ったかと思うと、その先を考えていなかったのか私の問いに困ったように頭を掻いた。
「……さっき、死体運ぶの手伝ってくれただろう?」
「……別に。自分達の尻拭いぐらいやるわよ」
「それだけじゃない。……さっき、帝国兵の魔法からオイラを庇ってくれたのはクロトだろ?違う魔法の詠唱を中断してオイラにリフレクって魔法かけてくれた。でも―……」
赤から白へと変わった月の光と星の光だけが降る静かな夜に薪のはぜる音が響く。またしても言葉を詰まらせ、言葉を探すアイガを私はただただ見つめていた。
「でも―……その後のクロトは化け物みたいだった。クロトだけじゃない。旦那もフュージア兄さんも……ジャッジや帝国が出てくるとみんな皆そうだ。オイラ、時々分からなくなるんだ。皆がいい人なのか、悪い人なのか……優しいところと怖いところ―……ごちゃごちゃで分からなくなるんだ」
「……アイガ」
「……ごめん。クロト、オイラ馬鹿だから上手く言えなくて―……」
頭を下げて小さく謝罪の言葉を口にしたアイガに、私は首を横に振って答える。
善意と悪意―……両立して楽しむなんて趣味の悪い趣向はないはずだけど……
ジャッジを殺しても殺しても癒えない渇きの答えがそこにあるような……そんな気がした。