S・O・A・P!!


「……大変だったねー……。」

時刻は午後四時。いつもなら担当区域である内科病棟に上がり今週分の薬剤管理指導料を取るために奔走している時間である。……にも関わらず、私は薬局の最奥にある休憩室に引きこもっていた。別にサボってるわけじゃない。誰かさん達のせいで不幸にも食べ損ねた昼食を取っているだけである。
どっかのカラフルやくざに会ったせいで私の今日の業務予定は大荒れだよ!あんな柄の悪い連中やくざ呼ばわりで十分だ。あの後も救命処置をするスタッフの横で喚くし怒鳴るし邪魔するし……ウザい事この上ない。
そりゃあ、病棟でも外来窓口でもこっちの頭が痛くなるような患者はいた。だが、今日のはそれの比じゃない。各医療現場でモンスターペイシェントは問題になっているが、今日のモンペはその中でも神掛かり的なウザさだろうよ。
……ったく、今思い出しても腹立たしい。
そんな事を考えながら齧ったシュガーロール(売店で購入。見切り品。)は、甘ったるい味ではなく何故か苦い味がした。……っうか、これ口の中パッサパサになるな……

「まあ、今日はゆっくりそれを食べて、明日病棟に行ったら?」

そんな私の様子を見た同僚の顔に浮かぶのは苦笑いで―……その顔をぼんやり見ながらもしゃっともう一口パンを齧る。
私のすぐ上の上司にあたる彼女は高校の先輩でもあって、思えば仕事で分からない事があると私は常に彼女に頼っているような気がする。それにも関わらず私の面倒を見てくれ、こうして下らない愚痴にも付き合ってくれる先輩の存在は有り難かった。

「あー……でも、今日行ける人は今月もう一回算定できますから」

今から病棟に上がれば残業は回避できないが、昨年度より業績を落とすなというお達しがあった以上、やれる時にやる事やっていないと後々響く。それに残業代はしっかり出る職場だから今日一日ぐらいなら残業にも耐えられるだろう。
そう算段を付け終え、私はマグカップに残っていた出がらしのお茶を一気に飲み干した。
さあ、もうひと踏張りといきましょうか。

「……はあ、やっと終わった」

フッ……と窓から外の様子を伺えば、空はすでに薄暮の白を通り越して藍色に染まっていた。
まだまだ医療従事者として駆け出しのひよっこである私が受け持つ患者の数は、けして多くない。いや、多けりゃ多いで困るんだけど。受け持つ患者が少ないとは言え、やっぱり一通り受け持ちを回ると疲れるわけで―……病棟の夕食前に何とか今日の分は終えたが、これからその薬歴をまとめる作業が待っているのでまだまだ仕事は終わりそうにない。
……薬歴つけてもいつもなら定時の五時にはきっちり終わるのに。今日の残業の原因になった奴らのことを思い出して、私は心の中で盛大に悪態を吐く。
医療従事者としていいのか?……と、言われても仕方がないが、私は医療従事である前にモンゴロイドのホモサピなのである。
わけも分からず自分に対して敵意を飛ばしてくる相手を思いやるような慈悲の心は持ち合わせていない。右の頬を殴られたら傷害罪で訴える人間だ。

「……」

薬局に戻る途中の薄暗い廊下にボヤッとした影が浮かび上がる。近づくたびにはっきりとする輪郭は、やっぱり私が思った奴らのものだった。
ICU前の待合室―……ずっと待ってるってわけ、か。
先程のまでの威勢はどこへやら。今のカラフルやくざ達は揃いも揃って借りてきた猫のように大人しかった。
すっかり焦燥仕切っているようだが、女性がICUにいる以上、ホイホイと中に入れるわけには行かない。ICUにいるのはあの女性だけじゃない。今まさに集中治療を必要とする人達がたくさんいるのだから。

「……姉様」

カラフルやくざの一人―……一番幼い少年がポツリと呟いた声が黄昏色に染まった廊下に響いた。

「……そこにいたって今日はICUから出てきませんよ。」

時刻は既に夜の八時。にも関わらずカラフルやくざ達はそこにいた。まさかなー……と思わず好奇心に負けて様子を見に来てみれば案の定と言ったところか。
私の言葉にカラフルやくざ達の体がピクリと少しだけ動く。でも、それだけ。奴らは無言で待ち合いのソファーに腰掛け続けていた。
まあ、いっか。OPEが長引いた時も家族は遅くまでここで待ってるし。何かあったら警備員がすっ飛んでくるだろう。そう考えて、踵を返したまさにその時だった。

「……先生、当直ですか?」

人工的な機械音を立ててICUに繋がる自動扉がゆっくりと開く。そこから現われたのは私が病棟でお世話になっている内科医の先生だった。

「ああ、君か……いや、何、今日救外前で倒れてた女性がいただろう?」

その言葉が終わった直後、私達の背後からガタガタガタッと、派手な音が生まれた。私も先生もびっくりして音のする方へ視線を向ければ、音の原因は案の定、カラフルやくざだったわけで―……

「か、彼女なら大丈夫です。酸素濃度も血圧も落ち着いてきました。
初期救命が早かったから脳へのダメージも殆どないでしょう。今すぐとは言いませんが数日のうちに意識を取り戻すはずです」

なるほど……容体安定してきたんだ。
取り巻き連中については知ったことじゃないが、流石に自分が心マした相手がどうなったかは気掛かりで―……先生の説明は私にとっても嬉しいものだった。

「ところで―……君達もそろそろ落ち着いたと思うから聞きますが、そろそろ君達のことを教えてほしいんです。恐らく彼女は暫く入院してもらう事になると思いますが、色々手続きが必要ですから」
「そ……それは―……」

先生の質問は至極もっともだ。何言い淀んでんだ?こいつら。先生もそれを不審に思ったのだろう。穏やかな先生だがそこは医者。医者の観察眼は鋭い。カラフルやくざを見つめる先生の表情はとても訝しげだった。当り前だ。この人達どう考えたって日本人じゃない。下手したら不法入国した外人かもしれない。仮にそうじゃなかったとしても、ワケありなのは明白だった。
……って、私が考えたって仕方ないか。後は先生と当人たちに解決してもらおう。

「……それでは、先生。私は先に上がります。お疲れさまでし―……」
「私達はそこの女の知り合いだ」

わっつ、はっぷん。
カラフルやくざの一人―……赤髪の男の言葉に私の思考が止まった。
って、はぁ?はぁあ?はぁあああ?なんだそりゃ!?

S……私達はそこの女の知り合いだ。
O……観察。
A……焦燥している様子。相互方向の会話は可能だが、支離滅裂な言動も見られる。
P……素早い帰宅。関わらない方向で。
2/11ページ
スキ